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【GRASSBLUE Ⅱ 青草戦記】儚いからこそ、人の夢は星よりも尊き輝く。絆と情熱のファンタジー  作者: ほしのそうこ
魔法剣の姫は、まもなく散る猛き花を愛しました。 【Passion dragon Arc=Lyra】
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夢のような出会い

 医務室で頭の傷の手当てを受けました。斬られた場所が頭なだけに慎重に確認がなされましたが、重篤な後遺症はなさそうだということでした。




 しかし、わたくしは繊細な場所に傷を受けて多くの血を流したせいなのか、心身を疲弊させて、微熱を出してしまいました。




「初勝利おめでとう。だけど、その程度の切り傷で熱なんか出してる軟弱なところ、ひとに見られたら王家の恥だわ」




 予選会に関心はなくとも、わたくしの試合はきちんと観戦してくださっているエリシア様です。お祝いの言葉はくださいましたが、そのように申しつけられて。わたくしは医務室から事務室へ移動しました。




 事務室には勤務中に昼食をいただいたり、仕事が片付かず帰りそびれてしまった夜に仮眠をしたりするための、革張りの大きな長椅子があります。わたくしは座布団を丸めて枕代わりにして、そちらに横になっていました。




 まだお日様も高い時分です。本日の予選会の試合は、まだまだ続いています。当然、係員は試合の最中ですので事務室で寛いでいる者など誰もいません。




 自分ひとりの空間で、静かに横になっていると、頭の傷がズキズキと痛みました。剣闘大臣を任されていた頃のわたくしは、この部屋でひとりきりで過ごした覚えはありません。そのせいか、なんだか非常~~に、孤独感に苛まれます。……二十歳にもなって。自分で望んで出た試合で負った傷の痛みで、誰も側にいないからと心細くなってしまうなんて。エリシア様のおっしゃる通り、こんな軟弱な姿、恥ずかしくてひとに見せられませんね……。




「……よお。お加減はいかがですか、……なんてな」




 ひとに見られたくないと思ったそばから現れるんですから、この人(シホ)ときたら……ですが、「見られたくない」なんてちっとも本音ではない、単なる強がりなのですから。ここぞという時機にやって来て、ちゃんと側にいてくれる……本質は、そちらだったりするのかも。




「どうしたの、こんなところへ……今日は、予選会を見に来たのよね? 試合はまだ続いているのに」


「医務室へ行ったらレナはもういなかったから、諦めて帰ろうと思ったんだけどな。廊下を歩いててイルヒラに出くわして、レナはこっちにいるから行ってやれって言うんだよ。人払いもしといてやるからってさ……」




 エリシア様ったら……本当に、予選会に対する関心が薄すぎます。こんな短時間でイルヒラ様に体を譲ってしまったなんて。




「きちんと診ていただいたもの。あの程度の傷、大したことないわ。それよりシホ、あなたの方こそいつもの元気がないじゃない……」




「ん……さっきの試合。メイディッチは剣闘士界隈でも最低の野郎だって知れ渡ってたから。よりにもよって今朝、あんなかる~い口約束をした日に対戦に当たっちまって。そのせいで、無理をさせすぎたんじゃねえかと思ってな……」




「今日の試合にあなたの責任は何ひとつないわ。わたくしは以前から、あの男が大嫌いだった。だから絶対に負けたくなかった、それだけよ。自分のせいでこうなったなんて、自意識過剰だわ」




 きっちり否定しても、シホは「うん……」と、今までに見たことのないような弱り切った態度で表情が晴れません。……なんだか、「十八歳の青年相応なシホの言動」を、わたくしは初めて目の当たりにしている気がします。




 横になったままではシホの杞憂は晴れない気がするので、身を起こそうかしらと考えた矢先のことでした。シホは床に膝を着き、わたくしの顔を間近に覗き込んできます。ためらいがちに、手を動かして。わたくしの前髪をかきあげました。




 傷痕の上の前髪はあの時一緒に切られてしまったので、無事な方の前髪の下には何もないはずですが。シホはまさに、その、「何も傷がない額」を見ることが目的だったみたいで。




「オレがグランティスに来たから、レナは予選会に出るようになって。腕にはいくつも傷が残って、顔にまで……オレがこの国に来てなかったら、レナの体は綺麗なままだったのにな……」




「……あなたの生まれた国の常識では、女の体に傷があってはいけないのかもしれない。けれど、グランティスでは違うのよ。先ほどの試合でも、わたくしはそう言ったわよね? 戦いで負った傷は、戦って生きることを自ら選んだ、勇気の証だって。……あなたまで、わたくしの体の傷痕を否定するというの……?」




「……そうだな。殊更に気にする方がよっぽど、レナに対して無礼だった」






 ごめんな、と、聞き逃してしまいそうにか細く呟いて、彼は産毛に触れるようなささやかさでわたくしの額を撫でました。




「それにしても……姫っていうのはもっと、夢のある暮らしをしてるもんだと思ってたんだが。あんな見下げ果てた野郎を接待しなきゃいけないものなんだな」




「……だから、わたくしは強くなりたかったのよ。ああいう手合いに対して、一方的に従わなくて済むように」




 シホの思い描いていた「王族の、夢のある暮らし」とは、いかなる景色なのでしょう。衣食住には困らない。一般的な人々よりも恵まれた、安定した暮らし。それは確かな事実なのですけれど、それだけではない「不自由」だって、やっぱりあるのです。




 俄かに可笑しくなってしまって、わたくしは、ふふ、と小さく笑いました。それを聞いて怪訝な顔のシホの、わたくしの額の上にあった手に、わたくしは自分の手のひらを重ねました。




「ほら。わたくしが心も体も強くなれたのは、シホがこの国に来てくれたおかげじゃない。本当に、心から感謝しているし……だからこそ、わたくしはあなたに魅かれたのね……」






 実際、ポーラのように、グランティスの王族を非難する者は少なくないのです。わたくしの幼い頃、まだそのような行為について理解していなかった……いえ、理解していないからこそ、「どうせわからないだろう」というつもりで、そのような言葉をかけられたのかもしれません。




 その時のわたくしにはまだわからなくても、自分を見下げられる言動は心の奥底に深く根を張って、大人になるまですくすくと成長し続けていたのです。




「グランティスの王族に生まれてそれが出来る体である以上、強い(ひと)の子供を残すのは『義務』なのよ。ならば、わたくしは……誰かの言いなりではなくて。わたくしが心の底から尊敬出来る人を選びたかった。わたくしの方から愛おしく思える誰かと出会いたいと、ずっとずっと、夢見てきたの」




「そんな大層な相手が、オレでいいっていうのかよ……」




 わたくしにここまで言わせておいて、未だに疑っているなんて……表向きの態度は尊大な癖に、自己評価が低すぎるのでは?




「あなたでいい、ではなくて。わたくしは、あなたでないとダメなのよ。あなたのように、自分の命に真摯に向き合って。一日一日を大切に生きている人を、わたくしは他に誰も知らないわ。……ごめんなさい。残酷なことを言って」




「……いいや。そういう背景も含めてこそのオレだから。……オレはな。こういう体に生まれたなら、誰かと特別な関係になったり出来ねえと思ってたんだ。ただ自分がしたいことだけをして、後腐れなく人生を終える。それが『義務』だと思ってた」




「そんな……」




「……だからな。レナが、そういうオレだからいいんだって言ってくれるのは……オレにとっても、夢みてえな話、なんだよな……」






 彼と過ごしたこの三年間。彼の言動と、内に秘めていた想いのひとつひとつに、わたくしの中で急速に理解が広がっていきます。




 どんなにわたくしが想いを伝えても、シホは。自分の存在がわたくしの中に残り続けることそのものに、罪悪感を抱いているのです。それが今や、「心の中」だけではなくて。「わたくしの体の傷痕」という目に見える形として刻まれてしまった。その事実が、彼を後悔に苛ませている。




 わたくしが今日までに、もっと強くなれていたら。今日の試合で憎むべき者から傷を受ける前に勝利して、シホに自責の念など抱かせずに済んだかもしれないのに。




 先ほどの試合を終えて、わたくしは初勝利の歓喜の涙を流したというのに。今はただただ切なくて、自分の弱さが悔しくて。再び、涙が溢れてしまいました。たまらず、震える両腕を伸ばして、指先をシホの頬へ向かわせます。


 わたくしの体が今は自由に動かないからかもしれませんが、シホは自らが動いて、わたくしの頭の後ろを抱き寄せてくれました。拒まずに、受け入れてくれました。






「かっ……勘違い、しないで……ずっと一緒にいられないあなたでいいなんて、ただの結果論で……叶うのなら、ずっと……いつまでも、あなたと一緒にいたかったんだからぁ……っ」




「……どうだろなぁ」




 ごく普通の体に生まれてたら、今の自分とは違った性格かもしれない。だとしたらメイディッチにも引けを取らない、単なる性悪になってたかもしれないぜ? シホはそう、自虐しますけれど。




 もし、あなたがこのような運命の下ではなく、ごく普通の体に生まれていたとしても。きっと根底にある優しさや誠実さは、今とそう変わりなくて。そんなあなたと出会っても、わたくしは今と変わらず、あなたに恋していたと思うのです。わたくしは、そう信じていました。










 あんな風に触れあったというのに、次にお会いした時にはシホは今までと変わらぬ態度でした。軽薄で、会話をしたら節々が意地悪で。まぁ、たまにはしおらしくて優しいシホも悪くないとは正直思いはしましたけれど、やっぱりこの方が彼らしくて落ち着きますよね。




 今までと、何もかもが変わらなかったというわけではありません。わたくしもシホも、心に高い壁を築いて隠してきた最大の秘密を、お互いに打ち明け合いましたから。剣闘場では他の人の目もあるからともかくとして、満月の夜に町の外でふたりきりで会って話す時には、明らかに今までとは違った距離感の会話になっていました。






 赤首になったシホは、剣闘場で優勝すればエリシア様との模擬試合の権利を獲得します。この一年間の間に、二度、その機会がありました。二年間の「真面目に剣闘士として取り組んだ経験」があるので、最初の対戦のように一瞬で終わってしまうという結果にはなりませんでした。とはいえ、エリシア様は全力で手加減をして何度か打ち合いに付き合ってくださるという体ですし、その上で勝利は全く叶わない、夢のまた夢という印象でした。




 わたくしは相変わらずの戦績ではありましたが、出る試合全てで負けるという状況からは脱することが出来ました。一年の間に、片手で数えて余るほどの勝ち星を獲得しました。




 これは、エリシア様やシホからも指摘を受けたのですが……。




「最初から勝とうとしなくても、負けながら経験詰んで徐々に強くなればいい。っていうエリシアの考えも間違ってなかったんだろうけどな。『なんとしても絶対に勝ちてえ、負けたくねえ』って気概がなかったせいで、レナはなかなか勝てなかったのかもしれないな」




「そうねー。勝てないからって挫けて出場出来なくなるより、結果にこだわらず出るだけ出たらって思って言ったんだけど。あたしがしくじったのかも」




「いえ。負け続けても気落ちせずに試合に出るという心と、剣技の経験も重ねられました。エリシア様の指導が間違っていたわけではないと思います」




 ポーラ・メイディッチとの試合はわたくしの体に物理的な傷を、シホの心に負い目という傷を与えた最低最悪なものでしたが。ある意味、わたくしを次なる境地へ踏み込ませてくれたきっかけになったのかもしれません。






 ……そして、シホが運命の一日を迎える「最後の一年間」は、間もなく幕を開けようとしているのでした。


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