グランティスの未来のために
予選会に志願する際に提出された資料に記載されていたので、わたくしはシホの誕生日を初対面からすでに知っています。ですが、彼の体の事情を思うと、誕生日に「おめでとうございます」と伝えて良いものなのか。そんなわたくしの迷いが、彼がグランティスに来てから迎えた最初の誕生日の折に伝わってしまい。
「特殊な体に生まれてきたら、自分の生まれた日を人に祝ってもらえねえなんて、悲しいことだと思わねえか?」
「……そうですね。ごめんなさい、余計な配慮でした」
わたくしが必要以上に気負わないように、という、むしろ彼から配慮させてしまってなおさら申し訳ないです。シホはいつも通り、何も気にしていないと言わんばかりの笑顔でそう言いました。内心ではどう感じていたのかまでは知りようがないですが……。
「シホ。十九歳の誕生日、おめでとう」
「ああ……ありがとうさん」
そう言うやり取りがあったので、今回も昨年までと変わらず「おめでとう」を伝えたのですが。今年だけはやはり、今までと同じ心境というわけにはいかなかったみたいです。この次、二十回目の誕生日には「おめでとう」が言えない、重苦しい現実。
必要最低限しか物を持たない暮らしをしているので贈り物はしないで欲しいと言われています。せめて美味しいものでもご馳走出来たらと思うのですが、それも結構だということ。
シホは空虚な目で、満月を見上げて物思いに耽っていました。わたくしも、一方的に彼の横顔を見つめているのはどこか申し訳ない気がしたので、黙って同じように空へ目をやっています。街中と違って人工芝ではないので、まばらに草の生えた地面の上に並んで腰を下ろしています。ふたりの肩と肩の間にはまだ隙間があって、触れ合いそう、という距離感では全くありません。
わたくしとシホが満月の夜に町の外で会っているのは、この場所には街灯がなく、月明かりを頼りにしなければならない。それ以外の意味など何もありませんでした。
ですが……「満月の出ている夜には、ほとんど例外なく、ふたりでこのように過ごしていた」から。あのお方との遭遇に、シホひとりだけではなくわたくしも立ち会うことが出来たのは、誠に僥倖であったのではないかと思うのです。
残酷すぎるお告げを、彼にひとりで抱え込ませずに済んだのは、そのおかげなのですから。
「やあやあ皆さん、こんばんは。今宵は良い月でございますね。
ま~たおまえか、と思われた方もそうでない方も、ご承知おきください。この世界の物語の終わるところに、私あり。約束の日を迎えるまでは、これは絶対に変わらない『運命』なのですよ」
運命を司る神、月光竜。決して変わらない運命を視る目を持ち、歴史の影で為政者等に未来予知を授けてきたと伝えられています。
「月光竜様のオシゴトは、運命を変えてくれる可能性を感じる『力ある者』に未来予知を授けて回るっつう伝承だったよな。こうやって現れたってことは、オレかレナにそういう可能性を感じた……光栄に思っていいってことなのかね」
うさんくさい者を見るような目を全く隠さずに、シホは立ち上がりもせず月光竜を見上げます。今宵は彼にとって、「心身ともに穏やかに過ごせる、人生で最後の誕生日」になると思われます。話の内容次第では、そんなかけがえのない一夜を台無しにされてしまうかもしれないからでしょう。
「運命を変える可能性とは、『力ある者』だけに限りません。どんなに恵まれない弱者であろうと、私の目に見えたものとほんの少しでも違えた行動を取るだけで、未来は変わるはず……ですが、不思議ですよねぇ。結果として、誰にどのような伝え方をしても、私の視た運命は一度も変わったことがないのです。
私の行動も存在意義も、全くもって無意味で虚しい。傀儡竜の犯した罪を償うためだけに生まれてきて、無慈悲に命を手放すしかないあなた達と変わりませんね」
「……っ、いくら神竜様といえど、そんな言い方はっ」
無礼な物言いに、怒りに駆られて立ち上がりそうになりました。そのわたくしの右腕を、シホは左手を伸ばして掴んで引っ張りました。彼もまた、力加減をし損ねたのかもしれません。勢いが付きすぎて、わたくしは彼の座る太股の上に上半身が倒れ込みました。
「多くの傀儡竜は自分の運命を受け入れて、二十年間を穏やかに暮らす選択を取ってきました。神罰は絶対に覆りませんからね。あなたのように、二十年目の終わりを迎えるその時まであがく傀儡竜は稀少でした。誰ひとり、いなかったというわけではないのですが。
決して叶わない目標に人生を捧げる姿というのは、傀儡竜に関わらず誰であっても気の毒に映りますよね。そういう人に対して、私はこう告げることがあるのです。
『あなたの目指しているその目標には、あなたが生涯を捧げても辿り着かない。叶わない。このままそれを続けるのなら、捧げた時間も体力も水泡と帰すばかりですよ』とね」
わたくしは、月光竜と同じく神竜であるエリシア様の口から、このように聞かされていました。「月光竜に遭遇してもたらされる絶対変わらない未来予知に基づいた助言じみた何かは、迷惑この上ない余計なお世話である」と。
予選会に出場したわたくしは、一年間で一度も勝てない最弱の選手でした。勝てる見込みがない中で足掻くばかりの日々でしたが、もしも「あなたは一年間耐えれば、最初の勝ち星を得られますよ」だとか、あるいは「今後も絶対に勝てませんよ」といったお告げがあったとしたら、どうだったでしょう。
……なんとも、言語化が難しいのですが。「余計なお世話である」というのはまさしくこういうことでしょう。未来なんて知らないからこそ、純粋に取り組める。人が生きるというのはそういうことだと、わたくしは思います。
思いっきり反論して、何ならわたくしに備わる全ての語彙を駆使して罵倒してさしあげたい気持ちを、わたくしはどうにか堪えていました。月光竜はあくまで、シホに向かって話していて。シホは静かに、その言葉を聞き入れているからです。少なくとも、相手の言い分を最後まで聞こうという姿勢が、シホからは感じられるから……。
「四百年ほど前でしたか。あなたのように、傀儡竜が神罰を逃れて救われる可能性を探し求めて、二十年目を迎えるギリギリまで努力し続けた傀儡竜がいましてね。彼は世界一の大賢者、ミモリ・クリングル殿に師事していました。私はミモリ殿に運命をお伝えしたくてそちらへ伺ったのですが、せっかくお会いしたのだからと思って、先ほど言ったことを彼にも伝えたのですよ」
「……どんなに努力したって、傀儡竜が救われる手段なんかありゃしねえ。無駄な努力なんかしてねえで、余生は穏やかに暮らしたらどうか。ってことか?」
「その通りです。彼もまた、運命を変えてはくれませんでしたけどね」
「結果として自分の命が助からなくても、努力を続けること自体は無駄にならねえ。そいつはそれを知ってたんだよ」
「……シホ?」
「オレも、ミモリ様に聞かせてもらった。その傀儡竜の残した、この世に生きた証をな」
大賢者のミモリ様という方は、世界一の魔法都市であるフィラディノートに本籍を置かれています。シホもまた、生まれ、育ちはフィラディノートでした。
「ミモリ様はフィラディノートで傀儡竜が生まれたと知って、わざわざオレに会いに来た。四百年前に自分が面倒見て、救われなかった傀儡竜のことを伝えたいって。そいつの結末を見届けて、ミモリ様は改めて、誓ったんだそうだ。『いつか必ず、特定の個人だけが割を食う不平等な世界じゃなくて。誰もが公平に同じ時間を穏やかに生きられる世界を、自分が実現してみせる』ってな」
ミモリ様は、弟子として面倒を見たその傀儡竜にも、同じように伝えていた。たとえ叶わなくても、自分が最後まで諦めず足掻くように生きる姿は、ミモリ様の目指す理想の世界への礎になれる。水泡に帰すだけではないのだと。
月光竜の言うように、絶対に叶わないのだから早々に諦めて、余生を穏やかに過ごす道だって選べたでしょう……ですが、そうはされなかったのです。
お会いしたことのない方の、ほんの僅かな伝聞でしかないというのに。わたくしは深く共感して、その方が救われなかった悔しさに、拳を握りしめて震わせていました。
わたくしだって、王族に生まれて、ただ穏やかに。いつか誰かの子供を産む、その日を待つだけの人生を過ごすことだって出来たのです。わたくしの一生はそれで良し、満足ですとは思えなくて。結果として、わたくしは剣闘場で傷を受けながら戦うという道を選びました。戦乱の時代、誰かを守るために戦うというわけでもないのに、徒に苦労して傷まで受けるという不毛なことをして。
男性と同じ土台で戦って、たまにしか勝てなくて、最弱。それでも挫けないで立ち向かう。現状の剣闘場でたったひとり、平凡な人間の女の体であるわたくしが戦い続けることで、誰かが勇気を出すきっかけにはなるかもしれない。結果を伴わなくても努力する、ただそれだけで、わたくしの生きた証が残るのかもしれない。
……つくづく、「かもしれない」ばっかりで、確たる保障などなんにもありません。だけど、「結果が伴わない、叶わない夢ならば、努力する過程自体が無駄である」なんて、わたくしには絶対に受け入れ難い主張でした。
「さて、余談が長くなってしまいましたが、いよいよあなた方に運命を授けましょう。絶対にお聞きになりたくない、ということであれば、私はこのまま退散します。しばし時間を置きますので、お決めになってください」
月光竜としては、シホが「予言を聞くか、聞かないか」という選択すら、運命視によって見ているはずです。もしも、月光竜が知っている未来と違う選択をシホが選んだとしたら。それだけでも、月光竜の念願である「個人の行動によって、運命が変わる瞬間を目撃する」ことが出来るわけで。
どちらを選ぶのか、シホはかなり真剣に迷っています。未だ、彼の太股に体を預けて彼を見上げているわたくしの目には、シホの表情からそのように察します。
一瞬のようにも永遠のようにも感じられる時間でした。月光竜は、ふぅ、と小さな溜息を溢し、口を開きます。その吐息には、失意が滲んでいるような気がしました。シホの選択は彼の見た運命視から違えていなかったのかもしれないですね。
「これより三百年ほど先のこと。千年目の約束の日を迎える間際、グランティスの国内で太陽竜殿と真っ向勝負と相成った巨神竜殿は敗北し、命を落とされます」
「……は、エリシア様?」
てっきり、シホに向けての予言であると思い込んでいたわたくしは、思わず声を漏らしてしまいます。それも、あのエリシア様が、敗北する?
「私は『あなた方の運命』と申し上げたはずですよ、お嬢さん。そちらの彼は、私が何を伝えたいのかおわかりのようですが?」
わたくしはようやく身を起こすことにして、シホの太股に手のひらだけのせて、彼の顔を覗き込みました。いつの間にか、シホは愕然とした顔で、月光竜を見つめています。
「最高神である太陽竜殿は、巨神竜殿がいかにお強くても、神器によって殺めることが出来ません。この世で唯一、太陽竜殿の命を『直接的に』奪うことが出来るのは……傀儡竜が、太陽竜殿の神器を用いて、致命傷を与える。これ以外にはないと思われますね」
月光竜のお告げはまだ続きます。いわく、太陽竜は明確な目的意識をもって、二十歳になって傀儡竜に神罰が下された後に「神器によって、傀儡竜を安楽死させる」ということを繰り返してきたのだと。先ほどのお話に上がったミモリ様の弟子も、そのような流れで太陽竜に殺された。
なので、このままシホがグランティスで暮らしていれば、一年後。太陽竜は神器を携えて、この地に現れることが確定している。
それまでに、太陽竜から神器を奪って。「傀儡竜になったシホがそれを使って、太陽竜を殺す」。それが出来れば、遥かな未来、エリシア様が太陽竜に殺されるという運命を変えることが出来る……?
「で、でも……傀儡竜になるということは、シホの体は神罰の苦痛に蝕まれている……そんな中で、神器を振るって最高神と戦うことなんて」
「彼がひとりで戦うとしたなら、限りなく難しいでしょうね。だからこれは、彼ひとりの問題ではない。『グランティスという国の運命を告げる予言である』。そういうことですよ」
どこか歪な笑みを浮かべながら、可笑しげでもなく淡々と告げられる予言を理解していくうちに、わたくしも血の気が引いていくような思いでした。
傀儡竜になったシホひとりの力だけで、太陽竜を屠るのは難しい。だったら、とどめを刺せるその時を迎えるまで、誰かが足止めをして決着だけをシホに任せる。
ですが、太陽竜は、巨神竜をもしのぐ戦力を個人で有する最高神。その足止めをするとしたら、グランティスが軍勢でもってあたらなければならないでしょう。太陽竜が相手では、軍勢といっても無傷で済ませられるはずがありません。国民から、犠牲を出してしまうかもしれない。
こんな大事なことを、わたくし達……ふたりだけで、決断しなければならないなんて……。だからこそ、思ったのです。わたくしが今夜、あなたと一緒にいられて良かったと。もし、彼がたったひとりで月光竜に遭遇していたとしたら。グランティスという国の未来を懸けた重すぎる選択を、彼だけに背負わせてしまうことになっていたのだから。
「……考えるまでもねえ。そうだろ、レナ」
シホは、左腕でわたくしの左肩を自分の方へ抱き寄せました。わたくしの頭は彼の胸にあたり、心臓の音が聞こえてしまうほどに強く押し当てられます。
「グランティスの未来のために、太陽竜はオレが殺す」
そうするより他に道はねえ、と、シホは確たる決意として、それを口にしました。




