第五話 初めての食事
「……それじゃ。」
深紅の髪の少女はそう言って歩き出した。
ヴィルはその背中を見送る。
「名前、聞きそびれちゃったな……。」
少しだけ残念そうに呟き、依頼の続きを始めた。
採集を終え、街道の異常も確認する。
途中で魔物と遭遇することもなく、昼過ぎには街へ戻ってきた。
「ただいま戻りました。」
冒険者ギルドへ入ると、アッシュが受付から顔を上げる。
「おかえり。」
「見回りはどうだった?」
「問題ありませんでした。」
ヴィルは採集した薬草と魔石を机に置く。
「それと……。」
「街道で冒険者の人と会いました。」
「ほう?」
「私と同じくらいの女の子です。」
アッシュは少し考える。
「最近、この街へ来た新人かな。」
「名前は聞いた?」
ヴィルは苦笑した。
「聞く前に行っちゃって……。」
「ははは。」
アッシュは笑う。
「また会うこともあるさ。」
冒険者の街は広いようで狭い。
依頼が重なれば、自然と顔を合わせることも多い。
「報酬はこちら。」
革袋を受け取り、ヴィルは丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます。」
ギルドを出る。
財布の中には少しずつお金が増えていた。
「今日は何を食べようかな。」
考えるだけで少し楽しくなる。
ヴィルは昔から食べることが好きだった。
父も母も、
「美味しそうに食べるね。」
と笑っていた。
街の大通りには食堂が並んでいる。
肉料理。
魚料理。
パン屋。
甘いお菓子の店。
どれも魅力的だ。
「迷うなぁ……。」
結局、小さな食堂へ入ることにした。
「いらっしゃい。」
店内には旅人や冒険者が数人。
ヴィルは窓際の席へ座る。
「おすすめをお願いします。」
店主は笑顔で頷いた。
「任せな。」
しばらくして料理が運ばれてくる。
焼いた肉。
温かいスープ。
サラダ。
焼きたてのパン。
「わぁ……。」
思わず顔がほころぶ。
「いただきます。」
一口。
「おいしい……!」
肉汁が口いっぱいに広がる。
パンも外は香ばしく、中はふわふわだった。
夢中になって食べていると、
「あれ?」
向かいの席に見覚えのあるフード姿が座った。
深紅の髪。
黒いロングコート。
今日街道で出会った少女だった。
少女もヴィルに気付き、一瞬だけ驚く。
「……。」
沈黙。
ヴィルは少し迷った。
(話しかけてもいいかな。)
「こんにちは。」
少女は少しだけ目を丸くした。
「……こんにちは。」
小さな返事。
昨日より少しだけ柔らかい。
「偶然だね。」
「うん。」
また沈黙。
ヴィルは苦笑する。
「私、話すの苦手で。」
少女は少しだけ口元を緩めた。
「……私も。」
その一言だけで、少し空気が和らぐ。
料理が運ばれてきた。
少女の前にはスープとパンだけ。
ヴィルは思わず自分の料理を見る。
「……。」
少ない。
それだけで何かを決めつけるのはよくない。
でも、どこか気になった。
ヴィルはパンを一つ持ち上げる。
「あの。」
少女は顔を上げる。
「パン、一つ食べる?」
「え?」
「頼みすぎちゃって。」
本当は違う。
ヴィルなら全部食べられる。
それでも、自然とそう言っていた。
少女は首を横に振る。
「いい。」
「でも……。」
お腹が鳴った。
少女は真っ赤になって俯く。
ヴィルは思わず笑ってしまう。
「ふふっ。」
「ご、ごめん。」
「笑ったんじゃなくて。」
「なんか安心しちゃって。」
少女も少しだけ照れたように目を逸らす。
「……じゃあ。」
「一つだけ。」
「うん!」
ヴィルは嬉しそうにパンを差し出した。
少女は小さくちぎって食べる。
「……おいしい。」
その一言は、とても小さかった。
でもヴィルにはちゃんと聞こえた。
「よかった。」
二人は少しずつ話すようになる。
「街に来たばかり?」
「うん。」
「あなたは?」
「少し前。」
「そうなんだ。」
名前はまだ聞かない。
聞けなかった。
不思議と焦る必要がない気がした。
食事を終え、席を立つ。
少女は小さく頭を下げた。
「……ありがとう。」
「パン。」
ヴィルは笑顔で答える。
「またね。」
少女は少しだけ迷い、
「……うん。」
そう返事をして店を出ていった。
その返事だけで、ヴィルは少し嬉しくなった。
店を出た少女は、街を歩きながらパンを見つめていた。
「……。」
誰かから食べ物を分けてもらったのは、いつ以来だろう。
奴隷だった頃は、
食事は生きるためだった。
「ありがとう。」
そう言ってくれる人もいなかった。
胸の奥が少しだけ温かくなる。
(変な人。)
そう思いながらも、自然と口元が緩んでいた。
一方ヴィルも宿へ向かう道を歩いていた。
「名前……。」
結局聞けなかった。
でも、また会える気がする。
そんな不思議な予感がしていた。
まだ互いの名前も知らない二人。
それでも少しずつ縮まる距離。
運命は、静かに二人を再び結びつけようとしていた。




