第十九話 忍び寄る影
夕暮れ。
森のさらに奥深く、人目の届かない廃屋。
昨日逃げ延びた三人の男たちは、重苦しい空気の中で頭を下げていた。
部屋の奥の椅子には、一人の男が座っている。
黒い外套をまとい、鋭い眼光で部下たちを見下ろしていた。
「……失敗したそうだな。」
低く響く声に、三人の肩が震える。
「も、申し訳ありません。」
「子どもを連れ帰る寸前だったんですが……。」
「冒険者が現れて……。」
男は冷たく鼻で笑った。
「冒険者?」
「いえ……。」
「ガキ二人です。」
「十五歳くらいの女冒険者で……。」
その瞬間、部屋の空気がさらに冷えた。
「ガキ二人に邪魔されたと?」
誰も返事ができない。
「……情けない。」
男はゆっくり立ち上がる。
「その二人。」
「連れてこい。」
部下たちは顔を上げる。
「生きたままでいい。」
「使い道はいくらでもある。」
三人は深く頭を下げた。
「はっ!」
その命令を受け、男たちは再び街へ向かった。
しかし部屋の隅では、一人だけ何も言わずに立つ男がいた。
痩せた体格で、無駄のない動きをする男。
彼は組織の中でも戦う役目ではない。
情報を集め、必要なことだけを本部へ持ち帰る役目を担っていた。
誰にも気付かれないよう、小さく口元を歪めた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
「今日も見回りだね。」
ヴィルが元気よく笑う。
「うん。」
アイナも昨日よりは落ち着いていた。
ギルドで依頼を受けると、アッシュが念を押す。
「昨日の連中がまた現れる可能性もある。」
「油断するな。」
「はい!」
二人は街道へ向かった。
森へ入り、周囲を警戒しながら歩く。
しばらく進んでも異常はない。
「今日は静かだね。」
ヴィルが辺りを見回す。
その時だった。
「今だ!」
木の上から声が響く。
「えっ!」
ヴィルが顔を上げた瞬間、何かが飛んできた。
黒い袋。
視界が塞がれる。
「ヴィル!」
アイナが叫ぶ。
しかし、その背後にも男が現れた。
「しまっ――」
ゴッ!
鈍い衝撃。
アイナの意識が遠のく。
ヴィルも袋を振り払おうとした瞬間、後頭部へ強い一撃を受けた。
「……っ。」
視界が暗く染まる。
最後に聞こえたのは男たちの笑い声だった。
◇ ◇ ◇
「……ん。」
ヴィルはゆっくり目を開けた。
薄暗い部屋。
湿った空気。
冷たい石壁。
身体を動かそうとしても動かない。
「……縄?」
両手も両足も縛られていた。
「アイナ!」
すぐ隣を見る。
アイナも同じように縛られ、壁にもたれ掛かっていた。
「ヴィル……。」
目を覚ましたアイナは、周囲を見た瞬間に顔色を失う。
暗い部屋。
鉄格子。
閉じ込められた空間。
その光景は、過去の記憶を嫌でも呼び起こした。
「いや……。」
身体が震え始める。
呼吸も乱れる。
「大丈夫。」
ヴィルは少しずつ身体を寄せる。
「私はいる。」
その言葉を聞いても、アイナの震えは止まらない。
目には涙が浮かんでいた。
「怖い……。」
「また……。」
「連れていかれる……。」
ヴィルは胸が締め付けられた。
(やっぱり……。)
アイナの過去。
詳しくは知らない。
それでも、この場所が彼女にとってどれほど恐ろしいものなのかだけは伝わってきた。
ヴィル自身も、幼い頃に誘拐された記憶が蘇る。
暗い部屋。
助けを待つしかできなかった日々。
(落ち着け。)
(絶対に助かる。)
そう自分へ言い聞かせる。
その時、部屋の外から男たちの声が聞こえた。
「今回は当たりだな。」
「ああ。」
「二人ともかなりの上玉だ。」
「売れば相当な値になる。」
男たちの笑い声。
アイナはさらに震えた。
「嫌……。」
「お願い……。」
ヴィルは必死に縄を緩めようとする。
しかし固く結ばれ、びくともしない。
(どうする……。)
(このままじゃ……。)
その時だった。
ドォン!!
建物全体が揺れた。
「な、何だ!?」
外が騒がしくなる。
「敵襲!」
「冒険者だ!」
男たちの怒鳴り声が響いた。
ヴィルは顔を上げる。
「ギルド……?」
次の瞬間。
ガシャァン!!
扉が吹き飛んだ。
「いたぞ!」
先頭に飛び込んできたのは数人の冒険者。
その後ろにはアッシュの姿もあった。
「ヴィル!」
「アイナ!」
「アッシュ!」
ヴィルが思わず叫ぶ。
「無事か!」
「はい!」
冒険者たちは一斉に男たちへ襲い掛かる。
「くそっ!」
「迎え撃て!」
しかし実力差は歴然だった。
一人が剣で斬り伏せる。
もう一人が槍で制圧する。
魔法が炸裂し、男たちは次々と倒れていく。
戦闘はほんの数分で終わった。
「終わりだ。」
アッシュが縄を切る。
「立てるか?」
「はい。」
ヴィルはすぐアイナを支えた。
「アイナ。」
「……うん。」
まだ震えていたが、ヴィルの肩を借りて立ち上がる。
「もう大丈夫だ。」
アッシュが周囲を見回す。
「全員捕らえ……。」
その時、一人の冒険者が叫んだ。
「一人いない!」
裏口の窓が開いている。
誰かが逃げた跡だった。
森の中。
黒い外套の男が音もなく走っていた。
彼は振り返らない。
戦うことが仕事ではない。
情報を持ち帰ること。
それだけが使命だった。
「十五歳ほどの少女が二人。」
「風魔法の剣士。」
「火と光を操る弓使い。」
男は二人の特徴を頭の中で整理する。
「これは報告する価値がある。」
森の奥へ姿を消していった。
◇ ◇ ◇
救出されたヴィルとアイナは、ギルドへ戻ることになった。
アッシュは険しい表情のまま歩く。
「今回は俺たちの判断が遅れた。」
「すまなかった。」
ヴィルは首を横に振る。
「助けてくれてありがとうございます。」
アイナも小さく頭を下げた。
しかしアッシュの表情は晴れない。
逃げた男。
あれは普通の人さらいではなかった。
情報を持ち帰るためだけに逃げた男。
つまり――。
「厄介なことになったかもしれん。」
その呟きは誰にも聞こえないほど小さかった。
こうしてヴィルとアイナの存在は、人さらい組織へ正式に知られることになる。
それは、二人の運命を大きく動かす最初の一歩だった。




