96話 神竜と暮らす人々
ムストルガ大陸の辺境の地には、犬人族が建国した、シグベルム共和国という名の小さな国がある。
北に目を向ければ、竜の生息地として有名なポリュグ山脈を望むことができるこの国は、農業と酪農が盛んに行われており、「広大で美しい風景を眺めながら美食ができる国」として名を馳せている。
そんなこの国には、毎日世界中から舌の肥えた観光客たちが訪れるのだが、彼らの一番のお目当てといえば、やはり、口にした誰もが大絶賛するこの国の名物デザート──〈りりちゃん印のクリームチーズケーキ〉だろう。
シグベルムで放牧されている牛の乳から作った濃厚なクリームチーズと、希少価値の高い食材である死神はちみつやサウー砂糖、そしてクリムの木の実からとれるクリームをふんだんに使い、ふわふわのクリームとなめらかなクリームチーズ生地、ほのかに塩味を利かせたクッキー生地の合計三つの層で出来ているこのケーキは、決して他では食べられない美味しさだと評判を呼んでいる。
「〈りりちゃん印のクリームチーズケーキ〉、本日入荷分は完売でーす!」
「えー! せっかくここまで来たのに、食べられないの!?」
「済みませんねえ。このケーキは、わが国で一番人気の料理でして。入荷してもすぐに売り切れてしまうのですよ」
「そうなんだ……。残念だなあ……」
ケーキを求める行列に並んでいた観光客が、肩を落として去っていくのは、この国で良く見られる光景である。
──冷凍した状態で持ち帰って、半解凍してから食べると絶品!
〈りりちゃん印のクリームチーズケーキ〉は、このケーキを初めて食べて感激した観光客から口コミで広がり、今では世界中で一番入手することが難しいデザートとして有名になっている。
ちなみに、このケーキの上に〈サウー砂糖〉で作った粉砂糖をふんだんに振りかけた、〈りりちゃん印のクリームチーズケーキ・極〉という特別限定品もあるのだが、こちらは、いつも徹夜で並んでいるとある北の大国の神官たちが、店頭に並ぶのと同時に半分以上買い占めてしまうためにさらに入手が困難で、人々の間では幻のケーキと呼ばれているらしい。
それはさておき。
この〈りりちゃん印のクリームチーズケーキ〉を口にした者は、まずその美味しさに感動して言葉が出なくなり、次にケーキを作っているのが、シグベルム共和国の守護神竜・ヴィリオ―サだと知ると、驚愕のあまり言葉を失くすらしい。
シグベルムに住む者たちの話によれば、ヴィリオーサは月に一度だけ、神官たちと一緒にケーキの搬入を手伝った後、紅色の小さな竜の姿で街の中を散策しながら、嬉しそうに甘い物を食べ歩くのだそうだ。
実際に、街中を歩いていたら幸せそうに甘い物を頬張る小さな竜を見かけた、という観光客は少なくないらしい。
そんな甘い物好きの神竜は、きっと今日も幸せそうにケーキ作りに勤しんでいるのだろう。
夕食を終えて、そろそろ寝支度をしようかという時分。
ポリュグ山が聳える方角から、かすかに竜の咆哮が聞こえたのを耳にしたテナは、目を輝かせながら父親に駆け寄った。
「お父さん! 今、お山のほうから、りりちゃんの声が聞こえたよ!」
「ほんとだね。多分、今の声は、明日の分のケーキが準備出来た時の、『おつかれさま!』かな?」
「きっとそうだよ! ねえお父さん、明日は月に一度だけ、りりちゃんが街にやって来る日だよ? みんなで一緒に会いに行こうよ!」
「わかったわかった。じゃあ、明日はいつもよりも早起きしなくてはな」
小さな雑貨店の店主である父親は、笑いながら愛しい娘の頭を撫でた。
テナの大好きな友達であるヴィリオーサは、最近とても忙しい。
それと言うのも、彼女が作ったケーキが評判となり、噂を聞きつけた他の神々から、ぜひ自分にも作って食べさせてほしい、としきりにせがまれるようになったからだ。
初めてその話を聞かされた時、テナは心優しいヴィリオーサが、ケーキ作りを無理強いされて嫌な思いをするのではないかと、ひどく心配した。
だが、当のヴィリオーサによれば、困った相手から無理強いされそうな時は、強くて頼もしい友人が蹴散らしてくれるので、何の問題もないらしい。
ちなみに、その新しく出来た友人とは、ヴィリオーサが初めて街を訪れた日に見かけた、白い小鳥なのだそうだ。
あんなに小さいのにすごいんだね、と目を輝かせるテナを見て、彼女は嬉しそうに笑っていた。
そんなヴィリオーサは、たとえどんなに忙しくても、月に一度だけは必ずシグベルムにやって来る。そして、大好物の甘い物を食べ歩いたり、シグベルムの人々の暮らしを眺めたりしながら、その日一日を幸せそうに過ごすのだ。
「ほら、もう寝る時間よ。あんまり遅くまで起きていたら、明日ヴィリオーサ様に会いに行くのに、起きられなくなっちゃうわよ?」
「そんなのわかってるよ。でも、明日が楽しみすぎて、ちっとも眠くならないんだもん!」
「テナ、お母さんの言うことを聞きなさい。お父さんがいつも言っているだろう? ちゃんと言うことを聞かない悪い子は──」
「神竜さまのケーキが食べられなくなる! でも、そんなの嫌だよ。だって、りりちゃんの作るケーキは、すっごく美味しいんだもん!」
「だったら、大人しくベッドに入ろうな」
「はあい……」
しぶしぶベッドに向かうテナを見た両親は、お互いの顔を見合わせると、声を立てて笑うのだった。
シグベルム共和国は、神竜と共に暮らす国である。
偉大なる〈大地の神〉──神竜ヴィリオーサは、世にも恐ろしい姿をしているが、シグベルムの人々が彼女を恐れることはない。
何故なら、彼らは知っているからだ。
かの偉大な神竜が、シグベルムがこの地に生まれた時から彼らを慈しみ、長い年月、その大きな優しさをもって、日々の営みを守っていてくれたことを。
──そして、そんな彼女が、実はとても淋しがりやであるということを。
だから、月に一度、仄かな甘い匂いを身に纏った紅色の竜がシグベルムに降り立つ時、彼らは曇りのない晴れやかな笑顔を浮かべ、心からの感謝と親しみを込めて、こう叫ぶのだ。
お帰りなさい、ヴィリオーサ様! と。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました!
次回の間章一話で第二章は終わりです(*^-^*)
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