88話 もう独りじゃないよ
「それで、りりちゃんが私と話したいことって何だろう?」
ぎゅっと握った手を胸に当てていたヴィリオーサは、目の前に座るしずくの顔を見ながら、小さく深呼吸した。
『──しずくちゃん、どうもありがとう』
「え?」
しずくが思わず聞き返すと、ヴィリオーサが穏やかに微笑んだ。
『わたしを信じてくれて、どうもありがとう。しずくちゃんがわたしのことを、悪い竜だとは思えないと言ってくれた時は、思わず飛び跳ねてしまうほどに、嬉しかった……』
「りりちゃん……」
『あの日の翌日、わたしが勇気を出してもう一度この店にやって来たのは、しずくちゃんなら、怖がらずに私の話を聞いてくれるかもしれない──そう思ったからでした』
それなのに、やっぱり緊張して上手く話せなかったけれど、とヴィリオーサが小さく苦笑した。
『でも、あの時に食べたデザート、特にふわふわのパンケーキは、本当に美味しかった。わたしも、こんな素敵なデザートを作ってみたい──ついそんな夢を抱いてしまうくらいに……』
「でも、りりちゃんは、頑張ってその夢を叶えたんだよ。あのクリームチーズケーキは、一度食べたら病みつきになるくらい美味しいって、私が保証するよ!」
断言するしずくを見て、ヴィリオーサが嬉しそうにうなずいた。
『しずくちゃんや、マスターさん、ポピーちゃん、ネリネちゃん、モモちゃん、そしてここにはいないけれど、クアウラさんやワトルさん、そしてわたしを巣穴から連れ出してくれた小鳥さんには、本当に感謝しています』
「そうなの? 小鳥さんは、りりちゃんに対して結構ひどいことをしたと思うけど──」
『でも、もっと自分に自信を持って好きに生きろと、背中を押してもらいました』
「そっか……」
『自分が醜いことを悲観して、今まで何もかも諦めていたわたしを、こうして生まれ変わらせてくれたのは、間違いなくしずくちゃんたちです。だから、明日シグベルムに向かう前に、きちんとお礼が言いたかったのです』
ヴィリオーサはそう告げると、はにかむような笑顔を見せた。
そんな彼女を見たしずくが、まぶしそうな顔をした。
「……りりちゃん、何だかとってもいい顔になったね」
『多分、ケーキ作りをやり遂げたことで、少しだけ自信がついたから──でしょうか? これも、わたしを信じて手助けてしてくれたみんなのおかげです』
小さな紅色のドラゴンは、金色の瞳を潤ませながら、真っすぐな目でしずくを見た。
『だから、わたし、みんながくれたこの自信を無駄にしないように、明日は勇気を出して頑張ってみます。大勢の人の前で自分の姿を晒すのはとても怖いけれど、ちゃんと誤解を解いてシグベルムの人たちに仲良くしてもらえるように──わたしは悪い竜なんかじゃないって、自分の言葉で伝えます』
「そっか。りりちゃんは、もう逃げないって決めたんだね」
ヴィリオーサはしずくにしっかりとうなずいて──だが、その後でおずおずと尋ねてきた。
『でも、もし失敗してしまったら、またあのふわふわパンケーキを食べに来てもいいですか? そうしたら、きっとまた諦めずに頑張れると思うから……』
ふと気づくと、テーブルの上に置かれたヴィリオーサの手は、細かく震えていた。やはり、自分の姿を人前に晒すのが恐ろしくてたまらないのだろう。
その気になれば、国一つ滅ぼせるほどの力を持つ神竜が、今まで守護してきた人々と共に生きるため、懸命になって自分を変えようとしている。
そんな姿に強く心を揺さぶられたしずくは、涙ぐんで震えている小さなドラゴンの手を取った。
「うん……うん、もちろんだよ。もし失敗しちゃった時は、好きなだけパンケーキを作ってあげる。だからもう、独りで落ち込まないでね。今のりりちゃんには、友達の私たちがついているってことを忘れないでね」
『しずくちゃんたちが、わたしの友達……。嬉しい……ありがとう、しずくちゃん』
ヴィリオーサの手の震えがようやく収まったことを知って、安心したしずくの顔に微笑みが浮かぶ。
そんな彼女たちの姿を、いつの間にか戻って来ていたマスターとシュクレドラゴンたちが、嬉しそうに見つめていた。
草原に吹き渡る風が大きな窓を揺らす中、陽が落ちた後の店内は冷んやりとしているのに、彼らの心の中はぽかぽかと温かかった。




