65話 先代神官長がついた嘘
「あれ? ここの部分だけ、孤児院に入った日付だけしか書かれていませんね?」
「この子は捨て子です。だから、名前の欄が空欄なのです」
補足事項の欄には、「畑の用水路に捨てられており、運良く浮草に引っかかっていた所を発見された」とあり、その下の行には、「アリネーゼという名の女性が引き取り済」と書かれている。年齢欄に視線を移したしずくは、はっと目を見開くと、眉間にしわを寄せた。
「この子の親は、せっかく手元に戻ったわが子を、わざわざ用水路に捨てたんだね……」
「やはり、お気づきになられましたか。この捨て子が発見されたのは、百五十年前に行われた神事の翌日──おそらく、生贄にされた赤子で間違いないでしょう」
クアウラは厳しい顔で、資料を睨みつけている。彼もしずくと同様に怒りを覚えているらしい。
「百五十年前に孤児院に預けられた赤子は、この子一人だけです。生贄にされた赤子であるということと、後日引き取りに来た女性の名前以外、詳しいことは何もわかりません──だが、われわれはこの女性の名に見覚えがありました」
彼女はいつも愛称で呼ばれていたので、すぐには気付かなかったのですが、と語るクアウラの顔は、何故かひどく強張っている。
握りしめた手は震えており、冷静になろうとするあまりに、その声色は不自然なくらいに抑揚を欠いていた。
「最初に、彼女がわれわれの良く知る女性ではないか? と気付いた時は、『まさか』と思いました。正直、信じたくない思いで一杯でした──ですが、赤子を生贄にとられた家族の記録と照合したところ、両親が誰なのかはすぐにわかりました」
彼の隣に座るワトルは、石のように黙ったままでうつむいている。
ヴィリオーサの話を聞かされた時から、ずっとしずくの胸の片隅で引っかかっていた疑念が、今になって浮かび上がろうとしていた。
「赤子の父親は、先代神官長のジャガン・オート。アリネーゼというのは、彼の別れた妻の名前です」
ジャガンという名には見覚えがあった。しずくは、赤子を生贄にした家族の資料を急いでめくって、すぐに目当ての名前を探し当てた。
「あった──ジャガン・オート、二十歳。食料品店を経営。妻の名はアリネーゼ、愛称はアリン」
自分を落ち着かせるように、クアウラは太く息を吐きだした。
「ジャガンは、まだ彼が二十歳だった時に、アリン夫人との間にもうけた赤子を生贄に取られました。その後、彼はアリン夫人と離婚して神官となり、やがて、『竜の生贄にわが子を捧げ、国の安寧を祈るために神官になった人格者』と称えられ、皆から望まれて神官長に就任しています。そんな彼を、私やワトルも含めて、大勢の神官が尊敬しておりました」
「でも、ジャガン神官長は、実は生贄にされたわが子が生きていたことを、皆さんには明かしていなかったんですね?」
クアウラは拳を強く握りしめながら、吐き捨てた。
「そうです。それどころか彼は、『わが子を失った上に、最愛の妻も恋人を作って自分のもとから去ってしまった』と、さもまことしやかに語り、巧みにわれわれから同情を買っていたのです!」
「つまり、あの男は、僕らをずっと騙していたんです!」
怒りで顔を赤くしたワトルが、語気を荒げた。
彼らが激怒するのも無理はない。尊敬していた神官長は、実はとんでもない嘘つきで、生まれてからまだ間もないわが子を、用水路に捨てて殺そうとしていたのだから。
真実を知った時、クアウラやワトル、それに彼らを手伝っていた神官たちは、激しい衝撃と怒りとで、調査が全く手につかなくなったらしい。
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