4話 予想外
「つまり、あのトンネルを通ってこちら側に来た私は、もう二度と元の世界には戻れない──そういうことなんですね?」
「は、はい。急にこんなことになってしまい、さぞかしお怒りでしょうが──」
「なにそれ凄い!」
「あ、あれ?」
興奮して頬を上気させたしずくを見て、白蛇がこてんと首を傾げている。
「ん? どうかしました?」
「い、いや、ぼくが思っていた反応と違うので、ちょっと拍子抜けしたというか――その、しずくさんは、さっきの話を聞いても動揺しないのですね。ぼくはてっきり、今すぐに元の世界に戻せと怒って詰め寄られるかと──」
不安そうな様子の白蛇が、ちらちらとこちらを見つめてくる。見た目は丸っこくてかわいらしいぬいぐるみなのに、やたらと表情が豊かなのが面白い。
「だって、私、もうほとんど寿命が残っていませんし」
だから、死ぬ前に異世界に来られたのはむしろご褒美かもしれません、としずくは嬉しそうに笑ってみせた。
「既に、天音叔母さんから聞いていると思いますけど、私、生まれつき心臓が悪くて、余命があと半年しかないんです。だから、残りの人生は、楽しいことや新しいことに挑戦して、少しでも悔いがないようにしたいなあって、思っていたんです」
だが、旅行も遠出も禁じられているしずくに出来ることといえば、近場にある知らない町の散策や、新しい料理に挑戦することぐらいであったため、最近はだんだんと気が滅入ってふさぎ込むことが多くなっていた。
だが、そんな時に叔母の天音が持ってきたのが、このバイト話だったのだ。
「あの過保護な叔母さんがバイトを勧めてきた時は、すごく驚きましたけど、まさかお店が異世界にあるとは思いませんでした! 短い余生を異世界でバイトをして過ごすなんて、最高に楽しそうです!」
「そ、それでは、元の世界に戻れなくても、ぼくを嫌いになりませんか?」
「もちろんですよ。むしろ、こんな私を雇ってくれる店長さんには感謝しているくらいです!」
「そうですか! それなら良かったです!」
ようやくほっとしたのか、白蛇が大きく息を吐き出した。
「でも、天音叔母さんったら、ひどくないですか? せめて二度とあちらに戻れないことだけでも教えてくれればよかったのに」
今まで育ててくれたお礼を言ってちゃんとお別れしたかったのに、としずくが淋しそうにつぶやくと、ぬいぐるみのような店長が慰めてくれた。
「きっと天音さんは、しずくさんの顔を見てお別れするのが辛かったのだと思いますよ。しずくさんをこちらに雇い入れたいと話した時も、最初は散々渋っていましたから」
そういえば、いつも何事にも動じずマイペースな天音は、しずくの死後に彼女が困らないよう、基本的な家事を教えようとする時だけ、「しずくちゃんとお別れした後のことなんて考えたくない!」と、子供のように駄々をこねていた。
「……そっか。天音叔母さんは、私と別れるのが嫌だったのに、こうして新しい世界に送り出してくれたんだ」
「しずくさんが、少しの間でも幸せになれるのなら、淋しくても我慢できると言っていましたよ」
「あの天音叔母さんが、そんなことを……」
幼い頃に両親を事故で亡くしてから十九歳の誕生日を迎えるまで、彼女を大切に慈しみ育ててくれた聡明で美しい叔母は、実はとても淋しがりやだったことを思い出す。
しずくは、あちらの世界に残してきた叔母に向かって静かに語りかけた。
「天音叔母さん、今まで本当にありがとう。これからはもう、家事はしてあげられないけれど、せめて週に一度は部屋を掃除して、料理が面倒でも毎食卵かけごはんにはしないでね」
続けて、「どうか叔母さんがお酒を控えて、肉と野菜も食べますように」としずくが熱心に祈るのを見ていた白蛇は、何ともいえない表情をしていた。




