188話 ポノックルという名の商人
次の日の朝。しずくたちが出立の準備を終えて、皆で朝食をとっていると、宿の支配人が、強盗に遭った商人と連れ立って歩いて来た。
「昨晩は、きちんとしたお礼もせずに、大変失礼いたしました。これからご出立だと伺いましたので、せめてものお礼に、旅に役立ちそうな品をお持ちしました。誠にささやかな物ではありますが、どうかお納めください」
そう告げて、ポノックルと名乗る、身なりの良い商人が差し出したのは、商会名が書かれたカードと西大陸の詳細な地図、そして美しい意匠を凝らした二つの水筒だった。
商会名が書かれたカードには、ポノックル本人の署名が入れられており、世界中にある彼の商会──ポノックル商会の店舗で提示すると、どんな商品でも割引してもらえるとのことだった。
「お買い物をする時以外でも、もし困ったことがありましたら、われわれの店を訪ねてこのカードを見せてみてください。何かお役に立てるかもしれません」
ポノックルは人の好い笑みを浮かべながら、そう説明した。
「そして、この地図には、私共が各地を巡った際に得た、新しい情報が書き込まれています」
見たところ、彼がくれた地図には、乾季には干上がってしまう湖や、新しくできた集落など、様々な情報が細かく書き込まれているようだ。
『この地図、大図書館で見たものよりも詳しいわ!』
「こちらの水筒は、見た目は小さくとも、大きな水がめ一杯分の水が入っています。チャルトリクからの出国手続きを待つ間、喉が渇いた時にお役立てください」
『とても気が利いた贈り物ね! ありがたく使わせていただくわ』
コサギとポノックルが和気あいあいとやり取りしているのをよそに、胸ポケットの中のマスターが、しずくたちにこっそり話しかける。
「あの水筒には、収納魔法が施されているようですね。おそらく安く見積もっても、一個につき金貨二枚は下らないはずです」
「あの小さな水筒が、一個で二十万メルダ?!」
『あのおじさん、そんなに高いものを、タダでくれたきゅるか?』
驚くしずくたちに、クスリとマスターが笑みをこぼす。
「もし、〈黒竜の牙〉が捕まっていなかったら、彼は〈ギロウの実〉の代金である三百万メルダをフイにしただけでなく、盗品を扱った、と決めつけられて、商人としての信用を失うところだったのです。そうなった場合に被る損害に比べたら、あの水筒の代金など、はした金に過ぎませんよ」
「そっか。コサギはそのことがわかっていたから、ああやって遠慮なく受け取ったんだね」
「そういうことです」
だが、そんな事情を聞いてもなお、何となく申し訳ない気持ちが拭えなかったしずくは、「あの、つまらないものですが」と、ポノックルに前置きした上で、自分が焙煎したコーヒー豆の小袋を手渡した。
この世界では高価な品であるコーヒー豆をもらい、恐縮しきりのポノックルの隣では、コサギが世にも恨めしそうな顔をしていたが、しずくはあえて視界に入れないようにした。
ちなみに、しずくたちと別れた後、ギロウの実の一件の後始末でしばらく忙しい日々を送っていたポノックルは、ひと月ほどたってやっと落ち着いた頃、ふと、しずくにもらったコーヒー豆のことを思い出し、早速しまい込んでいた小袋を開けてみた。
すると、瞬時に広がった素晴らしい芳香に驚愕した彼は、さらに実際に淹れたコーヒーを飲んでみて、そのあまりの美味しさに意識を飛ばしそうになった。
この時以来、すっかりしずくの焙煎したコーヒーの虜になってしまったポノックルは、慌ててしずくたちが立ち寄ったという支店に連絡を取ったが、既に彼女たちは別の場所へと出立してしまっており、行方を追うことはできなかった。
だが、どうしても諦めきれなかったポノックルは、その後偶然〈喫茶シルエ〉を見つけ出すまでの間、再び幻のコーヒー豆を得ようと、しずくたちを探し回って多くの国々を訪ね歩いたという──




