186話 危うい所で命を拾ったわね
「何のことかわからないきゅる。きっと、酔っ払いの空耳きゅる」
「そんな訳があるか! こいつ、魔物のくせに、舐めた口をききやがって!」
「ねりねは、魔物なんかじゃないきゅる! お前の目はふしあなきゅる!」
「なんだと?!」」
逆上してネリネに掴みかかろうとした魔導士の男を、慌てて立ち上がったしずくが止めようとする。
「落ち着いてください! こんな小さい子を相手に、ちょっと大人げないですよ!?」
「うるさい! 邪魔をするなっ!」
「あっ!」
ネリネを庇おうとしたしずくの手を、激昂した男が乱暴に振り払った拍子に、よろけたしずくのフードが脱げた。
「お、お前、その顔──」
「しずくさんに触れるな!」
しずくの美貌に気付いた男が手を伸ばそうとするよりも早く、鋭い声を上げたマスターが、魔法で男たちの体をまとめて宙に放り出した。
「な──」
「うわっ!?」
「痛え!」
「ぐえっ!!」
「ぎゃっ!」
そろって宿の入口付近に投げだされた男たちが、床に強く体を打ち付けた痛みで呻いていると、たまたま外を通りかかった警備兵が、悲鳴と大きな物音を聞きつけて入って来た。
「おい、一体なんの騒ぎだ? 客同士が喧嘩でもしたのか?!」
警備兵が床に転がっている〈黒竜の牙〉を見て訝しんでいると、彼の背後から顔をのぞかせた商人の男が、「あっ!」と、驚きの声を上げた。
「警備兵さん、私の店で売っていた品を無理やり巻き上げたのは、こいつらです!」
「何?! それは確かか? こいつらは〈黒竜の牙〉という冒険者チームだが、本当に見間違いではないんだな?」
「ええ! この顔と身に着けている装備──商人なら一度見た客の姿は忘れません。絶対に間違いありません!」
真剣な顔でそんなやり取りをしていた二人は、床で呻いている男たちを睨みつけた。
「一体何です? 僕たちが何か──」
「呆れましたね。もう、自分たちが売り物を奪った相手の顔を忘れたのですか?」
「お前たちには、窃盗の容疑がかかっている。このまま一緒に、詰め所まで来てもらうぞ!」
「ええっ?!」
よろよろと立ち上がりかけたルーグの腕を、険しい顔の警備兵が乱暴に掴んで、外の通りに引きずり出して応援を呼ぶと、遅れて駆け付けてきた他の警備兵たちが、わめき散らす残りの仲間たちと共に連行していった。
従業員からの知らせを受けて現れた宿の支配人に、責任者らしき警備兵が事情を説明するのを、好奇心にかられた食堂の客が見つめている。その隙に、すばやくフードを被り直したしずくは、緊張の糸が切れたよう椅子にもたれ掛かると、大きく息をついた。
「マスター、さっきは助けてくれてありがとう」
「しずくさんもネリネも、どこにも怪我はありませんか?」
「うん。大丈夫」
「ねりねも、大丈夫きゅる!」
心配そうに胸ポケットから顔をのぞかせたマスターに、笑顔で答えるしずくたちとは裏腹に、コサギは少し焦ったような表情で、つい先程まで男たちが立っていた場所を見つめていた。
「あの冒険者たち、危うい所で命を拾ったわね。マスターに投げ出されていなかったら、今頃は全員この場で氷漬けにされていたわ」
先程まで彼らが立っていた床に、うっすらと氷が張っているのは、〈白い死神〉が男たちを確実に仕留めようと、氷魔法を発動しかけた名残である。
しずくに手を出されて怒った〈白い死神〉よりも、一瞬早くマスターが魔法を発動したおかげで、惨劇は防がれたようだ。




