176話 お風呂を堪能
翌朝。いつもよりも早めに寝たせいか、日が昇る前に目が覚めてしまったしずくは、まだ暗い室内で目を凝らし、他の者がまだぐっすり眠っていることを確かめると、ローブをすっぽりとかぶり、枕元に置いていた着替えを手にして、そっと部屋から抜け出した。
(せっかく早起きしたんだから、この宿自慢のお風呂に入ってみよう!)
まだ夜明け前だと言うのに、宿の一階の奥にある個室風呂は、早めに出立する冒険者たちで賑わっていた。
係員に案内されて個室風呂に入れたのは、入浴料を先払いしてから約三十分ほど順番待ちをした後だった。
客が使用する度に清掃が入る個室風呂の室内は、しずくが予想していたよりも、かなり清潔に保たれていた。ドアを開けると、すぐ目の前に狭い脱衣所が設けられており、曇りガラスのような謎素材で出来た壁の奥が浴室になっているようだ。
「おお、まるでユニットバスみたい!」
狭い浴室には、浴槽の他にシャワー付きの小さな洗い場と椅子があって、木製の洗い桶の中には洗髪剤や石鹸が用意されていた。
これなら、入浴料が宿泊費なみに高かったことにも、十分うなずける。
「一回使うごとに、お風呂のお湯を抜いて洗浄しているみたいだね。感染症の心配が無いのは嬉しいかも」
一通り浴室を確認したしずくは、係員に説明されていた通りに浴室内のレバーを引いて、浴槽に綺麗な湯を張った。
その間に手早く顔や体、髪の毛を洗っておく。入浴時間は四十分までと言われているが、並んで待っている人たちの事を考えると、時間ギリギリまで入浴するのは、さすがに気が引けるからだ。
「はあ……。やっぱり、ゆっくりお湯に浸かるのって最高だなぁ……。あーなんだか生き返るー」
最高の湯加減に、思わずため息が漏れる。異世界の高級宿、まさに恐るべしである。
「いいお湯でした。どうもありがとうございました」
「こんなにも長く浸かっておられたところを見ると、かなりご満足頂けたようですね」
しずくが浴槽に浸かっていたのはせいぜい十分程で、三十分以内に部屋を出たはずなのだが、これでも長風呂だと見なされるらしい。
聞けば、大抵の人が風呂に浸かる時間は一分から三分程度とのことだった。
「せっかく高いお金を払って綺麗なお風呂に浸かれるのに、みんな烏の行水ってこと!? 何てもったいない!」
風呂好きのしずくが嘆きながら部屋に戻ると、既にみんな目覚めて身支度を整えていた。
「おはようございます、しずくさん。ああ、やっぱりお風呂に入っていたんですね」
『おはよう、しずく! この宿のお風呂はどうだった? 気持ち良かったでしょ?』
「うん、確かに気持ち良かった──けど、ちょっとだけ、私の愚痴を聞いてもらってもいいかな?!」
朝食の間、異世界の風呂事情について、自分の思うところを存分に語り尽くした頃には、昨晩から彼女の心の中に浮かんでいた淋しそうなエイリナスの姿は消えていた。
「お風呂の事でいろいろと愚痴ってごめんね。でも、おかげでなんだかすっきりしたよ!」
「それは良かったです。昨晩から元気がないようだったので、心配していたのですよ」
「いつものしずくちゃんに戻ったきゅる。ねりねも安心したきゅる!」
『ぷ!』
『おまえ、げんき。おれ、あんしん』
『お風呂に入って元気になるなら、村を探すついでに、私がいい温泉地に連れて行ってあげるわ!』
昨晩、皆は特に何も言ってこなかったが、実はしずくの事を心配してくれていたようだ。
「──みんな、ありがとうね。気を遣わせちゃった分、今日は頑張って手掛かりを見つけるからね!」
彼女は、ホカホカと心も温かくしながら、照れくさそうな笑顔を見せると、元気な声でそう告げた。




