162話 あいまいな記憶
『確か、小さくてか弱き者たちは獣人族で、戦火を逃れて別の大陸からやって来たと言っていた。人が立ち入ることのない、急峻な山の奥地に村を作ってひっそりと暮らしていたが、日照り続きで水源が干上がってしまい、すっかり困り果てておったのだ』
今から約九百年前、グラキリス湖の水底で目覚めたエイリナスは、気まぐれに空を彷徨っていた時に、たまたま山中で雨乞いをしている彼らを見つけたのだという。
『雨を降らそうとして、魔法を繰り出しながら歌い踊る姿があまりにも滑稽でな。久方ぶりに笑わせてもらった礼として、我が水を与えてやったのだ』
最初、巨大なエイの姿に驚き呆けていた獣人たちは、エイリナスが存分に雨を降らせて水の心配をなくしてやると、彼に感謝して何度もひれ伏しながら喜びに沸いた。
『その後、成り行きであの者たちの村に滞在することになった時、初めてコーヒーという飲み物を振るまわれたのだ』
「おそらく、そのタリの花で作ったコーヒーは、彼らにとってはさぞかし貴重な物だったと思いますよ。それを惜しげもなく振るまったと言うことは、よほどあなたに感謝していたのでしょう」
マスターによれば、タリの花は高山でしか咲かない貴重な花で、見つけるのは至難の業なのだという。
他にも、グラキリス湖で獲れるサープという白身魚で作ったスープや、山でとれた木の実や果物などの貴重な食料を惜しみなく差し出し、村人たちはエイリナスを心からもてなした。
そして、彼が再び眠りにつくために村を去ろうとした時は、みな涙で顔中をべしょべしょにしながら別れを惜しんでくれたという。
『その時、あのか弱き者たちに約束させられたのだ──この次、また七百年後に目覚めた時は、必ず村を訪れるとな』
「普段から全く人との関わりに興味を持たないあなたが、そんな約束をするだなんて、一体どういう風の吹き回しです?」
『特に理由などない。ただ、あの者たちの勢いと圧に負けただけだ』
ぼそっとつぶやき、所在なさげにゆらゆらと揺れるエイリナスを見て、店に居合わせた神々はこぞって驚いた顔をした。
『あいつらしくない。おれ、びっくり』
「流されるままに約束しちゃった、みたいな言い方だけど、こうしてわざわざ村を探しに来ているあたり、結構義理堅いよね」
〈白い死神〉としずくが、こそこそと話していると、エイリナスが即座に否定する。
『我は義理堅いわけではない。不遜にも我に約束を交わさせたあの者たちが、七百年という時を経てもなお、我を待ち続けているのか、戯れに確かめようとしているだけだ』
だが、前回目覚めた時は、瘴気が地表を覆い尽くしていたせいで、どんなに探しても村は見つからなかったのだと言う。
エイリナスに更に詳しく聞いたところ、前回に彼が眠りについてからは、まだ二百年ほどしかたっていないようだ。つまり、彼が最初に村に訪れてから今現在に至るまで、およそ九百年あまりの時が経過していることになる。
『仕方なく諦めて、また七百年後に探すつもりで眠りについていたところ、つい先日〈大地〉の神気を察知して目覚めたのだ』
「なるほど。ずいぶんと気の長い話です……。ところで、村がある場所がどの辺だったのかはわかっているのですよね?」
「いや。あまり覚えてはおらぬ。だから困っておるのだ」
「……は?」
マスターがキョトンとしたままで固まった。




