160話 これは明らかに営業妨害です!
マスターに続いて店の外に出たしずくは、〈喫茶シルエ〉をすっぽりと覆い尽くすほどに巨大なエイの姿を、ただ呆然と眺めていた。
『おれ、おどろいた。まさか、こいつがくるとはおもわなかった』
「小鳥さんは、この神様を知っているの?」
しずくの右肩に乗っている〈白い死神〉は、かわいらしく小首を傾げ、くちばしを開く。
『こいつ、〈みずのかみ〉。いつもは、みずうみでねむってる』
「みずのかみ……あ、〈水の神〉ってことかな?」
ぱっと顔を輝かせたしずくの左肩に、難しい顔をしたマスターが、ぱたぱたと舞い下りた。
「〈水の神〉エイリナス──これまで生きている時間のほとんどを、グラキリス湖の水底で過ごしてきたと言われている、太古の神の一柱です」
「りりちゃんと同じ太古の神か──ということは、かなり力の強い神様なんだね?」
「ええ。ですが、普段の彼は眠ってばかりで、何事にも関わろうとしません。とにかく、この世界に無関心で、およそ七百年に一度目覚める時も、気まぐれに空を周遊するだけで何もしようとしないのです」
「何もしないって、力のある神様なのに?」
「ええ。この世界の維持に欠かすことができない、水の権能を持っているにも関わらず──です。エイリナスは、神として世界を維持するという役割を、一切果たそうとはしないのです」
同じ引きこもりでも、やむを得ない理由で人前に出られなかったヴィリオーサとは大違いです、と語るマスターの眉間には盛大にしわが寄っている。
「そんな神様が、どうしてここに来たのかな?」
「さあ。ぼくにも皆目見当がつきません」
『もしかして、わたしたちが大勢でが彼の領域に立ち入ったことを、怒っているのでしょうか?』
しずくの隣でエイを見上げているヴィリオーサが、とても不安そうにしている。今にも泣き出しそうだ。
「心配はいりません。もし、彼がそんな理由で押しかけて来たのなら、すぐにぼくが追い返してやりますよ」
ヴィリオーサにそう言い切るマスターが頼もしい。ぱたぱたと巨大なエイに向かって飛んで行ったマスターは、毅然とした態度で抗議した。
「エイリナス、これ以上ぼくの店の上に居座らないでください! これは明らかに営業妨害です! 今すぐ立ち退かないのなら、問答無用で転移させますからね!」
そのかわいらしい声が届いたのか、巨大なエイが緩やかに身じろぎしたかと思うと、威厳に満ちた声が辺りに響いた。
『ふむ。お前は確か、〈成金の神〉だったか? そうか、ここはお前の店だったか……』
「……もしかして、わざと馬鹿にしているんですか? ぼくは〈金運と財運の神〉です! 〈成金の神〉ではありません!」
『そうであったか?』
全く悪びれない様子のエイリナスにマスターが苛立っている一方で、しずくは、成金呼ばわりされたマスターを見て今にも笑い出しそうな〈白い死神〉のくちばしを、しっかりと抑え込んでいる。
「一体何の用があってここに来たのです? 自分に断りなく神々が集っていることを知って、文句でも言いに来たのですか?」
『……。我の湖の近くや、この辺り一帯の瘴気を浄化したのは、〈大地の神〉たちか?』
「ええ、そうですが、それが何か──」
『この店では何を扱っている?』
「……急に話が飛びますね。ここは〈喫茶店〉と言って、飲み物や食事を提供する店です」
『そうか。ならば我も、その飲み物とやらをいただくとしよう』
「は?」
『店の客になれば、お前は我を追い返せまい』
空から下りて来た声が一方的にそう告げると、店の上空を覆っていた巨大なエイが、みるみるうちに小さく縮んでいく。
(ええ~!?)
やがて、驚きで目を丸くしたしずくの前に現れたのは、ふわふわと宙に浮きながら、淡い青光を放つ一匹のミズクラゲだった。
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