142話 理不尽な怒りの矛先
「……どうしてなの? わたくしは〈刻知らずの宝具〉で、ちゃんと肉の熟成を進めたのに。どうしてうまくいかなかったの?」
「熟成肉を作るには、ただ肉を置いておくだけではダメなんです。水分や温度の管理を行いながら、肉を腐らせないように有害な雑菌の繁殖を抑えなければいけません。だから、やり方を聞いたからといって、素人がすぐに真似できるような単純なものではないんです」
気落ちしているメーナを気の毒に思ったしずくは、自分が彼女から一方的に敵視されていたことも忘れて、慰めるように優しく諭す。
「まあ、最初はうまくいかなくても、何度も練習すればきっと上手に作れるようになりますよ。料理ってそういうものですから」
メーナは口元を真一文字にしてぐっと引き締めると、彼女を気遣うしずくを睨みつけた。
残念なことに、この世の中には、人の気遣いを素直に受け取れない者が存在するが、メーナはまさしくそんな輩の一人だった。
「うるさいっ! お前のような下賤の者が、皇女であるわたくしに説教するな! 同情するフリをするな! お前もシェイラと一緒で、口では気遣うようなことを言っておきながら、心の中ではわたくしを馬鹿にして嘲笑っているのでしょう!?」
「ええー……」
驚いたしずくが絶句する。
シェイラは痛ましそうな表情で、静かに妹を見つめている。
「しずくちゃんは、そんなこと思ってないきゅる!」
「馬鹿になんかしてないきゅる! むしろ励ましてくれてるきゅる!」
「いつも人を見下しているのは、お姫様のほうきゅる!」
怒ったシュクレドラゴンたちが抗議したが、メーナの心には少しも響かない。むしろ彼らの声は、彼女の燃え盛る怒りに油を注いだだけだった。
「黙れ! わたくしの料理が美味しくないのも、ゼーヴァ様が心変わりしたのも、全部お前のせいだ! わたくしのゼーヴァ様を返せ、この性悪女!」
メーナは突然叫び出して椅子から立ち上ると、猛然としずくに掴みかかった。
無防備だったしずくは、抵抗する間もなく彼女の両手で首を掴まれ、その弾みで後ろによろめいた。
『料理長!』
「しずく様っ!」
叫ぶのと同時にゼーヴァとシェイラが止めに入ろうとする。彼らに気付いたメーナは急いで首から手を放すと、カウンターに叩きつけてやるつもりで、自分よりもはるかに華奢なしずくの体を、ありったけの力で突き飛ばした。
「あっ!」
メーナはピューマの獣人である。
たとえ、たおやかな少女に見えても、獣人としての力の強さや筋力は、か弱いヒトに過ぎないしずくとは到底比較にならない。
そんなメーナに全力で突き飛ばされたしずくの小柄な体は、なすすべもなく宙に吹っ飛んだ。
──まずい、この勢いでカウンターに叩きつけられたら、骨が折れるかも!
自分の体が宙に飛んだ瞬間、しずくが思ったのはそんなことだった。
だが、カウンターにぶつかる衝撃に備えて目をつぶっても、予期した痛みは一向に訪れず、背中に感じたのはカウンターの固さではなくクッションのような柔らかな感触だった。




