11話 コーヒー豆
翌朝、しずくが店舗二階の住居スペースから階段を下りてくると、ちょうどマスターが廊下に面した貯蔵庫から出て来るところった。
「おはよう、マスター。もしかして、もう仕事してたの?」
彼女が叔母の天音から誕生日にもらったソーラー腕時計は、午前六時半を指している。
「おはようございます、しずくさん。実は、店のことが気になって、夜明け前に目が覚めてしまいまして。それで、とりあえず食材の在庫確認をしていたんです」
「あはは。そうだったんだね」
「しずくさんは、よく眠れましたか? 昨日はいろいろあってさぞかしお疲れだったでしょう」
「おかげ様でぐっすり眠れたよ。用意してもらったベッドの寝心地が良かったせいなのかな?今日はいつもより調子がいいみたい」
「それは何よりです。でも、無理は禁物ですからね? もし具合が悪くなったら、すぐに言ってくださいね」
「ありがとうマスター。くれぐれも体調には気を付けるね」
今日はいよいよ喫茶店の開店日である。
マスターと一緒に朝食を済ませた後、しずくは緊張した面持ちで、カウンターの奥に据えた棚からサイフォン一式を取り出した。
「今日来店するのは、普段から親しくしている知り合いだけなので、気楽にしていていいですよ」
マスターにはそう言われていたが、いくら知り合いとはいえ、客であることに変わりはない。
むしろ、親しい知人であるならば、マスターに恥をかかせないよう、なおさらきちんとしたものを提供しなければ、としずくは考えていた。
(大丈夫かな? サイフォンの使い方は、本を読んだり喫茶店で毎回やり方を見ていたから一応わかるけど、実際に使ったことはないんだよね……)
不安に思ったしずくは、開店前にサイフォンでコーヒーを淹れてみることにした。
「ええと、確かコーヒー豆は中挽きだったよね」
手順を思い出しながら、コーヒー豆が入った保存袋を開封したしずくは、中身をのぞき込んだ途端に絶叫した。
「うわーーーー!?」
慌てて飛んできたマスターが、カウンターの中でしゃがみ込んだしずくのそばに舞い下りる。
「どうしました?! しずくさんっ」
「マ、マスター! どうしよう!? コーヒー豆が全部、ピンク色の砂粒になっちゃてる!」
だが、彼女の報告を聞いたマスターは、何故か安心した顔になって、ほっと息を吐いた。
「ああ、そういえば、しずくさんにはお伝えしていませんでしたね」
「へ? 何を?」
このパターンは前にもあったぞ、と既視感を覚えながらしずくが問いかけると、マスターがかわいらしい笑顔で、またしても驚きの事実を告げた。
「実は、こちらの世界のコーヒー豆は、ピンク色の粒状のものなのです」
「……あのね、マスター! お願いだから、そういう大事なことは先に言っておいてよ!」
しずくは、怒られてシュンとなったマスターを更に問い詰める。
「ねえ、もしかして、他にも言い忘れていることがあるんじゃないの? たとえば、私のいた世界とこちらの世界では、コーヒーの淹れ方が違っているとか──」
「あ、それもありましたね!」
「……マスタ~? ちょーっと、ゆっくり話を聞かせてもらえるかなあ?」
しずくは、にっこりと微笑みながら、逃げ腰になる雇い主の尻尾をむんずと掴み上げた。




