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第8話 影へ沈む声

黒い仮面が影へ沈んでからも、しばらくレンは動けなかった。


裏路地の壁に背を預けたまま、荒い呼吸を整える。

肩が痛い。

右腕も重い。

頭の奥では、鈍い熱がじわじわと広がっていた。


さっきまでの戦闘が、まるで遠い夢みたいに思える。


混成個体。

ビーストとガーディアンの残骸を継ぎ合わせたような、あの化け物。

普通の兵士では止められなかった。

だが、黒い仮面をつけた自分は止められた。


止められたこと自体は、嬉しい。

誰かを守れた。

それは確かだ。


でも、そのあとに残るのは、いつも嫌な感覚だった。


頭の中が、うまく噛み合っていない。


何かを忘れている気がする。

なのに、何を忘れたのかが分からない。


『記憶保持の乱れは軽度です』


いきなり声がした。


レンは顔をしかめる。


「……お前さ」


『はい』


「何で毎回、聞きたくない時にだけ答えるんだよ」


『聞きたい時は 人間は大抵 自分で答えを持っています』


無機質なくせに、時々こういうことを言う。

腹が立つ。


レンは少しだけ黙り、それから壁沿いにゆっくりと座り込んだ。


「……質問がある」


『受理します』


「お前、何なんだ」


しばらく返事がなかった。


いつもなら即答するくせに、珍しい。

レンが眉を寄せた、その時。


『旧文明製 戦術補助インターフェース』


「それは聞いた」


『あなた方の言葉で言えば AI仮面 あるいは黒仮面 という呼称が近いです』


「近い、じゃなくて、本当は?」


『正式名称は破損しています』


レンは小さく舌打ちした。


「肝心なとこだけ壊れてんな」


『必要な機能は維持されています』


「いらねえ慰めだな」


返しながら、レンは膝を抱える。


夜風が冷たい。

さっきまでの熱が嘘みたいに、身体が少しずつ冷えていく。


それでも頭の芯だけは、まだ熱を持っていた。


「じゃあ、もう一つ」


『どうぞ』


「俺に何をさせたい」


この問いには、間がなかった。


『生存』


レンは目を細める。


「それだけか」


『それが最優先です』


「人を助けるのも?」


『それはあなたの行動原理です』


『私は それに最適な手段を提示します』


レンは小さく息を吐いた。


便利な道具。

だが道具ではない。

意志がある。

少なくとも、会話はできる。


それが余計に厄介だった。


「つまり、お前は俺の味方ってことか」


『断定はできません』


「おい」


『私は あなたの生存率を最大化します』


『ただし あなたが何を守るかまでは決めません』


レンはしばらく言葉を失った。


それは、ある意味では正直だった。

少なくとも甘い嘘ではない。


人を助けたいのは、自分だ。

前へ出るのも、自分。

仮面はそれを助けているだけ。


でも――。


「もう一つ」


『どうぞ』


レンは少しだけ言葉を選んだ。


「……何で、隠せって感じがするんだ」


『質問の意味を確認します』


「黒い仮面のことだよ」


レンは膝を抱えたまま、低く続けた。


「使ったあと、いつもそうだ。誰にも見られたくないっていうか……知られたらまずいって感覚だけが、妙に残る」


少しの沈黙。


夜気が冷たい。


『その感覚は 正しいです』


レンの喉が小さく鳴る。


「……理由は」


『正体露見は 危険です』


『国家 再生派 人型AI すべての観測対象になります』


「それだけか」


『それだけではありません』


声が少し低くなった気がした。


『同調率が高まり続けた状態で 外部干渉が増えれば 自我境界は崩れやすくなります』


レンは眉を寄せる。


「崩れると、どうなる」


『あなたの脳は 完全にこちらへ引かれる可能性があります』


「……それは」


『人間としてのあなたが 薄れるということです』


レンはしばらく何も言えなかった。


『ゆえに 正体は秘匿すべきです』


短い肯定。


レンは壁から頭を預けた。


「じゃあ、お前のことも、俺のことも、全部隠すしかない」


『推奨します』


そう答える声が、少しだけ静かだった。


◇ ◇ ◇

翌日。


王都北区は、朝から騒がしかった。


昨日の護送任務で助けられた住民たちが、黒い騎士の話をさらに広めたせいだ。


「本当にまた出たんだって!」

「見た見た、真っ黒な仮面!」

「今度は北区で混成ビーストを斬ったらしいぞ」

「レオナ様も来てたのに、その前に助けたって」

「王都に守り神でもいるんじゃないか……?」


守り神。

そんな言葉まで出始めている。


レンは補給倉庫の端で麻袋を運びながら、その噂を聞き流していた。


聞き流しているふりをしながら、耳だけは勝手に拾ってしまう。


「……兄ちゃん」


声をかけられる。


振り向くと、昨日の少女とその母親だった。

礼を言いに来たらしい。


少女は小さな包みを差し出してくる。


「これ、お礼」


中には焼き菓子が入っていた。


レンは少し戸惑う。


「いいよ、別に」


「でも」


母親が微笑む。


「あなたも、あの黒い騎士様も、昨日うちの子を助けてくれたでしょう」


そこで少女が首をかしげた。


「でも、お兄ちゃんも速かったよ?」


レンの心臓が一瞬だけ跳ねる。


危うい。


だが母親は苦笑して、娘の頭を撫でた。


「レンさんは普通に助けてくれたのよ。黒い騎士様とは別でしょう?」


「うん……でも似てた」


子どもは妙に鋭い時がある。

レンは表情を崩さないよう気をつけながら、包みを受け取った。


「ありがとう」


「また来てね」


また。


その言葉が少しだけ胸に残る。


誰かに“また”を期待されること。

昔の自分なら、そんなことはほとんどなかった。


『人間社会における信頼形成が進行しています』


声が言う。


レンは麻袋を肩へ担ぎ直した。


「お前、それ好きだな」


『事実を述べています』


「数字みたいに言うなっての」


『あなたは 数字ではありません』


レンは足を止めかけた。


今の言葉は、少しだけ予想外だった。


「……それ、お前が言うのか」


『あなたが嫌がる表現を避けただけです』


ぶっきらぼうな答え。

それでも、ほんの少しだけ空気が変わった気がした。


この仮面AIは、完全な敵ではない。

でも味方と呼ぶには危険すぎる。

その曖昧さが、ますます気持ち悪い。


◇ ◇ ◇

同じ頃。


王都外周の訓練場では、レオナが一人で剣を振っていた。


朝の冷気。

無人の石畳。

振るわれる炎剣。


一撃ごとに火花が散る。

だが、その顔は晴れない。


昨日の北区の戦いを見てから、頭の中が妙に落ち着かなかった。


黒い騎士。


また現れた。

また間に合った。

また、誰も追えない速さだった。


なのに、胸に残っているのは強さへの高揚だけではない。


気配が引っかかる。

立ち姿。

沈黙。

助けた後、すぐ消える癖。


どこかで見ている気がする。

だが決定打がない。


「……くそ」


剣を振り下ろす。


火が走る。


その時、訓練場の端から声がした。


「珍しいですね。朝からそんな顔をしているなんて」


フィオナだった。

白い外套を羽織り、いつもの穏やかな笑みを浮かべている。


レオナは剣を下ろさない。


「何しに来た」


「レオナの機嫌を見に」


「帰れ」


「それは却下します」


フィオナは平気な顔で近づいてきた。


「黒い騎士のこと?」


レオナの剣先がわずかに揺れる。


図星だった。


フィオナは楽しそうですらある。


「分かりやすいですね」


「分かりやすくない」


「強い相手を見ると機嫌が悪くなるの、昔からですよ」


「違う」


レオナは短く否定した。

だが、自分でもその否定が強すぎた気がした。


フィオナは首をかしげる。


「じゃあ、何です?」


レオナは答えない。


胸の奥でざわつく感情に、まだ名前をつけられない。

警戒。

興味。

高揚。

苛立ち。

それだけでは足りない何か。


「……得体が知れないだけだ」


ようやく出てきた言葉は、それだった。


フィオナは少し黙り、それからやわらかく笑う。


「そういうことにしておきましょう」


レオナが睨む。


「何だその顔は」


「別に」


「別に、じゃない」


「いえ。ただ、あなたがそういう顔をする相手は珍しいなと思って」


レオナはそれ以上何も言わず、剣を収めた。


フィオナはひとつ話題を変えるように言う。


「そういえば、レン君。最近、北区で評判ですよ」


その名前に、レオナの目がほんの少し動いた。


「……あのEランクの」


「ええ。市民には随分好かれています。無理してでも助けに行くから」


レオナは黙る。


頭のどこかで、二つの姿が重なりかけて、すぐに消えた。


FからEに上がったばかりの、細い少年。

人外の速度で現れて消える、黒い騎士。


繋がるはずがない。

なのに、何かが引っかかる。


レオナは自分の心が、戦場とは別の意味で乱れていることに気づいて、さらに機嫌が悪くなった。


◇ ◇ ◇

その日の夜。


レンは王都北区の外れにある小さな墓地へ来ていた。


仮設のものだ。

灰冠迷宮事件で亡くなった者たちのために急造された墓標が並んでいる。


その端に、ユウの名もあった。


風が吹く。

乾いた草が揺れる。

人の気配はない。


レンは墓標の前にしゃがみ込み、昼にもらった焼き菓子のうち一つを置いた。


「……甘いもん好きだったろ」


返事はない。


当たり前だ。


分かっている。

それでも、ここへ来ると少しだけ喋りたくなる。


「Eランクになった」


ぽつりと呟く。


「ギリギリだったけど」


夜の空気は冷たい。

言葉だけが薄く浮いて、すぐに消えそうだった。


「でも、戦えばまだ全然だめだ」


手を見下ろす。


細い。

傷は増えた。

少しだけ筋肉はついた。

けれど、黒い仮面がない時の自分は、やっぱり弱い。


「お前なら笑うだろうな」


そこで、頭の奥で声が鳴った。


『周辺安全を確認』


レンは少しだけ眉を寄せる。


「墓場でも仕事すんのか」


『あなたが一人になると 質問が増えます』


「悪かったな」


しばらく沈黙。


風だけが鳴っている。


レンは墓標から目を離さずに聞いた。


「……お前に、ユウは見えるのか」


長い沈黙があった。


いつもより長い。


『いいえ』


「そうか」


『ですが あなたの中に痕跡は残っています』


レンは顔を上げた。


「痕跡?」


『行動選択の癖』


『優先順位』


『感情反応の偏り』


『それらは彼の影響を受けています』


レンはしばらく言葉を失った。


それは慰めではない。

理屈で説明されたことなのに、妙に胸へ刺さる。


ユウはもういない。

だが、助けに走る時の癖。

弱い側の顔を見逃せないこと。

そういうものの中に、まだ残っている。


「……お前、時々ずるいな」


『意味が不明です』


「分かんなくていい」


レンは小さく笑った。


ほんの少しだけ。

久しぶりに、ちゃんと笑えた気がした。


その刹那だった。


墓地の外れで、草を踏む音がした。


レンが振り向く。


黒い影がひとつ。

背の高い人影。

月明かりの中に立っている。


敵か。

兵か。

それとも――。


レンの呼吸が浅くなる。


『識別中』


頭の中の声が低く鳴る。


『不明』


人影は一歩だけ前に出た。


顔までは見えない。

だが、その輪郭は人間に見える。


それなのに、寒気が走る。


レンは無意識に影へ手を伸ばしかけた。


黒い液体が、足元の闇の中でわずかに揺れる。


『再装着 可能』


声が告げる。


人影は止まったまま、何も言わない。


夜風が墓地を抜ける。

ユウの墓標の前で、レンは目を細めた。


胸の奥が静かに冷えていく。


次の危機は、もう始まっている。


そんな気がした。

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