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第6話 十傑の招集

灰冠迷宮の戦いから、五日が過ぎた。


王都の傷跡は、まだどこにでも残っている。


崩れた石壁。

焼けた砲台。

補修の足場。

仮設の炊き出し場。

そして、ふとした拍子に聞こえる、名前を呼ぶ声。


戻ってこない誰かを探す声だ。


レンは、南西区の補修現場で木箱を運んでいた。

中身は鉄杭と補修用の金具。

Fランク回収係の仕事は、戦いのあとほど増える。


「そっち置いとけ!」

「次、負傷兵舎へ回れ!」

「瓦礫の仕分け終わったら広場の手伝いだ!」


怒鳴り声の中で、レンは黙々と動く。


前より少しだけ身体が重い。

いや、正確には疲れやすい。


夜になると頭の奥で鈍い痛みが鳴る。

視界の端に青いノイズが走ることもある。

昨日は、食べたはずの昼飯の中身を思い出せなかった。


『記憶欠損は軽度です』


無機質な声。


今ではもう、突然鳴っても驚かなくなった。

驚きたくないだけかもしれない。


「軽度なら何でもいいのかよ」


小さく吐き捨てる。


『致命的ではありません』


「お前の基準で言うな」


木箱を下ろす。

汗が額を伝う。


仮面を使っていないのに、仮面の後遺症だけが残っている。

その事実が、薄く腹立たしかった。


その時、通りの向こうで子どもの泣き声が上がった。


「お母さんがいない……!」


反射的に顔を上げる。


炊き出しの列から外れた小さな男の子が、道の真ん中で立ち尽くしていた。

背後から荷車が近づいてくる。

御者は前を見ていない。


レンは考える前に走っていた。


子どもの腕を掴み、脇へ引っ張る。


すぐ横を荷車が通り抜けた。


「うわっ……!」


男の子が目を丸くする。


レンは息を整えてしゃがみ込んだ。


「大丈夫か」


こくこくと頷く。

涙で顔がぐしゃぐしゃだ。


「名前は」


「……トーマ」


「母親の服、覚えてるか」


「白いの……」


「じゃあ一緒に探す」


こういう時の声は、不思議なくらい自然に出る。

昔からそうだ。


自分より弱い相手を前にすると、変に落ち着く。


トーマの手を引き、炊き出し場まで戻る。

ほどなくして母親が駆け寄ってきた。


「トーマ!」

「お母さん……!」


抱き合って泣く二人を見て、レンは黙ってその場を離れようとした。


「待って」


母親が振り向く。


「この前も、うちの近くの子を助けてくれたでしょう」


レンは足を止めた。


「……別に」


「別に、じゃないわ。ありがとう」


深く頭を下げられる。


周りにいた市民も、それを見ていた。


「この兄ちゃん、最近ずっと走り回ってるよな」

「Fランクの子だろ?」

「でも、よく助けてくれるんだよ」

「灰冠の夜も、うちの亭主が世話になったって言ってた」

「名前、何ていうんだ?」


名前。


その二文字が、思った以上に胸へ刺さった。


レンは少しだけ迷い、それから答える。


「……レン」


「レン君、ありがとう」


ありがとう。


最近、その言葉をよく聞く。

それが少しだけ苦しい。


感謝されるたび、ユウの顔が浮かぶからだ。


本当に助けるのがうまかったのは、あいつの方だった。

知らない人間にもすぐ笑って、変な空気を軽くして、最後には誰かの隣にいる。


自分はまだ、そこまで上手くやれない。


『人間関係における信頼獲得は戦略的にも有効です』


また声がした。


レンは顔をしかめる。


「そういう言い方するな」


『事実です』


「分かってるよ」


分かっている。


だが、戦略とか有効とか、そういう言葉で片づけられるのは嫌だった。


◇ ◇ ◇

その日の夕方、王都守備隊本部に人員が招集された。


南西区の兵舎跡を仮設で使った広い訓練場。

そこには、Dランク兵からFランク回収係まで、現場に出る可能性のある人間がずらりと並ばされていた。


空気が張りつめている。


台の上に立っていたのは、ヴァルク・アシュグレイだった。


灰銀の髪。

黒い長剣。

傷だらけの鎧。


Aランク《十傑》の一人。

灰冠迷宮の夜、《灰冠の主》との戦いにも加勢した英雄だ。


その背後には、さらに数人の実力者が立っていた。

結界術師のフィオナ。

盾兵のダリオ。

王都守備隊の指揮官たち。


十傑が揃うなど、そうあることではない。


ざわめきが広がる。


「静かにしろ」


ヴァルクの低い声だけで、訓練場がぴたりと止まった。


「灰冠迷宮事件を受け、王都守備体制を再編する」


短く、無駄のない声。


「今後、王都は以前と同じではいられん。人型AIが確認された以上、後方も安全ではない。戦えない奴を戦わせる気はないが、使える奴を埋もれさせる余裕もない」


その視線が列をなめる。


D。

E。

F。


誰もが背筋を伸ばした。


「ゆえに、戦力再測定を行う」


やはりそう来た。


前にも話は聞いていた。

だが十傑本人の口から告げられると、重みが違う。


「現在のランクは、過去の測定結果に過ぎん。灰冠の夜を生き延びた時点で、お前たちは全員、以前とは別の人間だ。上がる奴もいる。下がる奴もいる」


ヴァルクは一拍置いて言った。


「泣き言は聞かん。今の王都に必要なのは、言い訳ではなく戦力だ」


その言葉に、列の空気がさらに重くなる。


レンは前を見たまま、静かに呼吸を整えた。


戦力再測定。


自分には関係ないと思っていた。

FはF。

底辺は底辺。


だが今は違う。


ユウが死んだ。

自分だけが残った。

それなのに、いつまでも同じ場所で立ち止まってはいられない。


仮面がなくても、少しでも前へ行かなければ。


『推奨行動 参加』


脳裏で無機質な声が響く。


『あなたは普段の身体性能を底上げする必要があります』


レンは奥歯を噛んだ。


言われなくても分かっている。


◇ ◇ ◇

測定は三段階だった。


基礎体力。

術式適性。

模擬戦。


最初の基礎体力で、半分以上が顔を歪めた。

走る。

跳ぶ。

持ち上げる。

避ける。


灰冠迷宮の戦いのあとで消耗している者には、かなりきつい内容だ。


レンも例外ではなかった。

肺が焼ける。

腕が震える。

脚が重い。


だが止まらない。


止まりたくなかった。


「次!」


号令が飛ぶ。


木人相手の攻撃精度。

移動標的への反応速度。

簡易術式板への適性通電。


レンは全部、突出しない。

だが全部、ギリギリで食らいついた。


目立つほどではない。

しかし、以前のFランク時代の自分よりは、明らかに上がっている。


ユウの死からの五日間。

レンは強くなるためというより、止まらないために体を動かしていた。


壁を蹴る。荷を担ぐ。息が切れても足を止めない。


劇的に何かが変わったわけじゃない。

ただ、前より少しだけ、踏み出すのが遅れなくなった。


仮面に頼るな。

仮面がなくても一歩でも前に行け。


その意地だけでやってきた。


三段階目は模擬戦だった。


ここで現実は、容赦なく顔を出した。


相手はEランク補助兵。

槍の扱いに慣れた、細身の男。

階級は上でも下でもない、ちょうど「普通に少しだけ強い」側の人間だ。


開始の合図。


レンは踏み込む。

だが速さが足りない。

踏み込みが浅い。

相手の槍先が先に出る。


脇腹を打たれる。

息が詰まる。


反撃しようとした瞬間、足払い。

膝が崩れる。

喉元に槍の柄が止まった。


「そこまで」


審判役の声。


周囲から、くすりと笑いが漏れる。


「やっぱFはFだろ」

「ちょっと走れたぐらいで変わるかよ」

「夢見すぎなんだよな」


レンは何も言わず、立ち上がる。


悔しい。

悔しいが、事実だった。


戦闘ではまだ全然駄目だ。


仮面がなければ、自分はこうだ。

雑魚。

底辺。


「次!」


もう一戦。


今度は同じFランク上がりの男。

それでも楽ではない。


泥臭く組み合い、肩で押し込み、最後はほんの僅かな差で木剣を弾き飛ばした。

勝ったというより、相手が先に息切れしただけだ。


それでも、審判役は紙に記録を付けた。


結果発表は日が落ちたあとだった。


広場に人が集められる。


ざわつく空気。

期待。

諦め。

不安。


ヴァルクが紙を読み上げていく。


昇格者。

降格者。

据え置き。


レンの番が来た時、少しだけ喉が鳴った。


「レン・ノワール」


周囲の視線が集まる。


「Fランク回収係より――」


一拍。


「Eランク後方支援へ昇格」


その瞬間、訓練場の端で小さなどよめきが起きた。


「マジか」

「あいつが?」

「ギリギリだけど上がったのか……」


ギリギリ。


その通りだろう。


レンは戦闘ではまだ明確に劣っていた。


だが、危険察知、回避行動、負傷者対応への判断は、

Fランク回収係としては異例だった。


戦時下の王都に必要なのは、剣の強さだけではない。


その再評価が、レンをEへ押し上げた。


それでも、その結果はレンの胸に思った以上に重く響いた。


Eランク。


前へ出る資格が、ほんの少しだけ生まれた。


ユウなら何て言うだろう。

たぶん笑って、「やるじゃん」と軽く言う。

そして次の瞬間には、「でも戦ったらまだ雑魚だな」と平気で付け足すに違いない。


その想像が、少しだけ痛くて、少しだけ救いだった。


◇ ◇ ◇

発表が終わったあと、ゴードンが珍しく笑った。


「おめでとうさん」


「……どうも」


「Eなら、もう死体運びだけじゃ済まんぞ」


「分かってます」


「泣くなよ」


「泣いてない」


実際は、少しだけ危なかった。


そこへ、広場の端から小さな拍手が聞こえた。


振り向く。


ミナと、その母親だった。

いつの間にか見に来ていたらしい。


ミナが両手をぱちぱち叩いている。


「レンおにいちゃん、すごい!」


母親も微笑む。


「頑張ってたものね」


それを見ていた他の市民たちも、ぽつりぽつりと拍手を始めた。


大げさなものじゃない。

英雄への喝采なんかじゃない。


けれど、あたたかい拍手だった。


「あの子、いつも手伝ってくれてたしな」

「上がれてよかったじゃないか」

「頑張ってたの見てたよ」


レンは少しだけ目を伏せた。


こういうのに弱い。

本当に。


『情緒反応の上昇を確認』


すぐ内側で声がした。


今度は、腹も立たなかった。


「……分かってる」


小さく返す。


強くなりたいと思う理由は、別に一つじゃなくていい。

ユウのためでも。

自分のためでも。

助けた相手のためでもいい。


前へ出る理由が増えるなら、それでいい。


◇ ◇ ◇

だが、現実は優しくなかった。


三日後。


レンはEランク後方支援として、初めて正式に戦場近くへ出た。


場所は王都北東の監視路。

小規模なビースト群の掃討任務だ。


後方支援とはいえ、現場は現場だ。

負傷者搬送、弾薬補給、崩落誘導、場合によっては最低限の戦闘もある。


レンは新しい腕章を見下ろした。


Fではない。

Eだ。


それだけで少しだけ胸が張る。


だが――。


「おいEランク坊や、前出んなよ」

「またFに戻りたくなきゃ、荷物だけ運んでろ」

「雑魚が色気出すと死ぬぞ」


前線寄りのDランク兵たちは、遠慮なく笑った。


Eはあくまで後方支援。

前に出れば足手まとい。

その見方は変わらない。


レンも言い返さない。


実際、間違ってはいない。


任務開始から十分後、それは嫌になるほど証明された。


小型ビーストが一体、崩れた壁の陰から飛び出してきた。

兵士たちからすれば雑魚だ。

だが、レンにとっては十分速い。


反応しようとする。

遅れる。

剣を抜く。

構えが甘い。


次の瞬間、肩を打たれて吹き飛んだ。


「ぐっ……!」


背中から地面に転がる。


息が詰まる。

剣が手から離れる。


すぐ横で、Dランク兵の槍がビーストを貫いた。


「だから言ったろ!」


怒鳴り声。

笑い。

舌打ち。


「Eに上がったぐらいで前線面すんな」

「荷物持ってろよ、荷物!」


レンは唇を噛んで立ち上がる。


痛い。

悔しい。

何も言い返せない。


仮面があれば、たぶん一瞬だった。

相手の懐に入って、弱点が見えて、数歩歩く間に終わっていたはずだ。


だが今は違う。


これが本当の自分だ。


『戦闘補助の起動条件を満たしていません』


頭の中で、声が鳴る。


無機質で、正しい。


「……起動すんな」


レンは剣を拾い、土を払う。


ここで仮面を使うわけにはいかない。

こんな小競り合いで。

こんな近距離で。


雑魚扱いされたままでも、今は耐えるしかない。


その時、少し離れた後方で悲鳴が上がった。


「子どもが!」


見ると、住民避難の列の端で、小さな女の子が倒れていた。

混乱で足を取られたらしい。

その近くへ、別の小型ビーストが回り込んでいる。


前にいたDランク兵は間に合わない。


レンの身体が先に動いた。


「おい!」


誰かが止める。

無視した。


走る。

速くはない。

だが、全力だ。


女の子の前へ滑り込む。

片手で抱え、横へ転がる。

直後、ビーストの爪が地面を抉った。


「っ……!」


剣を構える。


怖い。

ものすごく怖い。


それでも足は引かなかった。


弱い側の顔を見たからだ。


ビーストが跳ぶ。

レンは半歩だけ前へ出る。

怖さで身体が硬い。

けれどその分、狙う場所だけは絞れた。


首下。


剣を突き上げる。


浅い。

だが少しだけ軌道がずれた。


そこへ、後方から飛んできた槍がビーストを貫いた。


Dランク兵だ。


「無茶すんな馬鹿!」


怒鳴られる。

だがその声には、さっきまでの嘲りが少しだけ薄れていた。


女の子は泣きながら、レンの服を掴んでいる。


「……ありがとう」


小さな声。


レンは何も言えなかった。


肩が痛む。

息も上がっている。

戦闘ではやっぱり全然だめだ。


それでも。


助けることだけは、間に合った。


その帰り道、空は薄く曇っていた。


Eランクの腕章はまだ新しい。

だが、それを誇れるほど強くはない。


雑魚扱いも、たぶんしばらく続く。


それでもレンは、少しだけ前を向いていた。


Fではなくなった。

ユウの代わりに、ほんの少しだけ戦場へ近づけた。


次はもっと強くなる。

仮面がなくても。

せめて、誰かの隣で立てるくらいには。


『記録します』


頭の中の声が言う。


『目標更新 強くなる必要があります』


レンは小さく笑った。


「お前に言われるまでもない」


風が吹く。


遠くの王都外壁では、次の修復の槌音が鳴っていた。


戦いは終わっていない。

終わるどころか、ようやく次の段階へ入ったばかりだ。


そしてレンはまだ知らない。


近いうちに、王都へ再び黒い影が差すことを。

その時、自分がEランクのままでは到底足りないことを。


でも今は、それでいい。


足りないなら、足掻くしかないのだから。

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