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俺だけ【リミットブレイク】―最底辺Fランクが黒仮面で無双するたび壊れていく―  作者: スドタケ


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第5話 消えた黒い騎士

朝が来ても、王都はまだ夜の続きみたいだった。


灰冠迷宮の戦いが終わった翌日。

南西区には、焼けた鉄の臭いと、崩れた石の粉塵がまだ残っている。

城壁の上では修復班が慌ただしく動き、通路では担架が行き交い、壊れた砲台の横では兵士たちが黙って血のついた装備を洗っていた。


勝った。

確かに勝った。


《灰冠の主》は倒れた。

王都は守られた。


それでも誰も、素直に喜べなかった。


被害が大きすぎた。

死者が多すぎた。

そして、最後に現れた人型AIの存在が、戦場にいた者たちの胸を冷たく凍らせていた。


レンは、回収係詰所の隅に座っていた。


膝の上には、ユウの工具袋がある。


いつもなら乱雑に放り込まれている工具が、今日はやけにきれいに見えた。

錆びたレンチ。

折れたドライバー。

布きれ。

使い込んだ小型ナイフ。


持ち主だけがいなくなった。


それが信じられなかった。


「……おい」


呼ばれても、すぐには反応できなかった。


二度目の声で、ようやく顔を上げる。


班長のゴードンが立っていた。

いつもは威張り散らすだけの男なのに、今日は妙に声が低い。


「遺体の確認だ。来られるか」


レンは答えなかった。


喉が塞がっていた。


ゴードンは少しだけ黙り、それから珍しく怒鳴らずに言った。


「来い。お前が来ないと、終わらん」


その言い方が、腹立たしいくらい正しかった。


レンは無言で立ち上がる。

足が重い。

身体そのものが別人みたいだった。


昨日のことを思い出そうとすると、頭の奥が鈍く痛んだ。


黒い仮面。

頭の中で、声が鳴る。

スローモーションみたいな世界。

《灰冠の主》へ届いた刃。

そして、煙の中で飛び込んできたユウ。


そこから先は、断片しかない。


何か大事な部分が、もやの向こうへ沈んでいる。


それでも、ユウが死んだことだけは、嫌になるほどはっきりしていた。


◇ ◇ ◇

遺体安置所は、臨時の礼拝堂に作られていた。


白い布がいくつも並んでいる。

その下に誰がいるのか、もう考えたくもない。


礼拝堂の隅では、家族を亡くした女が声を殺して泣いていた。

幼い子どもが、何も分からない顔で母親の袖を引いている。

兵士たちも、誰一人として大きな声を出していなかった。


ゴードンが、奥の一角を顎で示す。


「……あそこだ」


レンは歩く。


白布の前で足が止まる。


やめろ、と思った。

見たら終わる。

本当に終わる。


それでも、手は勝手に伸びた。


布をめくる。


ユウだった。


顔色は悪い。

唇の色ももう薄い。

それでも、口元だけは少し笑っているように見えた。


昨日と同じだ。


昨日のまま、そこで止まっている。


レンの膝から力が抜けた。


「……何でだよ」


声にならない声が漏れる。


「お前、昨日まで普通に喋ってたろ」


返事はない。


「まだ、パン代返してねえぞ」


何も返ってこない。


「お前がいないと、くだらねえこと言うやついなくなるだろ」


喉が焼ける。

目が痛い。

なのに涙はなかなか落ちなかった。


落ちたら全部本当になる気がして。


隣に立ったゴードンが、小さく息を吐いた。


「遺品はお前が持て」


レンは答えず、ユウの工具袋を胸に抱えた。


その時、頭の奥でノイズが走った。


耳鳴りみたいな高い音。

一瞬だけ、青白い光が視界の端に滲む。


レンは思わずこめかみを押さえた。


「……っ」


『記憶欠損領域を検知』


低い、無機質な声。


昨日の声だ。


レンの全身が強張る。


『長時間の高負荷戦闘により 海馬処理に乱れがあります』


「……黙れ」


小さく吐き捨てる。


ゴードンが怪訝そうに見た。


「何か言ったか」


「……何でもない」


声は平静を装えた。

だが内側では心臓が暴れていた。


いる。

まだいる。


仮面が外れても、完全には消えていない。


『黒仮面』は終わっていなかった。


◇ ◇ ◇

その日の昼には、王都じゅうに一つの噂が広がっていた。


黒い騎士。


黒い仮面をつけた正体不明の剣士が、灰冠迷宮の夜に何度も人を救い、最後には《灰冠の主》へ届く道を切り開いた――という話だ。


市場の片隅。

炊き出しの列。

修復作業の現場。

兵舎の隅。


誰もがその話をしていた。


「見たんだよ、俺は! 本当に速かった!」

「いや、速いとかそういう話じゃなかった。気づいたらもう助けてたんだ」

「うちの子も救ってもらったんです……!」

「レオナ様だけでも十分すごいのに、その横に黒い騎士がいてさ……」

「顔は?」

「見えねえよ。真っ黒な仮面だ」

「騎士団の隠し玉か?」

「いや、あんなの見たことない」

「神様が遣わしたんじゃないかって話まで出てるぞ」


レンはその話を、炊き出しの鍋を運びながら聞いていた。


戦いのあと、Fランクの仕事は山ほどある。


瓦礫運び。

負傷者搬送。

炊き出し手伝い。

遺品整理。

死体運び。


王都が壊れた時、一番忙しくなるのは結局、底辺だ。


「そこの兄ちゃん、これ運んで!」


中年女に呼ばれて、レンは振り向く。

大鍋を持って、避難民の列へ運ぶ。


「ありがとうねえ。昨日から寝てないだろ」


「いえ、別に」


「別に、じゃないよ。顔色ひどいよ」


そう言われて、自分でも少し驚いた。

そんなことを気にしてもらう立場じゃないと思っていたからだ。


Fランクは、大抵、見えていない。

いてもいなくても同じ扱い。

だが灰冠迷宮の戦いのあとで、王都の空気は少しだけ変わっていた。


みんなが少しだけ優しい。


たぶん、大勢が失って、大勢が助けられた夜のあとだからだ。


「兄ちゃんも無事でよかったよ」


老婆がそう言って、小さな干し果物を一つ差し出してきた。


レンは受け取れずにいた。


「いや、俺は……」


「昨日、あんたも走り回ってたろ。見たよ」


何も言えなかった。


自分は何もしていない。

そう思いたかった。


本当に人を救ったのは、黒い仮面だ。

あれは、自分であって自分じゃない。

だから感謝されても困る。


そう思うのに、胸のどこかが少しだけ痛んだ。


ユウなら、こういう時すぐ受け取って笑うだろう。


『人間からの信頼反応を確認』


また頭の中の声。


レンは顔をしかめた。


『戦闘以外の状況でも 行動選択の参考になります』


「だから黙れって言ってんだろ……」


炊き出し鍋の影で、小さく吐き捨てる。


誰にも聞かれなかったのは幸いだった。


◇ ◇ ◇

その頃、南西外壁の上では、レオナとヴァルクが並んで立っていた。


修復途中の石壁。

まだ焦げ跡の残る砲台。

その向こうに、崩れた灰冠迷宮跡が見える。


「で」


ヴァルクが腕を組んだ。


「お前はどう見る」


レオナはすぐには答えない。


視線は、灰冠迷宮の残骸ではなく、下の広場に向いていた。

炊き出しを運ぶFランクの少年。

レンだ。


「黒い騎士の話か」


「他に何がある」


ヴァルクが鼻を鳴らす。


「ありゃ、王国のどこにも登録されていない動きだった。十傑でもない。四天王でもない。だが、レオナ。お前も感じただろう」


「……速かった」


「速いなんてもんじゃない」


ヴァルクは目を細める。


「俺でも追い切れなかった」


その事実は、軽く言っていいものではなかった。

Aランク《十傑》のヴァルクが、目で追えない。

それはつまり、国家レベルの危険的存在だということだ。


レオナは黙ったままだ。


頭に浮かぶのは、あの黒い仮面。

冷たい声。

人外の速度。

そして、最後の煙の中。


黒い騎士が消えたあとにいた、血まみれのレン。


「……分からない」


レオナがようやく言った。


「だが、一つだけ確かだ」


「何だ」


「敵は、あいつを狙った」


ヴァルクの視線がわずかに下へ落ちる。


レンは市民の列へ水桶を配っていた。

派手さはない。

どこにでもいる、細身のFランクの少年だ。


到底、あの黒い騎士と同一人物には見えない。


だがレオナの胸に残る違和感は、消えなかった。


「……まさか、とは思う」


独り言みたいな声。


ヴァルクがそちらを見る。


「何か言ったか」


「いや」


レオナは視線を外した。


言葉にした瞬間、何かが決定的になる気がした。

それが怖かった。


◇ ◇ ◇

夜。


回収係詰所の寝台で、レンは何度目か分からない寝返りを打っていた。


眠れない。


目を閉じると、昨日の煙が浮かぶ。

ユウの顔が浮かぶ。

黒い刃。

血。

笑ったまま止まった口元。


「……っ」


息が詰まる。


起き上がろうとした、その時。


視界の端で、影が揺れた。


床に落ちた月明かりの端。

自分の影の上に、黒い液体みたいなものがにじむ。


レンは息を止めた。


それはゆっくりと這い上がり、手首のあたりまで届く。

冷たい。

ぞっとするほど冷たい。


『再形成は正常です』


脳裏で、あの無機質な声が鳴る。


『戦闘補助インターフェースは失われていません』


レンはベッドから飛び起きた。


「やめろ」


黒いものが、すっと引いて影へ沈む。


だが消えたわけじゃない。

いる。

いつでも出てくる。


『高負荷戦闘後の強制停止により 一時解除されただけです』


「……強制停止」


『説明します』


レンは黙った。


聞きたくない。

だが、聞かなければもっと危ない。


『黒仮面の使用には 二つの数値があります』


『装着時間』

『使用エネルギー量』


『この二つが基準値を越えると 強制停止モードへ移行します』


レンの額に冷たい汗が浮かぶ。


『ですが 同調率が高まり 極限集中状態へ達すると 一時的に強制停止がロックされます』


「……ロック?」


『はい』


『簡単に言えば 限界を超えても しばらく戦えます』


『ただし その後の反動は大きくなります』


レンの喉が鳴る。


昨日の最後。

確かに、止まっていたはずの力がまだ動いていた感覚がある。

あれがそうか。


『臨界域は数値化可能です』


『昨日の最終戦闘時 最大値は五十八でした』


「五十八……」


『通常使用なら危険ではありません』


『ただし 九十を越えると 熱暴走 脳内温度上昇 記憶欠損の危険が跳ね上がります』


レンはしばらく何も言えなかった。


九十を越えたらどうなる。


問いを口にする前に、声が答えた。


『人間でいられる保証が消えます』


寝台の上で、レンの指が震えた。


「……ふざけんな」


『事実です』


「俺は、そんなもん使わない」


『不可能です』


返事は早かった。


『次の危機は必ず来ます』


『あなたは また助けに走ります』


レンは反論できなかった。


それが一番腹立たしかった。


◇ ◇ ◇

翌朝。


王都中央広場では、灰冠迷宮事件の生存者への一時支援が行われていた。


食料配布。

仮設寝所の案内。

孤児の一時保護。

行方不明者の確認。


レンもまた、Fランクの腕章をつけたまま、迷子の案内をしていた。


「お兄ちゃん」


小さな声。


振り向くと、前に助けた女の子――ミナが立っていた。


母親のスカートの陰から、こちらを見ている。


「あのね」


ミナがもじもじと手を差し出す。

そこにあったのは、小さな布の花飾りだった。


「これ、あげる」


レンは戸惑う。


「……何で」


「助けてくれたから」


母親が頭を下げた。


「あの日、この子を抱えて走ってくれたでしょう。お礼、ちゃんと言えてなかったので」


レンはしばらく動けなかった。


自分は、あの時、黒い仮面ではなかったかもしれない。

もう記憶が曖昧で、どこからどこまでが素の自分で、どこからが黒い騎士だったのか分からない。


だが、目の前の母子にとっては、そんなことは関係ないのだ。


助けられた。

それだけが残っている。


「……ありがと」


ようやく受け取る。


布の花飾りは軽い。

なのに妙に重く感じた。


ミナが少しだけ笑った。


「また来てね」


その言葉に、胸の奥が痛んだ。


また来る。

それはつまり、また危機が来るということだ。


でも――。


『人間との情緒接続が強まっています』


頭の中の声が、少しだけ静かだった。


『それは戦う理由になります』


レンは空を見上げる。


王都の空は、まだ完全には晴れていない。


それでも、昨日よりは少しだけ青かった。


ユウがいない世界は、思ったより静かだ。

静かすぎて、耳がおかしくなりそうだった。


だがその静けさの中で、レンは初めてはっきりと思う。


逃げるだけでは駄目だ。


黒い仮面を捨てることはできない。

ならせめて、自分自身も強くならなければいけない。


仮面がなくても。

せめて誰かを運べるくらいには。

誰かの横に立てるくらいには。


ユウの代わりに、戦場へ出るために。


レンは布の花飾りを握りしめた。


その時、広場の向こうから、兵士の怒鳴り声が上がる。


「全員聞け! 灰冠迷宮事件を受け、来週、戦力再測定を行う!」


ざわめきが広がる。


ランク測定会だ。


DもEもFも関係ない。

全員が再評価される。


レンは思わず顔を上げた。


『推奨行動 参加』


声が言う。


『あなたは 強くなる必要があります』


レンは小さく息を吐いた。


「……分かってるよ」


それは、黒い仮面に向けた言葉だったのか。

自分自身に向けた言葉だったのか。


もう、その境目は少しずつ曖昧になり始めていた。


広場の端で、レオナがこちらを見ていたことに、レンはまだ気づいていない。


彼女は腕を組み、炊き出しの列に立つ市民と話すレンを、じっと見ていた。


昨日までなら、こんな少年に目を留めることはなかった。

だが今は違う。


黒い騎士の違和感。

煙の中で消えた影。

そして、このFランクの少年。


「……お前は何なんだ」


小さく漏れた声は、風に消える。


答えはまだ出ない。


だが、知りたいという気持ちは確実に育っていた。


それが疑念なのか。

関心なのか。

それとも、もっと別のものなのか。


レオナ自身、まだ分かっていなかった。


王都は、次の戦いへ向けて動き始めていた。


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