第4話 灰冠の主
《灰冠の主》は、まだ立っていた。
胸部を抉られ、
青い火花を噴き散らしながら、
それでも王の威圧だけは一歩も失っていない。
発光輪にはひびが入り、
首下の装甲も裂けている。
それでも、ただ前脚を持ち上げるだけで地面が鳴る。
王都南西に、重い沈黙が落ちた。
「……まだ動くのかよ」
「嘘だろ……」
兵士たちの喉が鳴る。
避難民は泣く子を抱えたまま、
崩れた通路の陰から戦場を見るしかない。
その視線の先に立っているのは二人だった。
赤い炎をまとう女。
黒い仮面の剣士。
王都最強と、
どこから現れたのかも分からない黒い騎士。
レンは《灰冠の主》を見上げる。
仮面の奥では視界が異様に澄んでいた。
敵の出力。
崩れかけた足場。
レオナの踏み込みの癖。
全部が数字みたいに整理されて見える。
『主機は出力低下中』
『ですが危険度は依然高いです』
『次の一撃で終わらせてください』
短い指示。
頭痛はじわじわ増している。
視界の端では青いノイズが細く明滅する。
それでも、まだ動ける。
レオナが横目で見る。
「行けるか」
「問題ない」
冷えた声が出た。
自分でも嫌になるくらい、人間味のない声だった。
レオナが眉を寄せる。
強い。
それは認める。
だが、この男は危うい。
折れた刃を無理やり振っているような危うさがある。
そのことが、妙に胸に残った。
「私は正面から行く」
「分かった」
「次は外すな」
「外させるな」
一瞬だけ、
レオナの口元が上がった。
腹が立つ。
だが嫌いじゃない。
考える暇はなかった。
《灰冠の主》が前脚を振り上げる。
その一撃は、
補給路ごと南西門を叩き潰す軌道だった。
レオナが先に飛ぶ。
「《ブレイズクラウン》!」
炎が爆ぜる。
赤い閃光が前脚へ叩き込み、
巨体の軌道をわずかにずらす。
衝撃で石畳が砕け、熱風が吹き荒れた。
その隙にレンが走る。
『左へ二歩』
『跳躍』
『首下第二接続部に損傷集中』
地を蹴る。
瓦礫を踏む。
跳ぶ。
胸部から青い迎撃光が走る。
『右へ半歩』
紙一重。
熱だけが頬を掠める。
『そのまま前進』
レンは巨体の脚部へ飛び乗った。
その瞬間、横から銀光が走る。
《灰冠の主》の側面装甲が裂けた。
「遅れたか」
低い声。
灰銀の長髪。
黒い長剣。
胸当てに刻まれたAランク章。
ヴァルク・アシュグレイ。
聖王国アルディア《十傑》の一人。
Sランク《四天王》が国家の切り札なら、
Aランク《十傑》はその下で最前線を支える主力だ。
各国に十人前後しかいない英雄級。
ヴァルクは舌打ちしながら剣を振るう。
「レオナ、一人で始めるな」
「遅い」
「挨拶が雑だな」
軽口に反して斬撃は重い。
側面装甲を連続で削り、
《灰冠の主》の注意を散らしていく。
レオナが鼻を鳴らす。
「十傑が一人増えた程度で足りるか」
「足りない分は埋める」
ヴァルクの視線が一瞬だけレンへ向いた。
黒い仮面。
得体の知れない強者。
「……なるほど。面白いのがいる」
レンは答えない。
『好機です』
『三方向同時攻撃で姿勢が崩れます』
三人が同時に動いた。
正面からレオナ。
右からヴァルク。
左上からレン。
炎。
銀光。
黒い影。
《灰冠の主》の巨体が初めて大きく揺らぐ。
『今です』
視界に青い線が走る。
首下から胸部へ伸びる、
一本だけ開いた細い道。
『そこを貫けば終わります』
レンは短剣を握り直した。
「レオナ!」
叫ぶ。
レオナが一瞬だけこちらを見る。
「三秒だけ止めろ!」
命令口調だった。
普通なら斬り捨てる。
だがレオナは笑った。
「いい度胸だ!」
炎が爆ぜる。
彼女が正面から全力の一撃を叩き込み、
ヴァルクも術式付きの斬撃で側頭部を打つ。
《灰冠の主》の首がわずかに仰け反る。
三秒。
レンには永遠みたいに長かった。
『跳躍』
『さらに前』
『刃を真っ直ぐ』
地を蹴る。
空気が遅れてついてくる。
レンは傷口へ飛び込み、
短剣を深く突き立てた。
硬い。
だが、どこへ力を流せば通るか分かる。
『押し込め』
全身で押す。
『あと一センチ』
歯を食いしばる。
『到達』
刃が中枢へ届いた。
次の瞬間、
《灰冠の主》の全身を走る青い光が逆流した。
発光輪が砕ける。
胸部から眩い閃光が噴き上がる。
「下がれ!」
ヴァルクの怒声。
レオナが跳ぶ。
ヴァルクも離脱する。
レンは巨体を蹴って距離を取る。
直後、
《灰冠の主》が内側から崩壊した。
轟音。
爆炎。
黒い鉄片が夜へ雨のように散る。
静まり返ったあと、
遅れて歓声が爆発した。
「勝ったあああ!」
「灰冠の主が倒れた!」
「助かったんだ!」
「レオナ様!」
「十傑様!」
「黒い騎士だ!」
泣き崩れる女。
槍を掲げる兵士。
抱き合う親子。
勝利の熱が、
南西全体を一気に包み込む。
レンはその声を聞いていた。
遠い。
胸に少しだけ届いて、
すぐに霧散していく。
同時に、頭痛が強まる。
『高負荷限界』
『強制停止まで残り三十秒』
心臓が跳ねた。
まずい。
ここで仮面が外れれば終わる。
レンだと知られる。
『遮蔽物へ移動してください』
歓声の影へ紛れ、
レンは崩れた瓦礫帯へ走った。
「待て!」
ヴァルクの声。
レオナも振り向く。
だが、黒い騎士は止まらない。
直後だった。
《灰冠の主》の残骸の奥で、
青い点が灯った。
小さい。
だが、濃すぎる光だった。
ヴァルクの顔色が変わる。
「まだいる!」
煙の中から、人影が立ち上がる。
細い。
黒い。
顔の代わりに、青い単眼だけが冷たく光っている。
誰も見たことのない人型AI。
そいつはレオナにもヴァルクにも向かわない。
ただ、瓦礫帯へ走る黒い騎士だけを見ていた。
『警告』
『識別不能個体。こちらを認識しています』
レンの背筋が冷える。
次の瞬間、人型AIが消えた。
速い。
レオナが叫ぶ。
「伏せろ!」
爆煙が弾けた。
《灰冠の主》の残骸が二次爆発を起こし、
鉄片と土煙が通路一帯を覆う。
爆煙と熱風が視界を潰す。
仮面を覆っていた黒い膜は、
焼けた影みたいに肩から剥がれ、
瓦礫の煤と血に紛れて消えた。
あとに残ったのは、爆風で上着を裂かれ、
泥と灰をかぶっただけの回収係の少年だった。
さっきまでの“黒い騎士”と、同じ人間だとは、とても思えない。
レンは膝をつく。
全身から力が抜ける。
視界が揺れる。
その胸へ向かって、黒い刃が一直線に飛ぶ。
「レン!」
ユウの声だった。
次の瞬間、
ユウが煙の中から飛び込んできた。
レンを突き飛ばす。
黒い刃が、
ユウの腹を貫いた。
「あ……」
世界が遅くなった。
人型AIは一撃のあと、
すぐに身を引く。
煙を裂いて炎が走る。
レオナの斬撃。
さらに銀光。
ヴァルクの追撃。
だが人型AIは紙一重でかわし、
残骸の闇へ溶けるように消えた。
「待て!」
レオナが追おうとする。
ヴァルクが腕を掴んだ。
「深追いするな! 見えない!」
炎で煙が払われる。
そこにいたのは、
血まみれのユウと、
その身体を抱き起こすレンだった。
黒い騎士の姿は、もうどこにもない。
兵士たちがざわめく。
「黒い騎士は……?」
「今、ここにいたはずだろ!」
「煙の中で消えた……?」
「まさか、あの回収係が……」
「いや、そんなわけ――」
レオナの視線がレンに止まる。
煤だらけの顔。
震える手。
必死に息をしようとする肩。
何かが引っかかる。
だが確証がない。
ヴァルクが低く言う。
「煙幕の中で逃げたか」
レオナは答えなかった。
視線を外せなかった。
レンはユウを抱えていた。
「ユウ……!」
血が止まらない。
手のひらが、ぬるいはずの血でどんどん冷えていく。
ユウは苦しそうに息をしながら、
それでも笑おうとした。
「……無茶すんなって……言ったろ」
「しゃべるな!」
「無理……だろ」
レンの声が割れる。
ユウは震える手を上げて、
レンの胸を軽く叩いた。
「足音で……分かるんだよ」
「……何が」
「お前……走る時だけ……少し右に流れる」
昔からだ。
訓練でも。
逃げる時でも。
焦った時でも。
ユウだけが知っていた、
レンのどうでもいい癖。
「ちゃんと……助ける側、なれたじゃん」
呼吸が浅くなる。
「やめろ……!」
「弱い奴ほど……痛い顔……見逃さない……」
それは、
何度も笑いながら言っていた、あいつの口癖だった。
「お前、まだ……助けられる」
指先から力が抜ける。
口元にだけ、ほんの少し笑みが残った。
そこで、止まった。
勝利の熱は消えていた。
王都を救った歓声のあとに来たのは、
ひどく重い沈黙だった。
レンは声もなく震える。
レオナは立ち尽くす。
さっきまで胸を満たしていた高揚や苛立ちが、
目の前の死で一気に塗りつぶされていく。
ヴァルクは残骸の闇を睨んだ。
「敵は新型を出してきた……しかも黒い騎士だけを狙った」
その一言で空気が変わる。
兵士も市民もざわめく。
黒い騎士は何者なのか。
なぜ敵に狙われたのか。
誰も答えを持たない。
レオナだけが、レンを見ていた。
Fランク回収係の少年。
黒い騎士が消えた煙の中心にいた男。
偶然か。
それとも――。
胸が騒ぐ。
知りたい。
だが、今は踏み込めない。
レンの足元で、
黒い仮面の欠片が液体みたいに崩れ、
影へ溶けて消える。
誰も気づかない。
夜風が吹く。
《灰冠の主》は死んだ。
だが、その死骸の奥から、
もっと深い闇がこちらを見返していた。
そしてレンは知る。
この力は、
誰かを救うためのものかもしれない。
同時に、
誰かを奪い、
秘密ごと飲み込んでいく力でもあるのだと。




