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第3話 王へ届く刃

《灰冠の主》が吠えた。


いや、吠えたように聞こえただけかもしれない。


実際には、金属の擦れる音と、地の底から響くような重低音が重なっただけだ。

それでも王都にいた誰もが、その音を“怒り”として受け取った。


黒灰色の巨体が、ゆっくりと頭をもたげる。

首下の装甲には、さっきレオナが叩き込んだ一撃の傷が走っていた。

そこから青い火花が散っている。


届いた。


王都最強の一撃が、ついに届いた。


だが終わっていない。

むしろ、ここからが本番だった。


《灰冠の主》の周囲にいたビーストたちが、一斉に動き出す。

まるで王の怒りに呼応するみたいに、狂った速度で城壁へ向かって走り始めた。


「来るぞ!」

「南西第二通路、閉じろ!」

「無理です、避難がまだ終わってません!」

「だったら前で止めろ! 止めろって言ってるだろ!」


城壁の上も下も、怒号だらけだ。

負傷兵を運ぶ担架がひっくり返り、避難民が悲鳴を上げ、兵士が歯を食いしばって槍を構える。


その全部を見渡しながら、レンは静かに立っていた。


仮面の奥で、視界が冷たく澄んでいる。

燃え盛る火の位置。

瓦礫の崩れ方。

兵士と市民の動線。

迫ってくるビーストの速度と軌道。


全部が、整理されて見えた。


『右前方 二七メートル 児童一名 転倒』

『左通路 壁面崩落 〇・八秒後』

『前進を推奨』


頭の中に、短い指示が走る。


レンの足は、考える前に動いていた。


右へ跳ぶ。

崩れた石を踏み台にして加速する。

泣きながら地面に手をついている子どもの横に着地し、その身体を抱き上げる。


次の瞬間、さっきまでその子がいた場所に石壁の破片が落ちて砕けた。


母親らしい女が、泣きそうな顔で駆け寄ってくる。


「あ……ああ……!」

「お子さんだ」

「ありがとうございます! ありがとうございます!」


レンは子どもを返す。

返した瞬間にはもう、その場にいなかった。


次の声が聞こえたからだ。


「ぎゃああっ!」

「ビーストだ!」


補給路の角を、小型ビーストが三体、避難民の列へ食い破るように飛び込んできていた。

狼型が二体。虫型が一体。

普通の兵士なら対処できる数だ。

だが今の現場は、全員が《灰冠の主》に意識を持っていかれている。

反応が遅い。


『中央個体 優先』

『前進』


レンは滑るように地を蹴った。


速い。


風が遅れて追ってくる。

周囲の人間には、ただ黒い影が走ったようにしか見えなかっただろう。


一体目の狼型が噛みつこうと口を開く。

遅い。


首下の接続部が、青く細く見えた。

そこが切れる場所だと分かる。


拾った短剣を、最短の角度で差し込む。


一体目が着地と同時に崩れた。

返す刃で二体目の脚関節を裂く。

体勢を崩したところへ踏み込み、そのまま胸部へ突き込む。


虫型が後ろから跳ぶ。

視界の端で、その脚の影が見えた。


『上方 一〇時』


レンは振り向かずに身を沈める。

跳び越えた虫型の腹部へ、逆手に持った短剣を突き上げた。


火花。

破裂。

残骸が頭上で弾ける。


三体。


わずか二呼吸。


避難民たちは何が起きたのか分からない顔で立ち尽くし、数瞬遅れてざわめきが爆発した。


「今の、あの人がやったのか……?」

「見えなかった……」

「助かった……助かったぞ!」

「黒い仮面の……誰だ、あれは!」

「すげえ……!」


レンはその声を聞きながら、もう次の場所へ向かっていた。


胸の奥が少しだけ熱い。

だが、それもすぐに薄まっていく。

仮面が感情を凍らせている。


怖い。

そのこと自体は、はっきり分かっていた。


◇ ◇ ◇

一方、レオナは《灰冠の主》の眼前にいた。


炎をまとった剣を握り、巨体を見上げる。

さっきまで邪魔をしていたガーディアンは落ちた。

それは大きい。

間違いなく大きい。


なのに、胸の奥のざわつきが消えない。


黒い仮面の男。


ほんの一瞬でガーディアンを落とした、あの正体不明の存在。

速かった。

あまりにも速かった。


レオナは自分が速さで引けを取ると思ったことがない。

少なくとも、王国の中では。

だが今、確かに見失った。


自分より明らかに強いかもしれない相手。


その事実に、胸が妙に騒ぐ。


胸の奥が、落ち着かない。

気に食わないはずなのに、目だけが追ってしまう。

それがいちばん腹立たしかった。


「……今は、あっちじゃない」


自分に言い聞かせるように呟く。


目の前には王がいる。

迷っている暇はない。


《灰冠の主》が前脚を振り上げる。

巨体の動きに合わせて地面が割れる。

その一撃は、当たればそれだけで終わりだ。


レオナは炎を強めた。


「《ブレイズクラウン》」


熱が跳ね上がる。

筋肉が、骨が、視界が、燃えるように研ぎ澄まされる。


飛ぶ。

振り下ろされる前脚の軌道をかすめて内側へ。

首下の傷へ二撃目を叩き込む。


金属が裂ける。

火花。

だが、浅い。


「まだ足りないか……!」


《灰冠の主》の喉奥が青く光り始める。

高出力砲撃。


レオナは即座に距離を取った。

次の瞬間、青白い光線が通路ごと地面を抉る。

補給路が吹き飛び、避難中の市民から悲鳴が上がった。


「きゃああっ!」

「下がれええ!」


レオナの眉が動く。


避難民が近すぎる。

このままでは巻き込まれる。


そこへ、黒い影が走った。


レンだ。


光線で崩れた通路の下へ飛び込み、瓦礫に足を取られた老人を抱えて跳び出してくる。

着地したかと思えば、そのまま横へ流れ、今度は倒れた兵士の首元に迫っていたビーストを一閃で両断した。


「た、助かった……!」

「ありがとう! 本当に……!」

「黒い騎士様だ……」

「また来てくれた……!」


誰かがそう叫ぶ。


黒い騎士。


レオナはその呼び名に、胸の奥が妙にざわついた。


騎士、だと。


あんな得体の知れない男が。


……いや。


助けている。

確かに、誰よりも先に。

誰も間に合わない場所へ、あいつだけが間に合っている。


レオナは唇を噛んだ。


認めたくないが、目が離せなかった。


◇ ◇ ◇

レンは通路を駆ける。


助けを求める声が多すぎる。

一つしか身体がないことが、もどかしいほどだった。


『左方 高所 崩落』

『前方 三体』

『後退は不要』


短い指示が飛ぶ。

そのたびに、身体が最適な軌道を選ぶ。


壁を蹴る。

手すりを越える。

崩れた荷車の上を走る。

刃を振るう。


ビーストの首が飛ぶ。

脚が砕ける。

胸部が裂ける。


やっていることは単純だ。

だが、人の目には神がかりに見えただろう。


実際、レンが助けた兵士たちの顔には、恐怖より先に驚愕が浮かんでいた。


「何だ今の速さ……」

「見えなかったぞ……!」

「間に合わないと思ったのに……」

「おい、礼を言え! 助けられたんだぞ!」

「ありがとう! あんた、命の恩人だ!」


命の恩人。


その言葉が、仮面の奥でかすかに引っかかった。


自分はそんな立派なものじゃない。

普段はFランク回収係。

雑魚。

底辺。

誰かの後始末しかできない男だ。


それなのに今は、みんなが自分を見る。


驚いている。

感謝している。

救われた顔をしている。


それが、ひどく危うく思えた。


この力は、自分のものじゃない。

借り物だ。

しかも、得体の知れないAIが頭の中にいる。


『感情ノイズ 増加』

『戦闘へ集中してください』


「……分かってる」


小さく返した瞬間、ユウの声が飛んだ。


「レン!」


振り向く。


ユウが補給箱の陰から手を振っている。

脚を引きずっているくせに、まだ前線近くにいた。


「下がれって言っただろ!」


「下がったら死ぬのが何人か見えたんだよ!」


「無茶すんな!」


「それ、お前に言う!」


言い返されて、レンは少しだけ口元を緩めた。

その一瞬でさえ、仮面の内側では奇跡みたいな感覚だった。


ユウが指をさす。


「南西第三通路! あっち、兵士が押し切られる!」


レンはそちらを見る。


本当だ。


ビーストの群れが通路を食い破ろうとしている。

Dランク兵が数人で抑えているが、数が足りない。

その背後には避難民の列。

抜かれれば終わる。


『最短ルートを提示』


視界に、青い線が走る。


瓦礫を踏み、壁を二回蹴り、崩れた足場を飛び越えるルート。

無茶だ。

普通なら。


レンは迷わず飛んだ。


一歩目。

二歩目。

三歩目で壁を蹴る。

身体が矢みたいに伸びる。


第三通路へ着地した時、ちょうど先頭のビーストが兵士へ飛びかかるところだった。


間に合った。


レンは横から割り込む。

兵士を突き飛ばし、自分がその位置へ入る。


「なっ……!」


驚く兵士の目の前で、レンは刃を一閃した。


先頭の狼型の頭が飛ぶ。

続けざまに二体目の脚を払う。

転がったところへ踏み込み、背を貫く。

三体目は跳ぶ前に喉元を裂いた。


奥からトカゲ型が出る。

少し大きい。

装甲も厚い。


『右肩部 装甲薄』

『半歩左 そのまま前進』


レンは従う。


トカゲ型の尾が唸りを上げる。

紙一重。

頬を掠めるだけでかわす。

懐へ。

右肩の接続部に刃をねじ込む。

抵抗。

だが、次にどこへ力を入れれば抜けるかも分かる。


ひねる。


装甲が裂けた。


レンは二歩離れ、背を向ける。

次の瞬間、トカゲ型が爆散した。


通路が静まり返る。


助かった兵士が、震える手で槍を握ったままレンを見ていた。


「……助かった」

「本当に……今の、見えなかった……」

「お前たち、何してる! 礼を言え!」

「あ、ありがとうございます!」

「ありがとう! あんたがいなかったら、俺ら……!」


後ろにいた女が、子どもを抱いたまま泣いていた。


「ありがとうございます……っ 本当に……!」


レンは答えなかった。

答える余裕がなかった。


感謝されるたび、胸の奥が熱くなる。

その熱を、仮面が冷たく押し潰していく。


このまま使い続けたら、自分はどうなる。


その不安が、少しずつ輪郭を持ち始めていた。


◇ ◇ ◇

《灰冠の主》が再び光を溜める。


今度は首下ではない。

胸部全体が青く発光していた。


レオナの顔色が変わる。


広域砲撃。

この角度で撃たれれば、南西一帯ごと吹き飛ぶ。


「まずい……!」


レオナは駆ける。

だが間に合わない。


その瞬間、レンの頭の中で仮面の声が鋭く響いた。


『主機 胸部発振開始』

『停止させます』

『左胸外装内 供給節点に一点突破』


「できるのか」


『可能です』


それを疑う暇もなく、レンは走っていた。


今までで一番速く。


地面の感触が消える。

音が遠ざかる。

周囲の動きが、全部遅くなる。


壁上の兵士。

叫ぶ市民。

飛び散る火花。

全部が止まりかけて見える。


その中心で、《灰冠の主》だけが、ゆっくりと動いていた。


巨大だ。

近くで見ると、山そのものだ。


だが、弱点は見える。


左胸。

発光の流れが一箇所だけ乱れている。

青い線が、そこへ集まっている。


『そこです』


レンは崩れた砲台を踏み台にして跳んだ。

さらに壁面を蹴る。

巨体の腕を足場にする。

常識ではありえない軌道で、一直線に上がっていく。


《灰冠の主》がこちらを見る。

発光輪が唸る。

迎撃の腕が振り上がる。


『右』


紙一重でかわす。

風圧で身体が流れそうになるが、次の足場もすでに見えている。


『前』

『さらに上』


レンはついに左胸部の装甲へ辿り着いた。

短剣を構える。

だが足りない。

深く届かない。


その時、下から赤い炎が走った。


レオナだ。


彼女が《灰冠の主》の脚部へ斬り込み、わずかに体勢を崩させる。


「行けッ!」


その叫びが、レンの背中を押した。


レンは短剣を両手で握り込み、装甲の裂け目へ突き立てた。


硬い。


だが、ひびが走る。


『押し込め』


全体重をかける。

さらに深く。


『あと二センチ』


叫ぶ。

歯を食いしばる。

押し込む。


そして届いた。


次の瞬間、《灰冠の主》の胸部発光が乱れた。


青い光が暴走し、内側へ逆流する。


巨体が、初めてはっきりと悲鳴を上げた。


轟音。


胸部が内側から爆ぜる。


レンは吹き飛ぶ寸前、腕を離して跳んだ。

空中で身体をひねる。

だが着地には遠い。


落ちる。


そこへ赤い影が飛び込んできた。


レオナだ。


片腕でレンの身体を受け止め、そのまま地面へ滑るように着地する。


熱い。


炎の匂い。

血の匂い。

近い。


レオナはレンを離すより先に、その仮面を真正面から見た。


黒い面。

青く光る瞳。

感情の薄い、静かな目。


なのに、その奥にひどく危ういものがあると分かる。


強い。

圧倒的に。


それなのに壊れそうで、危ない。


胸が変に鳴る。


これが恐れなのか、別の何かなのか、レオナには分からなかった。


ただ一つ分かるのは、自分がこの男から目を逸らせないということだけだった。


「……お前」


気づけば声が漏れていた。


レンは静かに立ち上がる。


助けられた礼も言わない。

言えないのかもしれない。


その横顔は冷たい。

だが、その冷たさの下にある何かを、レオナは一瞬だけ感じた気がした。

それが痛みなのか、焦りなのか、レオナにはまだ分からない。


ありえない。


こんな男、見たことがない。


レオナは自分の心が乱れていることに気づき、強く眉をひそめた。


「……今は考えるな」


自分を叱るように吐き捨てる。


その隙に、兵士や市民たちの歓声が遅れて押し寄せてきた。


「入った! 今の一撃、入ったぞ!」

「やった……!」

「黒い騎士がやったんだ!」

「レオナ様と一緒に……!」

「助かった、王都が助かる!」

「ありがとう! 本当にありがとう……!」


歓声と、感謝と、泣き声。


レンはそれを聞いていた。


聞こえている。

だが遠い。


仮面の奥で、頭の芯がじわじわ冷えていく。


『戦闘続行可能』

『主機の機能低下を確認』

『しかし撃破には至っていません』


まだ終わっていない。


《灰冠の主》は胸部から煙を上げながらも、なお立っていた。

王はまだ死んでいない。


レンはその巨体を見上げる。

そして、低く言った。


「次で終わらせる」


レオナがその声に振り向く。


黒い仮面の男。

王都を救い、市民に感謝され、それでも少しも誇らしげではない男。


胸がまた変に鳴る。


苛立つ。

だが、嫌じゃない。


「……勝手に先へ行くな」


レオナは剣を構え直した。


「次は私も並ぶ」


レンは一瞬だけ彼女を見る。

そして小さく頷いた。


それだけだった。


それだけなのに、レオナの胸の奥に、知らない熱が灯った。


夜の王都で。


最強の女騎士は初めて、自分より強いかもしれない誰かと並んで戦う高揚を知った。


そして同時に、それがただの高揚だけではないことにも、うすうす気づき始めていた。

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