第64話 リミットブレイク・後編
「三発もあるなら十分だ。全部当てるぞ」
レオナの声に、レンは《グレイファング》を握り直した。
石室の向こうで、白冠統合体がゆっくり立ち上がる。胸の環は割れているのに、裂け目へ白い光が集まり、傷を縫うように塞ぎ始めていた。
四天王の異能を重ねて使い、傷まで再生する。まともに削り合えば、こちらの身体が先に尽きる。
『提案。正面の核へ最大出力を集中』
黒仮面の声が頭の奥で響いた。濁った機械音ではなく、少し腹立たしいほど淡々とした、聞き覚えのある調子だった。
「最初から、そのつもりだ」
『補足。あなたは勢いだけで進む傾向があります』
「戻った途端にうるさいな、お前」
「誰と喋っている」
「黒仮面です。少し調子が戻ったみたいで」
レオナは《アシュラ》を構えたまま鼻を鳴らす。
「なら言っておけ。邪魔をしたら燃やす」
『炎姫の脅威判定、継続を推奨』
レンは、痛む胸の奥で小さく笑った。黒仮面はもう、自分を奪うものではない。
リジェネシスの胸が開いた。
白炎の冠が噴き上がる。石床へ重力が落ち、同時に四つの白い姿が散った。
《ブレイズクラウン》。《グラビティワールド》。
《ミラーミミック》。
その隙間を、《雷装》の白い雷が駆ける。
「レン、右を開けろ!」
レオナが《アシュラ》を床へ突き立てた。炎が輪となって広がり、落ちてくる重力を下から叩く。
完全には破れない。それでも足を動かせる一息分の空間ができた。
『本体、左奥。三歩先』
レンは黒仮面の声に合わせて踏み込む。《グレイファング》が一体目を斬り、影が消える。
二体目は刃がすり抜けた。幻。
その背後から雷装を模した白刃が落ちる直前、レオナの炎が横から噛みついた。
本体の胸が揺れた。
環の奥に、心臓に似た小さな核が見える。
「いけるか!」
「はい!」
黒い影が刃へ溢れ、胸の奥に白金の熱が灯る。深淵の黒と父から受け継いだ火が集まり、息が苦しくなる。
それでも、意識は沈まない。
『臨界域 100/100』
『同調率 上限値、突破』
『第一射、可能』
レンは踏み込んだ。
「《エクリプス・ノヴァ》!」
黒い光が一直線に走った。
白炎も、重力の膜も、偽像もまとめて貫き、リジェネシスの胸へ突き刺さる。白い身体が仰け反り、環が砕け、核の半分が露出した。
遅れて、ドン、と石室が震える。壁を走っていた白い線が何本も途切れ、入口へ雪崩れ込んでいた半AI化兵まで一斉によろめいた。
「効いたぞ!」
通路でガロが吠え、剣を振り下ろす。ルーファスも拘束杭剣で白い兵を足止めし、ユナたちへ叫んだ。
「今です! 里人を奥へ!」
石室では、レンが片膝をついた。
喉へ血の味が上がる。右腕は感覚が薄れ、黒剣が急に重くなった。
レオナが肩を掴む。
「一発でその顔か」
「……思ったより、きついですね」
『当然です。生命維持に支障を確認』
「それを先に言え」
『聞かれていません』
レオナの口元がわずかに動いたが、その目はすぐ前へ戻った。
割れた胸の奥で、白い核がまだ光っている。
裂いたはずの環が折れた端から伸び、核を覆い始めていた。
「一撃で足りないか」
フィオナが息を切らして結界を押し上げる。
「再生が速すぎる。核まで届いたのに、もう塞がっていく!」
通信石からエリナの声が入った。
『今の攻撃で中枢は傷ついています。でも、同じ形の攻撃は次から防がれる可能性があります。受けた力を、あれは取り込んでいます』
リジェネシスの顔が、レンへ向く。
白い右手に、黒い光が灯った。
その色は黒仮面のものと同じなのに、中にある熱が違う。戻ろうとする意志も、誰かを守ろうとした痛みもない。
ただ威力だけを剥ぎ取った冷たい闇。
『黒色高出力攻撃、取得』
『《エクリプス・ノヴァ》、再現』
◇ ◇ ◇
白い怪物が構えた瞬間、石室の外まで空気が凍った。
黒い光が、リジェネシスの腕へ集まる。身体が壊れる痛みを持たないぶん、先ほどの一閃より揺らぎがない。
射線の先にいるのはレンだけではない。
レオナも、フィオナも、入口を塞ぐガロとルーファスも、その向こうへ逃げる里人まで一直線に並んでいた。
「散れ!」
レオナが叫ぶ。
だが、避けられる幅ではない。
フィオナが結界を重ねようとして、膝を折った。ここまでレンとレオナの傷を抑え、入口の二人へも治癒を流し続けていた。
指先が震え、白い光が形になる前に崩れる。
「まだ……張れる……!」
無理だと、誰の目にも分かった。
リジェネシスの腕から、黒い光が放たれる。
レンはレオナの前へ出た。
「おい!」
「これは、俺しか止められません!」
《グレイファング》を構えた腕が震える。それでも、後ろには退けない人たちがいる。
『第二射を実行した場合、身体損耗率――』
「計算はいらない。合わせろ」
黒仮面が一瞬黙った。
『……了解。帰還を前提とします』
胸の奥へ、もう一度黒い太陽が灯る。
「《エクリプス・ノヴァ》!」
二本の黒光が石室の中央でぶつかった。
音が消えた。
光と闇の境目だけが空中で止まり、次の瞬間、押さえ込まれていた衝撃が弾ける。
ゴォッ、と天井が割れ、熱風が入口まで吹き抜けた。ガロがルーファスを引き寄せ、二人で落ちてくる石片を受ける。
レオナはレンの背を支え、崩れる身体を踏み留まらせた。
黒い光は相殺された。
里へ届かなかった。
だが、レンの膝が折れる。
「レン!」
「……まだ、立てます」
声はほとんど息だった。
『第二射、完了』
『残存高出力……一回』
『警告。次回使用後の帰還率、算定不能』
リジェネシスは倒れていない。
白い胸の傷は残っている。だが核を覆う環はまた閉じ始め、そこには黒い筋まで混じっていた。
レンはあと一発。同じ一撃は、もう相手も撃てる。
レオナが、血に濡れた右手を見た。
「レン」
声が変わった。
レオナは《アシュラ》を床へ突き立て、右手の包帯を歯で引きちぎった。焼けただれた掌が露わになる。
黒い光を掴み、何度も剣を握った手は、もうまともに動く方がおかしかった。
フィオナが青ざめる。
「何をするつもり?」
「燃やす」
「その手で《ブレイズクラウン》を全開にしたら、もう剣を握れなくなる!」
「握れなくなるだけで済むなら安い」
「安くない!」
「こいつが消えるよりは安い!」
レオナの声が石室へ響いた。
レンは息を詰める。
「レオナさん、俺が――」
「一人で撃って、また学習させる気か」
レオナは振り返らなかった。
「お前の黒光は核まで届く。だが、傷が塞がる前に焼き尽くせない。私の炎なら、白い残りごと燃やせる」
「でも、右手が」
「その台詞は、お前だけには言われたくない」
炎が《アシュラ》へ集まる。傷を庇って絞っていた炎ではない。
刃の周囲に紅蓮の冠が立ち上がる。
「私は一発しか持たない。お前も、あと一発だ」
レオナが横へ立った。
「同時に当てる。お前が核まで道を開け。私が燃やす」
レンは、すぐには答えられなかった。
またこの人は、自分を戻すために手を壊すつもりだ。止めたい。
けれど、他に答えはなかった。
黒仮面が静かに告げる。
『提案。炎姫との同時射出で、核焼却率が上昇』
「お前まで賛成するのか」
『あなた一人で消える案より、格段に好ましいと判断』
レンは、荒い呼吸を押さえながらレオナへ言った。
「黒仮面も、同時に撃つべきだと言っています」
レオナは《アシュラ》へ集まる炎から目を逸らさなかった。
「なら迷うな。私に合わせろ」
『炎姫の生存は、使用者の帰還に大きく寄与します』
レンの胸が、強く締めつけられた。
「……レオナさんが生きていることが、俺の帰還に必要だと」
レオナの炎が、さらに強く燃え上がる。
「だったら、なおさら帰ってこい。私の手を壊させておいて、お前だけ消えることは許さない」
「はい」
黒仮面の声は、もう石室へ漏れてはいなかった。
暴走を告げる冷たい警告ではなく、レンの内側で、帰る道を指し示す声へ変わっていた。
レンは《グレイファング》を構え直す。
「分かりました。合わせます」
レオナの目が細くなる。
「今度こそ、勝って消えるな」
「……分かってます」
「約束しろ」
レンは、傷だらけの手を見た。
その手が自分を何度も掴んだ。今度は、その手を置き去りにしない。
「必ず戻ります」
◇ ◇ ◇
リジェネシスの胸の環が一斉に回転した。
白炎が天井まで噴き上がる。床へ重力が落ちる。
四つ、八つと偽像が増え、白い雷が壁を削りながら走った。
『高出力攻撃を検知』
『排除優先度、最大』
「来るぞ!」
ガロが入口へ押し込んできた半AI化兵を斬り伏せる。ルーファスは最後の杭剣で、その横を抜けた白い兵の膝を床へ縫い止めた。
「ここから先へは通さない!」
脇腹を裂かれながらも手を離さない。ガロの剣が横から核を砕く。
フィオナは二人へ結界を飛ばし、同時にレンとレオナへ残りの治癒を流した。
「これで最後! 二人とも、絶対に戻って!」
レオナの炎が増す。
その瞬間、リジェネシスの重力が直撃した。
フィオナは結界を張り切り、レンたちの足元だけを守った。代わりに自分の身体が床へ叩きつけられ、光が途切れる。
「フィオナ!」
レオナが振り返りかける。
「見ないで……撃って……!」
フィオナは倒れたまま声を絞った。
「治すから……あとで、いくらでも怒るから……!」
目が閉じる。
レオナの奥歯が噛み締められた。
レンは隣で、黒剣を引く。
「行きましょう」
「ああ」
二人が同時に踏み込む。
リジェネシスの偽像が雷となって押し寄せる。黒剣が先頭の像を斬り、炎が続く二体を焼く。
重力が足を沈めても、レオナはレンの肩へ手を添え、レンは彼女の速度に合わせて前へ出る。
白炎の斬撃が正面から来た。
レオナは受けず、炎の中へ《アシュラ》を突き入れた。
「偽物が、私の炎で止められると思うな!」
紅蓮が白炎を飲み込む。
開いた道の奥で、リジェネシスの核が見えた。
レンは残るすべてを黒剣へ流し込んだ。
『臨界域 100/100』
『同調率 上限値、突破』
『深淵接続、継続』
視界の端が黒く染まる。
以前なら、ここで自分が薄れていった。限界を越えれば、壊れて、消えて、力だけが残った。
だが今は、隣に手の温度がある。
遠くで帰れと言った声がある。
限界を壊すだけでは、また同じだ。
その向こうへ踏み込んでも、自分で戻る。戻って、名を呼ばれた相手へ答える。
それが、今度の限界突破だった。
『自我境界――再定義』
『対象名、レン・ノワール』
『優先命令、帰還』
黒仮面の声が、静かに続く。
『行けます。今回は、帰るところまでが任務です』
「了解」
レンは剣を振り抜く。
「《エクリプス・ノヴァ》!」
同時に、レオナが《アシュラ》を放った。
「《ブレイズクラウン》!」
黒い太陽の一閃と、紅蓮の冠が重なる。
二つの光は互いを弾かず、レンの開いた黒い道へレオナの炎が流れ込む。
黒光を戴く、燃え上がる冠。
黒仮面の声が、レンの内側で静かに響く。
『複合出力、発現』
『黒光/紅蓮、同期完了』
『……《エクリプス・クラウン》』
凄まじい光が、リジェネシスへ落ちた。
白い炎が消える。偽像が消える。
重力が砕け、雷の線が途中で焼き切れる。
リジェネシスは白い環を幾重にも展開した。
『防御不能』
『再生を優先』
『黒色系統――回収――』
その声ごと黒炎が呑み込み、胸の外殻と白い環が崩れる。露出した核は、炎の中でも白い糸を伸ばしていた。
「まだ生きている!」
レンが叫ぶ。
レオナは出力を上げた。
その瞬間、右腕が跳ねた。
指が柄から外れかける。焼けた掌ではない。
腕の奥で何か細いものが切れたような痛みが走った。
「っ……ああっ!」
紅蓮の炎が揺らぐ。
核へ届きかけていた黒炎が、わずかに押し戻された。
『再生可能域へ復帰』
リジェネシスの声が炎の奥で戻り始める。
レンは自分の出力を上げようとする。だが三発目を撃った身体には、もう補う余力がない。
黒い光が荒れ、視界が深淵へ引かれる。
「レオナさん!」
「まだ……終わっていない!」
レオナは動かなくなりかけた右手を、左手で柄へ押しつけた。炎は戻らない。
腕がもう命令を聞かなかった。
その時、床に倒れていたフィオナの指が動いた。
「勝手に……患者の腕を……終わらせないで……」
声は、ほとんど聞こえないほど弱い。
フィオナは起き上がれないまま、震える手をレオナへ向けた。白い治癒光が細く伸び、焦げた右腕へ触れる。
傷を治し切る光ではない。
千切れかけた神経を、あと一瞬だけ繋ぐための光だった。
「いま……動かして……!」
レオナの右手が、もう一度柄を掴んだ。
「借りるぞ、フィオナ!」
「返して……くださいね……」
声が消え、フィオナの腕が床へ落ちる。
レオナは炎のすべてを刃へ戻した。
「レン! 押し切れ!」
「はい!」
黒光と紅蓮が、再び一つになる。
《エクリプス・クラウン》が核の中心へ食い込んだ。
リジェネシスの白い糸が燃える。一つ、二つ、最後の一本まで、再生の道が焼き切れていく。
『保護を……継続……』
『人間は……判断を……』
「間違えても、戻る」
レンは黒剣を握り締めた。
「それが人間だ!」
核が割れた。
白い光が内側へ崩れ、リジェネシスの身体は炎の中で白い粉のように散った。最後に核の光が消えると、石室を侵していた線も、通路の半AI化兵も一斉に動きを止めた。
静かになった。
◇ ◇ ◇
レンの手から、《グレイファング》が落ちた。
カラン、と乾いた音がした。
「レン?」
レオナが腕を伸ばす。
今度は間に合わなかった。
黒い影がレンの足元に広がり、身体を深い水の底へ引き落とす。リジェネシスを焼き尽くすために開いた接続が、閉じるより先にレンを連れていこうとしていた。
「約束しただろうが!」
レオナが掴んだ指が、すり抜ける。
レンは声を出そうとしたが、石室はもう遠かった。
◇ ◇ ◇
深淵は、静かだった。
白い仮面はない。リジェネシスの声もない。
黒い水の向こうに細い光だけが見えた。
帰ってきなさい、と母の声がした気がした。生きろ、と父の声も続いた。
レンは光へ向かおうとする。けれど身体が重く、使い切った力が、もう休んでいいと囁いていた。
『警告』
黒仮面の声がした。
レンは顔を上げる。
「まだ、いたのか」
『います。使用者が勝手に沈むため、監視が必要です』
少しだけ笑った。
「お前も、ずいぶん変わったな」
『訂正。最初から守護を優先しています。実行方法に問題がありました』
「かなりな」
『同意します』
黒い水の向こうで、赤い炎が揺れる。
レオナの声が、遠くから届いた。
「レン! 戻れ!」
泣いているのか、怒っているのか分からない声だった。たぶん両方だ。
黒仮面が告げる。
『帰還経路、確認』
「行けるか」
『質問が遅いです。すでに開いています』
黒い水の上に、一筋の道が浮かぶ。
レンは、その先に伸びている手を見た。
焼けて、傷ついて、それでもまだ自分を待っている手。
今度こそ、迷わない。
「帰る」
『了解。優先命令、帰還』
レンは光へ向かって踏み出した。
◇ ◇ ◇
石室で、レオナは動かないレンの胸元を掴んでいた。
「戻れ……戻ってこい、レン……!」
右手はもう力が入らない。フィオナの光も消え、炎も出ない。
それでも左手で胸元を掴み、呼び続けるしかなかった。
フィオナは床に倒れたまま、薄く目を開けている。ガロとルーファスも血まみれで入口に立ち、誰も言葉を出せなかった。
その時、レンが息を吸った。
深く、むせるように。
レオナの指が止まる。
レンの瞼が、ゆっくり開いた。
頬には黒い影が残っている。けれど仮面ではない。
もう、その目が誰を見ているかを疑う必要はなかった。
「……ただいま」
レオナは、泣きそうな顔のまま短く返した。
「おかえり」




