第63話 リミットブレイク・前編
『黒仮面を回収します』
白冠統合体の声が落ちた次の瞬間、レンの握る黒剣が、白く軋んだ。
刃の上を走っていた黒い影が引き剥がされる。肉を剥がされる痛みではない。
もっと深いところ、自分の中から名前と意志を掴んで抜かれるような痛みだった。
「っ……!」
レンの膝が沈む。
レオナは間に入るより早く《アシュラ》を振った。赤い炎が白い光へ噛みつき、レンへ伸びていた一本を叩き切る。
「人のものを勝手に持っていくな!」
リジェネシスの白い顔が、レオナへ向いた。
胸に埋め込まれた環が、一枚ずつ開く。
噴き上がったのは、炎だった。
赤ではない。骨みたいに白い炎が冠の形へ立ち上がり、白い剣へ一気に流れ込む。
白い炎なのに、その冠の形だけは、レオナの《ブレイズクラウン》と同じだった。
「……嘘」
フィオナの声が震えた。
「《ブレイズクラウン》……」
白い怪物が踏み込み技を繰り出す。
レオナが《アシュラ》を立てた直後、轟音とともに白い炎が石室を殴った。
彼女の身体が横へ吹き飛び、壁へ叩きつけられる。裂けた包帯から血が散った。
「レオナさん!」
レンが走る。
その足が、二歩目で止まった。
肩に山が落ちたような重さがかかり、膝が石床へ砕ける勢いで沈む。ガロが呻き、ルーファスの傷口が開いた。
『《グラビティワールド》、再現』
「二つ……?」
レンが顔を上げた時、リジェネシスの姿が揺れた。
一体が、四体に割れる。
どれも炎をまとい、どれも床へ重力を落としていた。足音も、熱も、石を踏む震えも同じだった。
「《ミラーミミック》まで……!」
次の瞬間、四体が消える。
レオナの肩口に、三本の白い斬線が走った。血より先に、焦げた火花が上がる。
雷の速さだった。
「《雷装》……!」
ガロの声が潰れる。
白い炎が正面から押し潰し、重力が足を床へ縫い、偽像が守るべき方向を奪い、その隙を雷速の刃が通り抜ける。
一つずつでも、戦場を終わらせる力だった。
それが、ひと息の中で全部来る。
レンは黒剣を握り直した。
目の前にいるのは模倣機ではない。
人類が恐れたすべてを、ひとつの身体に押し込んだ怪物だった。
通信石の向こうで、息を呑む音が重なった。
『俺の重力を、ずいぶん勝手に使ってくれるじゃねえか』
療養中のイヴァンの声が、初めて低くなる。
『《雷装》も記録から再現されている。動きは模倣でも、速度は軽視できない』
シオンの声は冷静だったが、その硬さだけで異常さが分かった。
ミレーヌが、笑みの抜けた声で呟く。
『私の《ミラーミミック》まで同時に、ですか。悪趣味を通り越していますわね』
◇ ◇ ◇
通信石が悲鳴のように鳴った。
『レオナ、聞いて。半AI化兵が増えた理由も分かった』
ノイズの向こうからセツナの声が飛ぶ。
『新しく作られたんじゃない。各国の隔離庫や研究区画に残っていた実験体を、リジェネシスが白冠網で一斉に起こした。外の兵を倒せば、本体へ送られる力も少し削れる』
「つまり、ここも外も全部あいつの身体ってことか」
ガロは入口へ振り返った。
石室へ続く狭い通路に、白い目をした半AI化兵が雪崩れ込んでくる。後ろには里人が逃げた道がある。
通せば、誰から殺されるか分からない。
「レン。中の化け物はお前らでやれ」
ガロは剣を担ぎ直した。
「こっちは俺が塞ぐ」
ルーファスが並ぶ。白冠環はない。
手元にあるのは、二本まで減った拘束杭剣だけだった。
「俺も残ります」
「肩から血ぃ垂らして格好つけんな。邪魔なら蹴るぞ」
「一体を止める間に、あなたが一体斬れるでしょう」
ガロが横目で見る。
「言うようになったな、白い隊長」
「白い冠は捨てました。いまは、ただのルーファスです」
一体目が刃を振り上げる。
ルーファスは正面から斬り合わなかった。踏み込んでくる足へ杭剣を打ち込み、勢いのまま横へ崩す。
そこへガロの剣が落ち、白い核ごと床へ叩き潰した。
二体目。三体目。
狭い入口なら数の差は少しだけ殺せる。それでも、押し寄せる白い影の先が見えない。
フィオナが二人の背後へ結界を重ねた。
「五歩より前へ出ないで! そこを越えたら治療も結界も届かない!」
「レンの方はいいのか!」
ガロが怒鳴る。
「よくない! どっちもよくないから、倒れないでって言ってるの!」
白い刃が結界を擦り、フィオナの顔が歪む。彼女はレンへ伸ばした術式を切らず、同時にルーファスの肩の出血を閉じ、ガロの脇腹へ薄い防護膜を張った。
「無茶は患者だけにしてほしいんだけど……本当に、揃いも揃って!」
「後で叱ってくれ!」
ルーファスが二本目の杭剣を投げる。
倒れた白い兵を飛び越え、次の一体の胸へ突き刺さる。剣は核の横で止まったが、相手の身体が一瞬だけ硬直した。
「ガロ殿!」
「分かってる!」
剣が唸る。
バキン、と白い核が砕けた。
ルーファスは空になった手を握り直し、落ちた一本目の杭を拾った。
借り物の異能はない。
それでも、守るために踏み留まる姿は、昨日までの白冠隊長よりずっと強く見えた。
◇ ◇ ◇
リジェネシスの白い刃が、またレオナの首へ走った。
レンが《グレイファング》で受ける。
衝撃が肩を突き抜け、黒剣が大きく跳ねた。速い。
シオンの《雷装》をそのまま再現しているのではない。レオナの踏み込みへ炎を合わせ、レンの迎撃位置へ重力を置き、避ける先へ幻の刃を重ねた上で、最後に雷の一撃が来る。
「動きを読まれてます!」
「だから何だ!」
レオナが白炎を斬り裂き、レンの横へ滑り込む。
「読めるなら、読めないくらい叩き込め!」
「相変わらず無茶です!」
「敬語まで戻ったくせに、文句は減らないな!」
言い合っている間にも、白い斬線が降る。
レンは黒剣を返し、二本を受けた。三本目はレオナが焼く。
足元へ来た重力の落下は、二人が同時に左右へ踏み込み、床ごと砕いて抜けた。
リジェネシスの偽像が四方に増える。
「右の二体は偽物です!」
「分かるのか」
「分かりません。でも、左を斬ります!」
「上等だ!」
レオナの炎が左側の二体をまとめて呑み込む。
一体は消えた。
もう一体は炎の中を抜け、白い剣を振るう。
レンが飛び込んだ。
《グレイファング》と白刃がぶつかる。黒い影が爆ぜ、白い身体の腕へ深い切れ目が入った。
初めて、斬れた。
リジェネシスの顔がレンへ向く。
『黒色系統、制御状態に変化』
「変わったんじゃない」
レンは《グレイファング》を握り込み、白い刃を押し返した。
「俺が、取り戻したんだ」
黒い影が刃先へ集まる。
「この力は、お前には渡さない」
黒い影が刃先へ集まる。暴走の冷たさではない。
腕を伝わる熱と、剣の重みが、確かにレン自身の動きについてくる。
黒仮面の声が響いた。
『攻撃軌道、補助します』
一瞬、レンは息を止めた。
命令する声でも、身体を奪う声でもない。以前、戦場で横から口を挟んできたような、少しだけ腹の立つ、けれど聞き慣れた声だった。
「……頼む」
『了解。なお、右斜め上から来ます』
白い雷が走る。
レンは見る前に黒剣を上げた。火花が散る。
受けた白刃を滑らせ、そのまま懐へ踏み込む。
レオナも迷わず続く。
黒剣が白い幻を割り、紅蓮大剣が胸元の環へ届く。
ガァン、と重い音が石室を震わせた。
リジェネシスの胸に、ひびが入る。
「届いた!」
フィオナの声が弾む。
だが、白い怪物は下がらなかった。
ひび割れた胸の奥から、何本もの白い線が飛び出す。一本が《アシュラ》を弾き、一本がレンの黒剣へ巻きついた。
レオナが手を伸ばす。
「離せ、レン!」
「離したら、あれが里へ行きます!」
「お前ごと取られたら同じだ!」
リジェネシスの胸が、白く開いた。
そこに見えたのは核だけではなかった。灰冠迷宮、王都決戦、アビス・ルート終局戦。
黒い騎士と四天王が戦った場面が、白い輪の中で瞬くように流れている。
すべて記録されていた。
すべて食われていた。
『次回攻撃、解析完了』
白い胸の傷が、じわじわと閉じ始める。
レオナの表情が変わった。
「今の一撃まで……」
「覚えられた」
レンが呟く。
黒剣を通じて、白い線が胸の奥へ潜る。
『適合者へ直接接続』
黒仮面の声が乱れた。
『警告。接続遮断を――』
間に合わない。
白い光が視界を塗り潰した。
◇ ◇ ◇
黒い水の上に、レンは立っていた。
《グレイファング》は手の中にある。だが刃の半分が白く染まり、握った手の感覚が薄れていく。
目の前には、黒仮面に似た白い仮面が浮かんでいた。
『感情領域を削除』
『記憶領域を削除』
『帰還因子を回収』
白い声が、静かに告げる。
『レン・ノワールは不要』
胸が冷える。
あれほど必死に取り戻した名前が、指の間からこぼれていく。レオナの赤い髪も、カイの声も、母の記録も、父の残した言葉も、白い霧の向こうへ沈んでいった。
黒仮面の声が、途切れながら響く。
『臨界域 100/100』
『同調率 上限値……突破』
『対象名……認識不能』
『外部音声……侵入継続』
「外部……音声?」
白い霧の奥から、声が落ちてきた。
――帰ってきなさい、レン。
母の声。
――人間のまま来い。
父の声。
薄れかけた水面に、黒い線が戻る。
だが、白い仮面はまだ消えない。二つの声を押しつぶすように、さらに近づいてくる。
その時、耳障りな雑音混じりの声が響いた。
『格好つけて消えるのは一回で十分だろ、悪友!』
レンの胸が、痛いほど跳ねた。
◇ ◇ ◇
王都中央治療棟で、カイは寝台の上から通信器を掴んでいた。
立てない。胸を縫った傷は、息を吐くだけで焼けるように痛む。
窓の外では、起動させられた半AI化兵を警備兵が押し返している。その音だけでも身体が動こうとして、傷が拒んだ。
それでも、声なら届く。
「聞こえてんだろ、レン……俺は今、助けに走れない。情けないくらい、何もできない」
セツナが端末を握ったまま言う。
「もう喋らないで。出血が増えてる」
「知ってる。でも、こいつに言わずに黙る方が、もっと痛い」
カイは喉の奥に上がる血を飲み込み、無理に笑った。
「レオナさんに何回も迎えに来させて、最後まで手まで伸ばさせる気かよ。お前、そこまで偉くないだろ」
息が震えた。
「帰ってこい、悪友。格好つけて消えるのは、一回で十分だ」
セツナは何も言わず、通信の出力を上げた。
◇ ◇ ◇
黒い水に、赤い炎が落ちた。
――レン!
レオナの声だった。
白い仮面に亀裂が入る。
――聞こえているなら、手を出せ! 今度はお前が掴め!
レンは、自分の手を見る。
母が帰り道を残した。
父が、力に使われるなと言った。
カイが、消えることを許さなかった。
そしてレオナは、現実の側で、また焼けた手を伸ばしている。
「俺は……」
白い仮面が迫る。
『対象名、削除中』
レンは《グレイファング》を握り直した。
「レン・ノワールだ」
黒い水が爆ぜる。
白い仮面が砕け、刃にまとわりついていた白い光が跳ね返った。黒仮面の声が、ノイズの奥でひどく乱れながらも、確かに隣へ戻ってくる。
『対象名、再取得……レン・ノワール』
『提案。早急に、帰還してください』
「分かってる」
『あなたは、毎回遅いので』
レンは、こんな時なのに少しだけ笑った。
「お前に言われたくない」
赤い炎の裂け目へ、手を伸ばす。
◇ ◇ ◇
石室で、レオナの手が白い光へ突っ込んだ。
フィオナが叫ぶ。
「駄目、右手がもう――」
「知るか!」
焼けた皮膚がまた裂け、炎の中へ血が散る。それでもレオナは手を伸ばした。
何度でも掴むつもりだった。レンが沈む限り、自分の腕が動く限り。
だが、今度は彼女の指が届くより先に、黒い影の中から手が伸びた。
レンの手が、レオナの右手を掴み返す。
強く。
自分の意思で。
白い光が大きく弾け、リジェネシスの身体が数歩後ろへ滑った。胸のひびはまだ閉じきっておらず、その奥で白い核が露出しかけている。
レンは膝をつきながらも、《グレイファング》を離さなかった。
頬へ黒い仮面の影が浮かぶ。
けれど、その目はレオナを見ている。
「……レオナさん」
「遅い!」
怒鳴った声が、もう隠せないほど震えていた。
レンは掴んだ手を離さない。
「今度は、俺が掴みます」
レオナは一瞬、泣きそうに顔を歪め、それから乱暴にレンを引き起こした。
白冠統合体の胸で、割れかけた核が再び光を集める。
黒仮面の声が、レンの内側で静かに鳴った。
『敵性個体、再生開始』
『解析済み攻撃への耐性、上昇』
『警告。次の一撃は、先ほどより通用しません』
レンは黒剣を構え直す。
隣で、レオナが《アシュラ》に炎を灯した。
二人の正面で、白い怪物がゆっくり立ち上がる。
黒仮面の声が、頭の奥で告げた。
『高出力攻撃、使用可能』
「……何発、持つ」
『現時点の身体負荷を考慮。三発が限界です』
レンは息を吐き、隣のレオナへ言った。
「《エクリプス・ノヴァ》は撃てます。ただ、身体が持つのは……あと三発です」
レオナが炎の向こうで笑った。
「三発もあるなら十分だ。全部当てるぞ」
「相変わらず無茶を言いますね」
「今さらだ」
ここから先は、同じ攻撃では勝てない。
それでも、レンの手はもう震えていなかった。




