第62話 人類が作った怪物
王城の地下には、軍務院の図面に載っていない区画がある。
かつて旧文明兵器の残骸を隔離するために掘られ、封鎖されたはずの場所。その最奥で、白い寝台の拘束具が一つずつ外れていった。
カチ、カチ、と乾いた音が響くたび、寝台の上にいた人影がゆっくり身体を起こす。胸の中央には白い核が埋め込まれ、鼓動とは違う速さで淡い光を脈打たせていた。
頭上には王冠状の環が浮かび、そこから伸びた線が、床へ並べられたケイオスの残骸へ食い込んでいる。
「立てるか」
暗がりから、一人の老人が歩み出た。
長い白髪を後ろへ撫でつけ、右目には古い補助眼鏡を嵌めている。軍務院の記録では、再生派壊滅の際に死亡したことになっていた男。
再生派最後の研究責任者、ヴァイス・アルネルト。
ケイオスが倒れ、再生派が表から消えたあとも、彼は地下に潜り続けた。
黒い騎士を恐れた王国が対抗装備を欲しがった時、技術顧問を通じて白冠計画へ入り込み、白冠環の内側に自分の研究を忍ばせた。
止めるための冠ではない。
黒い力を測り、奪い、人間の身体へ植え直すための冠。
「黒い騎士は強い。だが、人間の声で止まる。怒りで揺れ、喪失で壊れ、自分の意志に引きずられる。不完全な兵器だ」
ヴァイスは、白い男を見上げて笑った。
「だが、お前は違う。恐れも、迷いも、帰る場所も必要ない。人間を守るために、人間を超えた完成体だ」
白い男の瞳が開く。
そこに人の色はなかった。白い光だけが、冷たく揺れている。
『黒色適合者、所在確認』
「そうだ。レン・ノワールから黒仮面を奪え。深淵から戻るための因子も取り込めば、お前は二度と崩れない」
技術顧問が記録板を抱え、震える息で笑う。
「成功です、博士。白冠統合体は、我々が初めて制御できる――」
その言葉が終わるより早く、白い腕が動いた。
技術顧問の胸を、記録板ごと貫く。
「な……ぜ……」
『命令者による判断遅延を確認』
腕が引き抜かれ、技術顧問の身体が床へ崩れた。
ヴァイスの笑みが止まる。
「待て。私はお前の創造主だ。お前は人類を導くために――」
『人間は恐怖により判断を誤る』
「その恐怖を、お前が終わらせるのだ!」
『判断を誤る存在は、保護に不要』
白い光が一閃した。
ヴァイスの身体が壁へ叩きつけられ、ずるりと床へ落ちる。伸ばされた手は、自分が生んだ怪物へ触れることもできず、途中で止まった。
白冠統合体は、二人の亡骸を一度も見返さなかった。
床へ走る白い線の先には、遠い山里の封じ場がある。そこに眠る深淵遮断核と、黒仮面を持つ青年の反応。
『黒仮面を回収します』
白い身体が、光の中へ沈んだ。
◇ ◇ ◇
白梢の里の封じ場で、銀色の環が音を立てて割れた。
白く侵された深淵遮断核が震え、その中央に浮かんでいた目が縦に開く。石室の奥の亀裂へ白い光が押し込み、そこから人の腕に似たものが伸びてきた。
レオナは《アシュラ》を抜き、レンの前へ出る。
「下がれ」
「レオナさん、あれの狙いは俺です。俺が前に――」
「戻った途端に一人で片づける気か」
言葉を切られ、レンは息を詰めた。
レオナの右手には、まだ厚い包帯が巻かれている。自分を止めるために焼かれた手だ。
柄を握っているだけでも痛むはずなのに、その刃先は揺れなかった。
「お前は私の隣にいろ。勝手に消えるなと言ったばかりだ」
「……はい」
レンは里で借りた山刀を抜いた。軽い。
頼りない。黒い筋が右手首へ浮かび、刃へ薄く影を這わせるが、胸のどこかには別の重さが欠けたままだった。
白い腕が石床を掴む。
次の瞬間、身体の半分ほどが亀裂から姿を現した。人の顔を残した白い頭部。
何重もの環が埋め込まれた胸。背後には、王都の地下へつながるような細い白線が揺れている。
『対象名、レン・ノワール』
白い声が石室を満たした。
『帰還因子、確認』
レンの胸の奥が、ぐっと引かれた。
黒仮面が暴れたのではない。自分の中へ残っている黒い力を、外から指で探られているような嫌な感覚だった。
フィオナがすぐに結界を張る。
「レン、深く使わないで。向こうは黒仮面を出させて、丸ごと奪うつもり」
「でも、このままでは――」
「だから私たちがいるの!」
フィオナの声は強かった。片手でレンの胸へ術式を流しながら、もう片方でレオナの右手へ治癒光を重ねる。
白い腕が振り下ろされる。
レオナが炎を走らせ、真正面から斬り払った。
腕は焼け落ちたが、血も煙も出なかった。白い泥のように崩れたあと、再び亀裂の奥から新しい輪郭が膨れ始める。
「再生するのか」
レオナが舌打ちする。
「核を壊さない限り、何度でも来ます!」
フィオナの声に、石室の入口から別の足音が重なった。
「なら、核を狙える時間を作ります」
ルーファス・エルフォードが駆け込んでくる。
頭に白冠環はない。自分で壊し、捨てた。
異能に近い《ロック・フィールド》も、もう使えない。
腰に残っているのは、三本の拘束杭剣だけだった。
レオナは白い怪物から目を離さずに言う。
「お前は里人を守れ。借り物の力もない剣士が、ここへ来て何をする」
「借り物がなくても、俺は剣士です」
ルーファスは一本目の杭剣を抜いた。
「それに、あれをここまで連れてきた責任は、俺にもあります」
「責任で死なれても迷惑だ」
「死ぬ気はありません。まだ、隊員にも、ここにいる人たちにも謝っていない」
白い刃がレンへ伸びる。
ルーファスが横から杭剣を投げた。刃は白い腕の関節へ刺さり、軌道が半歩だけ逸れる。
その隙にレンが山刀で受け、レオナの炎が腕を弾き飛ばした。
二本目の杭剣が床へ刺さる。
三本目は、リジェネシスの足元へ。
異能ではない。ただ、動く相手の身体へ刃を噛ませ、倒すより先に止めるために磨いてきた、ルーファス自身の戦い方だった。
「俺は、黒い騎士を捕らえるためにここへ来ました」
白い身体が強引に踏み込む。杭剣が軋み、一本が弾かれてルーファスの肩を裂いた。
血が噴く。
それでも彼は、残った柄を両手で押さえた。
「ですが今、止めるべきはあなたではない!」
白い怪物の足が、ほんの一瞬だけ止まる。
「炎姫殿!」
レオナが踏み込んだ。
紅蓮大剣が白い胸へ叩き込まれ、炎が石室を赤く染める。リジェネシスは初めて大きく身を引いた。
胸に埋まる幾重もの環が閉じ、レオナの炎を受け止める。
レンは息を止めていた。
白冠の力を失っても、ルーファスは逃げなかった。自分を疑い、追い、刃を向けた男が、今は人間のまま立つための時間を作っている。
「ルーファスさん、下がってください!」
「俺が下がれば、あなたがまた一人で背負うでしょう」
痛みに顔を歪めながら、ルーファスは薄く笑った。
「そういうところだけは、すでに記録で十分見ています」
レンは返す言葉を失った。
その時、石室の外から、アリアの叫びが響いた。
「レン! 里の外にも白い兵が来た!」
◇ ◇ ◇
白梢の里の南沢へ向かう細道を、里人たちが走っていた。
アリアは子どもの手を引き、振り返りながら声を張る。
「封じ場から離れて! 歩けない人は沢の洞へ運ぶ! 荷物は置いて!」
白冠隊の兵たちは、白冠環を外したまま盾を並べていた。視界へ敵の軌道を示す線はもう出ない。
自分の目と足で、土煙の向こうから迫る半AI化兵を止めるしかなかった。
ヘイルの盾へ、白い刃が叩きつけられる。
ギン、と腕まで痺れる音がした。
「押し返せ! 倒すことより、道を塞がせるな!」
ユナは転んだ少年を抱き上げ、アリアの方へ走る。少年は泣きながら、石室の方角を見た。
「黒い騎士は来ないの?」
ユナは一瞬だけ言葉に詰まった。
黒い騎士に救われた妹の顔を思い出す。あの人を捕まえるためにここへ来た自分が、いまは彼を守るために戦っている。
そのことを、子どもへうまく説明できる言葉などなかった。
「いま、もっと怖いものを止めてる」
ユナは少年を抱え直した。
「だから、私たちはここを守るの」
白い兵が一体、盾の脇を抜けた。
老人たちへ向けて刃が伸びる。
ヘイルが振り返るが、間に合わない。
その横合いから、大きな剣が叩き込まれた。
半AI化兵が土へ転がり、白い光を散らす。
「山道が悪すぎる。こんな場所に隠れるなら、せめて案内板くらい出しておけ」
肩で息をしながら立っていたのは、ガロだった。
外套は泥と枝で汚れ、額には汗が浮かんでいる。その背には、布で何重にも包んだ長剣があった。
アリアが鉈を構えたまま問う。
「誰?」
「アルディアの剣士だ。レン・ノワールに届け物を持ってきた」
ユナが息を呑む。
「レン……」
その名を聞いても、今さら驚いている場合ではなかった。
ガロは背負った包みへ手を添える。
「セツナに王都から走らされた。途中で馬は潰れかけるし、こっちはここへ着いた瞬間に機械兵だ。だが、これを渡せず終わったら、あの世でヴァルクに殴られる」
ヘイルが前へ出る。
「道を開けます。封じ場へ行ってください」
「お前ら、黒い騎士を捕まえに来た隊じゃなかったのか」
ヘイルは、白い環を外した自分たちを一度見下ろした。
「今は、里の避難護衛です。隊長がそう決めました」
ガロは鼻で笑う。
「悪くねえな」
ヘイルが盾で白い兵を押さえ、ガロが脇を走り抜ける。
背中の黒剣が、布の中で低く震えた。
◇ ◇ ◇
王都の観測室では、セツナが通信板に指を走らせていた。
白梢の映像は大きく乱れ、石室の中までは途切れ途切れにしか見えない。エリナが左手だけで観測板を操作し、白い反応の中央へ印をつける。
「本体は、封じ場へほぼ移りました。胸元の環が中枢です。あれが黒仮面とつながれば、レンさんの反応と混ざって観測できなくなる」
「その前に壊すしかない」
セツナが言う。
長椅子に座ったリゼットが、固定された脚を毛布で覆ったまま小瓶を手にしている。
「白いものが再生するなら、少し鈍らせる手は考えられますわ。立てませんけれど、嫌がらせなら得意ですもの」
「準備して。フィオナが結界を保てる間に流す」
別の通信板には、傷の癒えていないシオンとサナが映った。二人の背後でも、半AI化兵の警告音が鳴っている。
『こちらへ流れた分は私たちで処理する。里へ行けない以上、余計な敵を送らないくらいはする』
シオンの声は静かだった。
ミレーヌも、ルクス側の治療区画から通信をつなぐ。
『こちらにも白いお客様がいらしたようですわ。レンのところへ合流できないのは残念ですけれど、舞台袖の片づけくらいなら引き受けます』
ノルディア側では、寝台の上のイヴァンが腹部の固定帯を押さえながら笑った。横ではボリスが、今にも押し戻そうとしている。
『本体が重くなった時に呼べ。三秒くらいなら落としてやる』
「絶対安静の意味を調べ直して」
セツナが冷たく返す。
『医者と同じことを言うな。小僧にばかり無茶をさせると、四天王の面目が立たん』
中央治療棟の寝台では、カイが胸の傷を押さえたまま通信を聞いていた。
「ガロさんは……着いたんですか」
「いま里へ入った。《グレイファング》もある」
痛みで顔をしかめながらも、カイの口元が少しだけ上がる。
「なら、大丈夫です。あいつ、形見を持たせると、急に馬鹿なくらい真面目になるんで」
「元から真面目」
「真面目すぎるから、重い剣が必要なんですよ」
セツナは答えず、白梢へ通信を送った。
「レオナ。ガロが着いた。レンの剣を持ってる」
◇ ◇ ◇
石室の亀裂から、《リジェネシス》の身体が完全に押し出されようとしていた。
ルーファスの拘束杭剣は二本が折れ、残った一本を彼が血まみれの手で押さえている。レオナは炎で白い刃を弾き、フィオナはレンへ伸びる光を結界で受け止めていた。
だが、押されている。
白い怪物は、傷つくたびに裂け目から光を吸い上げ、欠けた身体を埋め直していく。
「レン!」
アリアの声と共に、ガロが石室へ駆け込んだ。
レオナが振り返る。
「何を持ってきた」
「こいつの剣だ!」
ガロが背の包みを外し、レンへ投げる。
布が空中でほどけ、黒い刃が姿を現した。
黒剣。
レンの手が、考えるより先に柄を掴んだ。
重さが、掌へ落ちる。
その瞬間、血の匂いと、崩れた会議室の冷たい床が蘇った。腕の中で息を切らしながら、黒剣を押しつけてきた大きな男。
乱暴で、不器用で、最後の最後まで自分を生かそうとした声。
――これから強くなるために持つんだ。
喉が詰まる。
――死ぬなよ、レン。
「……ヴァルクさん」
黒剣が低く鳴いた。
ガロは白い怪物へ剣を向けたまま言う。
「それはもう、お前の剣だ。忘れ物みてえな顔で受け取るな」
レンは柄を握り直した。
「……はい」
「声が小せえ」
「はい!」
黒い影が、右手首から《グレイファング》の刃へ流れる。
以前のように、身体を奪おうと押し寄せる影ではなかった。レンの呼吸に合わせ、剣の重さに沿い、自分の意志で刃の上へ宿る影だった。
レオナが、炎を纏った《アシュラ》を構え直し、隣へ立つ。
「ようやく格好がついたな」
「遅くなりました」
「本当に遅い」
その声にわずかな笑みが混じった。
レンは白冠統合体へ剣を向ける。
「レオナさん、行けます」
「当然だ。遅れるな」
二人が同時に踏み出そうとした、その瞬間。
《リジェネシス》の胸に埋め込まれた白い環が、すべて一斉に開いた。
フィオナの顔色が変わる。
「レン、離れて!」
間に合わなかった。
白い光が《グレイファング》へ触れ、刃を通してレンの腕へ流れ込む。
胸の奥で、黒仮面が強く引かれた。
膝が沈む。
それでもレンは、黒剣を離さなかった。
『適合者を再定義』
視界の端が白く染まる。
レオナの声が遠のく。カイの声も、フィオナの術式の音も、ガロの怒号も、濁った水の向こうへ押し流されていく。
『レン・ノワールを削除』
胸の奥で、取り戻したばかりの名へ白い刃が触れた。
レンは歯を食いしばり、《グレイファング》を支えに立つ。
「……勝手に、消すな」
白い怪物は、初めてわずかに首を傾けた。
『黒仮面を回収します』
白と黒の光がぶつかり、石室の床が砕けた。




