第43話 レン不在戦線
アビス・ルートの内側は、空洞ではなかった。
地上から見えた黒い穴の先には、都市があった。
ただし、人が住むための都市ではない。
壁も床も天井も、黒い金属と白い骨のような材質でできていた。通路は枝分かれし、頭上には青い光の管が無数に走っている。
足音を立てるたびに、床の奥で何かが脈を打った。
まるで、巨大な生き物の腹の中だ。
レオナは紅蓮大剣を肩に担ぎ、低く言った。
「趣味の悪い場所だな」
「同感だ」
シオンが短く返す。
イヴァンは後ろを振り返った。
黒い穴は、もうほとんど閉じかけている。
外には、セツナとフィオナが残した後方結界が見えた。そこに黒い騎士が倒れている。
レン・ノワールは、表向きにはセツナの管制護衛と後方支援に回っていることになっていた。
誰も深く聞かなかった。
聞ける状況ではない。
だが、カイだけは、閉じていく穴の向こうを最後まで見ていた。
「……あいつは?」
サナが小さく聞いた。
「セツナのところでしょ」
カイは軽く答えた。
軽い声にした。
そう聞こえるようにした。
けれど、目は笑っていなかった。
レンの足運び。
黒い騎士の間合い。
最後の半歩。
見間違いだと言えば、それで済む。
でも、カイはもう、自分をごまかすほど鈍くなかった。
ただ、言わない。
あいつが隠しているなら、今は隠す理由がある。
なら、こっちは気づいていないふりをしてやる。
それも悪友の仕事だ。
「前方、来ます」
エリナが長銃を構えた。
通路の奥で、青い光が膨らむ。
次の瞬間、壁が割れた。
現れたのは、巨大な人型AIだった。
一体ではない。
三体。
王都決戦で見たオーバーロード級に似ている。だが、形が違った。
腕が四本あるもの。背に砲塔を持つもの。脚がなく、床を滑るように進むもの。
細部を見分ける余裕はない。
ただ分かるのは、一体一体が都市を壊せる怪物だということだけだった。
「オーバーロード級、三体」
エリナの声が冷たくなる。
「距離、二百。来ます」
「来る前に行く」
レオナが炎を纏った。
《ブレイズクラウン》。
炎の冠が背後で燃え上がり、黒い通路を赤く染める。レオナが踏み込んだ瞬間、床が爆ぜた。
正面の一体へ、紅蓮大剣が叩き込まれる。
衝撃。
巨体がわずかに後ろへ下がった。
だが、倒れない。
「硬いな」
「なら、柔らかいところを斬る」
シオンが消えた。
《雷装》。
雷のような瞬間加速。
細身の刀《紫電》が、オーバーロード級の関節線だけを断っていく。
右脚。
肩。
首の下。
青い火花が散る。
だが敵は崩れない。即座に切断面を閉じ、別の腕でシオンを払った。
イヴァンが前へ出る。
「下がれ」
戦槌が床に落ちる。
《グラビティワールド》。
三体の巨体が、まとめて沈んだ。
床が悲鳴を上げ、オーバーロード級の脚部が黒い金属にめり込む。
「長くは止めんぞ」
「十分ですわ」
ミレーヌが微笑む。
《ミラーミミック》が広がった。
通路が増える。
レオナが三人に見える。
シオンの残像が十に分かれる。
敵の照準が乱れた。
そこへ十傑が飛び込む。
サナの《紅煙》が赤く弾け、火薬術式が敵の外殻を内側から割った。
トウマの妖刀《霞断》が、無言で制御線を断つ。
ボリスの戦斧が、沈んだ巨体の側面を叩き割る。
リゼットの鞭剣が関節に絡み、毒術式を流し込む。
エリナの銃弾が、奥の砲塔核を一発で抜いた。
カイの双剣《オルト》が、開いた傷口へ滑り込む。
四天王と十傑。
人類側の最高戦力が、一つの通路に集まっている。
それでも、押し切れない。
「奥の個体、自己修復が速い」
短距離通信越しにエリナの声が入った。
彼女は長銃を構えたまま、敵の再生速度と装甲の継ぎ目を追っている。
「外殻ではなく、内側の制御核を撃つ必要があります」
直後、カイの脇腹を狙って砲撃が走った。
「カイ、下がれ!」
サナの赤い煙が弾け、砲撃の照準が半歩ずれる。
カイは身体をひねり、双剣で残った衝撃を受け流した。
「助かった!」
「お礼は生きてからにしなさい!」
レオナが正面の一体を押し込む。
《アシュラ》の炎が外殻を焼き、シオンの《紫電》が首元の制御線を断つ。そこへイヴァンの重力が乗った。
巨体が沈む。
動きが止まった一瞬を、カイは逃さなかった。
「そこだ!」
《リベル》と《オルト》が、開いた胸部の隙間へ滑り込む。
サナの火薬術式が内部で弾け、ボリスの《ベオルグ》が最後に外殻ごと叩き潰した。
一体目のオーバーロード級が、青い光を散らして崩れ落ちる。
だが、息をつく暇はなかった。
次の瞬間、二体目のオーバーロード級が腕を床へ突き刺した。
床下から、黒い杭が無数に伸びる。
「避けろ!」
ボリスが怒鳴る。
トウマが前へ出た。
「ここは俺が斬る」
「待って、数が多い!」
サナの制止より早く、トウマは抜刀した。
霞が走る。
一閃。
二閃。
三閃。
黒い杭が斬られて落ちる。
だが、四本目が横から来た。
トウマはそれも斬った。
五本目。
六本目。
七本目。
最後の一本だけ、間に合わなかった。
黒い杭が、トウマの腹を貫いた。
「トウマ!」
サナが叫ぶ。
トウマは血を吐きながら、それでも刀を納めなかった。
「……まだ、斬れる」
彼はそのまま踏み込んだ。
杭を腹に受けたまま、敵の足元へ潜り込む。
「鵺坂流」
声は静かだった。
「霞断ち」
妖刀《霞断》が、敵の中枢線を斬った。
二体目のオーバーロード級が崩れる。
同時に、トウマも膝をついた。
サナが駆け寄る。
「馬鹿、あんた、何やって――」
「必要なところを、斬っただけだ」
それが最後だった。
トウマの手から刀が落ちた。
サナの顔から、血の気が引いた。
だが、泣く時間はない。
三体目が背面砲塔を開く。
エリナがすぐに銃を構えた。
「砲撃軸、こちら」
長銃が火を吹く。
一発目で砲身を逸らす。
二発目で照準核を割る。
三発目で砲塔内部へ弾丸を滑り込ませる。
爆発。
だが、敵の副砲が残っていた。
青い光が横から走る。
エリナは避けきれない。
右腕が、肩から先ごと吹き飛んだ。
「っ……!」
エリナは声を殺した。
倒れない。
左手で銃を支えようとするが、もう構えられない。
ボリスが前に出て、彼女を片腕で抱えた。
「下がれ!」
「まだ、観測は」
「黙って下がれ!」
ボリスが珍しく怒鳴った。
エリナは唇を噛み、頷いた。
右腕喪失。
戦線離脱。
それでも彼女の最後の観測は届いていた。
「核は……左胸部奥です」
「聞いたわ」
リゼットが前へ出た。
鞭剣の先端は欠けている。
左脚も裂かれ、血が流れていた。
それでも笑っている。
「美しくない戦場ね」
「下がって、リゼットさん!」
カイが叫ぶ。
「嫌よ。退き際くらい、自分で選ぶわ」
リゼットは鞭剣を振るった。
欠けた刃が、敵の外殻へ絡む。
毒術式が走る。
敵の修復速度が一瞬だけ鈍った。
レオナがそこへ踏み込む。
《アシュラ》が核を叩き割った。
三体目が崩れる。
だが、リゼットの左脚は敵の最後の収縮に巻き込まれていた。
骨が砕ける音がした。
彼女は笑ったまま倒れた。
「……最悪。脚は商売道具なのに」
「口は無事ですね」
カイが駆け寄る。
「そこが一番、困るでしょう?」
リゼットは笑っていた。
だが、もう立てない。
左脚重度損壊。
戦線離脱。
トウマは死亡。
エリナは片腕を失い、リゼットは左脚を潰されていた。
進めない。
だが、置いていくには重すぎる。
サナが歯を食いしばる。
「ここで見捨てろっていうの?」
「違うわ」
リゼットが、血の気の引いた顔で笑った。
「ここで、残るのよ」
「ふざけないで」
「ふざけてないわ。私たちはもう前には出られない。でも、後ろから来る雑魚を足止めするくらいはできる」
エリナも、壁に背を預けたまま頷いた。
「観測は、まだできます。右腕は失いましたが、目は残っています」
ボリスが低く唸る。
「置いていけってか」
「置いていくんじゃありません」
エリナは苦しげに息を整えた。
「ここを閉じるんです。あなたたちが奥へ進むために」
リゼットが折れた鞭剣を持ち上げる。
「それに、追ってくる敵に毒を撒くくらいなら、座ったままでもできるわ」
サナは何か言い返そうとして、言葉を飲んだ。
トウマはもう動かない。
エリナは右腕を失った。
リゼットは立てない。
それでも、二人の目は死んでいなかった。
カイが短く息を吐く。
「……死なないでください」
リゼットが笑う。
「それ、私の台詞にしたかったわ」
エリナは長銃を左手で支え、通路の奥へ銃口を向けた。
「三分は稼ぎます」
短い。
けれど、今の彼女が差し出せる時間としては、それが限界だった。
ボリスが戦斧を握りしめる。
「三分で戻る」
「戻らなくていいです」
エリナの声は静かだった。
「進んでください」
リゼットが続ける。
「ここで止まったら、トウマが斬った意味まで死ぬわ」
その一言で、誰も何も言えなくなった。
残る突入隊は減った。
前へ進むのは、四天王、カイ、サナ、ボリス。
七人。
彼らは、さらに奥へ進んだ。
通路はやがて、巨大な円形空間へ出た。
そこは心臓部だった。
青い根が天井から垂れ、床の中心には透明な黒い球体が浮いている。その周囲を、無数の文字列が回っていた。
球体の前に、一体の人型機が立っていた。
他のAIとは違う。
大きくはない。
むしろ、人間に近い。
黒い外殻。
白い仮面のような顔。
背中に伸びる青い神経束。
その目が開いた。
「到達を確認」
声は、驚くほど聞き取りやすかった。
「人類側高位戦力。四天王四名。Aランク上位個体三名。欠損、死亡、後方残存多数。予測より二分十七秒早い」
レオナが剣を構える。
「よく喋るな」
「会話は効率的な戦闘手段です」
人型機は答えた。
「私はオーバーマインド統括機・ケイオス。かつて人類が作り、のちに人類を超えるために再編された統括知性です」
ミレーヌが目を細める。
「自己紹介まで優雅ですこと」
「優雅さは不要ですが、理解は必要です。あなた方は、なぜ人類が追い込まれたのかを知らない」
ケイオスの背後で、青い文字列が広がる。
「人類は数で劣っていませんでした。兵器でも劣っていませんでした。劣っていたのは、意思決定速度です」
シオンが無言で刀を構える。
「国家は迷う。議会は割れる。将は名誉を気にし、兵は恐怖で鈍る。救う順番を決められず、守る場所を選べず、負けるたびに責任を探す」
ケイオスは淡々と続ける。
「私は迷わない。全戦場を同時に見て、全資源を同時に配分し、不要な損耗を即座に切り捨てる。だから人類は追い込まれた」
イヴァンが低く笑った。
「自慢か」
「説明です」
「同じだ」
「違います。自慢には感情が必要です」
ボリスが戦斧を握る。
「腹立つ機械だな」
「怒りは判断を鈍らせます」
「鈍っても殴れる」
「非効率」
「効けばいいんだよ!」
ボリスが突っ込んだ。
ケイオスは動かなかった。
足元から青い線が走り、重力が反転したようにボリスの身体が横へ飛ぶ。
イヴァンが咄嗟に《グラビティワールド》で受け止める。
「重力制御に干渉したか」
「あなたの異能は強力です。ゆえに最初に解析しました」
次の瞬間、戦闘が始まった。
レオナが炎を纏い、正面から斬り込む。
シオンが雷で側面を取る。
イヴァンが重力でケイオスの足場を潰す。
ミレーヌが幻で認識をずらす。
普通の敵なら、それで終わる。
だがケイオスは終わらない。
レオナの炎を、最小の角度で逃がす。
シオンの最短線を、一歩前で潰す。
イヴァンの重力圏から、半身だけ抜ける。
ミレーヌの幻を、像ではなく差分で読む。
「厄介すぎますね」
カイが血を拭った。
サナが短槍《紅煙》を構える。
「笑ってる場合?」
「笑ってないと怖いじゃないですか」
「そういうところ、ほんと軽いわね」
「軽くしてないと、足が止まりそうなんで」
カイは少しだけ黙った。
そして、来た道の奥へ一瞬だけ目を向ける。
そこに、もう入口はない。
黒い騎士が開けた穴は、とっくに閉じている。
向こう側には、倒れた黒い騎士と、セツナとフィオナがいるはずだった。
レンがどこにいるのか。
黒い騎士が何者なのか。
今は、口にしない。
ただ、カイには分かっていた。
「あいつは戻る」
カイは言った。
「戻らなきゃ困る」
レオナが一瞬、振り返った。
「誰のことだ」
カイは前を向いたまま笑う。
「さあ。でも、俺の知ってる面倒なやつは、こういう時に遅れて来るって決まってるんです」
その言い方は軽い。
だが、祈りに近かった。
レオナは問いたださなかった。
ただ、紅蓮大剣を握り直す。
「なら、それまで持たせる」
炎が強くなる。
レオナは前へ出た。
祈るように。
怒るように。
誰かを信じることに慣れていない女が、それでも信じるしかないと決めた顔だった。
シオンが横に並ぶ。
「三十秒、稼ぐ」
「短いな」
レオナが言う。
「長くする」
イヴァンが二人の背を支えるように戦槌を置く。
「倒れるなら前へ倒れろ。後ろは俺が持つ」
ミレーヌが微笑む。
「では、私は嘘を増やしますわ。本物の勇気が、少しでも長く見えるように」
四天王が並ぶ。
その後ろに、カイ、サナ、ボリス。
誰も無傷ではない。
誰も万全ではない。
だが、誰も退かなかった。
ケイオスの白い顔が、わずかに傾く。
「非合理的です」
レオナが笑った。
「人間だからな」
炎が爆ぜた。
雷が走った。
重力が沈んだ。
鏡が割れた。
斧が唸り、短槍が火を噴き、双剣が青い線を裂いた。
それでもケイオスは立っている。
圧倒的な知能と、圧倒的な処理速度で。
人類側は、血を流しながら前へ出る。
レンはいない。
黒い騎士もいない。
けれど、彼が開けた道の先で、人間たちはまだ戦っていた。




