第42話 光で穿つ盾
アビス・ルートへの侵攻は、軍議と呼ぶにはあまりに静かに決まった。
大軍は動かさない。
動かせば、オーバーマインド側に気づかれる。
気づかれれば、外殻遮断層は閉じる。
一度閉じれば、次に同じ座標へ届く保証はない。
だから奇襲だった。
人類側が出せる最高戦力を、最小の数で叩き込む。
作戦室に並んだ顔ぶれは、重かった。
聖王国アルディア四天王、レオナ・ヴァレンハイト。
日輪皇国カグラ四天王、霧島シオン。
北冥連邦ノルディア四天王、イヴァン・ドラグノフ。
西海自由同盟ルクス四天王、ミレーヌ・オルフェ。
十傑ハイランカーからは、フィオナ・ルーベル、火邑サナ、鵺坂トウマ、ボリス・イェーガー、エリナ・ソロヴィエワ、リゼット・マルロー、カイ・フェルナー。
そして、レン・ノワール。
Cランク小隊長だったはずの少年は、今や特別戦闘枠としてそこに立っていた。
正式なAランクではない。
だが、黒剣を継承し、短時間ならAランク相当の動きを見せる。レオナの推薦とフィオナの保証、さらに本人の強い志願により、後方突破支援として選抜された。
「本当に来る気か」
レオナが言った。
「はい」
レンは即答した。
「ユウも、ダリオさんも、ニアも、ヴァルクさんも、戻りません。でも、あの人たちの死をただの過去にしたくありません」
レオナはしばらく黙っていた。
それから短く息を吐く。
「なら、生きて戻れ」
「命令ですか」
「命令だ」
その横でカイが肩をすくめた。
「俺もいるんだけどな」
「お前は勝手に戻ってくるだろ」
「信用されてるのか雑に扱われてるのか分からないな」
「両方だ」
ミレーヌが小さく笑う。
「頼もしい悪友ですこと」
「悪友って言葉、ルクスに輸出するのやめてください」
リゼットが楽しそうにカイの肩へ手を置いた。
「あら、いい言葉じゃない。あなたたちにぴったり」
「最悪だ」
その軽口も、長くは続かなかった。
セツナが投影図を展開する。
黒い大樹のような構造体。
地下深くに広がる旧文明基幹炉群。
アビス・ルート。
「入口はない」
セツナは言った。
「正確には、入口らしきものはある。でも外殻遮断層が覆っていて、通常火力も異能も通らない」
「なら、どう開ける」
イヴァンが問う。
「遮断層は、膨大なエネルギー衝突と高電磁波で一時的に乱れる。過去に一度だけ、似た反応が記録されてる」
誰もが、その名を思い浮かべた。
《ソーラーフレア》。
欠番五席、アベル・ノワールが放った戦略級異能。
セツナはそこで言葉を止めた。
視線だけが、一瞬レンへ向く。
レンは何も言わない。
フィオナも黙っていた。
知っている者だけが、沈黙の意味を理解していた。
「侵入路を開く役は、こちらで用意する」
セツナはそう言い換えた。
「皆さんは、遮断層までの道を作ってください」
レオナが紅蓮大剣の柄に手を置く。
「分かりやすいな。邪魔するものを全部焼けばいい」
「雑だが正しい」
シオンが静かに言った。
「ただし、焼く前に俺が斬る」
「張り合うな」
イヴァンが笑う。
「二人とも前へ出すぎるな。足場は俺が作る」
ミレーヌは細剣を指先で撫でる。
「私は迷わせますわ。敵も、味方も、必要なら少しだけ」
「味方はやめろ」
ボリスが言う。
「あなたは迷わなくても真っ直ぐですものね」
「褒めてんのか」
「半分」
「残りは何だ」
「事実ですわ」
作戦開始は夜明け前だった。
アビス・ルートの外縁は、地上から見るとただの黒い荒野だった。
山も森もない。
旧文明の炉心熱で、土が何度も焼かれ、冷え、固まった場所。
地面は黒い硝子のように硬く、踏むと乾いた音がした。
遠くに、青白い光の柱がいくつも立っている。
その中心に、見えない壁があった。
肉眼では分からない。
だが、近づくだけで皮膚が粟立つ。
あれが外殻遮断層。
オーバーマインド本隊の盾だった。
最初に敵が現れたのは、作戦開始から七分後だった。
地面の割れ目から、無数のAI群が湧いた。
獣型。
虫型。
砲台型。
飛行型。
形はばらばらだが、すべてが同じ青い光を宿している。
その奥に、ノクス級が数体。
人型の黒い影が、戦場の縁に立っていた。
「来たな」
レオナが一歩前に出る。
彼女の腕に、小さな金属環が巻かれていた。
ヘリオスが実用化した小型の異能共鳴装置。
かつて実験的に使った巨大装置を、四天王各自が携帯できるよう小型化したものだ。
最大出力は落としてある。代わりに、一定時間だけ異能を底上げし、身体への負担を抑える。
セツナの声が通信に入る。
「出力は三割まで。上げすぎないで。壊れます」
「誰が」
レオナが聞く。
「装置と、あなた」
「先に言え」
「今言った」
レオナは笑った。
「十分だ」
《ブレイズクラウン》が燃え上がった。
炎が冠のようにレオナの背後へ広がり、赤金の髪を照らす。紅蓮大剣が振られた瞬間、前衛のAI群がまとめて溶けた。
右側では、シオンが消えていた。
いや、見えないだけだ。
《雷装》。
白と紺の戦装束が一瞬だけ光り、次の瞬間にはノクス級の腕が落ちている。細身の刀《紫電》が、青い光の線だけを断っていく。
イヴァンが戦槌を地面へ落とした。
「《グラビティワールド》」
黒い硝子の大地が沈む。
前進していた大型AI群が、足を地面へ縫いつけられた。砲台型の弾丸は空中で軌道を曲げられ、地面へ叩き落とされる。
ミレーヌの《ミラーミミック》が広がった。
敵の認識がずれる。
そこにいるはずのレオナが消え、いないはずのシオンが見える。AI群の射線が乱れ、同士討ちが始まる。
四天王。
その名が、ただの称号ではないことを戦場が証明していた。
十傑ハイランカーも続く。
サナの《紅煙》が赤い軌跡を描き、火薬術式で敵の関節を爆ぜさせる。
トウマの妖刀《霞断》が、揺らぎのない居合で人型端末だけを斬る。
ボリスの戦斧が地面を砕き、衝撃波で群れを押し返す。
エリナの長銃が、後方の制御核を一発ずつ撃ち抜く。
リゼットの鞭剣が、隙間を縫って小型AIを絡め取り、毒術式で回路を腐らせる。
フィオナは白い結界を張り、崩れた前線を何度も縫い直す。
カイはその間を走った。
双剣《オルト》が光る。
派手で、軽くて、目立つ。
だが、その動きはもう軽薄ではない。
レンは後方でそれを見ていた。
隣にはセツナ。
彼女は端末を複数浮かべ、遮断層の反応を追っている。
「まだですか」
「黙って待って」
「待つの苦手なんです」
「知ってる」
セツナは目を離さずに答えた。
「遮断層の発生装置が見えた。中心じゃない。周囲に八基。全部を壊す必要はない。一点だけ、極端なエネルギー衝突を起こせば歪む」
「つまり」
「撃つなら、今から三十秒後」
レンは息を吐いた。
黒仮面の声が、頭の奥で鳴る。
『限定運用準備可能』
レンは懐へ手を伸ばしかけ、止めた。
周囲には味方がいる。
ここで黒い騎士になることは、隠しきれない。
だが、もう隠すことより優先すべきものがある。
レオナが前線で炎を振るっている。
カイがノクス級の刃を受けている。
フィオナが結界を削られている。
誰もが、道を作るために戦っている。
なら、自分も出るだけだ。
レンはセツナを見る。
「少し、離れてください」
セツナは一瞬だけ目を伏せ、すぐに頷いた。
「戻ってきて」
「努力します」
「そこは、戻ると言って」
レンは少しだけ笑った。
「戻ります」
セツナはそれ以上言わなかった。
レンは瓦礫の陰へ入った。
黒仮面を取り出す。
装着。
視界が沈む。
音が整理される。
味方の位置が白で浮かぶ。
敵の中枢が青く光る。
外殻遮断層が、巨大な壁として視界に現れる。
『黒色戦術個体、起動』
黒い騎士が、戦場へ出た。
気づいた者が息を呑む。
だが、戦う手は止まらない。
レオナだけが、一瞬こちらを見た。
その目に、問いがある。
けれど彼女は何も言わなかった。
「来たか」
シオンが短く呟く。
「遅いぞ」
カイが血を流しながら笑う。
黒い騎士は答えない。
ただ前へ進む。
ノクス級が三体、反応した。
「黒色戦術個体、確認」
「優先排除」
一斉に来る。
黒い騎士は《グレイファング》を抜かない。
今使うのは剣ではない。
胸の奥に沈んだ白金の火。
アベルから託された残り火。
『限定戦略級異能プロトコル起動』
黒仮面の声が硬くなる。
『警告。使用後、深刻な行動不能が予測されます』
分かってる。
『照射限界、三秒』
十分だ。
『《ソーラーフレア》、限定展開』
黒い騎士の胸に、白い光が灯った。
最初は小さな火種だった。
だが、次の瞬間、それは太陽になった。
戦場の音が消える。
AI群の青い光が、一斉に乱れた。
ノクス級が止まる。
レオナが目を見開く。
「何だ、あれは……」
セツナが歯を食いしばる。
「撃って」
黒い騎士は右手を外殻遮断層へ向けた。
白金の光が収束する。
熱ではない。
光でもない。
世界の表面を剥がすような、凄まじい電磁の奔流。
一秒。
前方のAI群が沈黙した。
獣型も、砲台型も、飛行型も、糸を切られたように落ちる。
二秒。
ノクス級三体の青い線が砕けた。
黒い外殻が内側から焼け、関節が一斉に止まる。
三秒。
光が外殻遮断層へ突き刺さった。
見えない盾に、亀裂が入る。
空間そのものが軋んだ。
青白い壁が波打ち、中心に黒い穴が開く。
道ができた。
黒い騎士の身体が傾ぐ。
『限界』
視界が白く滲む。
膝が落ちる。
音が戻る。
誰かが叫んだ。
「黒い騎士が倒れた!」
いや、倒れるな。
まだだ。
レンは立とうとした。
だが身体が動かない。
骨の中が焼けている。
血が光になって抜けていくようだった。
セツナが駆け寄る。
「動かないで!」
黒い騎士の影が揺らぎ、仮面の輪郭が崩れそうになる。
セツナは外套をかぶせるようにして、その姿を隠した。
「フィオナ!」
フィオナがすぐに結界を張る。
「こちらへ!」
二人だけが、その奥を見た。
黒い騎士の影が薄れ、レンの顔が一瞬だけ覗く。
フィオナは何も言わなかった。
ただ、痛みを飲み込むように目を伏せた。
セツナが低く言う。
「三分以内に安定させる。戦線には戻れない」
「分かっています」
フィオナは結界を厚くする。
「レンを、お願いします」
「任せて」
その名は、結界の内側だけに落ちた。
外では、戦場が動いている。
レオナが叫んだ。
「道は開いた! 突入する!」
イヴァンが重力で敵の残骸を押し潰す。
「後続を塞ぐ。早く行け!」
シオンが《紫電》を払う。
「三十秒で閉じるぞ」
ミレーヌが幻を広げた。
「なら、三十秒で消えましょう」
突入隊が組み直される。
四天王全員。
十傑ハイランカーは、サナ、トウマ、ボリス、エリナ、リゼット、カイ。
フィオナはレンの治療と後方結界維持のため残る。
セツナも同じくレンの安定処置と外部管制に残る。
負傷状況は軽くない。
サナは左肩を裂かれている。
トウマは足を引きずっている。
ボリスは脇腹を押さえている。
エリナの右腕は感覚を失っている。
リゼットの左脚は深く切られてる。
カイは脇腹と頬に血を流している。
それでも全員、立っていた。
レオナが一度だけ、結界の方を見た。
そこに誰がいるのか。
黒い騎士なのか。
レンなのか。
問う時間はなかった。
「戻ってこい」
誰に向けた言葉か、レオナ自身にも分からなかった。
カイがその横へ並ぶ。
「戻ると思います」
「何が分かる」
「分かるんじゃなくて、そうじゃないと困ります」
レオナは一瞬だけカイを見る。
カイは笑っていなかった。
「行きましょう。あいつが開けた道だ」
その言い方に、レオナの目がわずかに細くなる。
だが、今は追及しない。
「行くぞ!」
四天王と十傑ハイランカーが、黒い穴へ飛び込んだ。
アビス・ルートの内部から、冷たい青い光が漏れる。
人類が初めて、オーバーマインド本隊の内側へ足を踏み入れた瞬間だった。
後方結界の中で、レンは動けずにいた。
意識はある。
だが、身体は鉛のように重い。
黒仮面の声が、遠くで鳴る。
『戦闘継続不能』
分かってる。
『回復推定時間、不明』
分かってる。
『本隊突入を確認』
レンは歯を食いしばった。
行けない。
自分が開けた道なのに。
自分が行くべき場所なのに。
いまは、立てない。
セツナが処置を続けながら言う。
「焦らないで」
レンは声にならない息を吐く。
焦るなと言われて、焦らずにいられるわけがない。
レオナが行った。
カイが行った。
シオンが、イヴァンが、ミレーヌが。
サナが、トウマが、ボリスが、エリナが、リゼットが。
全員が、あの中へ入った。
早く戻らなければ。
だが、指一本まともに動かない。
フィオナがレンの額に手を置く。
「今は、戻ることだけ考えてください」
その声は静かだった。
「あなたが開けた道を、みんなが進んでいます。だから、次はあなたが戻る番です」
レンは目を閉じた。
胸の奥で、白金の残り火が沈んでいる。
父の火。
呪いのような力。
それでも、道は開いた。
なら次は、戻る。
ただそれだけを考えた。
遠くで、アビス・ルートの黒い穴がゆっくり閉じていく。
その奥へ、仲間たちの姿が消えた。
人類側の選抜隊は、敵本拠へ突入した。
そしてレンは、戦場の外に取り残された。
ここから先は、彼が戻るまで、彼なしで戦う時間だった。




