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俺だけ【リミットブレイク】―最底辺Fランクが黒仮面で無双するたび壊れていく―  作者: スドタケ


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第39話 黒剣、影に吼える

ヴァルク・アシュグレイが死んで、三か月が過ぎた。


王都は、死者の名前を長く口にしない。


忘れるためではない。

口にし続けなければ残らないほど、軽い死ではないからだ。


中央訓練場の北側に、黒い石碑が建てられた。


アルディア十傑。

ヴァルク・アシュグレイ。


その下に、短い言葉が刻まれている。


――黒剣は折れず。


レンは、その前で長く立っていた。


背中には、黒剣グレイファング


正式な遺贈手続きは、フィオナの証言によって認められた。


灰鐘砦で、ヴァルク本人がレンへ託した。


結界の内側にいたフィオナが、その声を拾っていた。


だから、この剣はもうレンのものだった。


だが、そう言われるほど、手の中にある重さが増す。


「似合わないな」


背後から声がした。


ガロだった。


「剣がですか」


「顔だ」


「……ひどくないですか」


「形見を背負ってる顔ってのは、大体ひどい」


ガロは石碑の前に立ち、少しだけ顎を引いた。


「お前が持つことになったなら、持て。遠慮すんな」


「遠慮じゃありません」


「じゃあ何だ」


レンは答えられなかった。


ガロは石碑を見たまま言う。


「あいつは、渡す相手を間違える男じゃねえ」


それだけだった。


慰めではない。

だから、少しだけ受け取れた。


レンは《グレイファング》の柄に触れた。


黒剣は沈黙している。


だが、ただの鉄ではない気がした。


ヴァルクの声がするわけではない。

意思が宿っているわけでもない。


それでも、握るたびに、あの男の戦い方を思い出す。


逃げない。

下がらない。

守りたいものの前で、身体を置く。


不器用で、乱暴で、重い剣。


レンはまだ、その重さを振れていなかった。


最初の一か月は、ひどかった。


《グレイファング》は重すぎた。


振れば肩が抜けそうになる。

止めようとすれば足が流れる。

打ち込めば、剣の方に身体を持っていかれる。


ガロは笑わなかった。


代わりに、容赦なく木剣でレンの脇腹を打った。


「剣に振られてる」


「分かってます」


「分かってる顔で吹っ飛ぶな」


「無茶言わないでください」


「無茶じゃねえ。重い剣を持つなら、先に足を沈めろ」


ガロの教えは、相変わらず雑に見えて正確だった。


重い剣は腕で振らない。

身体の中心で動かす。

足を置き、腰を流し、刃の重さを先に行かせる。


カイを救った時の一閃とは逆だった。


あの時は、短剣で線を断った。

速さと位置だけで届いた。


《グレイファング》は違う。


逃げ道を作る剣ではない。

道をこじ開ける剣だ。


二か月目に入る頃、カイが王都へ来た。


「暇か」


「暇に見えるか」


レンが返すと、カイは訓練場の柵に肘をかけて笑った。


「見えない。でも誘ったら来る顔してる」


「何に」


「手合わせ」


「嫌だ」


「まだ何も言ってないだろ」


「言った」


「断るの早すぎるな」


カイは双剣リベル《オルト》を軽く鳴らした。


「悪友のよしみだ。付き合えよ」


その言い方はずるかった。


結局、レンは訓練場に立った。


カイの剣は、速い。


軽いだけではない。

逃げるように見せて誘い、誘った場所へ刃を置く。

受ければ崩され、追えば消える。


何度も転がされた。


「重すぎるな、その剣」


カイが言う。


「知ってる」


「でも、当たったら嫌だ」


「当たらない」


「だから練習してんだろ」


腹立たしいほど正論だった。


三度目の手合わせで、レンは初めてカイの剣を弾いた。


《グレイファング》を振ったのではない。


置いた。


カイの踏み込み先へ、黒剣の重さを先に置いた。


金属音。


《リベル》が跳ね上がる。


カイの目が、ほんの少しだけ変わった。


「今の」


「たまたまだ」


「たまたまにしては嫌な場所だった」


「お前がいつも嫌な場所に来るからだ」


カイは笑った。


「やっぱ、だんだん嫌なやつになってきてるな」


「褒めてないだろ」


「半分は褒めてる」


「残り半分は」


「悔しい」


その日から、カイは王都へ来るたびにレンを引っ張り出した。


時には早朝。

時には夜。

時には任務帰りで二人とも傷だらけのまま。


レオナが訓練場の端で見ていたこともある。


「ずいぶん仲が良いな」


「悪友です」


レンが言うと、レオナは少しだけ眉を寄せた。


「何だ、それは」


「親友ほど綺麗じゃなくて、ライバルと言うには俺が弱い関係です」


「妙に納得できる説明だな」


カイが手を上げる。


「レオナさん、俺としてはライバル枠でもいいんですけどね」


「まずレンに追いつかせてから言え」


「そっちですか」


レオナは短く笑った。


その視線が、ふとレンの足元で止まる。


「動きが変わったな」


「そうですか」


「以前より、迷う前に足が出ている」


レンは答えなかった。


迷いが消えたわけではない。


ただ、迷ったままでも動くことを覚えただけだ。


夜になると、黒仮面の声が戻ってくるようになった。


以前ほど遠ざけなくなっていた。


『非装着時の動作解析を更新』


「勝手にするな」


『許可済みです』


「いつ」


『“好きにしろ”と発言』


「都合よく覚えるな」


『記録は正確です』


黒仮面の声は相変わらず冷たい。


だが、その冷たさが、前ほど不快ではなくなっていた。


温室で、ニアを失った。

灰鐘砦で、ヴァルクを失った。


黒仮面を拒絶しても、失ったものは戻らない。


ならば、使えるものは使う。


それが正しいかは分からない。

だが、もう綺麗な答えを待っていられるほど、戦場は優しくなかった。


『一時的な反応上昇について、再現可能性があります』


黒仮面が言ったのは、ある夜のことだった。


レンは《グレイファング》を膝の上に置き、訓練場の隅に座っていた。


「カイを救った時の動きか」


『該当』


「偶然だ」


『偶然ではありません。条件が一致しています』


「条件?」


『強い喪失記憶。明確な保護対象。非装着状態での危機判断。過去戦闘学習の身体反映』


「難しすぎる」


『要約。あなたは、守る対象が明確な時、非装着状態でも一時的にAランク相当の判断速度へ到達します』


レンは黙った。


嬉しくはなかった。


その力は、綺麗な才能ではない。


ユウ。

ダリオ。

ニア。

ヴァルク。

助けられなかった者たちの記憶が、身体を前へ押している。


「それを、強さって呼んでいいのか」


『分類上は戦闘能力です』


「分類じゃない」


『回答不能』


レンは少しだけ笑った。


「だろうな」


黒仮面は黙る。


しばらくして、また声がした。


『ただし、再現には危険があります。精神負荷が高い』


「それでも、使う」


『理由を確認』


レンは《グレイファング》の柄を握った。


「もう、間に合わないのは嫌だからだ」


それだけで十分だった。


三か月目の終わり、北区外縁で小規模な残党狩りがあった。


再生派の移送路を潰す任務。

表向きはCランク以上の混成部隊で足りるはずだった。


だが、奥に旧式AIの強化個体がいた。


レンは通常装備で出ていた。


背中には《グレイファング》。


カイもいた。


ルクス側の協力者として、という建前だったが、本人は「暇だった」と言った。

誰も信じなかった。


敵は三体。


うち一体が異常に速い。


ノクス級ではない。

だが、人型の動きに近づいている。


前線兵が崩れた。


カイが一体を受け、レンがもう一体を引きつける。


《グレイファング》は重い。


だが、もう振られてはいない。


踏む。


沈める。


置く。


敵の腕が伸びる前に、剣の腹で軌道を潰す。


カイが横から叫ぶ。


「レン、右!」


見えていた。


いや、聞こえるより先に足が出ていた。


欠けた石。

敵の踏み込みで沈む右膝。

その膝が落ちた瞬間に生まれる、懐の隙間。


そこへ入る。


欠けた石を踏み、身体を低く滑らせた。

敵の刃が伸びる前に、半歩内側へ入る。


まだ遠い。


もう半歩。


《グレイファング》を振るのではなく、落とす。


黒い刃が、敵の首筋へ重さごと沈んだ。


青い光が弾ける。


「……今の、まただな」


カイが言った。


「何が」


「お前、たまに変な場所にいる」


「失礼だな」


「褒めてる」


「聞き飽きた」


カイは笑おうとして、途中で止めた。


レンの動きを見ていた。


ただ見ているのではない。

何かを重ねている目だった。


「何だよ」


レンが聞く。


カイは少しだけ間を置いた。


「いや」


「言えよ」


「言ったら、お前が面倒な顔しそうだからやめとく」


「もうしてる」


「だよな」


カイは軽く笑った。


だが、その目の奥には、消えない違和感が残っていた。


黒い騎士。


レンの動き。


重なるはずのない二つが、ほんの一瞬、同じ線を通った気がした。


カイはそれを言葉にしなかった。


言えば、何かを壊すと思ったからだ。


その夜、任務は終わったはずだった。


だが、帰路で別の反応が出た。


ノクス級ではない。

けれど、再生派が隠していた旧文明端末が、撤退時に暴走した。


周囲には負傷兵がいる。

カイも別方向で救助に回っている。

レオナは王都側の防衛線で別働隊を指揮していた。


レン一人では、間に合わない。


黒仮面が鳴る。


『装着推奨』


今度は、迷わなかった。


レンは瓦礫の陰へ入った。


誰も見ていない。


《グレイファング》を握る手に、黒い脈が走る。


仮面を被った瞬間、視界が沈む。


音が整理される。

敵の熱源が分かれる。

負傷者の位置が赤く浮かぶ。


『共鳴を確認』


黒仮面の声。


『対象武器、黒剣グレイファング。構造変質を開始』


レンの手の中で、刃が変わった。


ただ黒い剣ではない。


輪郭がほどけ、影が巻きつき、刃の長さも厚みも一瞬ごとに揺らぐ。


《グレイファング》でありながら、《グレイファング》ではない。


ヴァルクの剛剣が、黒仮面の演算に沈み、影の牙へ変わっていく。


「……行くぞ」


『了解』


黒い騎士が走った。


暴走端末から伸びた機械腕が、負傷兵へ向かう。


黒い騎士はその間に入る。


影の刃が吼えた。


音はない。


だが、そう感じるほどの一閃だった。


機械腕がまとめて落ちる。


端末の核が開く。


黒い騎士は踏み込み、通り過ぎる。


振ったように見えない。


だが、核は斜めに割れていた。


暴走が止まる。


負傷兵たちが呆然とする。


「黒い騎士……?」


誰かが呟いた。


黒い騎士は答えない。


影の刃はすでに形を変え、ただの黒い揺らぎに戻っている。


遠くから、カイが駆けてきた。


「おい、今の――」


黒い騎士は振り向かない。


煙の奥へ消える。


カイは足を止めた。


一瞬だけ、視線が地面へ落ちる。


そこに残っていた足跡。


右足の沈み方。

最後の半歩の置き方。


見覚えがあった。


カイは唇を開きかけた。


だが、何も言わなかった。


少し遅れて、レンが別方向から戻ってきた。


肩で息をしている。

背中には、いつもの《グレイファング》。


黒い影はもうない。


カイはその剣を見た。


そして、レンの足元を見た。


「どこ行ってた」


「負傷者の確認」


「ふうん」


「何だよ」


「いや」


カイは笑った。


いつもの軽い笑みだった。


「お前、ほんと面倒なやつだな」


「またそれか」


「褒めてる」


「便利に使うな」


「便利だからな」


カイはそれ以上、何も聞かなかった。


レオナが現場へ到着したのは、その少し後だった。


彼女は倒れた暴走端末と、黒い騎士が斬った跡を見た。


「黒い騎士か」


誰かが答える。


「はい。現れたと思ったら、一瞬で」


レオナは黙って斬痕を見つめた。


切断面が、妙だった。


重い剣で断ったような圧がある。

だが、形は揺らいでいる。

刃物というより、影に噛み千切られたようだった。


ふと、彼女の視線がレンの背へ向く。


《グレイファング》。


ヴァルクの黒剣。


しかし、いま地面に残る痕跡は、同じ剣だと断定するにはあまりに異質だった。


「レン」


「はい」


「その剣、重いか」


唐突な問いだった。


レンは少しだけ間を置く。


「重いです」


「そうか」


それだけだった。


レオナはそれ以上聞かなかった。


だが、納得したわけではない。


カイも同じだった。


二人とも、何かに気づきかけている。


けれど、まだ言葉にはできない。


レンはそれを感じていた。


隠し通せる時間は、たぶん長くない。


それでも今は、まだ必要だった。


黒い騎士として戦う時間。

レン・ノワールとして剣を振る時間。


その二つを分けておかなければ、守れないものがある。


夜、王都へ戻ったレンは、訓練場に一人で立っていた。


《グレイファング》を抜く。


黒い刃は、静かに月を映している。


仮面は被っていない。


だが、手にはまだ、影に変わった時の感触が残っている。


『共鳴率は上昇傾向』


黒仮面が言う。


「危険か」


『危険です』


「止めるべきか」


『戦術上は推奨しません』


「正直だな」


『必要な力です』


レンは剣を構えた。


ヴァルクの重さ。

ガロの足運び。

カイとの手合わせ。

黒仮面の演算。


ばらばらだったものが、少しずつ一つの線になっている。


それが怖くもあった。


だが、もう目を逸らさない。


「俺は、俺のまま強くなれるのか」


『不明』


「そこは励ませよ」


『励まし機能はありません』


レンは小さく笑った。


久しぶりに、本当に少しだけ笑えた。


「じゃあ、記録しておけ」


『何を』


レンは《グレイファング》を振り下ろした。


重い刃が、空気を裂く。


一歩。

半歩。

沈む。

滑る。


カイを救った時の線が、前より少しだけ近くなる。


「俺はもう、背中を見てるだけじゃ終わらない」


黒仮面は沈黙した。


やがて、静かに答える。


『記録しました』


月の下で、黒剣が低く鳴った。


それは鉄の音だった。


けれどレンには、一瞬だけ、獣の喉が鳴ったように聞こえた。


黒剣が、影の奥で吼えている。


失ったものを忘れないために。


次は間に合うために。


レンはもう一度、剣を構えた。

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