第38話 黒剣の継承
灰鐘砦は、王都から少し北へ外れた山間にあった。
古い監視砦だ。
いまは前線基地というより、各国の合同訓練や小規模会合に使われている。
城壁は低い。
広場は広い。
外から見れば、ただの古い砦にしか見えない。
だからこそ、今回の会合場所に選ばれた。
四天王は動かせない。
レオナは王都防衛線の再編。
シオンはカグラ東方境界の異常反応。
イヴァンは白牙要塞の後処理。
ミレーヌはルクス評議会で、偽装商館印の正式追及。
どれも外せない。
だが、次に来る大規模戦に備えるなら、Aランク上位戦力の連携確認も先送りにはできない。
だから、各国の十傑ハイランカーが集められた。
ヴァルク・アシュグレイ。
フィオナ・ルーベル。
火邑サナ。
鵺坂トウマ。
ボリス・イェーガー。
エリナ・ソロヴィエワ。
リゼット・マルロー。
そして、正式な十傑ハイランカーではないが、ルクスから選抜されたカイ・フェルナー。
八人。
四天王に次ぐ、人類側の牙だった。
「で、四天王様たちの代わりに、俺らが顔合わせってわけか」
ボリスが笑いながら言った。
手元の杯には酒ではなく湯が入っている、と本人は言い張っている。
誰も信じていない。
エリナが冷たく訂正する。
「顔合わせではありません。連携確認と作戦共有です」
「同じだろ」
「違います」
「ノルディアの女は細かいな」
「ノルディアの男が雑すぎるだけです」
サナがくすりと笑った。
「仲がいいのね」
「よくねえ」
「良くありません」
二人の声が重なった。
カイが小さく笑う。
「絶対、仲いいやつだ」
「聞こえているぞ、若造」
ボリスが言う。
「すみません。聞こえるように言いました」
「いい根性だ」
「顔だけで選ばれたと思われたくないので」
リゼット・マルローが、カイの背後から楽しそうに言った。
「顔だけでも十分売れるわよ、あなた」
「リゼットさんが言うと商談に聞こえるんですよ」
「商談かもしれないわ」
「やめてください」
トウマはその会話を聞いているのかいないのか、壁際で目を閉じていた。
サナが横目で見る。
「トウマ、あなたも少しは喋ったら?」
「必要があれば喋る」
「必要は今」
「ない」
「つまらない男」
「承知している」
その短いやり取りに、フィオナが少しだけ笑った。
「皆さん、そろそろ本題に入りましょう」
「本題なら簡単だ」
ヴァルクが低く言った。
彼は部屋の奥で腕を組んでいる。
黒剣を背に、目つきはいつも通り悪い。
「四天王が動けない場面で、俺たちがどこまで持つか。それを詰める場だろ」
「その通りです」
フィオナが頷く。
「ただし、各国で戦い方が違います。連携の癖を知らなければ、強者同士でも足を引っ張り合います」
「うちは分かりやすいぞ」
ボリスが戦斧の柄を叩く。
「俺が殴る。エリナが撃つ。イヴァン様が押さえる。終わりだ」
「説明としては雑ですが、だいたい合っています」
エリナが言った。
「ほらな」
「誇らないでください」
サナは笑ったが、すぐに表情を戻した。
「カグラは速さと切断。正面から支えるより、崩れた一瞬を取る方が向いてるわ」
トウマが短く足す。
「隙があれば斬る」
「あなたは本当にそれだけね」
「十分だ」
リゼットが指先で鞭剣の留め具を撫でる。
「ルクスは絡めて、毒を入れて、逃げ道を売る。綺麗に殴る国とは相性が悪いかもしれないわね」
「自分で言うか」
ヴァルクが鼻を鳴らす。
「あら、隠す方が信用できないでしょう?」
「どっちでも信用できねえよ」
「ひどい」
カイは苦笑しながらも、その場の空気を読んでいた。
彼はまだ正式な十傑ハイランカーではない。
だが、この場にいる誰もが、その実力を低く見てはいなかった。
「俺は速さで崩します。正面から止めるより、相手を動かして隙を作る方が得意です」
「軽い男は戦い方も軽いわね」
リゼットが言う。
「褒めてます?」
「半分」
「残り半分は?」
「品定め」
「怖いな」
フィオナが記録板に視線を落とす。
「再生派、ヘリオス急進派《人機融合派》、外部軍閥。そしてAI側のノクス級。敵の種類が増えています」
「増えすぎだろ」
ボリスが鼻を鳴らす。
「AIを叩けば終わる話じゃなくなってきた、ということです」
フィオナは静かに続ける。
「各国の戦場は、これからさらに分散するはずです。四天王が常に同じ場所へ集まれるとは限りません」
「だから、俺たちが穴を埋める」
ヴァルクが低く言った。
「ええ」
フィオナは頷く。
「Aランク上位戦力だけで、どこまで戦線を維持できるか。その確認が必要です」
ボリスが杯を置いた。
「要するに、四天王抜きでどれだけ粘れるかって話か」
「粘るだけでは足りません」
エリナが淡々と言う。
「敵が学習するなら、こちらも連携を更新しなければなりません」
サナが短槍の柄を指先で叩く。
「連携ね。国ごとに癖が強すぎて、合わせる前に喧嘩になりそうだけど」
リゼットが微笑む。
「喧嘩で済むなら可愛いものよ。ルクスなら、まず条件交渉から始まるわ」
「だから信用できねえんだよ」
ヴァルクが吐き捨てる。
「あら、信用されすぎる女は退屈よ」
カイが肩をすくめた。
「この面子で連携しろって言われる方が、敵と戦うより難しそうですね」
トウマが短く言う。
「必要なら合わせる」
サナが笑う。
「あなたは合わせるというより、勝手に斬ってるだけでしょう」
「斬るべき場所を斬る。それで足りる」
「足りるから困るのよ」
その時だった。
エリナが、ふと顔を上げた。
「……外が静かすぎます」
ボリスが杯を置いた。
「見張りは?」
「足音がありません」
エリナの声が低くなる。
「旗布の擦れる音も、門鎖の揺れる音も、鳥の声も。全部まとめて消えています」
サナの笑みが消えた。
「自然に静かになったわけじゃない、ってことね」
ヴァルクが黒剣の柄に手を伸ばす。
「音を断たれたな」
フィオナの表情が変わった。
「遮断結界……」
次の瞬間、砦全体の灯りが青白く揺れた。
「来るぞ」
壁が斬れた。
爆発ではない。
石が、紙のように斜めにずれて落ちる。
青い刃が会議室を横切った。
フィオナの結界が即座に展開され、割れた机と落ちる梁を受け止める。
煙の向こうに、黒い人影が三つ立っていた。
二体はノクス級。
そして中央。
細い輪郭。
顔の中央を走る青い縦線。
ネレイス。
外部音声が響く。
「人類側高位戦力、集積を確認」
「Sランク個体、不在」
「Aランク上位個体群、削減対象へ移行」
ボリスが笑った。
だが、目は笑っていなかった。
「上等だ。会議に飽きてたところだ」
「強がりは後」
エリナが長銃を構える。
「右のノクス、関節制御に乱れがあります」
「聞いた!」
カイが飛び出す。
サナの赤い煙が広がり、リゼットの鞭剣が床を裂く。
トウマは一言もなく抜刀し、黒い刃を受けた。
フィオナは結界を重ね、ボリスは真正面から戦斧を叩きつける。
最初の一体は、八人全員で潰した。
ボリスが受け、カイが誘い、サナが視界を狂わせる。
リゼットが脚を絡め、エリナが制御核を撃つ。
トウマの居合が腕を落とし、最後にヴァルクの《グレイファング》が首を断った。
ノクス級が崩れる。
「一体!」
カイが叫ぶ。
だが、喜ぶ暇はない。
残るノクス級とネレイスが、同時に動いた。
そこからは戦況が変わった。
ネレイスは、戦うというより削ってきた。
フィオナの結界が薄くなる瞬間を狙う。
サナの煙が濃くなる前に抜ける。
リゼットの鞭剣が伸びきる前に切る。
エリナの射線へ、崩れた梁を落とす。
戦力差ではない。
読みの深さが違う。
「こいつ、温室の時より速い……!」
サナが歯を噛む。
「学習しているのでしょう」
フィオナの声にも余裕がない。
「嫌な子ね」
リゼットの頬に血が流れた。
「そういう男は嫌いじゃないけれど、機械は趣味じゃないわ」
ボリスがノクス級の刃を斧で受ける。
「趣味の話してる場合か!」
「してないと怖いじゃない」
「正直か!」
ヴァルクが前へ出た。
「退け」
低い一言。
誰も文句を言わなかった。
黒剣が、鈍い光を帯びる。
高出力身体強化。
重甲手が軋み、術式ブーツが床を砕いた。
「おら、こっちを見ろ」
ヴァルクがノクス級へ踏み込む。
その戦い方は、剛そのものだった。
速さで翻弄するのではない。
技巧で飾るのでもない。
敵の刃を受け、足場を壊し、力で進路を潰す。
ノクス級が後退する。
「やっぱ化け物だな、あの人」
カイが息を切らしながら言った。
「口は悪いけれど、頼りになります」
フィオナが答える。
その直後、ヴァルクの呼吸が乱れた。
胸の奥を何かに掴まれたように、肩がわずかに落ちる。
《グレイファング》の切っ先が、一寸だけ下がった。
高出力身体強化の反動。
若い頃なら押し切れた。
だが今の身体は、もう長くは保たない。
ネレイスの青い線が揺れる。
「循環機能低下」
「身体強化継続限界、接近」
ヴァルクが血の混じった息を吐いた。
「……人の身体を、勝手に採点してんじゃねえ」
ヴァルクの顔が歪む。
ノクス級の刃が三本、同時に走った。
カイが一本を弾く。
サナの煙が一本をずらす。
フィオナの結界が一本を受ける。
だが、ネレイスの刃が別角度から入った。
ヴァルクの脇腹が裂ける。
血が床へ落ちた。
「ヴァルクさん!」
フィオナが叫ぶ。
「来るな!」
ヴァルクは怒鳴った。
「結界を下げるな。下げたら全員死ぬ」
「でも――」
「でもじゃねえ!」
彼は血を吐き捨てる。
「俺はまだ立ってる」
その時、砦の外では別の異変が起きていた。
遅れて到着した伝令が、山道を駆け上がっていた。
レン・ノワールだった。
彼は王都から追加解析資料を届けるため、灰鐘砦へ向かっていた。
本来なら会合が終わった後に、フィオナへ直接渡すだけの役目だった。
だが、砦の通信が落ちた。
遠くで青い光が見えた。
それだけで、レンは走り出していた。
「間に合え……!」
息が切れる。
足が焼ける。
砦の門は壊れていた。
中から血と煙の匂いが流れてくる。
レンは剣を抜き、崩れた壁の間を駆け抜けた。
会議室だった場所は、もう戦場だった。
血まみれの十傑たち。
倒れたノクス級。
まだ動くネレイス。
そして、中央で黒剣を握るヴァルク。
「ヴァルクさん!」
レンの声が飛ぶ。
ヴァルクが一瞬だけ振り向いた。
「……なんで来やがった」
怒鳴る力は残っていない。
それでも、その声には叱責より先に、来てほしくなかったという色があった。
ヴァルクの身体強化は、もう切れかけている。
それでも彼は前へ出た。
残ったノクス級がフィオナを狙う。
ヴァルクはその間に割り込んだ。
「若い奴が目の前で折れるのを見るのが、一番嫌いなんだよ」
声が低く響く。
「昔、息子を戦場でなくした」
フィオナが息を呑む。
カイも、サナも、言葉を失う。
ヴァルクはノクス級の刃を肩で受けた。
血が飛ぶ。
それでも止まらない。
「弱かったんじゃねえ。逃げなかっただけだ。俺はそれを誇ってた。だが、同時に思った。もっと強くしてやれてりゃ、死ななかったんじゃねえかってな」
レンは動けなかった。
その言葉が、自分へ向けられていると分かったからだ。
「レン。お前を見てると、あいつを思い出した。馬鹿みてえに前へ出る。痛みを数えねえ。誰かを守る時だけ、目が変わる」
ヴァルクは笑った。
不器用で、苦い笑いだった。
「だから腹が立った。だから鍛えた。だから、死なせたくなかった」
ノクス級が最後の刃を突き出す。
ヴァルクは避けない。
自分から踏み込んだ。
刃が胸を貫く。
同時に、《グレイファング》がノクス級の中枢を斬り裂いた。
青い光が爆ぜる。
ノクス級が崩れた。
だが、その直後、ネレイスの追撃が会議室の床を斜めに裂いた。
床石が割れ、壁際の梁が落ちる。
ヴァルクの身体が、崩れた壁際へ弾き飛ばされた。
「ヴァルクさん!」
レンは瓦礫を越え、転がるように駆け寄った。
会議室の半分は崩れている。
落ちた梁と砕けた石壁が、レンとヴァルクを戦場の中心から切り離していた。
向こうでは、まだ戦いが続いている。
フィオナの結界が砕ける音。
カイの双剣が弾かれる音。
サナの叫び。
ボリスの怒号。
だが、そのすべてが遠かった。
レンはヴァルクの身体を支えた。
重い。
血が止まらない。
ヴァルクが、震える手で《グレイファング》を押し出す。
「持て」
「無理です」
「持て」
低い声だった。
逆らえなかった。
レンは黒剣を受け取った。
重い。
ただの武器の重さではなかった。
「フィオナが聞いてる」
ヴァルクは血に濡れた口で、かすかに笑った。
「結界の内側の声は、あいつに届く。証人にはなる」
「黒剣は、俺ヴァルク・アシュグレイから、レン・ノワールへ遺す」
崩れた結界の向こうで、フィオナが息を呑む気配がした。
「そんなこと――」
「お前の武器だ。誰に何を言われても、堂々と持て」
「俺には、まだ」
「まだ、じゃねえ」
ヴァルクの指が、レンの腕を掴む。
力はもうほとんどない。
それでも、熱だけは残っていた。
「これから強くなるために持つんだ」
レンは何も言えなかった。
「息子みてえに思ってた、なんて言ったら気持ち悪いか」
「……そんなこと、ありません」
「ならいい」
ヴァルクは笑った。
笑ったつもりだったのかもしれない。
血で、うまく形にはならなかった。
「死ぬなよ、レン」
その手から力が抜けた。
レンは動けなかった。
ヴァルクの身体を支えたまま、何も言えなかった。
頭の奥で、黒仮面の声が鳴る。
『装着推奨』
レンは答えなかった。
『敵性個体ネレイス。ニア死亡時の個体と一致』
レンの手が、《グレイファング》の柄を握る。
『ヴァルク・アシュグレイ、生命反応停止』
胸の奥で、何かが静かに切れた。
叫びではない。
怒りですらない。
もっと冷たいものだった。
その時、砕けた壁の向こうで、フィオナの結界が割れた。
ネレイスが、満身創痍の十傑たちへ向かって歩いている。
カイが立とうとする。
サナが短槍を構える。
トウマが息を整える。
ボリスが膝をついたまま斧を握る。
エリナの銃口は震えている。
リゼットの鞭剣は半ばで千切れていた。
誰も、もう一撃を受けきれない。
レンは《グレイファング》をヴァルクの傍らへ置き、彼の身体をそっと横たえた。
煙が、崩れた壁の隙間へ流れ込む。
レンの姿が、瓦礫の陰に沈んだ。
誰も、それを見る余裕はなかった。
ネレイスが、フィオナへ刃を向けた。
次の瞬間、煙の奥から黒い影が現れた。
黒仮面。
黒衣。
黒い騎士は、ただ歩いていた。
ネレイスの青い線が揺れる。
「黒色戦術個体、確認」
「照合――」
言い終わる前に、黒い騎士は通り過ぎていた。
肩へ軽く触れた。
そう見えただけだった。
次の瞬間、ネレイスの首が落ちた。
青い光が空中で断たれる。
身体が一拍遅れて崩れた。
誰も動けなかった。
あれほど十傑を追い詰めた上位個体が、たった一度、通り過ぎただけで終わっていた。
黒い騎士は倒れたネレイスを見ない。
勝ち誇りもしない。
ただ一度だけ、崩れた壁際へ顔を向けた。
そこには、ヴァルクの亡骸があった。
そして、煙と瓦礫の陰に、誰かが膝をついているように見えた。
次の瞬間、黒い騎士は煙の向こうへ消えた。
「待っ――」
カイが声を出しかけた時には、もう姿はなかった。
やがて煙が薄れた。
ヴァルクの傍らには、レンがいた。
顔を伏せ、《グレイファング》に片手を添えて、ただ膝をついていた。
誰も、すぐには言葉をかけられなかった。
残されたのは、折れた砦。
血まみれの十傑たち。
倒れたネレイス。
そして、静かに眠るヴァルク・アシュグレイ。
フィオナが膝をついた。
サナは唇を噛んでいる。
トウマは黙って刀を納めた。
ボリスは拳を握りしめ、エリナは銃を下ろした。
リゼットは、初めて笑っていなかった。
カイだけが、黒い騎士の消えた煙の先と、ヴァルクの傍らに膝をつくレンを、交互に見ていた。
何かを言いたそうにして、結局言わなかった。
遅れて、外の遮断結界が崩れた。
通信石が息を吹き返し、砦の警鐘が鳴り始める。
四天王は、間に合わなかった。
人類側は、十傑ハイランカーの一人を失った。
そして、その場にいた誰もが見てしまった。
黒い騎士が戻ってきた瞬間を。
ネレイスを、瞬きの間に葬った一閃を。
あれは味方なのか。
人なのか。
それとも、人類がまだ知らない別の何かなのか。
答えはなかった。
ただ、ヴァルクの傍らでレンが触れている黒剣だけが、静かにその重さを残していた。




