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俺だけ【リミットブレイク】―最底辺Fランクが黒仮面で無双するたび壊れていく―  作者: スドタケ


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第37話 侵攻する人間

ノルディアの雪は、音を奪う。


王都アルディアの雪なら、まだ人の足音も、馬車の軋みも、遠くの鐘も残る。


だが北冥連邦ノルディアの雪原では、すべてが白に吸われる。


風だけが鳴り、鉄だけが冷え、城壁だけが黒く立っていた。


白牙要塞。


ノルディア南西国境を守る、巨大な防衛拠点だった。


黒い石壁。

重装兵の列。

雪に半分埋もれた砲台。

凍った堀。

その奥に、鉄と煙の匂いを吐く軍都がある。


レオナは要塞の上から雪原を見下ろしていた。


「寒いな」


「ノルディアでは、暖かい方だ」


隣でイヴァン・ドラグノフが笑った。


重装甲の上から分厚い外套を羽織り、背には戦槌ボルカノフ


ノルディアの四天王は、王都で見た時より大きく見えた。


この雪と城壁の中に立つと、彼はまるで要塞の一部だった。


今回、レオナたちがノルディアへ来た理由は、表向きには再生派関連の物資調査だった。


ルクスで確認された商館印。

カグラの温室第三棟から出たヘリオス管理番号。

北方へ流れた移送記録。


その行き先候補の一つが、ノルディア国境付近だった。


だが到着してすぐ、事態は調査では済まなくなった。


辺境紛争。


最初にそう報告された。


ノルディアと境界を接する小軍閥が、食糧倉庫と鉄道補給線を巡って武装衝突を起こしたという。


珍しくはない。北方では、凍土の村や鉱山都市が、物資を巡って小競り合いを起こすことがある。


だが、今回は違った。


相手の動きが整いすぎていた。


砲列の配置。

補給線の切り方。

要塞外壁の死角への進軍。


ただの辺境軍閥にできる動きではない。


「ルクスの商館印が出たそうだな」


レオナが言うと、イヴァンは鼻を鳴らした。


「出た。綺麗すぎるくらいにな」


「偽装か」


「俺ならそう見る」


背後から、柔らかな声がした。


「そう見ていただけるなら助かりますわ」


ミレーヌ・オルフェだった。


雪の要塞に不釣り合いなほど優雅な軽装礼装。


細剣ノクターンを腰に差し、白い外套の裾を雪に触れさせず歩いてくる。


ルクスの四天王。


つい数日前まで、再生派との裏取引を疑われていた国の女。


兵たちの視線が、彼女へ向く。

歓迎ではない。警戒だ。


ミレーヌはその全部を受け止めて、涼しく笑った。


「疑われることには慣れております。ルクスですもの」


「笑って済む話か」


レオナが低く言う。


「済みませんわ。だから来ました」


ミレーヌは懐から薄い記録板を取り出す。


「問題の商館印は、確かにルクスのものです。ただし、三年前に廃止された旧印。現行船舶では使えません」


「盗まれたのか」


「売られた、の方が近いでしょうね。ルクスには、何でも売る人間がいますから」


自国を悪く言いながら、声には逃げがない。


ミレーヌは記録板をイヴァンへ渡した。


「印を流した商館主は押さえました。本人は“ヘリオスの技術支援団体に売った”と証言しています」


「ヘリオスか」


イヴァンの顔から笑みが消える。


「また面倒な名前が出たな」


「さらに面倒なのは、その支援団体が既に消えていることですわ」


ミレーヌは雪原を見る。


「名前だけ残して、人も資金も兵器も北へ流れた。ルクスの印を残して」


「つまり、私たちに罪を着せるために」


「ええ。古典的ですが、よく効きます」


その時、要塞下の広場から大きな笑い声が上がった。


「おうおう、南の客人が難しい顔してんな!」


太い声だった。


毛皮の外套を肩にかけた大男が、戦斧を担いで上がってくる。


ボリス・イェーガー。


ノルディア十傑のハイランカー。

戦斧ベオルグと衝撃波を操る、要塞戦の怪物。


赤ら顔で、髭が濃く、片手にはなぜか金属の酒杯を持っている。


レオナが眉を寄せた。


「任務中だろ」


「中身は湯だ」


ボリスは堂々と言った。


イヴァンが笑う。


「嘘をつけ。匂いが強い」


「気付け薬だ」


「酒だろ」


「北では同じ意味だ」


その場の空気が少しだけ緩んだ。


だが、次に現れた女が、それを静かに切った。


エリナ・ソロヴィエワ。


ノルディア十傑。


長銃スネグーラを背に負い、観測ゴーグルを額に上げている。


白い外套の下に、細身の防寒戦装。


表情は静かで、目だけが冷たい。


「笑っている場合ではありません」


エリナは雪原の向こうを指した。


「敵影、増えています。兵数は三百前後。後方に自走砲台八。さらに、ヘリオス製と思われる旧文明式の制御車両」


ボリスが酒杯を置いた。


「ほらな。湯を飲んでおいて正解だった」


「何が正解だ」


レオナが言う。


エリナは続けた。


「旗は外部軍閥《黒鉄旅団》。ただし、動きは軍閥のものではありません」


イヴァンが戦槌ボルカノフを手に取る。


「後ろに誰がいる」


エリナは雪原の向こうを見たまま言った。


「通信断片から、ヘリオス急進派の符号を確認しました」


「ヘリオス急進派?」


レオナが眉を寄せる。


「通称、《人機融合派》。人間とAIの融合を“進化”と呼ぶ技術者崩れです」


ミレーヌが目を細める。


「再生派と手を組めば、思想と技術が揃いますわね」


イヴァンの顔から笑みが消えた。


「最悪の組み合わせだな」


「敵はAIだけじゃない、ということだな」


レオナが言った。


その言葉は、雪の上でやけに重く響いた。


すぐに警鐘が鳴った。


白牙要塞の全砲台が動き出す。


黒鉄旅団の前衛が雪原を進んでくる。

人間だ。


AIではない。

ビーストでもない。

血の通った兵士たちが、銃を構え、盾を並べ、砲を押して進んでくる。


だが、その背後には旧文明式の制御車両。

ヘリオスの技術が、明らかに混ざっていた。


イヴァンは城壁の上に立った。


「ボリス」


「おう」


「右の砲列を止めろ。派手にやれ」


「派手にしかできねえよ」


「エリナ」


「左後方の制御車両を狙います」


「レオナ、ミレーヌ」


イヴァンは二人を見た。


「要塞内に入った敵だけ任せる。外は俺が潰す」


レオナが少しだけ目を細める。


「一人でか」


イヴァンは笑った。


「ここは俺の国だ」


その瞬間、彼の空気が変わった。


戦槌ボルカノフが城壁に立てられる。

重装甲に刻まれた重力制御紋章が、鈍い黒光りを放った。


「《グラビティワールド》」


雪原が沈んだ。


比喩ではなかった。


敵前衛の足が、雪ごと地面へ縫いつけられる。


盾を構えていた兵たちの膝が折れ、銃口が下がる。


自走砲台の車輪が悲鳴を上げ、前へ進めなくなる。


数百の兵を、一人の異能が止めていた。


レオナでさえ、一瞬だけ言葉を失う。


イヴァンは片手を上げる。


「ここから先は、ノルディアの地だ」


その手が、ゆっくり下がった。


敵の砲弾が発射される。


だが、飛ばない。


砲弾は空中で軌道を折られ、雪原へ叩き落とされた。

爆発は地面の下で潰れ、黒い煙だけが低く広がる。


「冗談だろ……」


要塞の若い兵が呟いた。


ボリスが城壁から飛び降りる。


落下しながら戦斧ベオルグを振り上げた。


「どけどけどけえ!」


着地と同時に、斧が雪原へ叩き込まれる。


衝撃波が走った。


重力で足を取られた敵前衛が、まとめて吹き飛ぶ。

盾が割れ、槍が折れ、人間たちが雪煙の中へ転がった。


殺しすぎない。


だが戦線は砕く。


ボリスの戦い方は粗い。

粗いのに、要所だけは外さない。


「重いところを止めてもらえりゃ、あとは俺の斧で足りる!」


ボリスが笑う。


「これが北の歓迎だ!」


その背後で、エリナが静かに膝をついた。


長銃スネグーラが肩に乗る。


観測ゴーグルが青く光る。


雪。

風。

距離。

敵の制御車両の装甲角度。


すべてを一呼吸で測る。


「一両目、停止」


銃声は小さかった。


だが、遠くの制御車両の核が砕けた。

次いで二両目。

三両目。


エリナは撃つたびに、わずかに息を吐くだけだった。


「四両目、逃走」


銃口が動く。


「逃がしません」


四発目。


雪原の向こうで、制御車両が沈黙した。


ボリスの豪快さとは正反対。

だが、恐ろしさは同じだった。


ノルディアの十傑。


防衛戦において、この国がなぜ強いのか、誰の目にも分かった。


だが敵も止まらない。


黒鉄旅団の一部が、地下氷道から要塞内へ侵入した。


レオナが紅蓮大剣アシュラを抜く。


「来たな」


炎が走る。


要塞内の狭い通路で、レオナの《ブレイズクラウン》が燃え上がる。


だが、ここで彼女より先に動いたのはミレーヌだった。


細剣ノクターンが抜かれる。


「《ミラーミミック》」


鏡のような薄い光が通路に広がった。


侵入兵たちの目に、レオナが三人に見える。

通路が二本に分かれる。

出口が逆へずれる。


混乱した敵の銃口が、味方へ向く。


「撃つな、味方だ!」


「どれが本物だ!」


その隙に、レオナが踏み込む。


《アシュラ》の峰が、敵兵の胸甲を叩き割った。

炎は殺すためではなく、武器と足を奪うために使われる。


ミレーヌは倒れた敵兵の一人に近づき、襟元から小さな通信符を抜き取った。


そこには、ルクスのものではない印があった。


ヘリオス式。

ただし、正規ではない。


「見つけましたわ」


ミレーヌは通信符を掲げる。


「これで、ルクスの印が偽装である証拠になります」


レオナが敵を蹴り飛ばしながら言う。


「自分の潔白のために、戦場まで来たのか」


「それもあります」


ミレーヌはあっさり認めた。


「でも、それだけなら、証拠を送れば足りました」


「じゃあ何だ」


次の瞬間、通路の奥で爆発が起きた。


敵兵が、避難区画へ向かっている。


そこにはノルディアの非戦闘員がいた。


老人。

整備工。

子ども。


ミレーヌの目が、初めて冷えた。


「私の国の印で、人を殺されるのが気に入りませんの」


彼女は駆けた。


優雅さは残っている。

だが、足は速い。


《ミラーミミック》が避難区画全体を包む。


子どもたちがいるはずの通路が、空の倉庫に見える。


敵兵の目の前にある扉が、別の壁へすり替わる。


撃たれた弾丸は、誰もいない幻へ向かう。


その間に、ミレーヌは鏡面短剣で敵の手首だけを切った。


銃が落ちる。


細剣ノクターンの柄で顎を打つ。


倒す。


殺さない。


それでも、一歩も通さない。


泣いていた子どもが、ミレーヌの外套を掴んだ。


ミレーヌは一瞬だけ驚いた顔をした。


それから、ひどく優しい声で言う。


「大丈夫。怖いものは、もう鏡の向こうですわ」


その表情を見たレオナは、少しだけ目を細めた。


「お前、そういう顔もするんだな」


「失礼ですわね」


「褒めてる」


「あなたの褒め言葉は、不器用すぎます」


二人の間で、短く火花が散る。


だがそれは、敵意ではなかった。


外では、戦況が決まろうとしていた。


イヴァンは城壁の上から、黒鉄旅団の本陣を見下ろしていた。


敵将らしき男が叫んでいる。


「進め! 進めえ! あれは一人だ! 一人の異能で、いつまでも持つはずがない!」


イヴァンは戦槌ボルカノフを肩に担ぐ。


「よく分かっている」


彼は笑った。


「一人で、いつまでも持つものではない」


その声が、雪原へ響く。


「だから要塞がある。兵がいる。仲間がいる。国がある」


ボリスが吠える。


エリナが次の制御車両を撃ち抜く。


ノルディア兵たちが盾を並べる。


イヴァンは右手を握った。


「そして、この地に立つ限り」


重力が、さらに沈む。


敵本陣の周囲だけが、円形に落ちた。


兵も、砲も、馬も、地面へ叩き伏せられる。


「俺は負けん」


それは誇張ではなかった。


国境防衛において、イヴァン・ドラグノフは怪物だった。


レオナの炎のような派手さはない。

シオンの雷のような速さもない。

ミレーヌの幻のような妖しさもない。


だが、戦場そのものを支配している。


ここで戦う限り、敵はまず足を失う。

武器は落ちる。

砲弾は地に沈む。

進軍という概念が折れる。


「四天王で一番厄介なのは、あいつかもしれないな」


レオナが呟いた。


ミレーヌが涼しく返す。


「ええ。敵に回したくない殿方ですわ」


黒鉄旅団は崩れた。


逃げる者もいた。

降伏する者もいた。

最後まで撃とうとした者は、ボリスが斧で砲身を叩き折った。


戦闘は、夕刻前に終わった。


白牙要塞の司令室で、捕虜の尋問記録が並べられる。


外部軍閥《黒鉄旅団》は、再生派と繋がったヘリオス急進派から兵器と資金を受け取っていた。


ルクスの旧商館印は、侵攻の責任をルクスへ向けるための偽装。


ミレーヌが持ち込んだ証拠と、エリナが撃ち抜いた制御車両の記録が、それを裏づけた。


イヴァンは記録板を見て、低く言う。


「人間が、人間を売って、AIの残骸で人間を撃つ。ひどい時代だ」


「敵はAIだけではない」


レオナが言った。


誰も否定しなかった。


セツナがいれば、もっと苦い顔をしただろう。

ヘリオスの名が、ここにもあったのだから。


ミレーヌは窓の外の雪原を見ていた。


「ルクスを疑ったこと、謝るべきか?」


レオナが言う。


ミレーヌは振り返り、いつものように微笑む。


「謝罪より、今後の取引条件を少し良くしていただける方が嬉しいですわ」


「台無しだな」


「ルクスの女ですもの」


そう言ってから、彼女は少しだけ声を落とした。


「でも、子どもたちを疑いの巻き添えにされるのは、嫌いです」


その一言だけは、飾りがなかった。


レオナは短く笑う。


「少し見直した」


「少し?」


「調子に乗るな」


「ふふ。あなたらしい」


白牙要塞の外では、ボリスが捕虜を縛り上げながら大声で笑っていた。


「おら、歩け! ノルディアの飯はうまいが、捕虜の分は少ねえぞ!」


エリナが隣で静かに言う。


「嘘です。捕虜規定通りに出ます」


「雰囲気だ、雰囲気!」


「士気管理としては雑です」


「雑でも効けばいいんだよ」


二人のやり取りを聞いて、ノルディア兵たちが笑う。


雪はまだ降っている。


だが、要塞の中には熱が戻っていた。


イヴァンは城壁の上に立ち、遠くの雪原を見ていた。


レオナが隣へ来る。


「今日は、ノルディアに助けられた」


「逆だ」


イヴァンは言う。


「この国は、いつも誰かが来るまで持ちこたえるためにある。今日もそれをしただけだ」


「それが一番難しい」


「知っている」


彼は笑った。


「だから俺がいる」


その笑みに、誇りと責任が同じだけ乗っていた。


遠くでは、夕陽が雪雲の隙間から差していた。


白い雪原が、一瞬だけ金色に染まる。


その景色の中で、レオナは思った。


AIとの戦いだけでは済まない。


再生派。

ヘリオス急進派。

外部軍閥。

偽装されたルクスの印。


人類圏は、すでに内側から裂け始めている。


それでも、今日守れた場所がある。


イヴァンの重力が、ノルディアの壁を支えた。


ボリスの斧が、前線を砕いた。


エリナの弾丸が、敵の目を潰した。


ミレーヌの幻が、子どもを守った。


敵はAIだけではない。


だが、人間もまた、敵だけではない。


レオナは雪原の向こうを睨む。


次は、もっと面倒になる。


それだけは分かっていた。


それでも、今日の白牙要塞は落ちなかった。


北の壁は、まだ立っている。

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