表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺だけ【リミットブレイク】―最底辺Fランクが黒仮面で無双するたび壊れていく―  作者: スドタケ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
36/70

第33話 再生派の温室

本隊を待つべきだった。


後から思えば、その答えはあまりにも簡単だった。


けれど、その時のレンには簡単ではなかった。


温室第三棟の移送予定は、一時間後。


セツナがその数字を口にした瞬間、レンの中で何かが決まってしまった。


待てば、被験者は運ばれる。

運ばれた先は分からない。

次に見つけられる保証もない。


そして、見つけた時にはもう人間ではなくなっているかもしれない。


「行きます」


レンは言った。


湯宿の縁側に、一瞬だけ沈黙が落ちる。


サナが短槍《紅煙》を手にしたまま、目だけを細めた。


「本隊を待つべきよ」


「待ったら移送されます」


「だからって、少人数で人体実験施設に踏み込むのはあまりに無謀」


「分かっています」


「分かってない顔ね」


サナの声は軽くなかった。


レンは返せなかった。


セツナは端末を見たまま、低く言う。


「本隊到着まで最短で五十分。施設側の移送開始まで、おそらく四十分を切ってる」


「なら、なおさら――」


「助けられるとは限らない」


その言葉は冷たい。


だが、セツナの目は冷たくなかった。


「中にいるのが人間のままかも分からない。救出対象か、敵性個体か、あるいはその中間か。判断を間違えれば全員死ぬ」


「それでも、見つけたのに見捨てるんですか」


言ってから、少しだけきつすぎたと思った。


セツナの表情は変わらない。

ただ、まばたきが一度だけ遅れた。


「そういう言い方は、判断を鈍らせる」


「すみません」


「でも、気持ちは分かる」


それが、かえって胸に刺さった。


サナが短く息を吐く。


「レン。あなたが決めるなら、責任もあなたが持ちなさい」


「はい」


「いい返事だけじゃ、人は助からないわよ」


「分かっています」


サナはしばらくレンを見ていた。


それから、《紅煙》を肩へ乗せる。


「じゃあ、行くわ。怒りじゃなく、足を先に出す。さっき言ったこと、忘れないで」


「はい」


「忘れたら殴るわよ」


「分かりました」


「殴られる前提で返事しないの」


リアムが横で槍を担いだ。


「隊長が行くなら、俺らも行くしかないだろ」


「当然です」


ティナは医療鞄を抱え、顔を強張らせながらも前へ出る。


グラムは黙って盾を背負った。


ニアは山の方を見ている。


「……音、変」


「何が」


レンが聞くと、ニアは少しだけ首を傾けた。


「山の奥。泣いてる音がする」


誰も笑わなかった。


日輪皇国カグラの夜明け前は、青かった。


空も、木々も、石段も、全部が薄い青に沈んでいる。

旧薬草園跡へ向かう山道には、白い霧が絡んでいた。


先頭はサナ。

その少し後ろにレン。

リアム、グラム、ティナ、セツナが続き、ニアは木の上を跳ぶように先行する。


途中でサナが足を止めた。


「ここから声は落として」


目の前に、朽ちた木門がある。


看板には、かすれた文字で旧薬草園と書かれていた。

その奥に、温室が三棟並んでいる。


第一棟は屋根が抜け、第二棟は蔦に呑まれていた。


第三棟だけが、生きていた。


硝子の内側から、淡い赤い光が漏れている。


植物の匂いはしない。


薬品。

鉄。

焦げた皮膜。

そして、湿った布を放置したような、生き物の匂い。


レンは剣の柄へ手を置いた。


サナが横目で見る。


「まだ抜かない」


「……はい」


「焦ると音が出る」


指摘されて、レンは手を離した。


ニアが木の上から降りてくる。


「外に四。中に多い。奥に大きいの一つ。あと、ずっと鳴ってる音がある」


「機械音か?」


リアムが聞く。


ニアは首を振る。


「機械の下に、人の音」


ティナの喉が小さく鳴った。


突入は早かった。


サナの《紅煙》が赤い煙を流し、外の見張り二人を音もなく倒す。


裏口の二人は、リアムが銃を弾き、レンが首筋を打って落とした。


殺してはいない。


だが、見張りの首筋には金属管が刺さっていた。


セツナがそれを見るなり、顔をしかめる。


「神経補助じゃない。神経拘束」


「どう違うんですか」


「助けるためじゃなく、従わせるための管」


レンは奥歯を噛んだ。


第三棟の裏扉には、ヘリオス式の封印鍵が使われていた。


セツナが数秒で開ける。


しかし、手が止まった。


「これ……」


「どうしました」


「私の知ってる規格」


「ヘリオス製ということですか」


「もっと悪い」


セツナの声がわずかに低くなる。


「正規管理番号が残ってる。表の流通じゃない。研究区画から直接流れてる」


その言葉に、サナの目が冷えた。


「ヘリオスが噛んでる?」


「ヘリオス全部じゃない」


セツナはすぐに言った。


「でも、誰かが流した」


その顔は、初めて少しだけ揺れていた。


中へ入ると、温室という名前の意味が変わった。


硝子筒が並んでいる。


植物ではない。


人間だ。


若い兵士。

老人に近い男。

まだ少年に見える顔。

片腕だけが機械化された女。


胸や首に細い管が刺さり、身体のあちこちに銀色の金具が埋まっている。


一人は目を開けていた。


だが、こちらを見ていない。


目の焦点が、もう人の場所に合っていなかった。


「……うそ」


ティナが呟いた。


声が震えていた。


セツナは一番近い筒へ駆け寄る。


「勝手に開けないで。管が脊髄に入ってる。手順を間違えると死ぬ」


「生きてるんですか」


「生かされてる」


その言い方に、レンの胃が縮む。


サナは奥の棚へ歩き、書類箱を蹴り開けた。


「異能増幅記録。火薬術式、雷装模倣、重力耐性……なんでもありね」


「適性のない兵士に、無理やり異能を入れた?」


レンが聞く。


セツナが別の資料を拾い上げる。


「入れたというより、壊して反応だけ拾ってる。増幅じゃない。破壊試験」


セツナの声は淡々としている。


けれど、指先は白くなっていた。


棚の奥に、別の刻印があった。


西海自由同盟ルクスの商船組合印。


その横に、鏡面の花を思わせる小さな紋。


サナが目を細める。


「ルクスの印ね」


「偽装の可能性もあります」


セツナがすぐに言う。


「でも、印は本物に近い」


レンはその紋を見つめた。


ルクス。

ミレーヌ・オルフェ。

《ミラーミミック》。


直接繋がる証拠ではない。


それでも、嫌な連想だけは残った。


「今は考えない」


レンは自分に言い聞かせるように言った。


「救出が先です」


サナがわずかに笑う。


「そう。それでいいわ」


ティナはもう動いていた。


震えながらも、硝子筒の呼吸管を確認している。


「この人は出せます。こっちは……無理に動かすと危ないです。セツナさん、固定解除をお願いします」


「分かった」


グラムが入口に盾を立てる。


リアムが奥の通路を見張る。


ニアは天井近くの梁へ上がり、耳を澄ませた。


「……奥の音、消えた」


「消えた?」


レンが顔を上げる。


ニアの表情が変わる。


「違う。止まったんじゃない。聞かされてた音が、切れた」


次の瞬間、温室の灯りが赤から青へ変わった。


施設全体に、冷たい機械音声が流れる。


「証拠保全失敗」


「照合対象、侵入」


「温室第三棟、焼却処理へ移行」


セツナの顔色が変わった。


「まずい」


サナが短槍を構える。


「何が来る」


返事の前に、奥の扉が消えた。


壊れたのではない。


斬られた。


扉の縁が、音もなく滑り落ちる。


その向こうに、黒い人影が立っていた。


細い。


女のようにも見える輪郭。

黒い装甲。

長い腕。

単眼ではなく、青い縦線が顔の中央に一本だけ走っている。


ノクスに似ている。


だが、ノクスより静かだった。


静かすぎて、そこにいるだけで呼吸を奪われる。


セツナが低く言う。


「ノクス級……上位個体」


黒い人影の顔に、青い線が灯る。


外部音声が響いた。


「個体名、ネレイス」


「温室記録、焼却」


「被験体、焼却」


「侵入個体、排除」


レンの背中が冷えた。


ネレイスが一歩踏み出す。


それだけで、床に細い亀裂が走る。


サナが赤い煙を展開した。


「全員、下がって!」


《紅煙》の煙が温室内を満たす。


だが、ネレイスは迷わない。


煙の中で、腕が伸びた。


速い。


レンは反応が遅れた。


グラムが前に出る。


盾が黒い腕を受ける。


受けたはずだった。


次の瞬間、盾の縁ごと、グラムの左腕が飛んだ。


音が消えた。


一瞬だけ、誰も理解できなかった。


遅れて、血が床に散った。


「グラム!」


リアムが叫ぶ。


グラムは倒れない。


右腕だけで盾の残骸を押し込み、歯を食いしばって立っている。


「……下がれ」


それだけ言った。


ティナが悲鳴を上げた。


「いや……いや、グラムさん、腕、腕が……!」


「ティナ!」


レンが叫ぶが、声が届かない。


ネレイスの青い線が、温室の奥へ向く。


機械音声。


「焼却開始」


硝子筒の一つが、内側から白く燃えた。


中にいた人が、声にならない声を上げる。


ティナが走り出そうとした。


「駄目です! まだ中に!」


レンが腕を掴む。


「行くな!」


「でも! まだ生きてるんです! 生きてるんですよ!」


ティナの顔が涙で崩れていた。


ネレイスが二歩目を踏む。


サナが横から斬り込む。


《紅煙》が赤い煙を弾き、火薬粒が爆ぜる。


だが、ネレイスはわずかに首を傾けただけで、その攻撃を受け流した。


「冗談でしょ」


サナの声が、初めて硬くなる。


「こいつ、私の煙を読んでる」


セツナが叫ぶ。


「撤退! 今の戦力じゃ無理!」


「被験者は!」


レンが叫ぶ。


「全員は無理!」


その言葉を、聞きたくなかった。


だが、分かってしまった。


全部を助けるには、力が足りない。


レンの頭の奥で、黒仮面が鳴る。


『装着推奨』


『上位ノクス級への対抗には装着が必要です』


レンは動けなかった。


今なら使える。


使えば、ネレイスと戦えるかもしれない。

被験者も、隊のみんなも、救えるかもしれない。


でも、この場にはサナがいる。

セツナがいる。

ティナがいる。

リアムがいる。

グラムがいる。

ニアがいる。


全部見られる。


それでも使うべきか。


迷った。


その一拍が、致命的だった。


ネレイスの腕が、天井へ伸びる。


梁が切断され、温室の上部が崩れ始める。


ニアが叫んだ。


「右奥、出口! まだ抜けられる!」


ニアは梁から飛び降り、奥の非常扉へ走る。


鍵を外そうとしている。


「ニア、戻れ!」


レンが叫ぶ。


「出口、開ける」


ニアは振り返らない。


細い指が、旧式の鍵をこじ開ける。


その背後で、ネレイスの顔がニアへ向いた。


青い線が灯る。


「逃走経路、焼却」


レンは走った。


間に合わない。


サナも動いた。

リアムも叫んだ。

ティナが泣きながら手を伸ばした。


それでも、ネレイスの腕の方が速かった。


黒い刃が、ニアの背を貫いた。


時間が止まった。


ニアは少しだけ目を見開いた。


痛がる顔ではなかった。


驚いた顔でもない。


ただ、何かを聞き取るみたいに、耳を澄ませる顔だった。


「……開いた」


小さな声。


非常扉が、重く開く。


外の白い朝が見えた。


ニアの身体が崩れ落ちる。


「ニア!」


レンの喉が裂けそうになった。


走ろうとした瞬間、サナがレンの腕を掴んだ。


「行くな!」


「離してください!」


「今行ったら全員死ぬ!」


「ニアが!」


「分かってる!」


サナの声が、初めて荒くなった。


「でも今は、開けた出口を無駄にしないのが先!」


その言葉が、刃みたいに刺さった。


ニアが開けた出口。


そして最後に残した道。


グラムが片膝をつき、血を流しながら言う。


「……行け」


「グラムさん!」


ティナが錯乱したように首を振る。


「嫌です、嫌です、置いていかないで、ニアが、グラムさんが、まだ、まだ――」


リアムがティナを抱えるように引きずった。


顔が真っ白だった。


「行くぞ……行くしかねえだろ……!」


声が震えていた。


セツナは倒れたグラムの腕を止血帯で縛る。


手が速い。

だが、顔は硬い。


「グラムは運ぶ。リアム、肩を貸して」


「分かってる!」


サナが《紅煙》を床へ叩きつけた。


赤い煙が一気に広がり、ネレイスとの間を遮る。


「走って!」


その声で、全員が動いた。


レンは最後に、ニアを見た。


床に倒れている。


小さな身体。


いつも、必要なことだけを言う声。

音を聞いて、誰より先に危険を拾ってくれた声。


その口元が、ほんの少しだけ動いた気がした。


声は聞こえない。


でも、レンには分かった。


行って。


そう言ったのだと思った。


レンは足を動かした。


自分で動かしたのか、サナに引かれたのか分からない。


非常扉を抜ける。


外へ出た瞬間、温室第三棟が内側から白く燃え上がった。


爆発ではない。


焼却。


証拠も、施設も、被験者も、ニアも。


すべてを白い炎が呑み込んでいく。


ティナの叫びが、山に響いた。


「いやああああああっ!」


誰も止められなかった。


リアムはグラムを抱えたまま膝をつき、何も言えない顔で炎を見ていた。


グラムは意識が落ちかけている。


セツナは端末を握りしめている。


その画面には、ヘリオス正規管理番号が残っていた。


彼女はそれを見ていた。


自分の足場が、足元から崩れていくものを見る顔だった。


「……私たちの中に、いる」


小さな声だった。


「ヘリオスの中に、これを流した人間がいる」


サナは返事をしなかった。


ただ、山道の先を見ている。


「動くわよ。まだ追撃が来る」


「ニアが……」


レンの声は、自分でも聞いたことがないほど掠れていた。


サナは一瞬だけ目を伏せた。


「今は、生きてる人間を運ぶ」


それは、正しい。


正しすぎて、残酷だった。


レンは頷けなかった。


黒仮面が、頭の奥で何かを言っている。


『精神反応低下』


『応答してください』


『レン』


初めて、名前を呼ばれた気がした。


それでも、レンは返事をしなかった。


何も考えられない。


自分が決めた。


自分が、今行くと言った。


本隊を待たずに踏み込んだ。


助けるつもりだった。


間に合うと思った。


それなのに、あの瞬間、レンは黒仮面になることをためらった。

正体を守ることを、部下の命より先に置いた。


その結果、ニアが死んだ。

グラムの腕が飛んだ。


そう思った瞬間、胸の奥で何かが壊れた。


ティナは壊れたように泣いている。


リアムは何も言えなくなっている。


レンは動けなかった。


サナがレンの肩を掴む。


「歩きなさい」


「……」


「レン」


返事が出ない。


サナの手に力が入る。


「ここで止まったら、ニアが開けた道まで死ぬわ」


その言葉だけが、かろうじて届いた。


レンは一歩、踏み出した。


足が重い。


剣よりも、仮面よりも、何よりも重い。


背後で、温室が燃えている。


白い炎の中で、証拠も命も、すべてが消えていく。


ネレイスの姿はもう見えなかった。


撤退したのか。

炎の中に残っているのか。

それすら分からない。


ただ、山の奥から冷たい機械音声だけが、最後に響いた。


「黒色因子、未確定」


「次回照合へ移行」


レンは振り返らなかった。


振り返れなかった。


朝日が昇り始めている。


カグラの山は、何も知らない顔で白く光っていた。


その光の中を、レンたちは逃げた。


勝利ではない。


撤退でもない。


ただ、生き残っただけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ