第29話 勝てない相手の隣
南区訓練場には、朝から妙な熱気があった。
ルクス使節団との合同訓練。
その中でも今日は、三対三の模擬戦が組まれている。
アルディア側は、先鋒グラム、中堅リアム、大将レン。
ルクス側は、片手弩の若い兵、短槍の男、細身の女兵。
小隊同士ではなく、役割ごとの地力を見るための並びだった。
「こっちはCランク小隊、向こうは若手精鋭ってわけか」
リアムが槍を肩に乗せたまま言う。
「しかも、カイ本人は出ない」
レンも小さく頷いた。
そこが一番分かりやすい。
カイ・フェルナー。
王都決戦の時点で、ほぼAランク級の扱いを受けていたルクスの若手看板だ。
今では、向こうの上位層に食い込むのも時間の問題だと言われているらしい。
そんな男が前に出ないのは、温存というより、見せたいものが別だからだ。
ルクス側が見せたいのは、カイ個人の強さではない。
カイに続く“層”だ。
王都側も同じだった。
四天王や十傑を出すのではなく、いま育っている若手の小隊を出す。
つまりこれは、見た目ほど単純な勝負ではない。
「向こうも、こっちの地力を見に来てる」
レンが言う。
「看板を出さずに、どこまで強いか」
「嫌な見方するな」
リアムが笑う。
「でも外れてねえ」
ティナは少し不安そうだった。
「隊長、勝てますか」
「勝つよ」
レンは短く答えた。
言い切れる根拠が全部あるわけじゃない。
けれど、ここで迷いを見せる方がまずい。
訓練場の端では、カイがいつもの調子で柵にもたれていた。
いかにも退屈そうで、実際にはかなり細かく見ている目だ。
「始めるぞ」
ガロの声が訓練場へ落ちた。
ざわめきが静まる。
王都側の立会いはガロとフィオナ。
ルクス側は使節団副官の男。
それに加えて、今日は視察として何人か上位の人間も来ていた。
レオナはその一人で、少し離れた場所に立っている。
今日も黒を基調にした軽装で、腕を組んだまま、訓練場全体をじっと見ていた。
そしてもう一人。
アルディア十傑の上位層、Aランクのハイランカー。
ヴァルク・アシュグレイ。
長身で、年齢を感じさせる渋さと圧を同時に持った男だ。
いまは試合を見るだけのつもりらしく、黒剣を腰に下げたまま、壁際に静かに立っている。
レンはあの男を見ると、少しだけ背筋が伸びる。
厳しい。口も悪い。だが現実だけは見誤らない。
灰冠迷宮の頃から、危うさも価値もひっくるめて、レンをいちばん早く見ていた一人だった。
「先鋒、出ろ」
ガロの声に、グラムが前へ出る。
ルクス側からは、片手弩の若い兵が出てきた。
開始直後、弩兵は距離を取りながら撃ってきた。
悪くない。焦っていないし、矢も散っていない。足元と肩を嫌らしく狙ってくる。
だが、相手が悪かった。
グラムは最初の矢を大盾で受けると、そのまま真正面から歩いた。
走らない。
焦らない。
けれど止まらない。
矢が二本、三本と飛ぶ。
足を狙う。肩を狙う。視界を切るように散らす。若い弩兵なりによく考えている。だが、グラムの前進は崩れない。
間合いが詰まる。
弩兵が左へ抜けようとした瞬間、グラムが盾を前へ滑らせた。
重い音。
足場が殺される。
そこで終わりだった。
弩兵は避けきれずに体勢を崩し、次の瞬間にはグラムの剣が喉元へ止まっていた。
静かになる。
早い。
圧倒的というほどではない。
今回は相手にとっても相性が悪かった。
弩兵は悔しそうに唇を噛んだが、礼だけはきちんとした。
グラムは何も言わず、一歩下がる。
「先鋒、アルディア」
ガロが淡々と告げる。
カイが壁にもたれたまま、少しだけ口元を上げた。
「やるなあ、王都の盾」
二戦目。
リアムと、ルクス側の短槍の男。
これは、かなり良かった。
派手さならリアムが上。
だが、嫌らしさは向こうの男が上だった。
短槍の届く距離をじわじわ保ち、無理に取りに来ない。
誘う。待つ。足を止めさせる。そういう戦い方だ。
リアムは最初、少しだけ苛ついた。
それが分かる程度には、レンもこの一年で副長の癖を見てきている。
「乗るな」
レンが小さく言うと、リアムはちらりと視線だけ寄越した。
そこから少し変わる。
リアムは槍の握りを浅くし、あえて一度距離を外した。
向こうが“待ち”に寄せているなら、先に詰める必要はない。
短槍の男が一瞬だけ目を細める。
その一拍を、リアムは逃さなかった。
踏み込み。
槍の石突きで足元を払う。
そのまま穂先を返し、喉ではなく肩口へ止める。
綺麗だった。
「中堅、アルディア」
二連勝。
ティナが小さく息を吐く。
「強いですね」
「リアムが?」
「アルディア側が、です」
その言い方に、レンは少しだけ苦笑した。
そうだ。
今日は個人戦に見えて、個人戦ではない。
アルディア側の若手が、王都の基礎で勝っている。
そこが向こうには見せたいところで、同時に見られたくないところでもあるはずだった。
「最後だな」
リアムが戻り際に言う。
「負けんなよ」
「分かってる」
「いや、分かってない顔してる」
「うるさい」
最後はレン。
相手は、細身の女兵だった。
昨日も見た観測手兼護衛役。
名はリセラ、と紹介された。
真正面から見ると、やはりただの後衛ではない。
細いのに立ち方が静かで、重心が低い。
こういう相手は一番やりづらい。
開始の合図と同時に、リセラは前へ出なかった。
少しだけ横へ流れ、レンの正面をずらす。
つまり、“見る位置”を先に取ってきた。
嫌な相手だ。
レンもむやみに踏み込まない。
昨日のカイで分かった。ルクス側は、真正面より“ずれ”で勝ちたがる。
なら、焦るのは向こうだ。
リセラが一歩だけ近づく。
短い剣。いや、長めのナイフに近い。細い武器を逆手で持ち、身体の外に出さない。
読みづらい。
一手目は牽制。
二手目で、本命が来た。
喉ではない。
肘の内側。
剣を握る側の自由を奪う一撃。
レンは半歩だけ引いて外し、そのまま剣を縦に落とす。
浅い。
だが、浅くていい。
リセラは後ろへ退かず、逆に身体を近づけてきた。
完全に“情報を拾う”動きだ。
この一撃の強さ。
呼吸。
足の置き方。
そういうものを、近い距離で測ってくる。
レンはそこで無理に押さなかった。
一度だけ、手首の向きを変える。
剣の軌道が半拍ぶれる。
リセラの目が一瞬だけそちらへ寄る。
その一拍だけでいい。
レンは踏み込みを半歩短くして、胸元ではなく腹の中心へ剣を止めた。
遅れて、リセラの刃先がレンの肩へ触れる。
ほぼ同時。
だが、深さはこちらが上。
静かになる。
判定は少し揉めた。
ルクス側は「同時」に近いと言い、ガロは「先に取っている」と切る。
最終的にフィオナが間へ入り、「わずかにアルディア」とまとめた。
「大将、アルディア」
三連勝。
だが、歓声というよりは戸惑いに近い。
ルクス側も弱くない。
弩兵は若いが、短槍の男もリセラも、普通の若手ではない。
それを王都の若手小隊が三つ取った。
その結果に、いちばん納得していない顔をしていたのは、案の定カイだった。
「……納得いかないな」
ぽつりと、それだけ言った。
声は大きくない。
だが、訓練場は妙によく聞こえる。
カイが柵から身を離し、中央へ歩いてくる。
「何がだ」
ガロが問う。
「勝ち負けは見たままです。でも、これで終わるのはつまらない」
「見世物に来たわけじゃねえぞ」
「分かってますよ」
カイは軽く返しながら、訓練場の奥へ目を向けた。
その先に立っているのは、ヴァルクだった。
レンは息を止める。
まさか、と思った時には、カイはすでに口を開いていた。
「ヴァルクさん」
「せっかくなら、Aランク同士で一本手合わせしてくれません?」
訓練場の空気が変わる。
ざわめき。
誰かが息を呑む。
ティナが「うわ」と小さく漏らし、リアムは目を丸くした。
ヴァルクはしばらく黙っていた。
それから、少しだけ笑う。
「若いな」
「そういう年なんで」
「王都の若手が思ったより骨がある。だったら、上も見とかないと損でしょう」
ヴァルクは鼻を鳴らした。
「口の軽いガキだ。だが、言ってることは間違っちゃいねえ」
ガロが苦い顔をする。
「おい」
止める気だ。
だがヴァルクが手で制した。
「構わん。軽くならな」
レオナがその時、初めて口を開いた。
「軽くで済む相手じゃないだろ」
視線はヴァルクへ向いている。
カイではない。
ヴァルクへ向けて言った。それでレンは少しだけ引っかかる。
ヴァルクは首を鳴らした。
「老骨にも、たまには若い火花が必要だ」
そう言って、訓練場の中央へ歩いていく。
黒剣が抜かれた瞬間、空気の密度が変わった。
重い。
ただ立っているだけで、場の温度が一段下がる。
これがAランク上位層。
十傑の壁だ。
カイも双剣を抜いた。
さっきまでの軽さはまだ残っている。だが、足元だけは別人みたいに静かになっている。
開始の合図。
次の瞬間には、もう砂が舞っていた。
レンは目を見開く。
速い。
いや、速いだけでは足りない。
身体強化術式。
Aランク以上がまともに使いこなせる、全身出力の底上げ。
レンも知識としては知っていた。ガロやフィオナから話は聞いている。だが、実際に目の前でぶつかるのを見るのは、ほとんど初めてだった。
ヴァルクの踏み込みは重い。
重いのに速い。
《グレイファング》の一撃ごとに空気が裂け、受けるたびにカイの双剣が火花を散らす。
対するカイは、軽い。
軽いまま速い。
真正面から押し返すのではなく、半歩、四分の一歩、紙一重でずらし続ける。
一合。
二合。
三合。
見えているのに、細部が追いつかない。
「……すごい」
ティナが呟く。
リアムですら無言だった。
ニアはほとんど瞬きをしていない。
グラムだけが、静かなまま目を細めている。
前半は、ヴァルクが押していた。
長年その地位を守ってきた男の、地力の差だ。
剣圧。
踏み込みの重さ。
受けた後の立て直し。
全部が、まだカイより一段深い。
「Aランクって、こういうことかよ……」
レンは小さく呟いた。
届かない。
悔しいとか以前に、階層が違う。
それでも、カイは崩れなかった。
押されながら、細いところで残る。
削られても、完全には折れない。
そして後半。
ふいに、空気が変わった。
ヴァルクの踏み込みが、半拍だけ鈍る。
レンは最初、自分の見間違いかと思った。
だが違う。
次の一撃で、明確に分かった。
さっきまで押していたはずの《グレイファング》が、ほんの少しだけ浮く。
押し込みが浅い。
呼吸も、一つ乱れた。
その異変に気づいたのは、レンではなかった。
レオナだ。
離れた位置で見ていた彼女の眉が、ほんのわずかに動く。
カイは見逃さない。
さすがにその格だ。
押されていたはずの流れを一気にひっくり返す。
双剣が前へ出る。
細い連撃。
喉、肩、膝。
一気に取るつもりの踏み込みだ。
ヴァルクは受ける。
受けるが、明らかに苦しい。
レンの背筋へ冷たいものが走る。
何かある。
けれど周囲の兵たちは、ほとんどまだ気づいていない。
強い者同士のぶつかり合いが速すぎて、“流れが変わった”としか見えていないのだ。
レオナが一歩前へ出る。
次の瞬間、訓練場へ声が落ちた。
「そこまでだ!」
鋭い。
迷いのない声だった。
全員の動きが止まる。
ヴァルクの剣先が半歩下がる。
カイも双剣を引いた。
静寂。
レオナが中央へ入る。
「ここから先は模擬戦の枠を越える」
誰も反論できない声音だった。
ガロが一歩遅れて前へ出る。
フィオナも何かを察した顔で黙っている。
カイが少しだけ不満そうに言った。
「まだやれますけど」
レオナはそちらを見ない。
「引き分けだ」
短く、切るように言った。
ヴァルクは何も言わなかった。
ただ、ほんのわずかに息が深い。
レンはそれを見て、胸の奥がざわつく。
何かがおかしい。
だが、今ここでそれを言葉にできるほどの確信はない。
カイも完全には納得していない顔だった。
だが、レオナの声音に逆らうつもりはないらしい。最後に双剣を収め、肩をすくめた。
「了解です。王都最強に止められたら、こっちも引きますよ」
軽い。
だが、目だけはまだ熱を残していた。
試合はそこで終わった。
訓練場のざわめきは、勝ち負けのそれではない。
“今、何が起きた?”
そんな戸惑いが混ざっている。
レンも同じだった。
ヴァルクは強かった。
間違いなく、いまでも強い。
でも途中で、確実に何かが落ちた。
レオナだけが、それにいち早く気づいた。
その違いが、また遠い……。
◇ ◇ ◇
解散後、レンは南区の裏手を通って兵舎へ戻ろうとして、ふと足を止めた。
回収係の搬入口の前に、見覚えのある背中があったからだ。
「……あ」
思わず声が出る。
振り向いた相手も、一瞬だけ目を見開いた。
「レン?」
ゴードン班長だった。
少し猫背で、目つきが悪くて、上の人間の前では妙に腰が低い。
その後ろには、もっと懐かしい顔があった。
「……ミア」
呼ぶと、ミアが少しだけ笑った。
「久しぶり」
その一言だけで、妙に時間が巻き戻る。
王都決戦の前。
訓練の合間や休憩場で、どうでもいい話をしていた時の空気が、一瞬だけ胸の奥へ戻ってきた。
王都決戦のあとから、互いに忙しかった。
レンはレンで、上へ押し上げられるように任務が増えた。
ミアも前線寄りへ出るようになったと聞いていた。
会えそうで会えないまま、気づけば一年近く経っていた。
「そっちこそ、生きてたんだね」
ミアが言う。
「何だその言い方」
「だって、ほんとに危ない方ばっか行ってるって聞くし」
少し笑っているのに、その目の奥はほんの少しだけ本気だった。
レンもつられて笑う。
「そっちも変わってないな」
「そっちは変わった」
ミアはまっすぐ言った。
「びっくりするくらい」
そこでゴードンが、待ってましたとばかりに割って入る。
「いやあ! レンじゃないか! 聞いてるぞ、お前、今じゃCランク小隊長だってな!」
声がでかい。
愛想もでかい。
分かりやすすぎる。
昔なら顎で使っていたくせに、今はあからさまに機嫌がいい。
「お久しぶりです、班長」
レンは礼だけ崩さない。
ゴードンはその態度に少しだけ安心したような顔をした。
「いやあ、見違えたぞ! ほんとに上まで行ったもんだな!」
「ゴードンさん、声大きいです」
ミアが横から小さく言う。
レンはその後ろにいる若い兵たちにも目を向けた。
いま回収係に入っている連中だろう。顔は知らない。だが、昔の自分みたいに少し居心地悪そうな顔をしている。
「班の方はどうですか」
レンが聞くと、ゴードンの顔から一瞬だけ調子のいい笑みが薄れた。
「どうもこうもねえよ。最近は前より、後の方が気味悪い」
「後?」
「残骸だよ」
ゴードンが少し声を落とす。
「王都決戦の頃より、変な混ざり方してるのが増えてる。拾ってるこっちの方が、先に嫌な感じに気づくこともある」
レンの表情が少しだけ変わった。
それは現場兵とは別の目だ。
戦いのあとを歩く人間にしか分からない違和感がある。
壊れ方。
混ざり方。
踏んだ時の音。
そういうものは、上にいるほど見落とす。
「今日も何かあったんですか」
ゴードンは周りを一度見てから、布に包んだ小さな金属片を取り出した。
「南東の回収で出た。見た目はただの中枢片だが、何か妙でな」
レンはそれを受け取った。
見た目は、ありふれた破片にしか見えない。
だが表面の規格線が妙に古い。
王都で見慣れた制御式と少し違う。嫌な冷たさがある。
頭の奥で、黒仮面がほんの短く鳴った。
『同系規格反応、微弱』
レンは表情を変えなかった。
「どこで拾ったんです」
「崩れた回収路の下だ」
ゴードンが答える。
「普通の残骸に混ざってたが、俺はすぐおかしいと思った。いや、ほんとだぞ? こういうのは場数だからな」
その言い方で、レンはだいたい察した。
これはただ渡したいだけじゃない。
“自分が見つけた”と分かる形で上へ回してほしいのだ。
ついでに言えば、この手柄で少しでも今の立場から浮かび上がりたい。そういう下心もある。
ゴードンはさらに少しだけ声を低くする。
「お前、今ならこういうの上に回せるだろ。できれば、どこから出たかもちゃんと伝えといてくれ。
いや、別に俺がどうこうって話じゃないんだが……その、現場を見てる人間も、少しは報われてもいいだろ」
露骨と言えば露骨だった。
でも、その必死さは少しだけ分かる。
回収係のまとめ役なんて、手柄になりにくい。
汚れ仕事で、危なくて、見落とされやすい。
それでも誰かがやらなきゃならない場所だ。
レンは金属片を握り、頷いた。
「分かりました。出所も含めて、こっちで回します」
ゴードンの顔が、分かりやすく明るくなる。
「お、おう。助かる」
その横で、ミアが少しだけ呆れた顔をした。
だが、何も言わない。
代わりにレンの方を見て、小さく言う。
「……また今度、ちゃんと話そう」
その言い方は軽いのに、少しだけ熱があった。
レンも頷く。
「そうだな」
昔の班長。
昔よく顔を合わせた相手。
もう同じ場所にはいない。
それでも、こうしてまた交差する。
低い場所で拾われた断片が、時々いちばん深いところへ繋がっているみたいに。
人もたぶん、そういうことがあるのだと思った。
レンは金属片を握ったまま、小さく息を吐いた。




