第28話 カイという火花
ルクスの使節が王都へ着く、と聞いた時、レンはまず面倒くさそうだなと思った。
それは別に、ルクスという国そのものが嫌いだからではない。
西海自由同盟ルクスは、商いと情報と航路で成り立つ国だ。金の匂いに敏く、空気を読むのも、空気を壊すのも上手い。
敵に回せば面倒だし、味方にしても気が抜けない。そういう類の国だった。
また、あいつが来るのか……。
レンの頭に一人の人物が浮かんだ。
カイ・フェルナー。
軽装コート。
双剣《オルト》。
明るい髪。
人を食ったような笑み。
王都決戦前の合同訓練で初めて顔を合わせた時から、あの男は妙に距離が近かった。
軽い。
馴れ馴れしい。
勘もいい。
しかも、こっちが嫌がるところほど楽しそうに踏み込んでくる。
正直、得意な相手ではない。
けれど、嫌いかと聞かれると、それも少し違う。
気に食わないのに、なぜか印象に残る。
そういう相手だった。
「隊長、顔が嫌そうです」
南区詰所の廊下で、ティナが書類束を抱えたまま言った。
「まだ何も言ってないだろ」
「言ってないですけど、書いてあります」
「どこに」
「顔に」
レンは眉をひそめた。
ニアは壁際に寄って立ったまま、ちらりとこちらを見る。
リアムは槍の柄を肩へ乗せ、あからさまに面白がっていた。
「ルクスの使節って聞いた瞬間にその顔だ。心当たりあるんだろ」
「あるけど、別に嫌いなわけじゃない」
「じゃあ何です」
ティナが聞く。
レンは少し考えた。
嫌いじゃない。
でも会うと疲れる。
向こうもたぶん、同じくらいこっちを面倒だと思っている。
それでも、会えば会ったで、少しだけ気になる。
口にするにはややこしすぎた。
「……うるさい相手」
「ふうん」
リアムが鼻で笑う。
「気に食わない、の間違いじゃなくてか」
「半分はそれ」
「残り半分は?」
「知らない」
「雑だな」
「そっちに言われたくない」
詰所の奥からガロが出てきた。
朝の教導が終わったばかりらしく、顔色はいつも以上に悪い。寝不足なのか元からこうなのか、今でも判別がつかない。
「何の話だ」
「ルクスの使節が来るって話です」
リアムが答えると、ガロは短く息を吐いた。
「面倒だな」
「全員同じ反応ですね」
ティナが言う。
「当たり前だ。ルクスは笑って近づいてくる時ほど、懐で刃を研いでる」
ガロはそう言ってから、レンの方を見た。
「お前、名前は聞いてんだろ」
「はい。カイ・フェルナー」
「どういう相手だ」
聞かれて、レンは少しだけ言葉に詰まった。
強い。
軽い。
腹が立つ。
でも油断すると置いていかれる。
それを一言で表すなら――。
「……やりづらいです」
ガロが鼻を鳴らす。
「それならちょうどいい。やりやすい相手とだけ組んで強くなれるなら、誰も苦労しねえ」
それはその通りだった。
今回の任務は、王都南東外縁の旧補給路周辺における合同索敵と、周辺ビーストの間引き。
こちらからはレン小隊。向こうからはカイと観測手兼護衛役、それに兵士が数名。小規模で、だからこそ互いの地が出る。
王都の兵は、守るために厚く組む。
ルクスの兵は、抜けるために薄く散る。
どちらが正しいかではなく、土台が違う。
その違いがある相手と組んで、崩れずに動けるかを見たいのだろう。
ただ、そこに一つだけ引っかかりはあった。
「でも、ちょっと釣り合ってなくないか」
レンが言うと、リアムが頷いた。
「まあな。こっちはCランク小隊。向こうはカイ・フェルナーだ」
ティナが首を傾げる。
「そんなにすごいんですか?」
「すごいぞ」
リアムが即答した。
「王都決戦の頃でも、ほぼAランク扱いだったはずだ。今じゃルクス側じゃ“次に十傑ハイランカーへ食い込む若手”って見られててもおかしくない」
「じゃあ何で、そんな人がこんな小規模任務に?」
ティナの疑問はもっともだった。
答えたのはガロだった。
「向こうが見たいのは、敵の数じゃねえ。こっちのやり方だ」
レンもそこで腑に落ちる。
大規模戦なら、上位は上位同士でぶつかる。
でも今は違う。
王都は、王都のやり方で小隊を動かす。
ルクスは、ルクスのやり方で小人数を捌く。
その差を、現場の距離で測りたい。
しかもカイは、ルクスの若手看板だ。
向こうとしては、ただ兵をよこすより、顔になる人間を出した方が意味がある。
友好の名目も立つし、王都側の若手を値踏みするにも都合がいい。
「つまり、あっちは“代表”で来るってことですか」
ティナが言う。
「そうだろうな」
レンが答える。
「その代わり、大部隊は連れてこない。多すぎると監視になるし、少なすぎると礼を欠く。だから、あっちは精鋭の少人数」
「面倒くせえな」
リアムが呟いた。
「面倒だよ」
レンも同意した。
「でも、向こうから見たら、こっちだって似たようなもんだろ。四天王や十傑じゃなくて、わざわざCランク小隊を出してるんだから」
リアムが少しだけ目を細める。
「ああ。若手の“これから”同士を当ててるわけか」
「上は上で話してる。現場は現場で見ろ、ってことだろ」
「嫌な役回りだな」
「そうだな」
けれど、それは同時に悪い話でもなかった。
いまのレンは、四天王や十傑の背中を見上げることには慣れている。
けれど、同年代で、自分と違う国の、しかも将来の中心に立つかもしれない相手と並ぶ機会はそう多くない。
火花は、近い距離でしか散らない。
リアムが言った。
「まあ、いい機会ではあるな」
「何の」
「隊長が同年代とちゃんとやり合えるかどうか見る機会」
「やり合ってるよ、普段から」
「年上に鍛えられてるのと、同年代で張り合うのは別だろ」
レンは黙った。
否定はしづらい。
王都には同年代の兵も多い。
だが今のレンの周囲には、年上か、遥か上にいる人間が多かった。
ガロ。
レオナ。
フィオナ。
シオン。
ヴァルクもそうだった。
強い人間に引き上げられることと、同じ高さで火花を散らすことは、たしかに別物だ。
南門へ出ると、使節団はすでに着いていた。
先頭で手を振っている姿を見た瞬間、レンはやはり少しだけ顔をしかめた。
「どうも、王都の人気者」
開口一番、それだった。
カイ・フェルナーは相変わらずだった。
明るい髪を適当に後ろへ流し、軽装コートの裾を風に揺らしながら、いかにも楽しそうな顔でこちらへ歩いてくる。
「最初の一言がそれか」
レンが言うと、カイは笑った。
「だって分かりやすく嫌そうな顔するから」
「誰のせいだよ」
「俺」
即答だった。
腹が立つ。
でも、ちょっとだけ笑いそうになるのがもっと腹立たしい。
カイはレンの前まで来ると、わざわざ上から下まで眺めた。
「へえ。前よりちゃんと隊長っぽい」
「何だよ、その褒め方」
「褒めてるんだよ」
「雑すぎるだろ」
「お前にはちょうどいい」
その言い方がいちいち鼻につく。
それでもレンは気づく。
前に会った時より、この男の目は少しだけ違っていた。
軽さは変わらない。
でも、相手を測る時の視線が前より露骨じゃない。
ただ眺めているんじゃなく、“見ている”目だ。
カイの後ろには、ルクス側の兵が三人。
観測手兼護衛役らしい細身の女兵と、短槍持ちの男、それに片手弩を下げた若い兵。王都の小隊ほど統一感はないが、誰もが軽く動ける装備をしている。
観測手はB寄りのCくらい、短槍と弩の二人はC中位から下位――そんなところだろうと、レンはざっと見積もった。個々ではこちらと大差ないが、身のこなしは洗練されている。
「こっちがレン小隊?」
カイが言う。
「ああ」
「で、あっちが例の副長さんか」
リアムを見て、カイが軽く手を上げる。
「どうも。話だけは聞いてる」
リアムが槍の柄に腕をかけたまま、薄く笑った。
「ろくな話じゃなさそうだな」
「大丈夫。半分は本当だ」
「残り半分は?」
「盛ってる」
「正直だな」
ティナが横から呆れたように言う。
「隊長、この人ほんとに前からこんな感じなんですか」
「ずっとこんな感じ」
「そっちもわりと棘あるな」
カイが言う。
「前はもう少し黙って困ってた気がするけど」
レンは少しだけ顔をしかめた。
それはたしかに、否定しづらかった。
「成長したんだよ」
「へえ」
カイは笑う。
「それなら今日は見ものだな」
任務前の簡単な確認が済むと、合同隊は南東外縁へ向かった。
王都の外縁は、一見すると立て直りつつある。
だが、少し外へ出ればまだ爪痕だらけだ。
崩れた補給路。
半ば埋まった旧水路。
焼けた荷車。
一度修復しかけて、また途中で諦めた壁。
王都決戦のあと、街の中心を先に戻すのは当然だ。
だからこういう端は、どうしても遅れる。
「王都ってさ」
歩きながらカイが言う。
「遠目で見ると立て直してるのに、近づくとまだ生々しいな」
「そういうもんだろ」
レンが答える。
「見せたいところから直す」
「嫌いじゃない」
カイはそう言って、崩れた石壁に手を触れた。
「傷を隠す国よりは、ずっといい」
その言い方は軽いのに、妙に耳へ残る。
リアムがちらりとレンを見る。
たぶん同じことを感じたのだろう。
軽い男のくせに、時々だけ妙にまっすぐなことを言う。
だから余計にやりづらい。
旧補給路へ着くと、ニアが先に地形を見た。
しゃがみ込み、土を触り、耳を澄ませる。
「……前に四」
小さな声。
「狼型二つ。残り、重い」
「重い?」
「脚が遅い。たぶん混成」
レンは頷いた。
「俺とグラムが正面。リアムは右から圧をかけてくれ。ティナは全体見ろ。ニアは増えたらすぐ言って」
カイが口を挟む。
「ルクス側は?」
「自由でいい。ただし勝手に奥へ抜けるな」
「信用ないな」
「まだ薄い」
「正解」
カイは笑った。
ルクス側の観測手が、少しだけ目を細めた。
こちらの返しが面白かったらしい。
戦闘は、その直後に始まった。
狼型二体が正面。
崩れた荷車の裏からもう一体。
それに加えて、壁沿いの影から細い混成寄り個体が一つ。
普通の掃討なら面倒だが、崩れるほどではない数だ。
「前!」
レンの声でグラムが盾を出す。
一体目を受け、二体目をリアムが脚で止める。
三体目へレンが入る。
首下へ剣を差し込み、勢いを殺す。
そこまではいい。
問題は、壁沿いの細身だった。
そいつは真正面ではなく、少し外から支援を噛みに来る動きだった。
ティナではなく、ルクス側の観測手の方へ向かう。
「右!」
レンが叫ぶ。
だが、その前にカイが滑り込んでいた。
軽い。
あの双剣は見た目以上に扱いがうまい。
右手の《リベル》で前脚を流し、左手の《オルト》で関節へ浅く入れる。殺すための一撃ではない。重心だけを剥がす、性格の悪い斬り方だ。
そこへレンが正面から入り、肩下の継ぎ目へ剣を押し込んだ。
金属音。
火花。
細身個体が横倒しになる。
「へえ」
カイが息を吐く。
「前よりちゃんと合わせてくる」
「そっちこそ」
「褒めた?」
「別に」
「褒めたな」
腹が立つ。
その直後、ニアが短く言った。
「……まだいる」
レンの背筋が即座に張る。
「どこ」
「左。高い」
声と同時に、崩れた見張り台の上から影が落ちた。
二体目の細身個体。
真っすぐ、カイの背後。
レンの心臓が強く跳ねる。
気づいてない――そう思ったのは、本当に一瞬だった。
次の瞬間には、カイの身体がすでに半歩ずれていた。
振り向きざま、右手の《リベル》が細い軌道を描く。
一撃目で前脚を断ち、左手の《オルト》がほとんど遅れなく胴体を切り裂く。
速い、というより短い。
動きそのものが削ぎ落とされていて、見えた頃には終わっていた。
細身個体の身体が、崩れるより先にずれた。
ずれたまま、数歩ぶん遅れて地面へ落ちる。
カイは血払いでもするみたいに双剣を軽く振って、ようやく振り返った。
「危ない顔したな」
その声に、レンは息を詰めていたことに気づく。
「してない」
「したよ」
カイは笑った。
「助けに来る顔だった」
レンは舌打ちを飲み込む。
正直、そう見えても仕方がなかった。
今の動きは、レンの目から見ても抜けていた。
Aランク。
しかも、その中でも上の方。
目の前で見せつけられると、嫌でも分かる。
同年代だとか、軽口を叩くだとか、そういう話の前に、地力の差がある。
カイはそれ以上何も言わず、足元の残骸を軽く蹴った。
「一応言っとくけど、今のは気づいてたからな」
「だろうな」
「何だその顔」
「腹立つ顔」
「褒め言葉として受け取っとく」
やっぱり気に食わない。
でも、強い。
それだけは、認めないわけにいかなかった。
休憩は短く取られた。
崩れた水路脇に腰を下ろし、水筒を回す。
ティナはルクス側の観測手へも普通に水を渡し、リアムは槍の穂先を拭い、グラムは周囲を見たまま動かない。
ニアは少し離れた場所で耳を澄ませていた。
カイがレンの隣へ来る。
「さっきの」
「何」
「お前、前より動き変わったな」
レンは水筒を口元で止めた。
「そうか?」
「そうだよ」
カイは壁にもたれ、空を見上げた。
「前はもっと、行くか止まるかで迷ってる感じだった」
「失礼だな」
「褒めてる」
カイは笑う。
「今は、迷っても足は出る」
レンは少しだけ眉を寄せた。
その言い方は、妙に正確だった。
「お前は?」
「何が」
「前より嫌な感じになった」
カイが一瞬だけ目を瞬かせ、それから声を立てずに笑った。
「光栄だな」
「褒めてない」
「知ってる」
その返しが腹立たしい。
でも、前より嫌いじゃなかった。
帰り道、リアムが小声で言った。
「隊長、あいつ嫌いだろ」
「何でそうなる」
「顔に出てる」
「出てない」
「いや出てる」
ティナまで笑う。
「でもちょっと似てますよね」
「何が」
「面倒くさいところ」
レンは眉をひそめた。
否定したかった。
だが、少しだけ言葉に詰まったのが悔しい。
ニアが前を向いたままぼそりと足した。
「……危ない方へ行くところも」
「おい」
レンが言うと、ニアはそれ以上何も言わなかった。
ただ、外れてはいない。
◇ ◇ ◇
その日の夕方、報告を終えたあと、レンは南区兵舎の裏手で一人になった。
空はまだ少し赤い。
風は弱く、遠くから子どもの声がする。
平和そうな時間だ。平和そうに見えるだけで、本当はそうじゃないと知っていても、こういう時間の匂いは嫌いになれない。
背後で足音がした。
振り向くと、カイだった。
「またお前か」
「人を害虫みたいに言うなよ」
「何の用」
「確認」
「何を」
カイは手すりへ片肘を置く。
「やっぱり、お前ちょっと気に食わないなって」
「喧嘩売りに来たのか」
「半分は」
あっさり言う。
「もう半分は?」
「前よりちゃんと面倒な相手になってた」
レンは少しだけ黙る。
カイは空を見たまま続けた。
「前に会った時は、強くなる前の匂いがしてた」
「何だよそれ」
「上手く言えないけど、まだ形が決まってない感じ」
そこでようやく、カイはレンの方を見る。
「今日のお前は、ちゃんと“今の自分で戦ってる”感じがした」
その言葉に、レンは一瞬だけ息を止めた。
軽い男のくせに、時々だけ妙にまっすぐなことを言う。
そういうところが厄介だ。
「……そっちこそ」
レンが言う。
「前より、だいぶ嫌な強さしてた」
カイが笑う。
「それは褒めてるだろ」
「半分な」
「残り半分は?」
「同年代にああいうの見せられると腹立つ」
カイは一瞬だけ目を見開いたあと、面白そうに口元を上げた。
「言うじゃん」
「そっちほどじゃない」
「いや、今のは良かった。覚えとく」
また少し沈黙が落ちる。
不思議と居心地は悪くなかった。
仲良くなったわけじゃない。
まだむしろ、気に食わない部分の方が多い。
でもたぶん、こういう相手は悪くない。
正面から褒め合うより、少しぶつかったまま横に立つ方が、長く残る関係もある。
その時、遠くで夕鐘が鳴った。
カイが身体を起こす。
「そろそろ戻るか。使節団の面子、あんま待たせると面倒だし」
「自覚あるんだな」
「ある。だから困る」
歩き出しかけたところで、カイがふいに振り返った。
「レン」
「何」
「次はもうちょい本気でやろうぜ」
それは誘いとも挑発ともつかない言い方だった。
レンは少しだけ間を置いて、答える。
「そっちが先に手ぇ抜くなよ」
カイは何も言わずに笑い、手を上げて去っていった。
背中を見送りながら、レンは小さく息を吐く。
面倒なやつだと思う。まだまだ力の差もある。
それはたぶん本当だ。
でも、こういう相手は嫌いじゃない。
ただ上から見下ろされるより、ずっとやりやすい。
頭の奥で、黒仮面の声が短く鳴った。
『相互観測を確認』
「うるさい」
『否定はしませんか』
「しないだけだ」
『了解』
それきり静かになる。
レンは夕焼けの残る空を見上げた。
火花は、強い方だけでは散らない。
ぶつかって、ようやく熱が見える。
胸の奥に残ったものを、まだ言葉にするつもりはなかった。




