第25話 Cランクの小隊長
「行くぞ」
レンがそう言うと、小隊の四人はそれぞれ短く応じた。
王都南東、旧監視路跡。
外壁から少し離れた丘の中腹に、半壊した見張り塔が一本だけ残っている。王都決戦の余波で周辺の地形はだいぶ崩れ、石組みの階段も、監視路をつなぐ細い通路も、ところどころ土砂に呑まれたままだ。
そこへ昨夜から小型ビーストの反応が出ている。避難は済んでいる。
任務は索敵、掃討、残骸回収。規模だけ見れば、Cランク小隊の通常任務に近かった。
だが、小さい任務ほど、ごまかしは利かない。
「前は俺とグラム。リアムは少し右へ張って、崩れたら横から押さえてくれ。ニアは塔の裏を先に見てこい。ティナは後ろから全体を見ろ。怪我人が出てからじゃなく、怪我しそうな場所を先に拾ってほしい」
「はいはい」
リアムはいつものように、少し投げやりな声で肩をすくめた。
だが、その声には以前みたいな露骨な不信は、もうほとんど混ざっていない。
「了解っす」
ティナがそのあとに元気よく返す。
リアム・ハース。年齢はレンより三つ上。
槍盾を扱う副長格で、もともとは地方守備隊あがりの男だ。現場経験が長く、年のわりに擦れていて、初対面ではだいたい態度が悪い。
実際、レンが小隊長に着いたばかりの頃は、「若いだけの昇格組だろ」と顔に書いてあるような態度を隠そうともしなかった。
だが、それでも任務で命を預ける時は手を抜かない。
そういう意味では、最初から信用できる種類の男でもあった。
ティナ・ベルは治療補助と後方支援が持ち場。
年齢はレンより一つ下で、明るく、妙に肝が据わっている。空気が重くなった時に限って変なことを言い出すので、最初は落ち着きのない奴だと思っていたが、あれはたぶん意識してやっている。
誰かが黙りすぎると、わざと軽い話題を差し込んで、場が沈み切るのを防いでいるのだ。そういう図太さは、戦場だと案外貴重だった。
ニア・セルはもう瓦礫の影へ消えている。
レンより二つ下。索敵担当。
小柄で、口数が少なく、気配まで薄い。足音も息遣いも控えめで、兵舎ですれ違っても気づかれないことがある。
だが危険の匂いを拾うのは異様に早い。本人は無愛想だが、小隊の中でいちばん“先に死ぬ気配”に敏感なのはたぶんニアだ。
グラム・ロート。
年齢はリアムと同じくらい。重装兵で、ほとんど喋らない。
喋らないうえに顔も動かないので、初めて会うと何を考えているのか分からないが、行動だけはいつも一貫している。守ると決めたら前へ出る。
退くと決めたら最後まで残る。大盾を構えた時の安定感だけは、小隊の中でも群を抜いていた。
四人とも、王国全体で見ればまだまだ若手だ。
だが、若いからといって軽くは見られない程度には、もう場数を踏んでいる。
そして、レンはその中心に立つ。
Cランク小隊長。
たった一年前には想像もしなかった言葉だった。
王都決戦の少し前まで、レンは最底辺Fランクの回収係だった。
死体を運び、壊れた機械を拾い、誰かが戦ったあとの汚れた場所を片づける。それが自分の役目だと、半ば諦めたように思っていた時期が確かにある。
灰冠迷宮の夜でEへ上がり、その後の戦線整理と実績でDへ。
そして王都決戦を経て、いまはC。
字面にすると、たしかに進んだ。
だが、中身の自分まで劇的に変わったとは思えない。
剣の腕はまだ足りない。
Bランクの上位はおろか、Aランク相手となれば何もかも足りない。
黒仮面がない時の自分は、いまもなお、その現実に何度も向き合わされる。
それでも、立つ場所だけはもう変わってしまった。
今は自分一人で済む話じゃない。
一歩間違えれば、自分の判断で四人を死なせる立場だ。
「ニア」
レンが低く呼ぶ。
少しして、年下の索敵手が影の中から戻ってきた。
「……二体」
いつもの通り、必要な情報だけを寄越してくる。
「小型か」
「一つは狼型。もう一つ、混成寄り」
その一言で、小隊の空気が一段締まった。
王都決戦以降、普通の掃討任務でも油断はできなくなった。
ビーストの残骸に、別系統の中枢や部材が継ぎ足された“混成寄り”が紛れることがあるからだ。数が少なくても厄介で、何をしてくるか読みにくい。
人間で言えば、違う兵種の身体を無理やり一つの鎧に押し込めたような気味の悪さがある。
「隊形変えるか?」
リアムが槍を肩で回しながら言う。
「いや、そのままでいい」
レンは塔の崩れ方を見る。
瓦礫の寄り方。
逃げ道の幅。
ティナが一番遅れる位置。
グラムが盾で止められる角度。
ニアが戻る時間。
リアムの槍が活きる距離。
ガロに叩き込まれているのは、そういう見方だった。
戦う前に、崩れた時の絵を作る。
一人で勝つためじゃない。全員で戻るための形を、先に見ておく。
「俺とグラムで正面を釣る。混成が出たらリアムは足を狙え。ニアは深追いするな。ティナ、俺じゃなくて全体を見てろ」
ティナが小さく眉を上げる。
「それ、だいたい隊長が一番危ないって、自分で分かって言ってます?」
「分かってる」
「じゃあ、いいです」
軽い返し。
でもそれは、信じている声でもあった。
レンは剣の柄を握り直す。
「行くぞ」
今度は四人とも迷いなく動いた。
最初に飛び出したのは狼型だった。
塔の陰から低く這うように出てきて、グラムの喉笛へ一直線。
だがグラムの大盾がすでに前へ出ている。重い音。狼型の牙が弾かれる。
その横から、リアムの槍が右脚関節を抜いた。
「一つ!」
ティナの声が飛ぶ。
その直後、監視塔の内壁が弾けた。
混成寄り中型個体。
細身のガーディアン骨格に、ビーストの脚部を雑に継ぎ足したような、不格好なくせに速い機体だった。黒い外装の継ぎ目から、青白い発光線が細く漏れている。
普通の掃討には出ない類だ。
そいつはレンではなく、後方のティナへ向かった。
判断が速い。
支援役を落としに来ている。
「ティナ、下がれ!」
叫ぶより先に、レンの足が出た。
正面から押し合えば負ける。
今の自分はAでもBでもない。Cランクの中でも、まだ発展途上の側だ。
それでも、ここで遅れればティナがやられる。
混成個体の刃腕が閃く。
レンは半歩だけ外へ流れ、その軌道を“受ける”のではなく“滑らせる”。真正面から止めれば肘ごと持っていかれる。
殺すべきは刃ではなく、勢いの芯だ。
火花。
衝撃。
「リアム!」
「分かってる!」
槍が飛ぶ。
胸ではなく、右脚関節。深くはない。だが十分に体勢を崩せる角度だった。
そこへ、グラムが大盾ごとぶつかる。
混成個体の重心が流れた。
ニアの短剣が側面から飛ぶ。
単眼の縁を削る。ほんの一拍、視界がぶれる。
レンはその隙へ飛び込んだ。
遅い。
でも、遅いなりに入れる場所はある。
肩下の継ぎ目。
そこだけ装甲の合わせが浅い。
剣を差し込む。
硬い。
押し込む。
さらに体重をかける。
金属が軋み、混成個体が痙攣した。
そのまま横倒しになる。
静かになる。
ティナが深く息を吐いた。
「……心臓に悪いです」
リアムが槍を引き抜きながら、苦い顔で笑う。
「隊長、お前ほんと危ない方へ行くな」
「行かないと間に合わなかった」
「それはそうだけどな」
そこで、グラムが低く言った。
「悪くない」
一言だけ。
だが、この男の評価としてはかなり珍しい。
レンは少しだけ目を見開き、それから剣を下ろした。
ニアが倒れた混成個体を見下ろしながら呟く。
「最近、増えてる」
「分かる」
レンも頷いた。
王都決戦のあと、表面上は大きな侵攻が止んだ。
だが現場の感覚では、敵はむしろ細かく嫌になっている。
露骨な大軍ではなく、観測と試験を兼ねたような小規模接触。
混成の質も少しずつ変わってきている。
静かになったのではない。
向こうも次の形を試しているだけだ。
塔の残骸を調べていると、ニアが小さな中枢片を拾った。
「これ、ヘリオス」
「だな」
リアムが眉をひそめる。
「セツナ技官がまた嫌な顔しそうだ」
「セツナさん、だいたいいつも嫌な顔じゃないです?」
ティナの一言で、少しだけ空気が緩む。
レンは塔の上から王都を見た。
城壁。
朝の旗。
修復の槌音。
遠くを歩く市民。
守るべきものは、もうはっきりしている。
その一方で、自分の強さはまだ心もとない。
AとBの壁は、今でも遠い。
それでも、前より“間に合う場面”が増えた。
小さなことでも、それは事実だった。
「撤収する」
レンが言う。
「残骸は最低限だけ。奥へは入らない」
「了解」
四人が動き出す。
帰り道、監視路近くの住民が、小隊へ頭を下げた。
「ありがとうございます」
「最近、この辺も少し落ち着いて」
「小隊長さんですよね」
レンは曖昧に会釈する。
名前で呼ばれることに、まだ少しだけ慣れない。
でも、悪くないとも思う。
ユウがいたら、「出世したじゃん」と笑っただろう。
その想像が薄く胸へ刺さる。
痛みは消えない。
たぶん、消えなくていい。
それでもレンは歩いた。
自分が止まれば、後ろの四人も止まる。
それが今の立場だと、ようやく身体で分かり始めていた。
南区兵舎に戻ると、昼を少し過ぎていた。
兵舎前の広場には、別任務から戻ってきた隊がちらほらいる。武器庫の前では整備班が刃の欠けを見ており、井戸端では新兵が水桶を抱えて騒いでいる。
以前なら、その光景の中に自分の居場所を見つけるのに少し時間がかかった。今は違う。
「おかえりなさい、小隊長」
兵舎係の老婆が笑う。
レンは軽く頭を下げた。
「ただいま戻りました」
「戻る顔つきが変わったねえ」
老婆のその言葉に、レンは一瞬だけ返せなかった。
顔つきが変わった。
そう言われることが、最近少し増えた。
Fランク回収係だった頃の自分は、たぶんいつも“起きていることをやり過ごす”顔をしていた。灰冠迷宮の夜のあとも、EやDへ上がったあとも、どこかで「また運が悪ければ終わる」と思っていた節がある。
今は違う。
終わらせないために、何をするかを先に考えるようになった。
それが顔つきに出ているのかもしれない。
「隊長」
リアムが横から声をかける。
「残骸、先にヘリオス行きへ回しとくか?」
「頼む。ニアは識別印の控えを取ってくれ。ティナとグラムは先に飯食ってていい」
「隊長は?」
「俺は報告上げてから行く」
リアムが少しだけ眉を寄せた。
「休める時は休めよ」
「分かってる」
「お前の“分かってる”はあんま信用ならん」
「副長が言うな」
小さなやり取りのあと、四人はそれぞれ散った。
レンは報告書簡を持って南区詰所へ向かう。
階段を上がりながら、ふと頭の奥で、黒仮面の声が短く鳴った。
『戦闘行動の最適化傾向を確認』
レンは表情を変えずに歩く。
『ただし、自己犠牲優先の傾向は依然として高い』
「うるさい」
心の中だけで返す。
『事実です』
「黙ってろ」
『了解』
本当にそれで黙るところが、たまに腹が立つ。
もっとも、以前のように四六時中説明を挟んでこないだけ、まだましとも言えた。
レンの方も、少しずつ“流す”術を覚えてきている。
黒仮面の声を全部拾っていたら、自分の思考まで持っていかれそうになるからだ。
詰所で報告を終えたあと、レンはようやく昼食へ向かった。
兵舎食堂は相変わらず騒がしい。
固いパン、薄いスープ、焼いた干し肉。豪華ではないが、任務明けの腹には十分だった。
小隊の四人は、すでに奥の卓に集まっている。
ティナが手を振った。
「隊長、こっちです」
レンが座ると、リアムがすぐに言った。
「今日のあれ、前より良かったな」
「何が」
「混成の止め方。前なら真正面で受けてた」
レンは少しだけ考えた。
「……真正面で止めたら持っていかれてた」
「それが分かるようになっただけでも進歩だ」
リアムはスープを飲みながら続ける。
「隊長、お前さ、前より“自分でやる”より“隊でやる”を考えるようになったよな」
ティナが頷いた。
「それはわたしも思います。前は、誰か危ないとすぐ一人で飛び込んでましたし」
ニアがぼそりと足す。
「……今も飛び込む」
「それはそう」
ティナが苦笑する。
グラムだけは黙って食べていたが、少ししてから短く言った。
「前より、戻る気がある」
その一言に、卓が静かになった。
レンは少しだけ視線を落とす。
前より、戻る気がある。
それはたぶん、ユウが死んだあとに身についたものでもあった。
助けるために前へ出る。
それはいい。
でも、出たまま帰らなければ、次は残された側に同じものを押しつけることになる。
戻る。
戻らせる。
その意識は、たしかに昔より強くなった。
「……戻らないと、お前らがうるさいからな」
レンがそう言うと、ティナが笑い、リアムも肩をすくめた。
その時、食堂の入口がざわついた。
自然と視線が向く。
入ってきたのはレオナだった。
一瞬、空気が変わる。
戦場にいる時とはまた別の意味で、人を黙らせる力がある。
今日は鎧ではない。
黒を基調にした軽装で、腰回りと胸元の線がはっきり出るのに、本人は全く意識していない様子で立っている。
短い外套を羽織っているだけなのに、前より妙に艶っぽく見える。
兵たちの視線が集まる。
だがレオナ本人は、そんなことをまるで気にしていない顔で配膳台へ向かっていく。
「……ほんとに最近あの格好多いですね」
ティナが小声で言う。
リアムもぼそりと返した。
「前なら食堂にも半分鎧で来てたのにな」
ティナが見惚れながらつぶやく。
「なんだか、女子力上がってますね……」
レンは咳き込みそうになる。
「お前ら、聞こえるぞ」
「聞かれて困ること言ってます?」
「言ってる」
とはいえ、同じことを自分も思っていたので、強く否定できない。
レオナは配膳を受け取ると、食堂の奥へ向かい――そこで一度だけ視線をこちらへ寄越した。
目が合う。
ほんの一拍。
それだけなのに、レンの背筋が勝手に伸びた。
レオナは何も言わず、別の卓へ向かう。
なのに、その視線の余韻だけが変に残る。
「隊長」
ティナがにやにやしている。
「何だ」
「分かりやすすぎです」
「うるさい」
リアムが小さく笑った。
「まあでも、王都最強に顔覚えられてる時点で大したもんだよ」
「それはそれで、胃が痛い」
本音だった。
レオナは雲の上の存在だ。
年上で、四天王で、王都最強。レンが軽々しく話せる相手ではない。
それでも、最近は視線が合うことが増えた。
王都決戦以降、何かが変わってきているのは向こうも同じらしい。
それが何なのか、レンにはまだ分からなかった。
昼食を終えたあと、小隊は午後の軽整備へ回った。
ニアは短剣の刃を研ぎ、グラムは盾の縁の歪みを直し、ティナは治療具の不足を点検する。リアムは槍の柄のヒビを見ながら、レンへ言った。
「隊長、次の休み、いつだ」
「知らん」
「知らんじゃねえよ」
「上が決める」
「じゃあ俺は勝手に飲みに行くぞ」
「いつも勝手に行ってるだろ」
リアムは笑った。
「来るか?」
「行かない」
「つれねえな」
「お前らだけで行け」
「その“お前ら”の中に、隊長も入ってるんだけどな」
言われて、レンは少しだけ手を止めた。
自分がこの小隊の中に、ちゃんと含まれている。
それは当たり前のことのはずなのに、時々まだ不思議だった。
◇ ◇ ◇
夕方、整備を終えて外へ出ると、西の空が少し赤くなっていた。
王都の壁は前より綺麗だ。
人の声も戻った。
訓練場には新兵が増え、食堂にも笑い声がある。
立ち直っている。
それは事実だ。
けれど、その上に立つ不安だけはまだ消えない。
アストレウスで終わりではない。
ノクス級も、統括司令級も、その先で待っている。
それでも、レンは思う。
怖いなら怖いままでいい。
足りないなら足りないままでいい。
そのうえで、守れる範囲を一歩ずつ広げるしかない。
Fランク回収係だった頃の自分には、たぶん想像もできなかったやり方で。
王都の空を見上げる。
晴れていた。
嵐の前の空は、だいたい綺麗すぎる。
でも、その綺麗さの下で今日も自分は生きていて、四人の部下がいて、守るべき街がある。
それだけで、前に進む理由としては十分だった。




