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俺だけ【リミットブレイク】―最底辺Fランクが黒仮面で無双するたび壊れていく―  作者: スドタケ


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第22話 降下する名

王都は、その夜のうちに少しだけ老けた。


崩れた南西外壁。

焼けた石畳。

空へ突き立ったまま折れた黒槍の残骸。

眠れなかった住民のざわめき。

夜通し走り続けた兵たちの、重くなった足音。


まだ朝にもなっていないのに、街全体が“次”を待っている空気になっていた。


レンは兵舎裏の水場で、手についた血と煤を洗っていた。

冷たい水が指の間を流れる。

だが、熱は落ちない。

仮面を外してかなり経つのに、頭の芯だけがじんじんと熱を持っていた。


『臨界域 34/100 まで低下』

『現在値 31/100』


「……ちゃんと下がるんだな」


『継続戦闘をしていないためです』


「そうかよ」


短く返す。

腹は立たない。

立つだけの余裕が少なかった。


黒い杭を折った瞬間から、嫌な感覚が胸に残っている。

勝った。

確かに勝った。

だが止めたのは、始まりの一部でしかない。

あの杭の向こうから、もっと大きな何かが来る。

そう、身体のどこかが知っていた。


水場の向こうから、重い足音が近づいてくる。


振り向くまでもなく分かった。


ダリオ・グランツだった。


大盾バルクは外している。

それでも重装鎧の気配だけで、場の空気が一段重くなる。

黒い騎士を敵視していた男。

得体の知れない力を嫌う、古い軍人。


今、その男が水場の脇で止まった。


「肩、上がるか」


いきなりそう言った。


レンは少しだけ目を瞬く。


「……一応」


「一応、で前に出るな」


ダリオはそれだけ言って、桶の水を頭からかぶった。

ざばり、と乱暴な音が響く。


それから、誰に向けるでもなく低く吐き捨てる。


「……借りができたな」


黒い騎士のことだと、レンにはすぐ分かった。


だがダリオはそれ以上何も言わない。

振り返りもせず、そのまま去っていく。


レンはしばらく、その背中を見送っていた。


『敵意の低下を確認』


「お前はほんと、そういう言い方しかしないな」


『事実です』


「知ってるよ」


小さく息を吐く。


敵意の低下。

そう言われると味気ない。

でも、あの不器用な男の変化を、ただそれだけで片づけるのも少し違う気がした。


◇ ◇ ◇

白鷺宮の仮設解析室には、夜明け前の薄青い光が差し込んでいた。


机の上には、折れた杭の破片が並べられている。

どれも黒い。

だが黒一色ではない。

角度によって、深い藍と青白い脈が内側を走るのが分かる。


セツナは、その一つをじっと見つめていた。


白い指先。

灰色の髪。

無表情に近い顔。

それでも今は、目の奥だけがいつもよりずっと鋭い。


「……ここ」


小さく呟く。


傍らにいたフィオナが顔を上げた。


「見えたの?」


「まだ全部じゃない」


セツナは破片を回転させる。

内側の断面に、細かい旧文明文字列が刻まれている。

ただの製造番号ではない。

兵装識別でもない。

もっと上位の、指揮系統に属する印だ。


「これ、個体名じゃない。

少なくとも、単独兵装の識別じゃない」


「司令識別?」


「たぶん」


セツナは目を伏せる。


「灰冠で動いていた個体とも、白鷺宮を荒らした人型個体とも系統が違う」


フィオナの指先がわずかに止まる。


「違う、というのは」


「あれは潜って観る側だった。

でも今度のは違う。上から戦場ごと組みに来てる」


フィオナは小さく息を呑む。


白鷺宮を襲ったあの人型AI。

公的には、まだ“人型AI個体”としか呼ばれていない。

だが、あれより上位の存在がいる。

そう言われれば、嫌でも背筋が冷える。


セツナは破片の一部をなぞった。


「まだ名前は全部読めない。

でも、司令識別名がある。

王都侵攻を束ねている上位個体だと思っていい」


「読めるところは?」


しばらくの沈黙。

それからセツナは、少しだけ声を低くした。


「……“アスト”」


「それだけ?」


「その先が欠けてる」


セツナは短く答える。


「でも、ただの中継機じゃない。

少なくとも、こっちへ降ろしてきた杭の向こうに、本命がいる」


フィオナは視線を落とし、小さく息を吐く。


「オーバーロード級、ってことね」


「うん」


セツナは頷いた。


「王都侵攻を束ねる上位個体。そう見ていい」


用語が定まると、逆に現実味が増す。

オーバーロード級。

四天王や十傑とは別の意味で、戦場そのものを変えてくる存在。


フィオナは破片から目を離さずに言う。


「レオナたちには?」


「すぐ言う」


セツナの声は静かだった。

だが、その静けさの底には急ぎがある。


「名前の全部はまだ出せない。

でも、杭は増える。次は一本じゃ終わらない。

そこだけでも先に伝える」


◇ ◇ ◇

朝の王都は、見た目だけなら静かだった。


市場の準備。

配給列。

修復班の槌音。

子どもの泣き声。

いつも通りへ戻ろうとする生活の音。


だが、その底には昨夜の名残がべっとりと張りついている。


南西外壁で黒い杭が降った。

黒い騎士とレオナとダリオとヴァルクが並んで、それを折った。

空に青い歪みが開いた。

上位個体が近い。


誰もがその話をしていた。

そして同時に、誰もが同じ結論へ流れていく。


黒い騎士がいれば、まだ戦える。


レンは中央広場で資材運びをしながら、その声を聞いていた。


「昨日も来てくれたんだって」

「黒い騎士様がいなかったら終わってた」

「神様みたいなもんだ」

「レオナ様と並んでも引かないなんて……」


そのたびに、胸の奥が少しずつ重くなる。


『期待値 上昇を確認』


「分かってる」


『嫌そうです』


その言葉に、レンは手を止めかけた。


「……嫌だよ」


思わず、正直に答えていた。


資材箱を抱えたまま、視線を落とす。


「嫌だし、怖い」


『何がですか』


「勝手に大きくなることが」


自分でもうまく言葉にできなかった。

黒い騎士という名前。

そこへ集まる期待。

信仰に近い熱。


助けたい。

でも、祭り上げられたいわけじゃない。

自分はそんな立派なものじゃない。

臨界域を抱え、記憶を削られ、正体も隠しているだけの、不安定な人間だ。


『ですが あなたは次も行きます』


「……そうなんだろうな」


否定できなかった。


広場の反対側で、子どもたちが黒い騎士ごっこをしていた。

布を頭に巻き、木の棒を振り回し、助けた助けられたと笑っている。


それを見てしまうと、余計に胸が重くなる。


そこへ、ミアがやって来た。


Eランク補助兵。

栗色の短髪。

口は悪いが、妙なところで目ざとい。


「朝からひどい顔」


「おはようの代わりそれ?」


「そう見えるから」


ミアはレンの持っていた箱をひょいと横から持ち上げた。


「半分持つ」


「いいよ」


「いいから」


強引だ。

でも助かる。


二人で資材を運びながら、ミアがぼそっと言う。


「昨日、見た」


レンの足が一瞬だけ止まりかける。


「何を」


「ダリオさんの顔」


思っていたのと違う返答だった。


ミアは前を向いたまま続ける。


「黒い騎士のこと、前は完全に敵みたいに見てたでしょ。

でも昨日は違った。

あれ、認め始めてる顔だった」


「……そうかもな」


「うん。

王都って、そういう空気に引っ張られるから」


ミアは少しだけ目を細めた。


「たぶん、これからもっとひどくなるよ。

誰か一人に“救ってくれる人”を押しつけたがる空気」


レンは答えない。


ミアは何も知らない。

黒い騎士の正体も、臨界域も、AI仮面の声も。

なのに、外から見るだけでかなり本質に近いところまで来ていた。


「レン」


「何」


「もし、ほんとにそういう人がいたとしてもさ」


ミアは少しだけ笑う。

いつものからかいじゃない。

真面目な顔だった。


「全部一人でやらせたら、壊れるよね」


その言葉が、胸の奥へ深く刺さった。


◇ ◇ ◇

昼前、王都南西の外壁線では、新しい防衛準備が始まっていた。


折れた杭の残骸は、まだ完全には片づけられていない。

その周囲へ結界杭を打ち、退避路を引き直し、砲台をずらす。

誰も口にはしないが、“次もここから来る”前提の動きだった。


ヴァルクは地図を広げたまま言う。


「次に杭が来るなら、一本じゃ済まん」


ダリオが頷く。


「王都全周に薄く打ってくる可能性もある」


「その場合、全部を折るのは不可能だ」


レオナが腕を組む。


「折る場所を選ぶしかない」


その場にはフィオナとセツナもいた。

セツナは解析板を見ながら、杭破片の反応をなぞっている。


「昨日の杭は、完全転送の前に壊れた。

だから上空の歪みも崩れた。

つまり逆に言えば、壊しきれなかった杭からは何かが通る」


「何か、ね」


ヴァルクが低く反芻する。


セツナは短く答えた。


「司令補助個体より上。

たぶん、王都侵攻を束ねているオーバーロード級」


レオナの目が細くなる。


「オーバーロード級か」


「うん」


セツナは破片の写しを出す。


「まだ名前は全部読めない。

でも“アスト”から始まる」


「アスト、か」


ダリオが低く言う。


「空っぽい名だな」


「だから嫌なのよ」


フィオナが静かに呟く。


「空から来るものに、そういう名がついているの、最悪でしょう」


誰も否定しない。


レオナは外壁の向こうを見る。

青い空。

今は静かだ。

でもその静けさが、昨日よりずっと嘘くさく見えた。


「黒い騎士は」


突然、ダリオが言った。


全員の視線が向く。


「次も現れると思うか」


ヴァルクは答えず、レオナを見た。

レオナも少しだけ黙ったあと、短く言った。


「現れる」


断定だった。


フィオナがわずかに目を細める。


「ずいぶん迷いがないのね」


「迷っていたら死ぬ」


レオナは視線を外さない。


「黒い騎士が来るかどうかで布陣を変えるんじゃない。

現れた時に、一番通しやすい穴を残しておく」


ヴァルクが低く鼻を鳴らした。


「そこまで言い切るようになったか」


「昨日、目の前で見た」


レオナの声は静かだった。


「否定したいなら、先に別の穴埋めを出して」


誰もすぐには返せない。


それほど、昨日の働きは大きかった。


ダリオが重く言う。


「そこまで信用するのか」


レオナは即答しなかった。

代わりに、ほんの短い沈黙のあと、こう言った。


「信用とは少し違う」


「じゃあ何だ」


「……あれが来ない状況を想像したくないだけだ」


その返答は、場を少しだけ静かにした。


それは信頼よりも重い。

もはや王都の防衛心理そのものに近い。


ヴァルクが吐き捨てるように言う。


「最悪だな」


「そうね」


フィオナも同意する。


「でも、現実よ」


◇ ◇ ◇

夕方近く、王都中央へ戻ったレンは、ようやく少しだけ一人になれた。


兵舎の外れ。

修復中の壁の影。

風の通る、少し静かな場所。


座り込むと、身体のあちこちが重い。

昨日の戦闘。

寝不足。

緊張。

全部が少しずつ積もっている。


『臨界域 28/100』


「下がったな」


『休息により』


少しだけ安心する。

でも、その程度でしかない。


次に使えば、また上がる。

もっと高く。

もっと深く。


レンは膝へ腕を乗せたまま、空を見上げる。


「……九十を超えたら、どうなる」


『以前も説明しました』


「分かってる。もう一回聞いてるだけだ」


少しの沈黙。

それから、声が静かに答える。


『熱暴走』

『脳内温度上昇』

『記憶欠損の拡大』

『人格境界の曖昧化』


レンは目を閉じる。


「人間でいられる保証が消える、か」


『はい』


短い肯定。


それ以上でも以下でもない。

その冷たさが、かえって現実味を増していた。


「……お前は、それでいいのか」


『質問の意味を確認します』


「俺が薄れても」


今度は、少し長い沈黙があった。


風が吹く。

遠くで槌の音がする。

誰かの笑い声。

泣き声。

王都はまだ生きている。


やがて、声が答えた。


『それは推奨しません』


レンは少しだけ目を開ける。


「意外だな」


『あなたが消えると 現在の行動原理も消える可能性が高い』


「……人を助けるとか、そういうやつか」


『はい』


また短い返答。

だが、その“はい”には、ほんの少しだけいつもと違う響きがある気がした。


「じゃあ、なるべく消えないようにしろよ」


『努力します』


「お前が努力とか言うと怖いな」


『事実です』


思わず、少しだけ笑った。

こんな時に笑える自分が、少しだけ不思議だった。


そこで異変が起きた。


足音。


軽い。

だが迷いがない。


振り向くと、レオナがいた。

戦装のままなのに、疲れより先に張りつめた強さが目に入る。


「休んでいたのか」


「少しだけ」


「顔色が悪い」


「最近、みんな同じこと言いますね」


「事実だからだ」


間髪入れずに返ってきた。


少しだけ沈黙。

風が、二人の間を抜ける。


レオナは壁にもたれず、そのまま立って言った。


「次が近い」


「でしょうね」


「昨日の杭だけじゃ終わらない」


「それも何となく」


レオナが少しだけ目を細める。


「何となく、で済ませる顔じゃない」


「そう見えます?」


「見える」


答えは即座だった。


少しだけ沈黙。

それからレオナは、視線を外したまま続けた。


「黒い騎士が来る前提で耐えようとしている。

それ自体は悪くない。

だが、一歩間違えば依存になる」


「……そうですね」


「お前は、お前で無茶をするな」


レンが少しだけ目を上げる。


「何の話ですか」


「全部だ」


短く、切るような言い方だった。


そこまで聞いて、レンはほんの少しだけ口元を緩める。


「雑ですね」


「細かく言う必要があるか」


「少しは」


レオナは一瞬だけ黙って、それから小さく息を吐く。


「……必要以上に前へ出るな。

死ぬな。

壊れるな。

それでいいか」


最後の一言だけ、少し声が低かった。


死ぬな、ではない。

壊れるな。


それはたぶん、今の自分に一番近い言葉だった。


レンは少しだけ目を伏せる。


「そういうふうに言われると、少し困ります」


レオナが目を細める。


「何がだ」


「……いろいろです」


自分でも曖昧な返しだと思った。

だがレオナはそれ以上追及しなかった。

ただ、ほんの少しだけ視線を逸らす。


「曖昧だな」


「今はそれで勘弁してください」


その返しに、レオナは小さく鼻を鳴らした。


怒ってはいない。

でも、完全に流したわけでもない。

その半端な空気が、逆に妙に熱を残した。


レオナは咳払いするように話題を切る。


「明日から南西だけじゃなく、北東と東側にも兵を振る。

お前は中央住区固定だ」


「前線じゃないんですね」


「不満か」


「少し」


正直に答えると、レオナの口元がほんの少しだけ緩んだ。


「そのくらいでいい」


それから、低く続ける。


「中央が崩れると、人は一気に壊れる。

前で斬るだけが戦いじゃない」


その言葉は、レオナ自身にも向けているみたいだった。


レンは小さく頷く。


「……はい」


レオナはそれを見て、少しだけ安心したように見えた。


だが次の瞬間、王都の北東側からまた低い振動が響いた。


二人とも同時に顔を上げる。


今度は閃光はない。

代わりに、空の一角がゆっくりと青く滲んでいく。


遠い。

だが近づいている。


『新規高高度反応』

『杭降下予測まで短時間』


声が、冷たく鳴る。


レオナの手が剣へかかる。


「来るな」


「はい」


短い返答。


その瞬間、伝令の叫びが兵舎側から飛んだ。


「北東外壁線! 第二杭降下予測! 全戦力、持ち場へ!」


王都の空気が、また一段変わる。


今度は前触れではない。

本格的な連続侵攻の始まりだ。


レオナが一歩踏み出す。

その背中に、もう迷いはない。


レンも立ち上がる。

中央住区固定。

前線ではない。

でも、いざという時に止まれるわけがない。


レオナは走り出しかけて、ほんの一瞬だけ足を止めた。


「……ああいうのが、また現れる」


振り向かないまま言う。


「その時に、誰かが来ることを前提にしたくはない。

でも、来ない方を考えるのはもっと嫌だ」


それだけ言って、レオナは今度こそ走り出した。


炎みたいな背中だった。


レンはその背を一瞬だけ見て、それから逆方向へ駆けた。

中央住区。

避難導線。

泣く子ども。

倒れる兵。

信仰みたいな声。


全部が、次の数分でまた動き出す。


『再装着準備 待機』


頭の奥で、冷たい声が静かに鳴る。


レンは拳を握った。


オーバーロード級の名はまだ全部読めない。

でも敵は、もうこちらを測り終えている。

次はもっと深く、もっと容赦なく来る。


それでも。

それでも前へ出るしかない。


王都の上空で、二本目の青い杭光が夜を裂いた。

その光は、昨日より明らかに近かった。

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