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俺だけ【リミットブレイク】―最底辺Fランクが黒仮面で無双するたび壊れていく―  作者: スドタケ


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第20話 希望の名

早朝の仮設司令所には、まだ夜の冷たさが残っていた。


南門寄りの兵舎跡を、そのまま指揮所として使っている。

壁は一度壊れて継ぎ足されたまま。

机も椅子も足りず、立ったまま話を聞く兵の方が多い。


だが今の王都には、それで十分だった。


綺麗に整った会議室より、こういう場所の方が現実に近い。


レンは壁際へ立ち、集まった兵たちの背中を見ていた。

Dランクの一般兵。

Eランクの支援兵。

その中に混ざって、自分もいる。


前に立つのはヴァルクだった。

黒剣を背負い、いつものように不機嫌そうな顔で腕を組んでいる。

だが今朝は、その不機嫌の奥に少し違う切迫があった。


「よく聞け」


低い声が、ざわめきを切る。


「王都内外の小競り合いは、もう偶発じゃない。

地下罠、擬態侵入、補給路襲撃――全部まとめて、こっちの目と足を削るための動きだ」


誰も口を挟まない。


「持ち場は昨日と少し変える。南門、北区、中央住区、補給路。細かい配置は班長経由で落とす。以上だ」


短い。

本当に必要なことしか言わない。


兵たちは短く返事をして、班ごとに散り始めた。

レンも動きかけて、少しだけ迷う。


今さら聞くのも変かもしれない。

でも、ずっと引っかかっていた。


「……ヴァルクさん」


低い声で呼ぶと、ヴァルクが面倒くさそうに振り向く。


「何だ」


「前から思ってたんですけど」


レンは少しだけ言葉を選んだ。


「十傑って、各国に本当に十人ずついるんですか」


ヴァルクの眉がわずかに動く。


「急に何だ」


「いや……名前を聞くAランクって、結局いつも同じだなって」


それに、とレンは心の中で続ける。

昔の自分はFランク回収係で、そういう上の編成なんてまともに気にしたこともなかった。

最近は記憶の抜けもあって、どこまで知っていてどこから曖昧なのか、自分でも少し分からない。


ヴァルクは数秒だけ黙っていたが、やがて歩き出しながら言った。


「十傑ってのは、厳密な役職名じゃない」


レンも半歩遅れてついていく。


「各国のAランク主戦力層を、まとめてそう呼ぶことがあるだけだ。八人の国もあれば、十人前後いる国もある」


「じゃあ、ぴったり十人ってわけじゃないんですね」


「そういうことだ」


ヴァルクは淡々と続ける。


「ただ、その中でも実際に最前線を引っ張るのはごく一部だ。技術、能力、場数、全部が頭一つ抜けてる連中がいる。各国に二、三人いるかどうか」


「……ハイランカー」


レンが小さく呟くと、ヴァルクは横目だけで見た。


「その呼び方をどこで聞いた」


「何となく…上の話を聞いてると、たまに混ざるんで」


「適当な返しだな」


呆れたように言ってから、ヴァルクは低く続けた。


「だが間違ってはいない。名前が売れてるAランクは、だいたいその上澄みだと思え」


レンの視界の中で、いくつかの名前が自然と並ぶ。


ヴァルク。

フィオナ。

ダリオ。

サナ。

その他にも、まだ出会っていない各国の強者たち。


そうか、と腑に落ちた。


十傑。

Aランク。

ハイランカー。


全部が別物というより、戦場での呼ばれ方の濃淡なのだ。


ヴァルクはそこで足を止めた。


「お前が今知るべきなのは、それだけじゃない」


「何ですか」


「Aの壁は厚い。Sはそのさらに上だ。だが、壁の高さを知った上で前に出る奴だけが、次に行ける」


言い切ると、ヴァルクは顎で外を示した。


「質問は終わりだ。持ち場へ行け」


「……はい」


◇ ◇ ◇

中央住区の広場は、昼前から妙に落ち着かなかった。


炊き出しの列。

水の配給。

簡易診療所。

検分待ちの荷車。

その全部が、一見すればいつも通りだ。

だが耳を澄ませば、小さなざわめきが絶えない。


「昨日、北の方でまた出たらしいぞ」

「黒い騎士?」

「ほんとにいるのか」

「見たって人が何人も……」


もう噂ではなく、日常の会話に混ざっている。


黒い騎士。


その呼び名が、いまの王都ではほとんど護符みたいに使われていた。

怖い時に口にする名前。

助かりたい時に思い出す名前。


レンは水桶を運びながら、その声を聞いていた。


『対象呼称の定着を確認』


「お前は黙ってろ」


『了解』


最近、このAIは妙なところで素直だ。

その素直さが逆に気味悪い。


広場の端で、ミナがこちらへ手を振っていた。

その隣には、以前より少しだけ顔色のいい母親。

さらに、見覚えのある老人までいる。


「レン兄ちゃん!」


「走るなって」


「走ってない!」


もう何度目か分からないやり取りだ。


レンは水桶を下ろし、子どもたちへ順に杯を渡す。

昔の自分なら、こんなところで名前を呼ばれることなんてなかった。

Fランク回収係は、基本的に景色の一部だ。

顔なんて覚えられない。


なのに今は、視線が来る。

礼を言われる。

少し期待される。


その重さにまだ慣れない。


「レン」


今度はフィオナだった。

広場の向こうから歩いてくる。

白い外套の裾が風に揺れる。


「診療所の方、あとで少し手伝える?」


「はい」


「あなた、今日も顔色があまりよくない」


「……大丈夫です」


「その言い方は大丈夫じゃない人の言い方ね」


図星だった。


フィオナはそれ以上責めず、ただ声を低くする。


「危なくなったら、無理に格好つけないで」


「格好なんてつけてません」


「人を助ける時だけ、そういう顔になるの」


その言葉に、レンは少しだけ言葉を失った。


自覚はある。

でも他人に言われると、妙に照れくさくて困る。


フィオナは小さく笑った。


「それが悪いとは言ってないわ」


そう言って去っていく背中を見ながら、レンは小さく息を吐く。


助けたい。

前へ出たい。

でも、自分はまだ普通に弱い。


この噛み合わなさが、最近ずっと胸のどこかに引っかかっていた。


◇ ◇ ◇

昼を少し過ぎた頃だった。


最初に異変を告げたのは、音だった。


遠く。

かなり遠く。

だが、街全体へ響く種類の低い振動音。


レンは水桶を持ったまま顔を上げる。


広場のざわめきが止まる。


次の瞬間、北東方向の上空で黒煙が上がった。


「……何だ?」

「また?」

「北だ!」


兵が走る。

鐘が鳴る。

一回。二回。

すぐに三回目が重なる。


警戒ではない。

実戦級だ。


「全員、落ち着け! 列を崩すな!」

「子どもを内側へ!」

「負傷者を先に動かせ!」


怒号が飛ぶ。


だが今度の混乱は、今までと少し違った。

恐怖の中に、もう一つ別の熱が混ざっている。


「黒い騎士は?」

「来るよな……?」

「今度も来てくれるんだろ?」

「頼む……!」


人々が、口々にその名を呼び始めた。


それを聞いた瞬間、レンの胸の奥が冷えた。


期待されている。

正体も知られていない誰かに。

そして、それが自分だと分かっているのは、自分だけだ。


嫌な圧だった。

でも、逃げたくなる種類の圧ではない。

むしろ、背を押してくる。


『北東外縁に敵性反応を検知』

『規模は中』


「中って何だよ」


『市民にとっては十分に大きいです』


言い返せない。


レンは水桶を置き、まず近くの子どもたちを天幕の奥へ押し込んだ。

ミナの母親がレンの腕を掴む。


「レンさん、あなたも中へ――」


「大丈夫です」


「でも!」


「俺は、こういう時のためにここにいます」


口にしてから、自分でも少し驚いた。

前ならこんなふうには言えなかった。


ミナが不安そうにこちらを見る。


「レン兄ちゃん……」


レンは一瞬だけしゃがみ込み、その頭を軽く撫でた。


「大丈夫だ。だから、今はお母さんのそばにいろ」


自分が言われたい言葉を、そのまま渡すみたいだった。


◇ ◇ ◇

北東寄りの路地へ駆ける。


石畳。

荷車。

崩れかけた外壁沿いの細い通路。

前方ではすでに兵が交戦していた。


犬型ビースト四。

トカゲ型二。

さらに、後方の建物屋根を這う細身の個体が三。


混成編成だ。

統率がある。

ただの散発ではない。


しかも、住民の避難路へ綺麗にかぶせてきている。


「前を押し返せ!」

「後ろへ通すな!」

「くそ、右からも来る!」


兵士たちが必死に抑えている。

だが手数が足りない。


レンは足を止めた。


仮面を使うか。

まだ早いか。

ここは広い。

視線も多い。

下手に消えれば勘のいい誰かに拾われる。


『現状のあなたでも、戦闘補助は可能です』


「分かってる」


まずは素の自分でやれることをやる。


レンは横転しかけた荷車の下へ飛び込み、車輪に挟まりかけた子どもを引きずり出した。

次に、通路の真ん中で動けなくなっていた老婆の腕を抱え、壁際へ押し込む。

さらに崩れた木箱を蹴飛ばして、兵の足場を空ける。


派手ではない。

でも、こういう小さい動きで流れは変わる。


「そこのD! 右の荷、どけろ!」

「はい!」


怒鳴られながら走る。

木箱をどかす。

進路が開く。

Cランク兵の槍が一体を貫く。


だがその直後、屋根上の細身個体が跳んだ。


狙いは兵ではない。

避難民の密集地だ。


「まずい!」


レンの足が先に動く。

だが遠い。

間に合わない。


その瞬間、群衆の中から叫びが上がった。


「黒い騎士を呼べ!」

「頼む、来てくれ!」

「助けてくれ!」


その悲鳴に近い祈りが、背中を貫く。


レンは歯を食いしばった。


ここで出なければ、たぶん間に合わない。


『装着 可能』


「分かってる」


路地脇の影へ半歩滑り込む。

煙。

土埃。

崩れた荷布。


視線が一瞬だけ切れた、その隙だった。


黒い液体が足元から這い上がる。

頬を包む。

目を覆う。

冷たく、静かに世界が切り替わる。


『再装着を開始します』

『戦闘補助 起動』


次の瞬間、レンはもう黒い騎士として飛び出していた。


群衆が息を呑む気配が分かる。


速い。

音が遅れる。

敵の軌道が全部、鈍く見える。


『上方 三』

『右から順に排除』


一体目。

屋根から落ちてくる細身個体の脚関節を斬る。

着地前に崩れる。


二体目。

反転して単眼へ短剣を突き込む。

火花。


三体目。

最も奥。

避難民の列へ飛び込む直前。


『前進』

『半歩左』

『そこです』


レンは滑り込むように懐へ入り、首下の接続線を一閃で断った。


三体が落ちる。


ざわめきが一拍遅れて爆発した。


「出た!」

「黒い騎士だ!」

「来てくれた!」

「助かった……!」

「本当に来た……!」


声の質が変わっている。

ただの驚きではない。

安堵。

歓喜。

信仰に近い熱。


レンはそれを聞きながら、次の敵へ向かった。


助けを求める声。

倒れる兵。

泣く子ども。

全部が見える。


『左方 支援兵転倒』

『前方 トカゲ型二』


剣を拾う。

投げる。

砲口を逸らす。

倒れた兵を蹴り飛ばして退路へ押し戻す。


「下がれ!」


自分でも驚くほど冷たい声が出た。


兵は逆らわない。

いや、逆らえないのだろう。

黒い仮面と、圧と、結果が、言葉そのものを強くしている。


そこへ炎が走った。


レオナだった。


北東外縁から駆けつけたらしい。

赤い軌跡がトカゲ型の一体を真横から断ち割る。


「遅い」


着地と同時に言う、その一言が妙に頼もしい。


黒い騎士が現れ、レオナが来る。

その並びだけで、人々の顔色が変わるのが分かった。


「レオナ様だ!」

「黒い騎士と一緒だ!」

「助かる……助かるぞ!」


熱がさらに増す。


レンは一瞬だけレオナを見る。

彼女もこちらを見ていた。

いつもの警戒もある。

だが、その奥にあるのはもう少し複雑だ。


疑い。

高揚。

そして、少しだけ信頼。


「右を抑える」


レオナが言う。


「分かった」


短い会話。

それだけで、二人は別方向へ散った。


トカゲ型の残り一体へ、黒い騎士が踏み込む。

レオナはその背後へ回り込もうとする犬型群を炎で焼く。


以前より、噛み合っている。


誰かが叫んだ。


「見ろよ……!」

「並んでる……!」

「王都の最強と、黒い騎士が……!」


その声が、また熱を生む。


◇ ◇ ◇

戦闘自体は長くはなかった。


中規模の襲撃。

統率はあるが、オーバーロード級の気配はない。

前座だ。

そう分かるくらいには、もう今の王都は目が肥えていた。


最後の一体をレオナが叩き伏せた頃には、路地は静まり返っていた。


生きている者の呼吸。

泣き声。

誰かを呼ぶ声。

そこへ、遅れて歓声が重なる。


「黒い騎士様!」

「ありがとう!」

「助けてくれて……!」

「来てくれるって信じてた……!」


人々が、前へ出ようとする。


黒い騎士へ近づきたい。

礼を言いたい。

手を伸ばしたい。

そういう熱だった。


レンは一歩だけ下がる。


この熱は危ない。

正体を知られたくないという意味だけではない。

英雄として固定される熱だ。


『対象からの期待値 上昇』


「今それ言うな」


『事実です』


レオナがわずかにこちらを見る。


黒い騎士が、群衆の熱を嫌がっている。

そう見えたのかもしれない。


彼女はすぐに前へ出て、群衆を制した。


「下がれ!」


それだけで、人の波が止まる。


「礼はあとでいい。怪我人が先だ。動ける者は診療所へ運べ。

泣いてるだけの奴は邪魔だ」


厳しい。

だが、その厳しさが場を立て直す。


レオナはやはり、こういう時に強い。


群衆が動き始める。

負傷者搬送。

消火。

崩れた荷の回収。

やるべきことが現実へ戻ってくる。


その混乱の縁で、黒い騎士は一歩、二歩と下がった。


「待て」


レオナの声。


その一声で、レンの足が一瞬だけ止まる。


「……何だ」


仮面越しの低い声。


レオナは答えず、数秒だけその青い瞳を見つめた。

周囲にはまだ人がいる。

踏み込んではいけない。

でも何か言わなければ、と思った。


結局、出てきたのは短い言葉だった。


「また来るな」


命令にも、願いにも聞こえる言い方だった。


レンは少しだけ目を細める。


「来たくて来てるわけじゃない」


「知っている」


答えは即座だった。


レオナの頬には煤がつき、髪も乱れている。

それでも、妙に綺麗だった。


「だが、来い」


今度ははっきりそう言った。


「この王都は、もうお前を当てにしている」


その言葉に、レンの胸の奥が小さく痛んだ。


当てにされる。

期待される。

信じられる。


それは救いで、同時に鎖だ。


だが嫌ではない。

そこが一番、危うかった。


「……勝手なことを言う」


「お互い様だ」


レオナはほんの少しだけ口元を上げる。


その一瞬が、妙に焼きつく。


レンはそれ以上何も言わず、影の濃い路地へ身を滑らせた。

群衆が気づく頃には、もうそこに黒い騎士はいない。


残されたのは、熱だけだった。


◇ ◇ ◇

夕刻。


白鷺宮の仮設会議室は、久しぶりに人が多かった。


軍務官。

ヴァルク。

フィオナ。

ダリオ。

レオナ。

そして数名の補佐官。


北東外縁の襲撃報告。

中央住区での動揺。

民衆の反応。


軍務官が紙束を置く。


「本日、北東寄りの避難導線で中規模襲撃。

黒い騎士が出現し、レオナ殿と共同で鎮圧。

被害は想定以下に収まりました」


「想定以下、ね」


ダリオが低く唸る。


「結局また、あの正体不明が現れたからだ」


ヴァルクは腕を組んだまま言う。


「だが、その正体不明に何度救われた?」


ダリオは答えない。

答えにくいのだろう。


フィオナが静かに言う。


「市民の反応は?」


補佐官が資料を見ながら答える。


「急速に熱量が上がっています。

『黒い騎士が来れば助かる』という言説が、避難民だけでなく兵の間にも広がっている」


「兵までか」


ヴァルクの目が細くなる。


「黒い騎士の再臨を待つ声が、かなり強いです」


部屋が静まる。


王国の騎士団でも、十傑でも、四天王でもない。

正体不明の誰かへ、希望が集中し始めている。


危険な兆候でもあった。


レオナが口を開く。


「危うい」


全員の視線が向く。


「希望にはなる。

だが、一人の匿名英雄へ熱が集まりすぎると、いなくなった時に一気に崩れる」


その通りだった。


フィオナも頷く。


「でも、現実に助けられているのも事実よ」


「分かってる」


レオナは短く返す。


「だから厄介なんだ」


ヴァルクが低く言った。


「もう“いるか分からない謎の戦力”としては扱えん」


補佐官が顔を上げる。


「では?」


ヴァルクは少しだけ間を置いた。


「切り札として数える」


その一言で、空気が変わる。


「正体不明のままですか」


「構わん」


ヴァルクは言い切る。


「誰だろうが、あれは王都の穴を埋めている。

だったら次の戦場では、最初から“来るもの”として穴の配置を考える」


ダリオが眉を寄せる。


「得体の知れんものを、作戦へ組み込むのか」


「組み込むんじゃない」


ヴァルクの声が低くなる。


「もう向こうが勝手に組み込まれている」


沈黙。


誰も、すぐには反論できなかった。

それほど、今日の熱は大きかったのだ。


フィオナは視線を落とし、小さく息をつく。


「……希望になってしまったのね」


その言い方は静かだった。

だが、重い。


レオナは窓の外を見る。

夕闇の向こう。

どこかの路地へ消えた黒い影を思い出しながら。


「だったら」


彼女は静かに言った。


「次も、私が前へ出す」


ヴァルクが横目で見る。


「いいのか」


「よくはない」


返事は早かった。


「でも、もうそういう段階じゃない」


強い声だった。

そこに迷いは少ない。


「王都があれを必要としているなら、私が見ている位置へ置く。

野放しよりは、そっちの方がまだましだ」


フィオナはその言葉を聞いて、少しだけ表情をやわらげた。


「守るだけじゃなくて、送り出す側になるのね」


レオナは答えない。

だが否定もしなかった。


◇ ◇ ◇

その夜。


兵舎へ戻る前に、レンは中央広場の端へ立っていた。


戦闘のあとの熱はまだ消えていない。

遠くでまだ、黒い騎士の話をしている声が聞こえる。


「助かったよな……」

「また来てくれた」

「黒い騎士様がいるなら、まだ戦える」

「レオナ様と並ぶなんて、本当に……」


希望。


その言葉が、今夜は妙に重い。


自分はそんな綺麗なものじゃない。

臨界域を抱え、記憶を削られ、正体も明かせない。

なのに、人は勝手に意味を乗せる。


『人間は そういうものです』


「お前に言われたくない」


『事実です』


「知ってる」


レンは空を見上げる。


王都の上空。

まだ静かだ。

だがその静けさは、薄い膜みたいだった。

触れればすぐ破れる。


『警戒』


頭の奥の声が、低く変わる。


『高高度反応を検知』


レンの目が細まる。


「どこだ」


『南西上空 外壁外 確認困難』


次の瞬間だった。


遠く。

本当に遠く。

夜の向こうの空で、巨大な青い閃光が走った。


雷ではない。

もっと冷たい。

もっと人工的な光。


遅れて、空そのものを揺らすような低い振動が来る。


広場の人々が一斉に顔を上げる。


「……何だ?」

「今の、何……?」

「外だぞ」

「また来るのか……?」


レンの喉が静かに鳴る。


『オーバーロード級反応の可能性 大』


声がそう告げた瞬間、胸の奥が冷え切った。


灰冠の主より上。

そういう意味だと、直感で分かる。


王都の夜が、また一段深くなる。


人々のざわめき。

兵の駆け出す音。

鐘が鳴る前の、短い空白。


その真ん中で、レンは静かに拳を握った。


希望として呼ばれること。

正体を隠したまま前へ出ること。

もう、そのどちらも避けられない。


なら行くしかない。


そう思った瞬間、頭の奥で声が鳴った。


『深淵接続 待機』


冷たい。

だが、どこか静かな声だった。


レンは空を見上げたまま、小さく息を吐く。


「……次は、もっとやばいんだな」


『はい』


短い肯定。


王都の夜は、もう完全に平時の色を失っていた。

その底で、次のオーバーロード級AIが目を開こうとしている。

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