第1話 Fランク回収係
レンの朝は、たいてい臭い。
油。
錆。
焼けた配線。
たまに、乾ききらない血の臭いまで混じる。
王都南区、回収係詰所。
石造りの古倉庫を無理やり使ったその建物で、
レンは鉄くずの山の前にしゃがみ込み、
指先で部品の縁をなぞっていた。
「……また外れか」
手に取った部品を放る。
乾いた音を立てて、金属片が山に埋もれた。
旧文明の残骸は、たまに金になる。
動力芯。
記録媒体。
特殊合金。
保存状態のいい部品。
そういう“当たり”が出れば、
数日分の飯代ぐらいは楽になる。
だが現実は、ほとんどゴミだ。
壊れている。
腐っている。
使えない。
そして臭い。
「朝から運がねえ顔してんな」
背後から声が飛ぶ。
振り向かなくても分かる。
ユウだ。
同じFランク回収係。
レンより一つ年上で、
口だけなら十傑入りできそうな男。
腰に工具ベルト。
片手には、どう見ても昨日の残り物のパン。
「お前、そのパン、昨日も食ってなかったか」
「昨日の残りだからな」
「よく平気で食えるな」
「胃袋だけはSランクなんだよ」
ユウは笑う。
いつもみたいに、何でもないことのように。
金があるわけでもない。
将来が明るいわけでもない。
それでも、こいつは妙によく笑う。
「ほら」
紙袋が飛んできた。
反射で受け取る。
中には小さな揚げパンが二つ入っていた。
「余り物。食うか?」
「……ありがとよ」
「礼は金貨でいいぞ」
「一生払わん」
「じゃあ二生な」
朝のやり取りは、だいたいこんなものだ。
救いと呼ぶには安っぽい。
でも、こういうものがあるから、
レンはこの倉庫にまだ居ついていられた。
回収係は、王都の底辺だ。
戦場の後始末。
死体運び。
残骸処理。
遺品の回収。
時には、まだ息のある兵士を拾うこともある。
危険なわりに金にならない。
誉れもない。
子どもに将来の夢を聞いて、
回収係と答えるやつなど見たことがない。
「おーい、雑魚ども!」
倉庫の入口から怒鳴り声が飛んだ。
班長のゴードンだ。
腹だけは立派な中年男で、
昔Dランク兵だったらしい。
今は回収係の現場監督として、
弱い相手にだけやたら元気になる。
「ぼさっとしてねえで積み込みしろ! 今日は南西壁だ!」
南西。
レンとユウが顔を見合わせる。
「またか」
「最近あっち多いな」
南西には灰冠迷宮がある。
王都でいちばん近づくなと言われる禁域。
旧文明の地下施設跡。
最近、あの周辺でビーストの目撃が増えていた。
「嫌な感じするな」
ユウが声を落とす。
レンも同じだった。
言葉にしなかっただけで、
胸のどこかに昨日から小さな棘が刺さっている。
荷車を引き、
城壁外周の回収路へ向かう。
王都は巨大な壁に囲まれている。
内側の高台には貴族街、市場、兵舎、職人区、貧民街。
外側には見張り塔と迎撃路。
そして、下ってそのさらに外に、
レンたちみたいな人間の仕事場がある。
「いい国だよな」
ユウが空を見上げる。
「上に貴族、真ん中に兵士、底に俺たち」
「底、抜けてんじゃねえか」
「だから落ち着くんだろ」
くだらないことを言いながら歩く。
こうしている時だけは、
自分たちも普通の若者みたいだった。
前方の訓練場では、
若い兵士たちが術式をまとって剣を振っている。
掛け声。
発光。
重い足音。
Aランク候補の部隊だろう。
ひとりの兵士が、丸太を片手で軽々と持ち上げた。
「見ろよ、化け物だ」
ユウが感心する。
「お前もやればいいだろ」
「無理無理。俺、才能ないもん」
「自覚あるだけ偉い」
「お前もな」
レンは笑えなかった。
才能。
その言葉は、妙に苦い。
剣は並。
術式は弱い。
体力も人並み。
走るのだけは少し速いが、
それでどうにかなる世界じゃない。
何をやっても半端で、
気づけばFランクだった。
努力が足りない。
そう言われれば、たぶん否定できない。
けれど、努力だけでは埋まらない差があることも、
もう嫌というほど知っていた。
南西外周回収路に着く。
壊れた防壁。
散乱した鉄片。
昨日の戦闘で倒されたビーストの残骸。
レンたちは黙々と作業を始めた。
脚を切る。
動力芯を抜く。
使えそうな装甲板を剥がす。
「これ売れそうじゃね?」
ユウが狼型ビーストの眼球部品を持ち上げる。
「やめとけ。爆ぜるぞ」
「夢がないなあ」
言った直後、部品が小さく破裂した。
ユウの顔が煤だらけになる。
「……ほらな」
「お前、未来視でもできんの?」
「お前が馬鹿なだけだ」
笑ってしまう。
くだらない。
でも、悪くない時間だった。
その時、遠くで鐘が鳴った。
一回。
二回。
三回。
レンの手が止まる。
「……警戒鐘?」
ユウの笑みも消えた。
王都の鐘には意味がある。
一回は注意。
二回は警戒。
三回以上は実戦級。
さらに鳴る。
四回。
五回。
「おい……」
塔の上で赤灯が回り始める。
兵士たちが走り出す。
空気が変わった。
「全員、壁内へ戻れ!」
怒鳴り声が飛ぶ。
「灰冠迷宮に異常反応! 南西守備隊、戦闘配備!」
レンの背筋が冷えた。
やっぱり、あそこだ。
荷車を捨て、
人の流れに逆らわず走る。
商人。
職人。
老人。
泣き出した子ども。
兵士が叫ぶ。
「押すな!」
「順番に入れ!」
「南門は使うな、東へ回れ!」
混乱の中、
Fランクにもすぐ指示が飛んだ。
「回収係! 通路整理しろ!」
「負傷者が出たら担げ!」
「逃げ遅れを探せ!」
「行くぞ!」
ユウが先に走る。
レンも続く。
こういう時、Fランクにも役目はある。
戦えない代わりに、穴を埋める。
通路脇で、泣いている子がいた。
母親とはぐれたらしい。
年は六つか七つか。
レンはしゃがみ込む。
「名前は?」
「……ミナ」
「母ちゃんは?」
「わかんない……」
「大丈夫。探す」
なるべく穏やかに言って、
手を引いて立たせる。
その瞬間、地面が揺れた。
重い振動だった。
足裏から骨へ、そのまま伝わってくる。
悲鳴が上がる。
壁そのものが軋む。
遠く、灰冠迷宮の方角から黒煙が立ち上り、
機械音とも獣の咆哮ともつかない低音が、空気を裂いた。
レンは本能で理解した。
出た。
「レン!」
ユウが駆け寄ってくる。
「こっちは任せろ! お前、あっち見てこい!」
「何で俺が!」
「お前、足だけは速いだろ!」
否定できない。
そこだけは、昔からそうだった。
レンはミナを近くの兵へ預け、
外周側へ走った。
石段を駆け上がり、
見張り台へ飛び出す。
そこで見た。
灰冠迷宮の中央が崩れ、
無数のビーストが這い出している。
その前で、ひとりの女が戦っていた。
赤い炎をまとい、
敵を斬り飛ばす姿。
「……レオナ」
王都最強。
本物を見るのは初めてだった。
速い。
強い。
綺麗だ。
綺麗すぎて、逆に怖い。
別の生き物を見ているみたいだった。
その時、迷宮跡の地面がさらに割れた。
巨大な影が起き上がる。
長い首。
黒灰色の装甲。
王冠じみた発光輪。
見ただけで、膝が笑いそうになる。
「あれが……」
背後の兵が呟く。
「《灰冠の主》……」
レオナが跳ぶ。
炎の斬撃が巨体へ走る。
だが、青い閃光が横から飛んで相殺した。
護衛機。
速すぎて姿が見えない。
レオナが舌打ちし、もう一度踏み込む。
レンの胸がざわついた。
自分とは無関係の世界。
英雄と怪物の戦い。
Fランクが立っていていい場所じゃない。
なのに目が離せなかった。
その時、見張り台の床が崩れた。
「うわっ!」
石材ごと身体が傾く。
そのまま外壁下の廃棄路へ落ちた。
激突。
息が詰まる。
「っ……くそ……」
腕が痛い。
足も痺れている。
上ではまだ警報が鳴っていた。
ここは壁外側の廃棄路。
壊れた兵器や残骸を一時的に捨てておく場所だ。
誰もすぐには助けに来られない。
最悪だ、と吐き捨てかけた時、
足元の鉄板が沈んだ。
古い機械音。
地面の一部が開く。
その下に、隠し倉庫のような空間があった。
「……何だこれ」
薄暗い部屋。
崩れた棚。
腐った機械。
死んだはずの文明の匂い。
その中央にひとつだけ、
異様なくらい綺麗な台座がある。
黒い仮面。
人の顔を模した、滑らかすぎる面。
片目だけが、青く光っていた。
喉が鳴る。
危険だ。
触るなと、頭では分かる。
それでも目が離せない。
頭の奥で、誰かが囁いた気がした。
――拾え。
「……誰だ」
返事はない。
上では爆音が続き、
壁が震え、
王都そのものが壊れかけている。
レンは拳を握った。
自分は何もできない。
いつもそうだ。
雑魚で、Fランクで、
戦いのあとを片づけることしかできない。
けれど今、
手の届くところに“何か”がある。
このまま何もしないで終わるくらいなら。
レンは黒い仮面へ手を伸ばした。
冷たい。
嫌になるほど冷たい。
次の瞬間、仮面が勝手に跳ね上がった。
「なっ――」
顔に貼りつく。
外れない。
激痛。
頭蓋の内側へ、何本もの針を打ち込まれたような痛み。
視界が青に染まる。
大量の声が流れ込む。
起動。
照合。
適合率確認。
脳波接続。
深層領域解放。
「やめ……ろ……!」
歯が軋む。
血の味が広がる。
意識が砕ける。
普通なら死ぬ。
なぜか、それだけは確信できた。
最後に、ひどく静かな声が響く。
『適合者を確認』
『深淵からの覚醒を開始します』
レンの瞳から、感情がふっと薄れた。
そして王都の空で、
またひとつ大きな爆音が鳴った。




