プロローグ 赤い夜の王都
数十年前。
人類は、一夜で空を失った。
敵は人ではなかった。
超高度AI群。
空を飛ぶ兵器も、
都市を結んでいた情報網も、
旧文明が誇った工場、砲台、輸送網も、
便利と呼ばれていたものの大半が、
その夜を境に、人の手から滑り落ちた。
空はAIのものになった。
情報もAIのものになった。
人類は地上へ追い込まれ、
高い壁の内側で息をつなぐしかなくなった。
だから、人は別の強さを磨いた。
剣技。
身体強化術式。
そして、ごく一部の者にだけ宿る異能。
聖王国アルディアでは、
その力を分かりやすく“ランク”で切り分けている。
Sランク――《四天王》。
国家の切り札。
ひとりで戦況をねじ曲げる、規格外の怪物。
Aランク――《十傑》。
英雄の名を許された最上位戦士。
最前線で王国を支える、人類側の刃。
B、Cは隊長格。
Dが一般兵。
Eが後方支援。
そして最底辺。
Fランク。
戦いが終わったあとに呼ばれる者たち。
死体を運び、
遺品を拾い、
壊れた機械を片づける回収係だ。
その夜。
王都の空は、夕焼けよりも赤かった。
城壁上の警戒灯。
迎撃陣地で燃える炎。
壊れた砲台から飛び散る火花。
王都全体が、まるで先に滅びの色だけを塗られたようだった。
「南西外壁、第三区画が損壊!」
「避難路を開けろ!」
「ビーストが門前まで来てるぞ!」
怒号が飛ぶ。
担架が石畳を滑る。
子どもを抱えた女が、兵に腕を引かれて走っていく。
誰も止まっていなかった。
だが、誰の顔にも余裕はない。
今夜は違う。
そのことだけは、戦えない者にすら分かった。
王都南西。
灰冠迷宮。
半壊した旧文明の地下施設であり、
大戦のあと封じられた禁域。
内部には今もAI兵器が眠っているとされ、
近づくこと自体が禁じられていた場所だ。
そこが、崩れた。
最初の報告では、
内部から数十体のビーストが出た程度だとされた。
その程度なら、王都守備隊で十分に対処できる。
そういう読みだった。
だが現実は違った。
黒い獣じみた機械兵が、
土煙を押し分けるようにして群れを成し、
城壁へ向かって押し寄せてきた。
狼型。
トカゲ型。
多脚の虫型。
どれも鉄と油の臭いを撒き散らしながら、
兵士の列を食い破る隙だけを探している。
「射て!」
矢が飛ぶ。
銃声が重なる。
先頭の数体は砕けた。
それでも止まらない。
後ろから次が来る。
また次が来る。
倒しても、空いた場所がすぐ埋まる。
「数が多すぎる!」
「まだ出てくるのかよ……!」
若い兵の声が上ずる。
無理もない。
本来のビーストは、もっと雑だ。
命令も統率もなく、
ただ近くにあるものを壊すだけの兵器にすぎない。
だが今夜の群れは違った。
隊列を組み、
間合いをずらし、
兵士みたいに前進してくる。
その異様さに、誰もが息を呑んだ時だった。
夜の闇を、赤い線が走った。
一閃。
先頭の狼型の首が飛ぶ。
二閃。
トカゲ型の胴が斜めに裂ける。
三閃。
地を這っていた虫型の群れが、まとめて焼き払われた。
熱風が吹き抜け、
兵士たちの顔に、ようやく生気が戻る。
「……来た」
「レオナ様だ!」
戦場の中心に、一人の女が立っていた。
赤金の髪。
炎を思わせる瞳。
血と火の中でも一歩も揺れない、あの立ち方。
レオナ・ヴァレンハイト。
聖王国アルディア最強。
Sランク《四天王》の一人。
彼女がそこに立つだけで、
崩れかけていた空気がひとつに締まる。
「遅い」
レオナは剣に付いた黒い油を払った。
「この程度で壁際まで来るな。目障りだ」
冷たい声だった。
だが、その冷たさに兵士は救われる。
この女は負けない。
そう信じられる声だからだ。
炎の輪が彼女の身を巡る。
異能。
次の瞬間、レオナの姿はかき消えた。
速すぎて見えない。
そう表現するしかない速さだった。
斬る。
薙ぐ。
焼き払う。
ビーストの群れが、紙細工みたいに崩れていく。
「すげえ……」
「やっぱり、あの人がいれば――」
その言葉を、地の底から響くような重音が断ち切った。
灰冠迷宮の方角だけが、ふっと暗く沈む。
火は上がっている。
煙も濃い。
それなのに、そこだけ光が吸われたように見えた。
「深部反応、急上昇!」
「まだ上がるのか!?」
「迷宮下層の構造、変動しています!」
報告は途中から悲鳴に変わる。
次の瞬間、地面が鳴った。
地震ではない。
もっと重い。
もっと深い。
地の底で、巨大な門がゆっくり開くみたいな音だった。
レオナが動きを止める。
剣を下げたまま、
灰冠迷宮をまっすぐ睨みつける。
その横顔からだけ、余裕が消えた。
「……本命か」
迷宮跡の中央が内側から爆ぜた。
土煙が噴き上がり、
崩れた壁と鉄骨が宙へ舞う。
その中心から、巨大な影がゆっくりと身を起こした。
竜に似ていた。
長い首。
黒灰色の重装甲。
節々を走る青い発光線。
そして頭部を囲む、王冠じみた発光輪。
生き物ではない。
それでも、見た者は全員同じことを思った。
――あれは王だ。
「災害級確認!」
「識別コード、《灰冠の主》!」
城壁の上が凍りつく。
《灰冠の主》はまだ上体を起こしただけだ。
それでも分かった。
あれが壁の内側に入れば終わる。
周囲のビーストが、その場で一斉に頭を垂れた。
王の前に兵がひれ伏すみたいに。
「レオナ殿!」
城壁上の指揮官が叫ぶ。
「いったん下がってください! 門内で迎撃線を組み直します!」
「遅い」
レオナは振り向かない。
「ここで止める」
「しかし、あの規模は――」
「壁の内側へ入れた時点で負けだ」
誰も反論できなかった。
レオナは短く命じる。
「Aランクは南西門へ集中。B、Cは防衛線。Dは避難誘導。EとFは負傷者搬送と通路確保」
ざわめきが広がる。
「Fまで出すのか……?」
「そこまで人手がないのかよ……」
足りない。
とっくに、足りていない。
《灰冠の主》が頭を上げる。
発光輪が唸る。
空気そのものが震えた。
若い兵士が、かすれた声でこぼす。
「……あんなの、どうやって倒すんだよ」
レオナは剣を構えたまま答えた。
「怖いか」
兵士は何も言えない。
レオナは小さく息を吐く。
「怖くないわけがない」
静かな声だった。
「だが、ここで折れたら、後ろの奴らが死ぬ」
その一言で、兵士たちの指が武器を握り直す。
レオナは城壁の端へ歩み出た。
夜風が髪を揺らす。
「無茶です!」
指揮官の最後の叫び。
「知っている」
「なら、なぜ――」
「だから行く」
レオナは獣みたいに笑った。
「王なら、斬って落とすだけだ」
炎が弾ける。
次の瞬間、彼女は城壁を飛び越えていた。
赤い軌跡が夜へ伸びる。
それは絶望へ向かう、一条の希望だった。
その夜。
王都最強の女が、
滅びと真正面からぶつかっていた、その頃。
王都の外れでは、
ひとりの少年が壊れた機械の山を漁っていた。
Fランク回収係。
名を、レンという。
彼はまだ知らない。
今夜、自分の人生が終わることを。
そして――深淵の底で眠っていた、もうひとつの自分が目を覚ますことを。




