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俺だけ【リミットブレイク】―最底辺Fランクが黒仮面で無双するたび壊れていく―  作者: スドタケ


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19/70

第18話 紅煙の戯れ

翌朝の王都は、ひどく静かだった。


白鷺宮襲撃の件は表向き伏せられている。

だが、現場を知る人間だけが共有する、あの妙な張りつめ方までは隠せない。


兵たちの歩幅が少しだけ速い。

見張りの視線が少しだけ鋭い。

誰も大声では話さない。

王都全体が、息を潜めて次の異変を待っているようだった。


レンは南兵舎裏の集合場所へ向かいながら、小さく息を吐いた。


今日は旧貯蔵路の再点検。

表向きは、南区地下の安全確認。

実際は、市民の「何かいる」という通報を確認する面倒処理だ。


空振りも多い。

功績にもなりにくい。

でも、こういう“つまらないはずの任務”の奥で、本物が口を開けて待っていることを、レンはもう知っていた。


『睡眠効率 59%』


頭の奥で声がする。


「朝から嫌な数字言うな」


『事実です』


「最近ほんと空気読まないな」


『読んだ結果です』


腹が立つ。

だが、そのやり取りに少し慣れている自分もいる。


集合場所の近くまで来た時だった。


「おはよう、王都の人気者」


軽い声が飛ぶ。


振り向いた瞬間、レンは一瞬だけ足を止めた。


火邑サナがいた。


昨日の戦装とは違う。

今日は、完全に街歩き用の軽装だった。


薄い羽織。

身体の線がやわらかく出る、軽い生地の装い。

胸元は上品なぎりぎりで開き、帯のような細いベルトが腰のくびれを強調している。

脚も少し見える。

派手ではない。

だが隠していない。

目のやり場に困るのに、本人はまるで気にしていない。


「……おはようございます」


何とかそれだけ返す。


サナは楽しそうに目を細めた。


「何、その顔」


「いや、別に」


「別に、じゃないでしょう。すごく困ってる顔してる」


図星だった。


サナはレンの前まで来ると、わざとらしく首を傾げる。


「今日、私は任務じゃないの。少し外の空気を見に来ただけ」


「南兵舎まで?」


「歩いてたら、面白い顔の子がいたから」


それを言われると返しに困る。


火邑サナ。

カグラ十傑。

勝ち気で、からかい上手。

だが今朝の彼女は、戦場の女ではなく、ただ危険な色気をまとった女に見えた。


サナがすっと近づく。


「ねえ、レン」


「……何ですか」


「昨日より、ちゃんと私のこと意識してる」


「してません」


「嘘」


そのまま、彼女の指先がレンの胸元へ伸びた。


びくりと肩が跳ねる。


だが触れたのは、Dランク章だった。

ほんの少しだけ曲がっていた留め具を、器用に直す。


「ほら。曲がってた」


それだけのはずなのに、距離が近すぎる。


わざとだと分かる触れ方ではない。

けれど、わざと距離を詰めていることだけは、はっきり分かった。


指先が章から離れても、サナはまだ近い。

そのままさらに顔を寄せてくる。

目が合う。


「朝からそんな顔されると、もっといじわるしたくなるわね」


「やめてください」


「本気で嫌?」


「嫌っていうか……困ります」


「ふふ。可愛い」


その一言で、耳まで熱くなるのが自分でも分かった。


そして次の瞬間、背後で小さく息を呑む音がした。


レオナだった。


いつの間に来ていたのか分からない。

だが、そこに立っているだけで空気が変わる。


今日もしっかり鎧をまとい、強くて、近寄りがたいほど整っている。


なのに今は、そのレオナが一瞬だけ本当に言葉を失っていた。


目が大きく開く。

そして、みるみる耳が赤くなる。


「……は?」


それが最初の一言だった。


レンは一瞬、見間違いかと思った。

だが違う。

あのレオナが、本当に動揺している。


サナは振り向き、笑った。


「おはようございます、レオナ様」


レオナは一拍遅れて口を開く。


「……何をしている」


声がわずかに硬い。

いつもの怒気とは少し違う。

戸惑いが混じっている。


サナはあっさり返す。


「挨拶ですけど?」


「それは挨拶の距離じゃない」


「カグラではこれくらい普通よ?」


「ここはアルディアだ」


間髪入れずに返ってきた。


だが、その返しが少し早すぎたせいで、むしろ分かりやすい。


サナがにやりとする。


「レオナ様、もしかして」


「違う」


早すぎた。


サナは目を細める。


「まだ何も言ってませんけど?」


レオナが固まる。


その一瞬が致命的だった。

顔がさらに赤くなる。


その顔を見た瞬間、レンの心臓がまた妙な音を立てた。


強くて、怖くて、近寄りがたい女。

そんなレオナが、今は明らかに年相応の乙女みたいな顔をしている。


「……任務前だ。ふざけるな」


最後はそれだけ言って、レオナは視線を逸らした。


サナは口元をゆるめる。


「やだ。そんな顔もするのね」


「サナ」


「はいはい」


そこへ、しゃがれた声が割り込んだ。


「朝っぱらから色気で遊ぶな。地下で死ぬぞ」


ガロだった。


無精ひげ。

癖のある短髪。

肩に引っかけた革鎧。

腰には大鉈。

反対側には散弾短銃。

今日も第一印象だけなら信用したくない。


だが、その一声で空気を切り替えるのがうまい。


サナは肩をすくめた。


「はいはい。怖い隊長さん」


「怖くねえ。現場で死ぬ話してんだ」


ガロは鼻を鳴らし、それからレンを見た。


「お前もだ。顔真っ赤にしてる暇あったら頭冷やせ」


「……はい」


後ろでミアが吹き出しかけている。

最悪だ。


レオナはまだ少し赤いまま、気まずそうに咳払いした。


「……私は戻る」


それだけ言って、半ば逃げるように踵を返す。


レンはしばらくその背中を見送るしかなかった。


初めて見た。

レオナの、あんな顔。


嫌ではなかった。

むしろ、胸のどこかが妙に熱くなって困った。


『情緒反応の急上昇を確認』


「うるさい」


「今度は誰に言ってんのよ」


ミアにまで突っ込まれる。


本当に最近、独り言が増えていた。


◇ ◇ ◇

サナはそこで役目を終えたみたいに、あっさり引いた。


「じゃ、私はこれで。今日は地下までは行かないから」


「散策じゃなかったんですか」


レンが言うと、サナは意味ありげに笑う。


「最初はね。でも、思ったより面白い朝になったから満足」


そう言って、彼女はほんの少しだけ腰を屈め、またレンの顔を覗き込んだ。


「今度は、もう少し落ち着いた時にからかってあげる」


「結構です」


「結構って言いながら、ちゃんと赤くなるの好きよ」


最後まで厄介だった。


サナは軽く手を振って去っていく。

羽織の裾が朝の風に揺れた。


しばらく沈黙。


そのあと、ガロがぼそっと言う。


「……朝から濃いな」


「ほんとですよ」


レンは本気でそう思った。


だが、そのやり取りのおかげで、少しだけ肩の力も抜けたのは事実だった。


これから地下へ潜る。

その前に一度、空気が緩んだ。

その緩みがあるからこそ、次の冷たさもきっと際立つ。


◇ ◇ ◇

「よし、茶番は終わりだ」


ガロが大鉈の柄を軽く叩く。


「今日の潜りは、南区旧貯蔵路の再点検。前回より深いとこまで入る」


小隊は六人。


ガロ。

レン。

ミア。

南区守備兵三人。


ミアも以前のままではない。

Eランクではあるが、以前は後方支援寄りの立ち位置だった。

灰冠以後の実地経験を経て、いまは補助実戦要員として一歩前へ出られる程度には、現場の側へ寄ってきている。


「隊列は俺が先頭。レンとミアが中衛。後ろ三人で灯りと退路確認」


ガロが視線を流す。


「今日は遊びじゃねえ。空振りならそれでいい。だが、本物なら半端な判断したやつから死ぬ」


声が低い。

朝のだるさはもうない。


その顔を見て、レンはあらためて思う。

この男は腐っている。

でも、現場に立った瞬間だけは別だ。


旧貯蔵路の入口は、朝のうちから封鎖されていた。


半壊した石段。

錆びた鉄扉。

崩れた荷箱。

湿った臭い。


地下へ降りるたび、地上の音が遠くなる。


水滴。

鉄錆。

古い水の腐った匂い。


灯りを点け、隊列を組んで進む。


『左壁の補強材 劣化』

『前方二十三歩 段差』


脳裏で、あの無機質な声が鳴る。


レンは何でもない顔で歩幅を調整する。


前を行くガロが言う。


「また危ねえとこだけ避けたな」


「癖です」


「便利な癖だ」


その返しは変わらない。

だが今朝は、そこに試す色が少し混じっていた。


地下二層目。

さらに奥。


旧文明の配線が壁を走る区画に入ったところで、空気が変わった。


冷たい。

湿度の質が違う。

灯りの届かない先で、何かが青く点く。


一つ。

二つ。

三つ。


『警戒』

頭の奥の声が低く鳴る。

『旧文明反応 複数』


ガロが大鉈へ手をかけた。


「空振りじゃねえな」


声が低い。

腐ったCランクではない。

実戦屋の顔だった。


青い光が少しずつ近づく。


やがて、それは輪郭を持った。


ガーディアン。

二体。

三体。

さらに奥に、一回り大きい影。


「……強化型か」


ガロが舌打ちする。


前回より明らかに悪い。

装甲が厚い。

肩のラインが違う。


「来るぞ」


ガロの声と同時に、最前列の個体が砲口を上げた。


戦闘が始まる。


砲撃。

火花。

金属音。

狭い通路が一瞬で地獄になる。


後衛の一人が吹き飛ばされかける。

レンは反射で前へ出た。

短槍で砲口を逸らす。

浅い。

だが軌道はずれる。


「前へ出すぎだ!」


ガロが怒鳴る。


「でも――」


「でもじゃねえ! 今は生き残れ!」


その声で、頭が冷える。


一人で勝つ場面じゃない。

隊で切り抜ける場面だ。


ミアが左側の個体へ刃を滑らせる。

レンは中衛から角度を変え、関節を狙う。

ガロは前へ出た。


大鉈は無骨だ。

だが雑ではない。

狭い通路でも振り切れる長さに抑えられ、刃の重みで装甲の継ぎ目を叩き割る。

散弾短銃もまた、近距離で関節とセンサーを潰すための実戦武装だった。


大型個体が一歩前へ出る。

床が揺れる。


『危険』

『大型個体のコア位置 深部』

『短槍では浅い』


分かってる。


届かない。

いまの武器では、あと一歩が足りない。


その瞬間、後衛の若い兵が足を止めた。

恐怖で固まったのだ。


大型の砲口がそちらへ向く。


間に合わない。


レンの足が先に動いた。


兵を突き飛ばす。

砲撃が肩を掠める。

熱い。

だが死んでいない。


『右膝 制御遅延』

『そこから首下へ繋がります』


レンは大型の足元へ潜り込む。

短槍を捨て、短剣を抜く。


一撃だけだ。

こういう相手に、何度も隙は来ない。


ガロが叫ぶ。


「レン!」


その声を背に、レンは膝関節へ刃を入れる。

大型がわずかに沈む。


浅い。

だが姿勢が崩れる。


その一瞬、ガロが前へ出た。


散弾短銃が至近距離で火を噴く。

大型の視界が乱れる。

次の瞬間、大鉈が真上から叩き込まれた。


一撃。

鈍い破砕音。

コアが砕ける。


大型が沈んだ。


その場に沈黙が落ちた。


残りの個体も、連携が戻った小隊で何とか押し切った。


戦闘が終わった時には、全員が肩で息をしていた。

誰もしばらく喋れない。


その中で、ガロが血の混じった唾を吐き、レンを見た。


「……今の」


「はい」


「よく潜ったな」


短い。

だが、それだけで十分だった。


レンも頷く。


「隊長が上から割ってくれると思ったんで」


ガロが一瞬だけ固まる。


「……信用してたのか」


「してなかったら、あそこまで入りません」


ガロは数秒黙ったあと、ふっと笑った。


その笑いは、朝の投げやりなものより少しだけまともだった。


「生意気だな」


「よく言われます」


「いい返しだ」


ガロは大鉈を肩へ担ぎ直す。


「次から、たまに付き合え」


「何にです」


「実戦だよ。綺麗な訓練じゃなくて、汚え方のな」


それはつまり、認めたということだった。


レンは少しだけ笑う。


「酒場じゃなくてですか」


「酒場でもいいぞ」


「それは嫌です」


「言うようになったな」


ガロが笑う。


その笑いは、腐ったCランクのものじゃなかった。


昔Bランクだった男。

落ちたけれど、まだ終わってはいない男。

そしてたぶんこれから、もっと深く関わることになる男。


地上へ戻る石段の途中、ガロが前を向いたまま言った。


「……お前みたいな若いの見てると、さすがに腐ったままじゃいられねえな」


レンは少しだけ目を上げる。


「それ、褒めてます?」


「半分だけだ」


「残り半分は」


「生意気だからだ」


ガロは鼻を鳴らす。


「だが、今日の動きは悪くなかった。ああいう場で前へ出る度胸は、訓練だけじゃ身につかねえ」


レンは少しだけ息を吐いた。


「……ありがとうございます」


「礼はまだ早い。次も生き残ってからにしろ」


「じゃあ、その台詞、隊長こそ守ってくださいよ」


「生意気だな」


「隊長に似てきたのかも」


ガロは一瞬だけ黙り、それから吹き出した。


「そういうの、嫌いじゃねえよ」


石段を上がり切ると、地上の光が見えた。


王都はまだ静かだ。

だが、その静けさの下には確実に何かが蠢いている。


それでも今は、ほんの少しだけ息をついていい。


笑って、赤くなって、からかわれて、死地を抜けて。

そういう揺れがあるから、人は次の戦いにも立てるのかもしれない。


レンは朝のレオナの顔を思い出し、少しだけ目を細めた。


あの人にも、あんな顔がある。


それだけで、少しだけ世界が近くなった気がした。

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