第17話 四天王会議
白鷺宮の中央会議室へ続く大回廊は、夜になっても明るかった。
いや、明るすぎると言った方がいいかもしれない。
昨日、ノクスの認識攪乱で水晶灯がまとめて割られて以降、補助灯が増設され、影になりそうな場所は徹底して潰されていた。
白い石壁も、磨かれた床も、いまは静けさより警戒のために光っている。
その光の中を、レンはレオナの半歩後ろで歩いていた。
前を行く赤外套の背中は、いつもよりずっと鋭い。
昨日、あと一歩のところでノクスを逃がした。
その悔しさが、歩き方にまで混じっている気がする。
その右前をシオンが歩く。
白と紺の戦装束。
女性のように整った顔立ち。
だが、細い背中から漂う気配は冷たい刃そのものだった。
《雷装》の使い手。
最短最速で急所を断つ男。
戦場では言葉より先に斬撃が届く。
さらにその少し後ろを、ヴァルクとフィオナが並んで歩いていた。
ヴァルクは現場責任者としての臨時同席。
フィオナは昨日の負傷者対応と、認識攪乱時の医療・結界処置の証言役として呼ばれている。
四天王ではない。
だが、昨日の襲撃を語るには外せない二人だった。
レンは壁際に近い位置を歩きながら、小さく息を吐く。
四天王会議。
それも各国合同。
昨日まで自分とは縁のない場所だと思っていた。
いまも、場違いだとは思っている。
ただ、場違いだと分かったうえで立っているだけ、前よりはましなのかもしれない。
「顔が固いぞ」
ヴァルクが低く言った。
「……慣れませんよ、こんなの」
「慣れろ」
「無茶言わないでください」
「無茶を言う場だ」
短い。
だが、それで少しだけ肩の力が抜ける。
前を歩くレオナが振り返りもせずに言った。
「緊張するのは勝手だが、足は止めるな」
「止めません」
「ならいい」
それだけで、十分だった。
回廊の突き当たりにある重い扉が開く。
中には、すでに各国の要人が揃っていた。
◇ ◇ ◇
会議室は広い。
楕円形の巨大な卓。
壁沿いに控える武装兵。
立体地図。
各国の旗。
そして、その場の空気を支配する切り札たち。
まず目を引くのは、北冥連邦ノルディアの四天王、イヴァン・ドラグノフだ。
巨体。
重厚な外套。
戦槌を片手で床へ立てたまま、どっかりと椅子に座っている。
《グラビティワールド》によって、一定範囲の重力・圧力・拘束を操る、防衛戦最強の男。
ただ座っているだけなのに、部屋の重心そのものがそちらへ引かれているように見えた。
反対側には、西海自由同盟ルクスの四天王、ミレーヌ・オルフェ。
紫を基調にした軽装礼装。
優雅な所作。
細剣を帯びているが、彼女の本質は剣ではない。
《ミラーミミック》。
幻惑、分身、認識誘導、擬態。
戦場そのものの見え方を狂わせる異能だ。
昨日も文官側の認識をずらし、被害を散らしていた。
前へ出なくても戦況を支配できる。
だからこそ不気味だった。
カグラ側には、シオンの斜め後ろに一人の女が控えていた。
火邑サナ。
日輪皇国カグラ十傑。
勝ち気な目。
軽戦装の上からでも分かる、しなやかな体つき。
腰には短槍《紅煙》。
火薬術式を絡めて間合いを乱し、一瞬の火線で相手の認識を切る、カグラらしい実戦家だ。
彼女はレンに気づくと、ほんの少しだけ目を細めた。
「へえ。アルディアで噂の子って、この子?」
軽い声。
だが、値踏みする視線は鋭い。
レンが返答に困る前に、レオナが冷たく言った。
「見るな」
サナは口元を緩める。
「怖いですね、レオナ様。見ただけですよ」
「お前は見方がいやらしい」
「褒め言葉として受け取っておきます」
平然としている。
この女、たぶんかなり厄介だ。
レンがそう思った瞬間、サナの視線がまた一度こちらへ滑った。
からかうようでいて、ただ軽いだけではない。
強者特有の、人を測る目も入っている。
レオナの空気がほんの少しだけ刺々しくなる。
嫉妬、とまではまだ言えない。
でも確かに、面白くないのだろう。
レンは見なかったことにした。
議長席には、アルディア側の軍務官が着いていた。
四天王会議とはいえ、国家間協議だ。
場を回すのは軍務責任者が自然だろう。
「では、始めます」
低い声が会議室へ落ちる。
「本会議は、昨日の白鷺宮襲撃を受け、各国の対AI対応を暫定的に統一するための緊急戦略会議です。まずは現場報告から」
軍務官がヴァルクへ視線を向ける。
「ヴァルク・アシュグレイ。報告を」
ヴァルクは一歩前へ出た。
「昨日、白鷺宮中央回廊および庭園で、人型AI個体一体を確認」
ヴァルクの声は短く、無駄がなかった。
あえて固有名は置かない。
この場で共有されているのは、まだ“人型AI”という事実だけだ。
ヴァルクは続ける。
「敵は認識攪乱片を散布し、水晶灯を破壊。視界を白飛びさせたうえで要人へ接近した。
加えて、庭園石畳に刻まれた旧文明紋様を利用し、局地転送式で離脱した」
軍務官が頷く。
「結界、負傷状況」
今度はフィオナへ視線が移る。
フィオナは落ち着いたまま答えた。
「文官側への致命傷はなし。軽傷が数名。
認識攪乱は光学だけでなく、瞬間的な方向感覚の乱れも伴っていた可能性があります。
通常の警備強化だけでは、今後も同様の侵入を防ぎきれません」
「技術解析」
セツナの番だった。
彼女はヘリオス解析班代表の臨時オブザーバーとして、この場に座っている。
「昨日拾得した擬態繊維片、地下資料庫の痕跡、白鷺宮内の転送紋様。どれも単独犯では説明しづらい」
「つまり?」
イヴァンが問う。
「白鷺宮を狙った敵は一体でも、それを通すための下準備は複数経路で動いてる。
擬態侵入、地下経路、転送座標。
これを一つの意志が束ねてると考える方が自然」
部屋が静まる。
「再生派か」
レオナが言った。
セツナは首を横へ振る。
「再生派だけでは足りない。あれは人間側の窓口としては説明できる。でも統制の主ではない」
「上位指揮個体か」
シオンが低く呟く。
セツナは頷いた。
「オーバーロード級」
その一言で、空気がさらに重くなる。
「人型AI群の上位司令級個体。固有名付き。
各地域で別系統に見える異常起動と擬態侵入が、実は一つの指揮系統に接続されている可能性が高い」
「つまり、あの人型AIは尖兵に過ぎない、ということね」
ミレーヌが言う。
その甘い声すら、今は冷たく聞こえた。
イヴァンが卓へ肘を置く。
「なら結論は簡単だ。各国で抱えてる場合じゃない」
「情報を混ぜれば、それだけ侵入口も増える」
シオンが即座に返す。
「共有しなければ各個撃破される」
イヴァンも引かない。
「だから、その中間を決める場なのよ」
ミレーヌが指先で卓を軽く叩く。
「全部は出さない。でも最低限、敵の行動原理と技術情報は共有する。そういう線引きにしないと、みんなまとめて食われるわ」
レオナは卓上地図を睨んでいた。
「……王都だけの話じゃない」
「ええ」
サナがその後ろから口を挟む。
「カグラ外縁でも、擬態までは確認してませんが、旧搬送路跡の起動報告は出てます」
ノルディア側の軍務補佐も短く続ける。
「北冥外縁でも類似反応あり。重装補給路が一箇所、内部から破られた」
ルクス側も遅れて資料を出す。
「海路沿いで、無人倉庫の封印破りが三件。敵影なし、でも残骸だけが消えてる」
一つ一つは別件に見えても、並べると繋がる。
レンは壁際でそれを聞きながら、小さく息を呑んでいた。
世界が、思っていたよりずっと広く、そして同時に繋がっている。
王都で見てきたものは、その入口に過ぎなかったのだ。
「暫定対応班を組みます」
軍務官が結論を切り出す。
「表向きは合同警戒演習。実際には、地下経路、旧文明残骸、擬態侵入の洗い出しと即応対応。
各国の切り札を常時束ねるのではなく、必要に応じて接続できる実働網を作る」
短いやり取りが続いたあと、メンバーが決まっていく。
「アルディアからはレオナ、フィオナ、ヴァルク」
「カグラからはシオン、補佐に火邑サナ」
「ノルディアからは防衛技術班と外縁重装対応班」
「ルクスからは情報班、必要時にミレーヌが介入」
「ヘリオスからはセツナを中心とした解析班」
そして、最後に軍務官が言った。
「護衛補助兼現場連絡要員として、レン・ノワールを追加する」
レンの呼吸が止まった。
「……俺が、ですか」
思わず口に出る。
軍務官ではなく、答えたのはヴァルクだった。
「地下資料庫、白鷺宮内部、昨日の庭園。現場で足が止まらなかった。補助としては十分だ」
シオンが静かに言う。
「現場判断ができるなら、ランクは二の次だ」
サナは面白そうに笑った。
「へえ。可愛い顔してるのに、実戦要員なんですね」
「触るな」
レオナが即座に言う。
「まだ触ってませんよ」
サナは肩をすくめる。
でも、そのやり取りだけで、部屋の張りつめた空気がほんの少しだけ動いた。
重い話ばかりの場で、そういう小さな揺れはむしろ必要なのかもしれない。
会議はそこで一区切りとなった。
大きな方針は決まった。
詳細は各班で詰める。
長引かせても意味がない。
そういう切り上げ方だった。
席が立つ。
資料が運ばれる。
各国の補佐役が小声で言葉を交わす。
レンが壁際でようやく小さく息を吐いた、その時だった。
「おい、新顔」
しゃがれた声が飛ぶ。
振り向く。
そこにいた男は、第一印象だけなら絶対に信用したくない類だった。
無精ひげ。
癖のある短髪。
肩に引っかけた革鎧。
腰には大鉈。
反対側には散弾短銃。
目つきは悪い。
立ち方だけが妙に隙がない。
「誰ですか」
「感じの悪い聞き方だな」
男は鼻を鳴らした。
「ガロ・ベネット。いまはCランク。昔はBだった。酒と喧嘩と命令違反で、順調に落ちた」
その言い方に、周囲の兵が微妙な顔をする。
本人はまったく気にしていない。
レンは少しだけ目を細める。
ガロ・ベネット。
名前は聞いたことがある。
粗暴。
面倒見はいい。
腐っている。
だが実力だけは本物。
「俺に何か用ですか」
ガロは肩を鳴らした。
「南区旧貯蔵路の再点検だ。表向きは安全確認。実際は市民が“何かいる”って騒いでる場所の面倒処理だな。空振りも多いし、誰もやりたがらねえ。だから俺の小隊に回ってきた」
面倒処理係。
そういう匂いがする。
ガロはレンをじろりと見る。
「お前も来い」
「……俺がですか」
「お前だよ。上から話が下りてきた。現場で足が止まらないって、さっき上で話題になってたぞ」
「断るなよ。Dに上がったばかりの坊主には、ちょうどいい汚れ仕事だ」
言い方は乱暴だ。
だが、試している感じがある。
レンは少しだけ考え、それから頷いた。
「行きます」
「いい返事だ」
ガロは口の端を吊り上げた。
「明朝、南兵舎裏。遅れたら置いてく」
それだけ言って背を向ける。
レオナがそれを見送りながら、低く言った。
「変なのに捕まったな」
「知ってる人なんですか」
「知ってる。嫌なやつだ」
「でも、ちょっと気になる感じはあります」
レオナは少しだけ目を細めた。
「……それは合ってる」
短い返事。
それで十分だった。
ガロ・ベネット。
腐ったCランク。
地下再点検。
面倒処理係。
嫌な予感しかしない。
でも、こういう匂いのする現場ほど、いまの王都には本物が潜んでいる。
四天王会議で世界の広さを見せられた直後に、今度はまた地下だ。
その落差が妙に現実的で、レンにはむしろしっくりきた。
白鷺宮の高窓の外では、夜の王都が静かに光っている。
だがその下では、次の厄介ごとがすでに口を開けて待っている。
レンは一度だけ、自分の掌を握って開いた。
まだ小さい。
まだ足りない。
それでも、行かなければ見えないものがある。
なら行くしかない。
その結論だけを胸に、レンは白鷺宮の長い回廊を歩き出した。




