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俺だけ【リミットブレイク】―最底辺Fランクが黒仮面で無双するたび壊れていく―  作者: スドタケ


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第16話 白鷺宮の夜

ノクスを追って庭園へ飛び出したその瞬間、世界はまた一段、冷たくなった。


白砂を蹴る。

低木の影を裂く。

石畳の上を、炎と雷と黒い影が走る。


先頭はノクス。

その背を、黒い仮面が追う。

さらにレオナとシオンが並ぶ。


白鷺宮の夜気は張りつめていた。

木々の間を抜ける風まで、刃物みたいに鋭い。


『臨界域 54/100』


頭の奥で、冷たい声が鳴る。


高い。

まだ動ける。

だが、確実に深い。


ノクスが石灯籠を蹴り砕き、その破片を背後へ撒いた。

目くらましではない。

軌道を読むための牽制だ。


黒い仮面は右へ半歩ずれる。

レオナの炎が破片を焼き切る。

直後、シオンの《雷装》が一直線に間合いを詰めた。


「《雷装》」


低い声が落ちる。


白と紺の残像が、木々の間をまっすぐ走る。

シオンの刀《紫電》は細身だ。

重さで叩き潰す武器ではない。

だがその分、加速と連動した貫通力と切断速度が異常に高い。

最短最速で急所を断つための刀だ。


紫電の切っ先が、ノクスの肩口を抉る。


火花。

高い金属音。

だが浅い。


ノクスは身を捻り、そのまま庭園外縁の回廊へ飛び乗った。


「逃がすな!」


レオナが怒鳴る。


「《ブレイズクラウン》!」


赤い炎が彼女の全身を包む。


紅蓮大剣アシュラは、見た目通りの重量武器だ。

厚い刀身、重心の強い斬撃、熱をまとった圧殺。

だがただ重いだけではない。

ブレイズクラウンと一体化することで、鈍重さを感じさせない踏み込みと反応を生む。

“正面から全部叩き潰す”ための王道の剣だった。


炎の軌跡が回廊の柱をかすめる。

石が赤く焼ける。


ノクスが跳ね上がる。

その逃げ道へ、今度は黒い仮面が滑り込んだ。


『上』

『首下 第二接続部』

『今です』


黒い刃が走る。


ノクスの首下を浅く裂き、黒い液体が飛ぶ。

手応えはある。

だがまだ足りない。


『臨界域 59/100』


熱い。


脳の奥が、じりじりと焼けるように熱い。

視界は逆に澄んでいく。

音が遅れる。

夜の空気が薄く見える。


その刹那だった。


ノクスの足元で、黒い粒子が弾けた。


また認識攪乱か――と反応した次の瞬間、違和感が走る。


違う。


今度は粒子ではない。

庭園の石畳、そのものに刻まれた旧文明紋様が、鈍く青く発光している。


『警告』

『退避を推奨』

『局地転送式の起動を確認』


黒い仮面が足を止めるより先に、シオンが低く言った。


「離れろ」


その一声が早い。


レオナもほぼ同時に飛び退いた。


フィオナが短杖セレスハンドを振るい、文官たちの前へ半透明の結界を張った。

ヴァルクは後方から文官と近くの兵たちをその内側へ押し込み、前線との距離を無理やり切り分ける。


次の瞬間、ノクスのいた空間が内側へ崩れた。


光が一点へ圧縮され、闇みたいに縮む。


そして、消えた。


一瞬、音が消えた。


庭園の中央に残ったのは、焼けた石畳と、空気のひずみだけだった。


「……転送か」


ヴァルクが低く吐き捨てる。


レオナは剣を構えたまま、消えた地点を睨んでいる。

シオンは刀を下ろさない。

黒い仮面もまた、無言のまま立ち尽くしていた。


『追跡不能』

『臨界域 61/100』

『強制停止を推奨』


ここで止めるべきだ。

頭では分かる。


だが胸の奥では、まだ終わっていないと叫ぶものがある。


ユウを奪った敵。

手の届くところまで来て、また逃げた。


喉の奥に焼けた鉄みたいなものが残る。


「……逃がしたか」


レオナの声が低い。


その声で、黒い仮面はかろうじて意識を現実へ戻した。


シオンがゆっくり刀を鞘へ収める。


「ここで追っても無駄だ。転送先が決まっていない以上、踏み込むだけ損をする」


冷静な判断だった。


悔しさを飲み込んだ声でもある。


少し離れた位置では、ミレーヌが文官たちを守る幻惑膜を解いていた。


「《ミラーミミック》、解除」


甘い声と共に、薄い膜のような認識誘導が夜気へ溶ける。


《ミラーミミック》は幻惑だけの異能ではない。

視線を散らし、認識をずらし、敵味方の“見え方”そのものへ干渉する。

一対一での厄介さもさることながら、こういう混戦では被害を大きく減らせる防御寄りの使い方もできる。

だからこそ、ミレーヌは前へ出ずとも戦況へ深く噛めるのだ。


彼女は黒い仮面へ一瞬だけ視線を流し、口元をわずかに緩めた。


見たのか。

見えていないふりをしているのか。

あるいは、ただ面白がっているだけなのか。


そのどれでもありそうで、嫌だった。


「……戻るぞ」


ヴァルクが言う。


それでようやく、庭園の緊張が少しだけ緩んだ。


黒い仮面は一歩下がる。


『強制停止を推奨』

『臨界域 63/100』


高い。

だが、まだ白飛びの混乱が尾を引いている。

今ここで解除すれば危ない。


位置。

死角。

誰に見られているか。


瞬時に計算する。


『右後方 柱影』

『移動後 解除を推奨』


黒い仮面は、そのまま誰にも何も告げず庭園外縁の回廊へ滑り込んだ。


レオナがわずかに振り向く。


「待て――」


そこでフィオナが一歩前へ出た。


「負傷者を先に。今はそっちが優先よ」


意識して割り込んだ声だった。


レオナの視線が一瞬だけ彼女へ向く。

そのわずかな間に、黒い仮面は柱影の奥へ消える。


フィオナだけが、それを見送った。


そして何も言わなかった。


◇ ◇ ◇

影の奥で、仮面は音もなく溶けた。


黒い液体が頬から剥がれ、首筋を伝い、足元の影へ沈んでいく。


レンは壁へ手をつく。


視界が揺れる。

熱い。

全身が嫌な汗で濡れている。


『強制停止 移行』

『熱暴走 脳内温度上昇中』

『臨界域 64/100』


低い電子音。

頭痛。

吐き気。


それでも、今回は何とか立っていられる。

前より深い。

だが、まだ沈み切ってはいない。


『記憶保持に乱れが発生しています』


「……どこが」


『直近三分の短期記憶に欠損の可能性』


レンは目を閉じる。


庭園で何を斬った。

シオンの軌道。

レオナの炎。

ノクスの消え方。


大きなところは残っている。

でも細かな動きが、もう少し曖昧だ。


これが進めば、いつか本当に大事なものも欠けるのだろうか。


『その可能性はあります』


「聞いてない」


『ですが考えていました』


嫌なやつだ。

本当に。


その時、柱影の外から足音が近づいた。


レンの指先が影へ伸びかける。

だが次に聞こえたのは、やわらかい声だった。


「私よ」


フィオナだった。


レンは壁から離れきれないまま振り向く。


彼女は白衣戦装の裾を汚すことも気にせず、まっすぐ近づいてくる。

その目はいつもより静かで、そして逃がさない色をしていた。


「動ける?」


「……何とか」


「嘘ね」


即答。


フィオナはレンの額へ手を当てる。

冷たい手だ。

その温度が、今の自分には妙に気持ちよかった。


「熱い」


「分かってます」


「分かってない顔をしてる」


そこで一度だけ、彼女の目が揺れた。

疑いではなく、確信に近い何か。


けれどその言葉は、結局口にしない。


代わりに小さく息を吐いて言った。


「歩けるなら診療室に来なさい」


「……今?」


「今」


逃げ道はない。


レンは小さく頷いた。


◇ ◇ ◇

白鷺宮の西棟診療室は、深夜でも明るかった。


フィオナが灯りを増やし、扉に簡易結界を張る。

外から見れば医療処置。

中身は、半ば秘密の診察だ。


レンは簡易寝台へ座らされる。


「手を出して」


言われるまま差し出す。

脈を取られる。

目を見られる。

瞳孔反応。

体温。

呼吸。


フィオナは無駄がない。


しばらく何も言わず診ていたが、やがて小さく口を開いた。


「……やっぱり」


「何がです」


「思ったより進んでる」


その言葉に、レンの喉が少し鳴る。


フィオナは視線を上げた。


「もう遠回しに言わないわ」


静かな声。


「あなたが抱えているものは、ただの戦闘疲労じゃない」


レンは黙る。


逃げ切れないところまで来ている。

それが分かる。


でも、全部を認めるのは怖かった。

ここまで隠してきたからこそ、なおさら。


フィオナは続ける。


「私はさっき、見た」


心臓が、強く打つ。


「……何を」


「全部じゃない。でも十分よ」


白鷺宮の白飛びした混乱。

柱影。

黒い液体。

顔を覆う何か。


そこまで見えてしまったのだろう。


レンはしばらく目を伏せたまま、何も言えなかった。


終わった。

そう思ったわけではない。

でも、ここまで来たらもう、とぼけるのも違う気がした。


「……上に言いますか」


やっと出た声は、思ったより低かった。


フィオナは即座に首を横へ振る。


「言わない」


「どうして」


「患者を売る医者じゃないから」


以前も聞いた言葉だ。

でも今は、重みが違った。


フィオナは短杖セレスハンドを机へ置く。

その杖は治癒補助だけでなく、微細な脈動や熱量変化を測る医療器でもある。

見た目は短杖でも、中身は十傑級の医療技術の塊だ。


「ただし、条件がある」


「条件?」


「次からは隠さないで。少なくとも症状だけは、私に報告しなさい」


レンは苦く笑う。


「それ、かなり難しいですよ」


「じゃあ死ぬ?」


言い方が強い。

でも正しい。


「……死にたくはないです」


「なら守って」


フィオナはそこで、少しだけ視線を和らげた。


「あなた一人で抱えきれるものじゃない」


その言葉に、レンの肩の力がほんの少し抜ける。


全部は無理でも。

少なくとも、この人には預けられるかもしれない。


「……臨界域っていう数字が出ます」


口にした瞬間、自分でも少し驚いた。

ここまで具体的に言うつもりはなかったからだ。


フィオナの目が細くなる。


「数字?」


「使ってる時間とか、負荷で上がる。高いほど強くなるけど、その分、熱と……記憶が削られる感じがする」


そこから先は少しずつだった。


全部ではない。

仮面AIの正体も、完全な経緯も、まだ言えない。

でも症状だけは、具体的に伝える。


熱暴走。

脳内温度上昇。

臨界域。

短期記憶の欠損。

同調が深くなるほど、強制停止が一時的に外れること。


フィオナは一つも遮らずに聞いた。


聞き終えると、しばらく黙る。


「……思ったより悪いわね」


「自覚はあります」


「足りてない」


そこで一度、フィオナは窓の外を見る。


「本当は今すぐ、完全休養を命じたい」


「それは無理です」


「でしょうね」


苦笑に近い吐息。


彼女も分かっている。

ノクスが動き、会合が崩れかけている今、レンを完全に下がらせることは現実的ではない。


「ならせめて、次の一線を決める」


フィオナは記録板へ何かを書き始めた。


「臨界域が七十を超えたら、それ以上は絶対に上げないこと」


「絶対にって言われても――」


「絶対に」


語気が強い。


「七十を超えた先は、もう“戻れる前提”で考えない方がいい」


レンは息を呑む。


そこまでなのか。


フィオナは視線を上げずに言う。


「壊れ方を見たことがあるの。だから分かる」


その言葉には、反論できなかった。


◇ ◇ ◇

診療が終わった頃には、夜はかなり深くなっていた。


白鷺宮の外廊下は静かだ。

それでも完全な静寂ではない。

遠くで警備兵の足音がする。

誰かが低く話す声がする。


会合はまだ続いている。

世界は止まってくれない。


レンが診療室を出ると、壁際にレオナが立っていた。


腕を組み、窓の外を見ている。

気配だけで、彼女だと分かる。


「……まだいたんですか」


「待っていた」


短い答え。


レオナは振り向かない。

だが、その声は思ったより静かだった。


「フィオナに何を言われた」


核心だ。


レンは少しだけ考える。


どこまで答える。

どう濁す。


「無理しすぎだって」


嘘ではない。

でも全部でもない。


レオナはしばらく黙ったまま、外を見ていた。


「それだけか」


「……それ以上は」


言いかけて止まる。


レオナがようやくこちらを向いた。


赤金の髪。

強い目。

でも今は、怒りより先に心配がある。


「言えないなら、言わなくていい」


予想外の言葉だった。


レンが少しだけ目を見開くと、レオナは続ける。


「私は、全部を暴きたいわけじゃない」


本音だ、と分かった。


彼女は疑っている。

黒い騎士とレンの間に何かあることも、きっともうかなり深く感じている。


それでも今は、無理にこじ開ける気はない。


「だが」


レオナが一歩近づく。


「死ぬな」


また、それだった。


一番重い言葉を、いちばん短く言う。


レンは喉の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。


「……努力します」


「努力じゃ足りない」


「難しい注文ですね」


「お前はいつも難しい方へ行く」


返す言葉がない。


レオナの視線が、ほんの少しだけ柔らかくなる。


「だから見てないといけない気がする」


それは独り言みたいだった。

本人も、言ったあとで少しだけ目を逸らす。


レンの心臓が変な音を立てる。


困る。

本当にこういうのは困る。


だが同時に、嫌ではなかった。


その時、廊下の向こうから軽い足音がした。


カイだ。


「おや。やっぱりいましたか」


この男は、本当に空気を読むのか読まないのか分からない。


レオナが露骨に眉を寄せる。


「何だ」


「会議室に戻れとのことです。四天王会議、始めるそうですよ」


四天王会議。


レンの背筋が少しだけ伸びる。


ついに来た。

各国の切り札が同じ卓につく。

王都だけの問題だったはずの戦いが、世界の話へ変わる場だ。


カイはレンへ視線を向ける。


「お前も来いってさ。護衛補助兼、記録係の足って名目で」


「足って何だよ」


「雑用係ってこと」


「言い方」


「事実でしょう」


軽い敬語。

でも棘は少しある。


こういう距離感が、この男らしい。


レオナが先に歩き出す。


「行くぞ」


その背中は、やっぱり強かった。


眩しくて、遠くて。

それでも少しずつ、前より近く見える。


レンは自分の手を見る。


まだ震えは残っている。

熱も、少しある。

記憶も、いつまで保つか分からない。


それでも今は進むしかない。


四天王が集まり、世界の話が始まる。

その中で、自分はまだ小さい。


でも小さいままでも、聞けることがある。

見えることがある。


ノクスとの戦いで、嫌というほど分かったことがある。


今の短剣では、あと一歩届かない。

短槍は悪くない。だが、強者との対戦では、差し込める隙は一度きりだ。

その一撃で核まで届かせ、仕留め切るだけの武器が要る。


レンは歩きながら、ふとそんなことを考えた。


今すぐ必要な話ではない。

だがいつか、黒い仮面の時にも、レン自身の時にも馴染む一本を持たなければならない。

そういう武器があれば、もっと前へ行けるのかもしれなかった。


『武装適性の再設計は有効です』


冷たい声が脳裏を打つ。


「今それ言うか」


『思考を拾いました』


「拾わなくていい」


『ですが 妥当です』


レンは小さく息を吐き、レオナたちの背中を追った。


壊れていく輪郭を抱えたまま。

それでもまだ、自分の足で。

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