第12話 カグラの雷
王都に、雷みたいな男が来た。
日輪皇国カグラの四天王、霧島シオン。
異能《雷装》を使い、雷のような瞬間加速と連撃で、最短最速で急所を断つ男だ。
その知らせは、朝の見張り塔から一気に広がった。
「東門に日輪皇国の使節が入る!」
「四天王だってよ!」
「本物か!?」
「赤いのが一人いるだけで胃が痛いのに、まだ増えるのか……」
兵士たちの反応は、半分が期待、半分がげんなりだった。
無理もない。
聖王国アルディアの四天王がレオナ・ヴァレンハイトなら、日輪皇国カグラから来るのは、霧島シオン。
同じく四天王級。
異能《雷装》による瞬間加速と連撃を得意とする、速度特化の剣士だ。
気性はレオナほど分かりやすくないが、戦場では一切容赦がないと噂されている。
そして何より、レオナとは昔から相性が悪いらしい。
「面倒なことになりそうだな……」
北区補給倉庫の前で、ミアが荷札を見ながら小さくぼやく。
レンは木箱を荷車へ積み込みながら聞き返した。
「何が」
「何がって、四天王同士の顔合わせなんて、ろくなもんじゃないでしょ」
「仲悪いのか」
「かなり」
ミアは即答した。
「昔の合同戦で、どっちが先に敵将を落とすかで本気の口論になったって話。しかもその後、お互いに勝手に前へ出て、結果的に両方とも敵将を落とした」
「それ、仲悪いのか、息合ってるのか分かんないね」
「そこが余計に面倒なんだよ」
たしかにそうかもしれない。
同じぐらい強い者同士は、変なところで噛み合うことがある。
それが協力になるとは限らない。
倉庫の前では、兵士たちがやたらとそわそわしていた。
普段なら見栄を張る連中まで、今日は鎧の汚れを気にしている。
「四天王が二人だぞ……」
「十傑も集まるらしい」
「おい、姿勢気をつけろよ」
「別にお前を見に来るわけじゃない」
ざわめきの理由は分かる。
王都にSランクが二人並ぶなど、そうそうあることではない。
レン自身は、できれば遠くから見ていたかった。
だが現実はそう甘くない。
「レン!」
フィオナの声が飛ぶ。
白い外套を翻しながら、診療所側からこちらへ歩いてくる。
「このあと、東門の控え所へ薬箱を運んで」
「……俺がですか」
「他に誰がいるの」
フィオナは穏やかな顔で言う。
逃げ道はない。
「分かりました」
「あと、念のため言っておくけど」
フィオナは少しだけ声を落とした。
「今日は面倒ごとが多いわ。あなたは余計なところへ首を突っ込まないこと」
レンは曖昧に頷く。
余計なところへ首を突っ込まない。
たぶん無理だろうな、と自分で思った。
『推奨行動 目立たないことです』
頭の奥で声が鳴る。
レンは荷車の取っ手を握り直す。
「お前にまで言われるのかよ」
『今日は観測者が多いです』
「知ってる」
『ならば従ってください』
「努力はする」
『成功率は低いと予測します』
レンは思わず鼻で笑った。
それはたぶん正しい。
◇ ◇ ◇
東門前の控え所には、すでに人が集まり始めていた。
守備隊幹部。
十傑数名。
使節団の受け入れ役。
補給兵。
医療班。
その中央で、腕を組んで立っている赤金の髪は、当然レオナだった。
今日の彼女は正装寄りの装備だ。
赤を基調とした外套。
胸部と肩に軽装甲。
腰には炎紋の入った長剣。
戦場で見る時より、少しだけ“見せるため”の姿に近い。
それでも気配は鋭いままだ。
レンは薬箱を抱えたまま、なるべく目立たない位置を通ろうとした。
だが、その前に空気が変わった。
東門が開く。
外から、黒塗りの細長い馬車が入ってくる。
護衛は八人。
全員が黒と金の軽装甲に刀を下げていた。
日輪皇国カグラの意匠だ。
馬車が止まる。
扉が開く。
先に出てきたのは使節官。
次いで、細身の青年が一人。
長い黒髪を高く束ねている。
白と黒を基調にした戦装束。
腰には細身の刀。
装飾は最小限。
そして、その顔立ちは驚くほど整っていた。
女と見紛うほど端正だ。
白い肌。
切れ長の目。
細い顎の線。
だが、その美しさを打ち消すほど、立った瞬間の気配が鋭い。
静かなのに、空気を切っている。
ただ歩くだけで、周囲の時間が少し遅れるような錯覚を生む。
霧島シオン。
レオナと同じ四天王級。
日輪皇国カグラの雷。
シオンは一度だけ周囲を見回し、それから真っ直ぐレオナを見た。
「久しぶりだな」
声は低く、静かだった。
レオナも一歩前へ出る。
「来るのが遅い」
「王都まで走って来いとでも言うつもりか」
「お前ならできるだろ」
「お前が言うと冗談に聞こえん」
そのやり取りだけで、兵士たちが固まった。
火花が見える気がする。
実際には見えない。
でも空気がそう見せた。
ヴァルクが一歩前へ出る。
「再会の挨拶はそのくらいにしろ。今日は喧嘩のために呼んだわけじゃない」
シオンは少しだけ視線をずらす。
「分かっている。灰冠迷宮の件と、人型AIの件だろう」
その言葉で、ざわめきが一段深くなった。
やはりこの話は、もう王都の外へも出ている。
レンは薬箱を控え所の机へ置きながら、息を潜めた。
だが次の瞬間、レオナの視線がこちらへ飛んだ。
「レン」
「……はい」
「置いたら下がれ」
命令口調。
だが少しだけ鋭すぎる。
シオンもその視線の先を追い、レンを見た。
一瞬だけ。
それだけなのに、肌が粟立つ。
この男の目は、レオナともヴァルクとも違う。
必要なものだけを瞬時に選別する目だ。
「あの男、何者だ」
シオンが聞く。
レオナが短く答えた。
「後方支援」
「ずいぶんこちらを見ていたな」
「気のせいだ」
「そうか」
短い会話。
だがレンには、背中に冷たいものが流れる感覚があった。
気づかれたわけではない。
まだ。
だが、シオンは何かを拾う目をしている。
『要警戒対象を確認』
冷たい声が脳裏を打つ。
レンはわずかに眉を寄せる。
「……分かってる」
小さく呟いたのが聞こえたのか、すぐ横にいたセツナがちらりとこちらを見た。
灰色の髪。
いつもの無表情。
だが、その目だけは興味深そうに事態を観察している。
「何か言った?」
「……何でもない」
「最近、それ多い」
「そっちは最近、見すぎです」
「仕事だから」
間髪入れずに返ってきた。
◇ ◇ ◇
会談は長引いた。
王都外周の地図。
灰冠迷宮跡の断面図。
人型AI出現位置。
回収された混成個体の部材。
セツナが持ち帰った解析結果。
話題は重いものばかりだ。
レンは本来なら関わる立場ではない。
だが物資運搬と補給役として、結局その場に何度も出入りすることになった。
そのたびに、断片的な会話が耳へ入る。
「ビーストとガーディアンの混成化が進んでいる」
「人型は黒い騎士だけを狙った」
「各国の外縁でも似たような兆候がある」
「王都だけの問題では終わらない」
終わらない。
それはもう、誰もが理解していた。
昼を過ぎた頃、ようやく会談がいったん区切られる。
関係者たちが控え所から散っていく。
レンも空になった薬箱を抱え、静かに外へ出た。
そこで異変が起きた。
「おい」
後ろから声。
振り向くと、レオナがいた。
「何ですか」
「お前、このあと時間はあるか」
「仕事はありますけど」
「少しだけ借りる」
有無を言わせない口調だ。
レンが返事をする前に、レオナは歩き出していた。
仕方なくついていく。
控え所の裏手。
人目の少ない石壁沿いの通路。
雨は止んでいたが、地面はまだ湿っている。
「何の用です」
「シオンのことだ」
レンは少しだけ身構えた。
「……はい」
レオナは壁へ背を預け、腕を組んだ。
「お前、あいつを前にして変な顔をしてた」
「変な顔って」
「警戒した顔」
図星だった。
レンはごまかさない方がいいと判断した。
「あの人、見てくる感じが強いんで」
「鋭いからな」
レオナは即答した。
「私より速い。ヴァルクよりも勘がいい。余計なものまで拾う」
「それ、味方としては心強いですね」
「敵に回ると面倒だ」
「味方ですよね?」
「今はな」
怖いことを平然と言う。
だが、それはレオナなりの信頼でもあるのだろう。
甘く見ていないという意味で。
その時、不意に風が吹いた。
湿った空気。
外壁を越えてきた冷たい匂い。
レオナの外套が揺れる。
内側の軽装が少しだけ見えた。
戦闘用の細身の革装。
だが上着の留め具が一つだけ外れていて、首元から鎖骨の線が覗く。
レンは思わず視線を逸らした。
まずい。
レオナはその反応に気づいたのか、眉を寄せる。
「何だ」
「……何でもないです」
「今日そればっかりだな」
「そういう日なんです」
レオナは少しだけ黙り、それからふっと口元を緩めた。
珍しい。
「お前、案外分かりやすいな」
「分かりやすくないです」
「いや、分かりやすい」
そのまま一歩、近づく。
距離が近い。
さっきからこの人は、時々わざとやっている気がする。
「……からかってます?」
「少し」
予想外の返答だった。
レンは一瞬だけ言葉を失う。
レオナ自身も、言ってから少し驚いたような顔をした。
だがもう引かない。
「悪いか」
「悪くは……ないですけど」
その答えがまたまずかった。
レオナの耳がわずかに赤くなる。
しかし彼女は視線を逸らさず、逆に余裕を装うように顎を上げた。
「ならいい」
何なんだ、この空気は。
戦場よりよほど危ない気がする。
その時、後ろから乾いた声がした。
「へえ」
二人同時に振り向く。
シオンだった。
いつの間にいたのか分からない。
音がなさすぎる。
彼は通路の入り口に立ち、細い目でこちらを見ていた。
「邪魔したか」
「……してる」
レオナが即答する。
シオンは無表情のまま一歩近づいた。
「珍しいな。お前がそんな顔をするのは」
「どんな顔だ」
「自分で分かっていないなら、そのままでいい」
レオナの機嫌が目に見えて悪くなる。
レンは少しだけ後ろへ下がった。
この二人の間に立つのは危険すぎる。
だがシオンの視線は、すぐにレンへ移る。
「お前、レンと言ったか」
「……はい」
「Eランクにしては、立ち方が妙だな」
心臓が一瞬だけ嫌な音を立てた。
シオンは続ける。
「前に出る時の重心が、後方支援のそれではない」
レオナの目が動く。
レンは呼吸を一定に保つことだけ考えた。
『警告 観測精度が高い相手です』
脳裏で、あの無機質な声が鳴る。
黙れ、と言いたい。
今は余計な反応をしたくない。
レンは視線を逸らさず答えた。
「最近、訓練してるんで」
「それだけで変わるほど、戦場は甘くない」
「はい」
「だが、変わろうとしている人間の立ち方ではある」
シオンはそれだけ言って、レオナへ向き直った。
「少し借りる」
「は?」
「訓練だ」
「勝手に決めるな」
「お前も見たいだろう」
レオナが一瞬だけ黙る。
見たい。
たぶん、その通りなのだろう。
自分でも言語化していないだけで、彼女はレンの“伸び方”を気にしている。
それが戦力としてなのか、別の感情を含んでいるのか、まだ自分でも整理できていないだけで。
結果、レンはそのまま訓練場へ連れていかれた。
◇ ◇ ◇
東門裏の小訓練場。
雨上がりで、石畳が少しだけ滑る。
シオンは細身の刀を抜きもしない。
ただ立つだけで、空気が研ぎ澄まされる。
「構えろ」
レンは支給木剣を握った。
「本気ですか」
「当たり前だ」
「Eランク相手に?」
「だから見る価値がある」
意味が分からない。
だが拒否権はないらしい。
レオナは腕を組んで壁際に立っている。
表情は平静を装っているが、内心ではかなり気になっているのが見て取れた。
開始の合図もなく、シオンが動いた。
見えない。
気づいた時には、レンの喉元へ木刀の先が来ていた。
「――っ!」
反射的に身を引く。
ぎりぎり。
掠めるだけで止まる。
速い。
レオナとも違う。
炎みたいな圧ではなく、雷が一度だけ落ちたような速さ。
「遅い」
シオンが言う。
一歩、二歩。
間合いを測り直す。
レンは木剣を握り直した。
仮面は使えない。
ここで出したら本当に終わる。
だが、何もしなければ本当に何も残らない。
踏み込む。
当然、浅い。
シオンは半歩だけ外へずれ、木刀の腹で手首を打つ。
痛み。
剣がぶれる。
そこへ二撃目。
胴を狙う。
レンは咄嗟に後ろへ跳ぶ。
何とか避ける。
「今のは悪くない」
シオンが少しだけ言う。
だが次の瞬間には、また喉元に木刀があった。
「だが遅い」
三度目の打ち込みで、レンは完全に崩される。
尻もちをつき、肩で息をする。
強い。
話にならない。
これが四天王。
レオナが壁際から言う。
「だから言っただろう。まだ雑魚だ」
「慰めになってないです」
「慰めてない」
答えは即座だった。
だが、その声には少しだけ柔らかさがあった。
シオンが木刀を下ろす。
「弱いな」
容赦がない。
「はい」
レンは素直に頷いた。
「だが、逃げない」
「逃げても何も変わらないんで」
シオンの目が、ほんのわずかに細くなる。
「そういう人間は嫌いではない」
それだけ言って、彼は木刀を返した。
訓練は終わりらしい。
レンが立ち上がると、レオナが近づいてくる。
「肩、貸せ」
「いや、大丈夫です」
「命令だ」
最近この人、そればかりだ。
だがシオンがいる手前、断るのも変な気がした。
レオナが少しだけ肩を支える。
その距離がまた近い。
シオンはそれを見て、無表情のまま言った。
「分かりやすいな」
「お前まで言うな」
レオナが珍しく、本気で不機嫌そうだった。
それを見て、シオンの口元がほんの僅かに動いた。
笑ったのかもしれない。
「王都は面倒そうだ」
「余計なお世話だ」
「だが悪くない」
そう言い残し、シオンは踵を返す。
去り際、ほんの一瞬だけレンを振り返った。
その視線は鋭い。
だが敵意ではなかった。
試す目だ。
見定める目。
いずれまた、どこかで交わる。
そんな予感だけを残して、雷の男は訓練場を出ていった。
◇ ◇ ◇
夕方。
王都の空は、ようやく少しだけ晴れていた。
レンは訓練場脇の石段に腰を下ろし、包帯を巻き直していた。
シオンに打たれた手首がまだ熱い。
レオナがその横へ立つ。
「悔しいか」
「……かなり」
「だろうな」
レオナも座る。
珍しい。
外套の裾が揺れ、太腿の装甲の継ぎ目が見える。
実戦向けの、動きやすい設計。
腰の剣帯に収まる炎紋の長剣、太腿の補助ナイフ、短い赤外套。
実戦と見映えを両立した、いかにもレオナらしい装備だ。
レンは見ないようにしつつ、少しだけ見てしまう。
レオナが気づく。
「何だ」
「……装備、やっぱり格好いいなって」
本音が先に出た。
レオナは一瞬だけ目を瞬かせ、それからほんの僅かに笑う。
「そうだろう」
そこは否定しないらしい。
「シオンの装備も、あれはあれで厄介だ。軽い。細い。速さだけを殺さない」
「レオナさんは正面から叩き潰す感じですもんね」
「何か不満か」
「いえ、似合ってます」
また口が先に出た。
レオナが少し黙る。
夕日のせいか、頬がほんの少し赤い。
「……そうか」
短い返事。
だが、悪い気はしていないのが分かった。
沈黙。
風が吹く。
その時、頭の奥で声がした。
『警戒対象シオン』
レンは小さく息を吐く。
「分かってるよ」
レオナが横を見る。
「またそれだな」
「……独り言です」
「独り言が多い」
鋭い。
最近、危ない場面が増えている。
声への反応が表に出始めているのかもしれない。
レオナは少しだけ眉を寄せたまま、それ以上は追及しなかった。
代わりに、ゆっくりと言う。
「シオンは勘がいい。動きの癖も、隠してる無茶も、すぐ拾う。軽く見るな」
「……はい」
「あと」
レオナが石段から立ち上がる。
「次は負けるな」
「四天王相手に無茶言いますね」
「無茶じゃない」
彼女は振り返りもせずに続けた。
「お前は、たぶんまだ伸びる」
その言葉だけ残して、レオナは去っていく。
レンはしばらく動けなかった。
悔しさ。
痛み。
疲労。
それなのに、胸のどこかが少しだけ軽い。
四天王に負けた。
当然だ。
でも完全に切り捨てられたわけではない。
レオナも。
シオンも。
ヴァルクも。
誰も、今の自分を強いとは言わない。
だが、見てはいる。
それはたぶん、昔のFランクだった頃にはなかったことだ。
王都の上空に、雲の切れ間から細い光が差し込む。
黒い騎士の噂は広がり続ける。
人型AIの影も消えない。
シオンという新しい雷も来た。
世界は、静かに大きくなっていく。
レンは包帯の上から手首を押さえ、小さく息を吐いた。
次に前へ出る時は。
その時はきっと、また今までより深い場所まで行くことになる。
それでも、止まる理由はもうなかった。




