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第11話 セツナの解析

雨が降っていた。


王都の石畳を叩くには弱いのに、

止む気配だけがない、

神経に障る雨だった。


北区の仮設診療所は、

朝からずっと人の出入りが途切れない。


熱のある子ども。

濡れて咳き込む老人。

眠れずに倒れた兵。

濡れた床で足を滑らせた女。


レンは薬包の入った木箱を抱え、

フィオナの指示に合わせて動いていた。


「次、左の寝台」


「はい」


「熱の高い子から先に見るわ。

 水は切らさないで」


「分かりました」


フィオナは今日も声を荒げない。


荒げないのに、

診療所の空気はちゃんと彼女の手の中にあった。


誰を先に診るか。

誰を寝かせるか。

どの兵を休ませ、どの兵を戻すか。


全部が静かで、

全部が速い。


レオナの強さが炎なら、

フィオナの強さは水だ、とレンは思う。


目立たないのに、

気づいた時にはもう流れを変えている。


「レン兄ちゃん!」


振り向くと、

ミナが濡れた前髪を押さえながら立っていた。


その後ろで母親が慌てている。


「走るなって言っただろ」


「走ってない。

 急いだだけ」


「それを走ったって言うんだよ」


ミナは頬をふくらませたが、

すぐに笑った。


こういうやり取りが、

最近は少しだけ増えた。


名前を呼ばれる。

顔を覚えられる。

礼を言われる。


昔のFランク時代には、

ほとんどなかったことだ。


『親和値が上昇しています』


頭の奥で、

いつもの無機質な声が鳴る。


「その言い方、

 本当に嫌いだ」


『事実です』


「事実でも嫌なもんは嫌なんだよ」


『記録しました』


それで終わるあたりが、余計に腹立たしい。


だが今は、そんなことに構っている暇もなかった。


雨の日は診療所が忙しい。

フィオナは表情ひとつ変えず動いているが、寝台の数はもうぎりぎりだ。


「レン、この箱が最後」


振り向く。


フィオナが白い外套の袖を軽く捲ったまま、薬液瓶を並べていた。

雨で湿った髪が、いつもより少しだけ頬に張りついている。


「あとは休んで」


「まだ動けます」


「知ってる」


フィオナは少しだけ笑う。


「だから言ってるの。動ける人ほど倒れるまで動くから」


レンは言い返せない。


最近、それを言われることが増えた。

ゴードンにも、ミアにも、レオナにまで。


「じゃあ、五分だけ」


「十分にしなさい」


「長いです」


「命令よ」


やわらかい声なのに逃げ場がない。

レンは素直に従うしかなかった。


診療所の裏手には、小さな休憩用の天幕がある。

そこへ入ると、雨音が布越しに少しだけ柔らかくなる。


椅子代わりの木箱へ腰を下ろした時、初めて肩の力が抜けた。


疲れていたらしい。


腕も重い。

足もだるい。

頭の芯には、薄い熱が残っている。


昨日の夜、仮面を使ってはいない。

なのに、どこか深いところで消耗が残っている感覚があった。


『軽度の神経負荷が継続しています』


「便利だな、お前」


『はい』


「褒めてない」


『理解しています』


即答。

レンは小さく息を吐く。


雨音を聞いていると、少しだけ眠くなりそうだった。


その時、天幕の布が揺れた。


「失礼する」


低い女の声。


入ってきたのは、見知らぬ女だった。


黒に近い濃紺の上着。

細身のズボン。

腰には工具ベルト。

肩までの灰色の髪が、雨で少し濡れている。


年はレンより少し上。

二十前後だろうか。


一番目を引くのは、その目だった。

冷たいというより、情報を見ている目。

人ではなく構造を見ているような。


女はレンを見て、一拍置いてから言った。


「あなたがレン・ノワール?」


「……そうですけど」


「話は聞いている」


「誰から」


「フィオナと、あとヴァルク」


最後の名前で、レンの眉が少し動く。


また厄介そうなところから来た。


女は無駄なく天幕の中へ入り、濡れた手袋を外した。


「セツナ・クレイン。今日からしばらく北区付き。旧文明残骸と異常反応の調査を担当する」


セツナ。


レンは椅子から半分立ち上がる。


「調査って、何の」


「灰冠迷宮事件の余波。残骸の流出。人型AIの反応痕。あと――」


セツナの視線が一瞬だけ、レンの顔をなぞる。


「正体不明の戦術補助系現象」


心臓が跳ねた。


表情には出していない。

そのはずなのに、喉が少しだけ硬くなる。


セツナはそれ以上追及せず、壁際の木箱へ腰を下ろした。


「安心して。今の時点で、あなたを疑ってここへ来たわけではない」


「今の時点で、って言い方やめてもらえます?」


「やめない」


返事は早かった。


ミアともフィオナともレオナとも違う。

この女は会話の余白が少ない。


「あなた、北区でよく住民を助けているでしょう」


「……まあ」


「そういう人材は貴重。だから見ておくように言われた」


「誰に」


「私が信用している人たちに」


答えになっているようで、なっていない。


レンが少し警戒を強めた、その時だった。


天幕の外から、また布を叩く音。


「入るぞ」


今度は聞き慣れた声だ。


レオナだった。


雨の日でも赤金の髪は目立つ。

今日は軽装だが、それでも立っているだけで空気が変わる。


レオナは中へ入るなり、セツナを見て目を細めた。


「なんだ、来ていたのか」


「あなたは何しにきたの」


「……雨宿りだ」


「うそばっかり」


どうやら知り合いらしい。


レオナは鼻を鳴らしてから、レンを見た。


その視線が、前より少しだけ近い。

前なら“Eランクの一人”として見る程度だったのに、今は確実に“レン”を見ている。


「働きすぎだと聞いた」


「誰に」


「全員に」


全員。

ひどい話だ。


フィオナ、ミア、市民、たぶんゴードンあたりまで含まれていそうだった。


レオナは天幕の中を見回し、空いている木箱へ当然のように座る。


狭い。

天幕が一気に狭く感じる。


セツナが無表情のまま言う。


「あなた、もう少し距離を取った方がいい」


「何でだ」


「圧が強い」


レオナは意味が分からない、という顔をした。


レンは少しだけ視線を逸らす。


確かに、近い。


雨で湿った髪。

首筋に落ちる水滴。

外套の下、濡れた布越しに見える身体の線。

強い女だと分かっているのに、こうして近くにいると、妙に意識してしまう。


しかも今は軽装だった。

訓練用の細身の上着は動きやすさ優先で、首元が思ったより開いている。

目のやり場に困る。


レオナはそんなレンの反応に気づいたのか、気づいていないのか、少し首を傾げる。


「どうした」


「……何でもないです」


「顔が赤いぞ」


「雨でちょっと」


「中にいるのにか?」


横からセツナが小さく言った。


「鈍い」


「誰がだ」


「両方」


レオナが睨む。

セツナは気にしない。


この二人、意外と相性が悪いのかもしれない。


いや、悪いというより、レオナが振り回されているのか。


その時、フィオナが天幕の入口から顔を出した。


「何をしているの、あなたたち」


白い外套を羽織ったまま、少し呆れた顔をしている。


「休ませるために入れたのに、これじゃ逆に落ち着かないでしょう」


「私は休んでいる」


レオナが言う。


「あなたはそうでしょうね」


フィオナはさらりと受け流し、レンへ湯の入ったカップを差し出した。


「飲みなさい」


「あ、ありがとうございます」


受け取る。


指先が少しだけ温まる。


フィオナはついでのように言った。


「セツナ、あなたの部屋は診療所の奥。レオナ、あなたは勝手に居座らない」


「私は呼ばれたわけではない」


「なお悪い」


レオナが少しだけ黙る。

その反応に、セツナの口元がほんの僅かに動いた。


笑ったのだろうか。


「……何がおかしい」


「別に」


言いながらセツナは立ち上がる。


「でも、あなたがそういう顔をするのは珍しい」


「どういう顔だ」


「自分でも説明できない顔」


それを聞いて、レオナは露骨に機嫌が悪くなった。


レンは湯を飲むふりをして、視線を誤魔化す。


この空気は何だ。

戦場より変な意味で疲れる。


だが、こういうのが少しずつ増えていくのは悪くない気もした。


戦いだけじゃない。

人が集まる。

言葉が交わる。

強い奴も、怖い奴も、面倒な奴も、同じ天幕の中にいる。


それは少しだけ、昔より“仲間”に近い形だった。


◇ ◇ ◇

その日の夕方、セツナは本格的に仕事を始めた。


北区外れの資材置き場。

灰冠迷宮事件や各地の小競り合いで回収されたビースト残骸が、一時的に積まれている場所だ。


雨は小降りになっていたが、地面はぬかるんでいる。

灯りは少ない。

湿った鉄の臭いが強い。


レンは護衛兼、雑務要員として付き合わされていた。


「この箱を開けて」


「俺が?」


「力仕事はそっちの担当」


セツナは感情の起伏が薄い。

でも人使いは遠慮がなかった。


木箱を開ける。

中にはビーストの頭部残骸、ガーディアン由来らしい発光板、破損したケーブル束が入っていた。


セツナは手袋をはめたまま、無駄なくそれを見ていく。


「……やっぱり」


「何が」


「灰冠迷宮の個体群、少し変」


レンは眉を寄せた。


「変、って?」


セツナはトカゲ型ビーストの首骨格を指で叩いた。


「継ぎ接ぎの跡がある。現場で修復したんじゃなくて、別系統の部品を後から噛ませてある」


次にガーディアンの発光板を持ち上げる。


「こっちは制御系。普通なら主機と連動するだけの部品」


「つまり?」


「ビーストとガーディアンの技術が混ざり始めてる」


レンは小さく息を呑んだ。


あの護送任務の混成個体を思い出す。

今までは異常な一例かと思っていたが、そうではないのかもしれない。


セツナは淡々と続ける。


「たぶん、AI側が戦い方を更新してる。人間側の対処パターンを見て、組み換えを始めた」


『妥当な推測です』


頭の奥で声が言う。


レンは思わず顔をしかめた。


「何」


セツナが顔を上げる。


「……いや、何でもない」


危ない。


この女は勘が鋭そうだ。

レオナやヴァルクとは別方向で、情報の綻びを拾うタイプに見える。


セツナは数秒だけレンを見ていたが、それ以上は聞かなかった。


代わりに、別の残骸箱を開けさせる。


中には、人の手に近い形の黒い部材が入っていた。


レンの喉がわずかに動く。


あの夜、煙の向こうから現れた人型AIを思わせる形状だったからだ。


セツナの目も、初めてほんの少しだけ強くなった。


「……こっちは初めて見る」


「人型、ですか」


「断定はしない。でも、近い」


彼女はその黒い部材を布へ包み、箱を閉じる。


「レン」


「はい」


「この件、北区の外で喋らないで」


その言い方は、命令というより確認だった。


「言いませんよ」


「ならいい」


そこで、資材置き場の外から金属音がした。


二人同時に振り向く。


雨上がりの薄暗がり。

資材棚の向こう。

何かが動いた。


レンの全身が強張る。


『熱源反応 一』


声が即座に鳴る。


『右前方 六メートル』


セツナが腰の短剣へ手をかける。


「いる」


次の瞬間、棚の影から小型ビーストが飛び出した。


犬型。

だが動きが妙に速い。


レンは反射的に前へ出る。

仮面は使えない。

ここで出したらまずい。


それでも、足だけは先に出た。


犬型がセツナへ跳ぶ。

レンは横から体当たりして軌道を逸らす。

地面を転がる。

泥が跳ねる。


「っ……!」


『左』


声が鳴る。


レンは考える前に体を捻る。

爪が頬の横を掠める。


『首下』


短剣を抜く。

浅い。

でも入った。


そこへセツナの刃が真っ直ぐ落ちる。

犬型が沈む。


二人同時に距離を取る。


一瞬、音が消えた。


雨音だけが戻る。


セツナがレンを見る。


「……今の」


レンの心臓が強く打つ。


『警戒』


脳裏で、あの無機質な声が鳴る。


セツナは少しだけ目を細めた。


「避け方が変」


「変?」


「普通、今の初見では間に合わない」


レンは言葉を探す。


だがセツナはそれ以上追及しなかった。


代わりに地面へ視線を落とし、低く言う。


「偶然でも、助かった」


それだけだった。


でも、その一言は重かった。


この女は気づいている。

全部ではない。

でも何かを感じている。


レオナの“勘”とも、ヴァルクの“見極め”とも違う。

もっと冷たく、もっと正確に、構造として綻びを見つける目だ。


厄介だ。


だが同時に、味方でいてくれたら心強いとも思った。


『要注意人物に追加します』


レンは小さく息を吐いた。


「もう追加してるだろ」


『再確認です』


その返事に、レンは少しだけ口元を歪める。


笑いか、諦めか、自分でも分からない。


資材置き場の奥では、黒い残骸が雨に濡れていた。

灰冠迷宮事件は終わった。

だが、その残骸の中から新しい敵の気配が生まれている。


そして同時に。


レンの周囲には、強い女たちが少しずつ集まり始めていた。


炎のレオナ。

氷みたいなフィオナ。

刃物みたいに鋭いセツナ。


誰も簡単ではない。

なのに、誰も放っておけない。


戦いは、ますます面倒になりそうだった。

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