中編 土佐の志士たち、過酷な修行の末、酔拳の極意を得る
雑技団の老人――蘇燐という名の老人に出会ってから数日後。鴻池は、土佐脱藩の志士たちが集まる隠れ家にいた。仲間たちに蘇燐老を紹介し、酔拳について説明する。そして、自分たちも酔拳の修業に励もうと仲間たちを誘った。鴻池の話を半信半疑で聞いていた仲間たちも、禁酒よりはいいだろうと、渋々ながら承諾する。酒を飲みながら強くなれるというのなら、文句はなかった。
――この日から、土佐っぽたちの酔拳修業が始まった。
とはいえ、荒事が得意な志士たちだ。腕っぷしには自信がある。基礎体力は問題なく、拳法の型も剣術で慣れている。基本的な型さえ覚えれば、応用はさほど難しくない。半月もすれば、庭のあちこちで褌一丁の志士たちが、バタバタと地面を転がりながら蹴りを繰り出していた。土煙の中から怒鳴り声が上がり、勢い余って庭木に突っ込む者までいる。それでも誰一人、修業をやめようとはしなかった。
「ふむ、皆さん。酔拳の型はもう会得されたようですな。それでは今日から酔拳の極意を授けましょう」
「「「おおーー!」」」
「これは酒の酔いを胆力に変え、瞬時に爆発的な力を引き出す、酔拳の中でも秘術中の秘術ですじゃ」
鴻池が興奮気味に仲間たちへ呼びかける。
「みんな、今聞いたように瞬時に力を爆発させるということは、我らが土佐の英信流と相性が良いということだ」
「なるほど、英信流は居合術、その一太刀にすべてをかける剣術だ」
「いいか! 是が非でも習得するぞ!」
「「「おおーー!!」」」
蘇燐老の説明によると、こうだ。
まずは臍の下、丹田に力を集中させる術を身につける。次に、酔いを力へ変える方法を身につける。現代風に言えば、肝臓でアルコールを分解して得たエネルギーを丹田に蓄え、それを一気に手足の筋肉へ流すというものだ。
「これを肝発力と言う」
「しかし蘇先生、その肝発力を会得するにはどうすればよいのでしょう?」
「ふむ、鴻池殿。丹田に力を集中させたときのように、肝の臓へ力を集めるつもりで、強く念じ続けるのじゃ。これは実際に酒を飲みながら鍛錬する。肝心なのは、大量の酒に負けない肝の臓を作ることじゃ」
「先生、酒に負けない肝の臓を作るにはどうすれば?」
「うむ、それは肝をたくさん食うことじゃ」
「肝を……?」
鴻池たちは、ももんじ屋から肝を手に入れ、それを食べながら酒を飲む生活を続けた。隠れ家には酒と獣の肝の匂いが充満し、誰もが朝から晩まで酔っぱらっている。空になった徳利が部屋の隅に転がり、床には食べこぼした肝がこびりついていた。酒癖にも、それぞれ個性があった。
大騒ぎする者、泣き上戸になる者、日本の未来について延々と語る者、そして誰彼構わず口づけを迫る者。
もはや武術の修業というより、毎日が大宴会である。
肝臓の鍛錬を始めてから、ひと月。連日の馬鹿騒ぎと悪臭に耐えかね、近所の代表が苦情を言いに来るようになった頃。
「できたぞ!!」
最初に鴻池が叫んだ。
丹田に集めた力が、手足の先まで一気に駆け抜ける。今までとは明らかに違う感覚だった。
「俺もだ!」
「俺も!!」
他の仲間たちも、次々と肝発力を会得していく。蘇燐老は目に光るものを浮かべ、満足そうに頷いている。
その向こうでは、近所の者が怒りの涙を浮かべ、入り口からこちらを睨んでいた。近所を巻き込んだ修業の日々に、ようやく終止符が打たれた。
「師匠、ありがとうございました」
「なになに、みな極意を会得できて良かった。しかし、肝発力を使った後は酔いが醒める。そこは注意せんといかんぞ」
「なるほど……さすがは師匠」
「酔拳の極意も万能ではない。くれぐれも命は大事にしてくだされ」
師匠の温かい言葉に一同は感動し、笑顔で送り出した。蘇燐老もまた、たっぷりと受け取った謝礼に満面の笑みを浮かべるのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
数日後。旅籠の一室で、鴻池は気持ちよく酒を飲んでいた。傍らには、土佐勤王党の北添佶摩と望月亀弥太がいる。先ほどまで数人の長州の志士と打ち合わせをしていたが、今は土佐の三人だけになっていた。
卓の上には空になった徳利が何本も転がっている。程よく酔いが回ったところで――といっても、常人の数倍は飲んでいるのだが――そろそろ寝ようと、鴻池が旅籠の者を呼ぶために立ち上がる。
ガラッ!!
「新選組だ!!」
「しん…せんぐ……みだとぉ…」
いきなり扉が開き、三人の新選組隊士が部屋へ乱入してきた。鴻池の顔は真っ赤で呂律も回らず、足元もおぼつかない。隊士たちはその姿を見て、すでに勝ったつもりでいた。
「ふはは、相変わらず間抜けな連中だぜ!」
「あの世でも、酒を飲んでるんだな!!」
隊士が突き出した切っ先を、鴻池は体を反らしてかわす。そのままでんぐり返って距離を取り、ふらつきながらも居合の構えを取った。
「舐めやがってっ!!」
隊士の一人が勢いよく斬りかかると、一瞬鴻池の体が赤く燃え上がった。次の瞬間には、目にも止まらぬ速さの一閃が隊士を斬り伏せていた。残った隊士たちが驚いて振り向いたときには、北添と望月もそれぞれ仕事を済ませていた。三人は互いの顔を見て笑い、悠々と夜の京の町へ消えていった。
――この日を境に、酔拳の力を得た土佐の志士たちが、京の町を席巻していく。
◇◇◇◇◇◇◇◇
新選組屯所である八木邸に、容赦なく夏の日差しが照りつける。庭の木々では蝉がうるさいほど鳴き続け、さらに暑さが増すようだった。
新選組一番隊組長の若き剣士、沖田総司は縁側に腰掛け、ぼんやりと夏空に浮かぶ雲を眺めていた。その沖田のもとへ、屯所にいつも出入りしている一匹の猫がまとわりつく。新選組一の使い手として志士たちから恐れられている沖田も、普段は心優しい青年である。沖田は猫の頭を優しく撫でながら、再び空を眺め始める。
先日の酔っ払いたちを斬って以来、退屈な日が続いていた。
「おう、総司!」
沖田と猫に大きな影が差す。猫は男の顔を見るなり、文字通り尻尾を巻いて逃げていった。
「あぁーあ、土方さんを怖がって猫が逃げちゃいましたよぉ」
「ちっ! 俺に懐こうなんてのは、おめぇぐらいのもんだぜ」
土方は少しだけ口の端を上げると、沖田と並んで縁側に腰掛けた。
「それより、知ってるか、総司? 最近の土佐っぽの噂話」
「なんですか? それ」
「なんか変な剣術を使うって話よ」
「変な剣術?」
土方が急に真面目な顔になる。
「酒を飲んでいるのはいつものことなんだが……酔っぱらってフラフラなはずなのに、サラリサラリと剣をかわして、時には地面に倒れたまま戦うんだと」
「それ、酔っぱらってるだけじゃないんですか?」
「俺もそう思うんだが……気になるのは、奴らの居合の威力が段違いなんだとよ」
「長谷川英信流……ですか」
「いや、どうも、それだけじゃねえ……なんか摩訶不思議な術を使うらしいんだよ」
「何ですか、それ? 妖でもあるまいし」
無邪気に笑う沖田を見て、土方は少し安心する。噂が本当なら、いずれ沖田がその剣と向き合うことになるかもしれない。
「まあ、気をつけるに越したことはねえやな」
「はいはい」
「それとな、三日後に決まったからな」
「なんでしたっけ?」
「枡屋のガサ入れだよ!」
◇◇◇◇◇◇◇◇
元治元年六月五日、新選組屯所に隊士全員が集まった。張り詰めた空気の中、副長の土方がこれまでの経緯を説明する。
数日前、山崎烝ら監察方が、四条にある古物商「枡屋」の情報を持ってきた。そしてこの日の未明、武田勧柳斎の組が枡屋を急襲し、古高俊太郎を捕らえたのだった。その古高から、長州の志士たちが京の町を焼き払う計画を立てているとの情報を得たのである。
話を聞く隊士たちの顔つきが変わる。土方は一同を見回し、声を張り上げた。
「いいか、お前たち! どうやら会津の協力はねえらしい。俺たち新選組の手で長州の連中をとっつ捕まえるぞ!!」
「「「「「応!!」」」」」
夜になり、新選組が動き出す。
昼間の熱が残る京の町を、浅葱色の羽織を着た隊士たちが駆けていく。局長の近藤隊と副長の土方隊に分かれ、長州のアジトを見つけるべく、京の街を虱潰しに捜していく。
しかし、総勢三十四名で捜索に当たるも、いまだアジトを見つけることができない。時間だけが過ぎ、隊士たちの間にも焦りが見え始める。
寺の鐘が四つ鳴った。現在で言うところの午後十時。
近藤隊十名は、三条小橋近くの旅籠屋の前にいた。店先の提灯が、暗い通りをぼんやりと照らしている。後の世まで語り継がれる、幕末における壮絶な死闘の現場となった旅籠屋。
――「池田屋」である。
次回は後編【酔拳の極意を会得した土佐の志士たち、新選組と闘う】
いよいよ酔剣が池田屋で新選組と対決します。
お楽しみに!




