前編 酒好きの土佐の志士、酔拳と出会う
新作の幕末ものです。
よろしくお願いします。
幕末――
元治元年。
盆地特有の暑さが身に応える、蒸し暑い夏の京都。日はとっくに暮れているというのに、石畳には昼間の熱がまだ残っている。夜の京の街には、今日も志士たちと新選組が刃を交える音が響き渡っていた。
「新選組だぁ!」
「く、くそぅ…気持ちよく飲んでたってぇのによぉ…ヒック」
新選組と対峙しているのは、土佐勤王党の二人。二人とも顔は真っ赤で、手元も足元も覚束ない。それでもふらふらと斬りかかるが、相手が悪すぎた。
新選組一番隊隊長、沖田総司――新選組一の使い手である。沖田はつまらなそうな顔で二人の攻撃をかわすと、ほとんど同時に斬り捨てる。勝負と呼ぶには、あまりにもあっけない。そこへ、新選組鬼の副長、土方歳三がニヤニヤしながら近づいてくる。
「よう、浮かねぇ面ぁしてんじゃねえか、総司」
「土方さん……酔っ払いを斬ってもねぇ……」
「しかし、土佐っぽも懲りねぇなぁ、いっつも酔っ払ってんじゃねぇか…」
「まったくです…」
足元には二人の志士が倒れている。それでも、沖田の胸に残ったのは虚しさだけだった。
――数日後。
京の町を歩く土佐脱藩の志士、鴻池飛翔は悩んでいた。
この間も仲間が二人、新選組にやられた。理由は分かっている。
「酒だよなぁー」
(俺ら土佐っぽは、とにかく酒が好きだ。浴びるように飲む。新選組の連中もそれが分かっているから、ベロンベロンになったところを狙いすまして来やがる)
「今日こそ、彼奴らに禁酒を提案しよう!」
――翌日。
今日も京の町を歩く鴻池だが、昨日とは違い、左腕を押さえて右足を少し引きずっている。顎には痣までできていた。歩くたびに痛みが走り、顔が勝手に歪む。渋い顔で昨夜のことを思い出す。
「いててて…あいつら、禁酒って言っただけで、人のことボコボコにしやがって!」
禁酒は仲間の猛反対に遭い、あっさり却下された。結局、できるだけ酒を控えようということになった。
「控えると言っても、どうせ一升のところを九合にするだけだろ。あいつら…」
これといった当てもなく、京の町をふらふらと歩き続ける…
酒をやめずに新選組と戦う方法はないものか。
考えてみるが、そんな都合のいい方法が浮かぶはずもない。すると、前の方でゆらゆらと揺れる赤提灯が、鴻池を誘うように目に入った。
「ま、一杯飲りながら、考えるか…」
自分のことは棚に上げ、居酒屋の縄のれんをくぐろうとしたとき、向かいの賑わいにふと目が留まる。清国の服――今でいうチャイナ服を着た女性がにこやかに踊り、その周りには「清国雑技団」と書かれた幟が何本も立ち並んでいた。
「なんだ、ありゃ? 清国雑技団? 面白そうだな、中に入ってみるか。酒があるかもしれねえし」
すでに酒を飲む気でいる鴻池は、入り口で金を払うと、いそいそと中へ入っていく。みんなよっぽど暇なのか、場内は大勢の観客で賑わっていた。ちょうど出し物の一つが終わったらしい。やはりチャイナ服を着た女の子が、十本はあろうかというナイフを手に退場するところだった。
「くそ、お姉ちゃんの芸は終わりか… 次は…と」
どうせ見るなら女の子の出し物がよかった。そう思う鴻池の期待は、見事に裏切られる。舞台の上に立っていたのは、赤い功夫服を着た禿頭の老人。白く長い顎髭が、ひときわ目を引く。
「ちっ、爺を見るくらいなら酒でも飲むか…と」
鴻池は舞台を横目に、キョロキョロと空いている席を探す。
「酒ー、酒はいらんかねー!」
「ん…ありゃ、酒か!?」
「酒」と書かれた旗印を持ち、いくつもの瓢箪をぶら下げた男が、威勢のいい声を上げながら歩いていた。
「お兄さん、こっちに一つだ!」
鴻池は躊躇することなく酒を買うと、ご機嫌な様子で空いている席に座る。ちょうど演目が始まるところだったが、舞台そっちのけで、まずは一杯飲りはじめる。
「ぷはー! うめぇ!」
舞台では、先ほどの老人が両手を上げて観客の目を集めていた。
「さあ! 皆さん。これから御覧に入れるのは、清国の秘術、地躺拳の中の秘術中の秘術、酔拳でございます」
「酔拳…」
聞き慣れない言葉に、酒を飲んでいた鴻池の耳がぴくりと動く。瓢箪を口元で止め、初めてまともに舞台を見た。
「酔拳とは酔う拳と書き、読んで字のごとく、酔えば酔うほど強くなる、摩訶不思議な武術のこと」
「な、なんと! 酔うほどに強くなるだと… まさか!?」
もし、それが本当なら――仲間たちは酒をやめる必要がない。それどころか、今より強くなれるかもしれない。
鴻池が思わず叫んで立ち上がると、周囲の客も舞台上の老人も、目を丸くして彼に注目した。
「あ、いや…かたじけない。続けてくれ」
顔を真っ赤にして謝る鴻池。しかし、舞台の老人はそのままでは済ませてくれないようだ。
「お侍さん、不思議に思われるかな。それでは、申し訳ないが、舞台まで来てはもらえぬか?」
とんだことになったと思いつつも、これ以上迷惑はかけられない。鴻池は嫌々ながら舞台へ上がった。
「おお、ちょうど良い。酒を持っているではないか。場を騒がせた引き換えに、その酒を譲ってはくださらぬか」
「俺の酒で何を…?」
「なに、こちらで用意した酒では、本物かと疑われるかもしれんのでな」
そう言って老人は鴻池から瓢箪を受け取ると、なぜか代わりに持っていた木刀を渡した。
ゴキュゴキュゴキュ……
酒を受け取るや否や、老人は喉を鳴らし、かなりの量を飲んでいく。
「お、おい…」
「さあ、お侍様。その木刀でワシと勝負されよ。それが場を乱した償いじゃ」
鴻池の制止を見事に無視して、老人はなにやら武術らしき構えを見せる。
顔を真っ赤にしてゆらゆらと揺れながら、両手を突き出して爪先立ちになる。今にもその場でひっくり返りそうだ。どう見ても武術家の構えには見えない。
「ご老人、大丈夫か? 随分と酔いが回っているようだが?」
「ひっく、なんのなんの… さあ! かかって参られよ! ひっく」
(なんだか変なことになったな)と思いつつ、鴻池はだいぶ力を抑えて木刀を水平に振る。
だが、木刀が当たる寸前、老人は糸が切れたように背中から地面へ倒れ込み、その一撃をかわした。
「消えた! ぐっ…」
その倒れた姿勢から、鴻池の腹へ蹴りを叩き込む。
「鉄拐李… 片足でも驚異の脚力」
「く、この!」
鉄拐李とは、酔拳の型の元になった八人の仙人、その一人である。
強烈な蹴りに息が詰まり、鴻池はよろめきながら腹を押さえる。客席から笑いが起こり、それを聞いた鴻池の顔がさらに赤くなった。頭に血が上り、今度は立て続けに攻撃を仕掛ける。
老人はよろめきながらも、そのすべてをふらふらとかわし、すれ違いざまに鴻池の背中を打った。
「韓湘子… 横笛を持ちつつ攻撃」
「貴様… 武士を舐めるなよ!」
怒りに我を忘れた鴻池が、老人めがけて木刀を突き出す。
老人はすんでのところで体を翻してかわすと、その木刀を親指と人差し指で掴んでしまった。
「曹国舅… 酒を飲み喉を掴む」
鴻池が木刀を引き抜こうとするが、よほど強い力で掴んでいるのか、びくともしない。老人はその姿勢のまま、残った酒を一気に飲み干す。
「フン!」
老人の体が一瞬、真っ赤になったかと思うと、手首を捻って木刀を真っ二つに折ってしまう。
カラン…カラン…
折れた木刀が乾いた音を立て、舞台の上に転がった。一瞬、会場が静まり返る。鴻池も折れた木刀と老人の顔を交互に見たまま動けない。だが次の瞬間、割れんばかりの大歓声が沸き起こった。
何が起きたのか分からず、呆然とする鴻池。雑技団の者に促され、ふらふらと座席へ戻っていった。
その後のことは、よく覚えていない。あまりの衝撃に、ほかの演目など頭に入らなかった。気づくと客の姿はなく、目の前には先ほどの老人が立っていた。
「ははは… お侍さんのお陰で、普段よりも盛り上がり、ご祝儀もたんまりと貰うことができましたわい」
「ご老人… 先ほどの武術は一体…」
「何、舞台で言ったことがすべてですよ。酔えば酔うほど強くなる、それが酔拳ですじゃ」
それを聞いた鴻池は、勢いよく頭を下げる。
「ご老人、いや師匠! お願いです! 私にもその技を、酔拳の極意を教えてはくださらぬか?」
「なにやら事情がある様子。教えるのは構いませんが… その…」
「謝礼なら、満足いただける額を用意します故、何卒!」
「なれば、ワシに断る理由はありませんな。教えましょうぞ、酔拳の極意を」
酔拳と出会った鴻池———これが起死回生の秘策となるのか。
今は誰にもわからなかった。
次回は中編【土佐の志士たち、過酷な修行の末、酔拳の極意を得る】
カンフーものでよく見る修行シーンです。
お楽しみに!




