第2話 resound
待ち合わせ場所に先にいる彼に微笑む。待ち合わせ時間の五分前にはいる者同士だが、なかなか彼より早く着いた試しはない。
「淳一、お待たせ、なんの曲聴いてるの?」
「綾子も聴く?」
そう言ってごく自然に綾子の右耳にイヤホンをつける。ワイヤレスのため装着は簡単だが、急に距離が縮まれば心音が速まる。
「あっ、CMの?」
「そう……って、どうした?」
「ううん……」
「先にご飯食べてくだろ?」
「うん……」
当たり前のように手を繋いで歩く姿は、誰が見ても仲のいいカップルと一目瞭然だ。
「……この曲もいいよな」
「うん!」
素直な即答ぶりに淳一が微笑む。自身の事のように嬉しそうな表情に混じり気は一つもない。ただ親友の歌が褒められ、心底嬉しいという事が分かる。嫉妬しそうな段階はなく、ただ純粋にhanaの活躍を喜べる彼女を羨ましくも感じていた。
プロになりたいと思った事は一度くらいはある。そういう世界にいながらも忖度なしに惹かれる音色は、ただ単純に心に響いて離れられないからこそ、痛感せずにはいられない。自身では到底届かないと。
CDショップに立ち寄り、親友の曲が流れる店内に頬が緩む。一緒にいると忘れそうになるが、綾子の親友はプロのミュージシャンの一人だ。
「…………いい音だな」
「うん!!」
すでにwater(s)だけのプレイリストが完成しそうなほどにサブスクでも流行っているが、毎回のように購入するらしさに温かな視線が向かう。淳一にとってプロのそばにいながらも、高校の頃と変わらずにいられる関係は羨ましくもあった。
デート中に試聴していたからこそ、声をかけられ瞬かせた。
「綾ちゃん、お昼一緒していい?」
「えっ!? ミヤ先輩! 奏は?」
「今、買いに行ってる。荷物見とくから、行っておいで?」
「はい、ありがとうございます」
奏を通して交流があるため普通に会話しているが、一緒にいた詩織と理花は明らかに驚いた様子だ。
「やばっ……」 「……間近で初めて見た」
いくら彼が同じ専攻とはいえ、学年が違えば接点は皆無だ。ひと足先に目立つテーブルに戻る親友を横目に定食を注文するが、揃って上の空だ。あれだけ騒がれている人気バンドのギタリストが、親しい友人の彼氏であると知っていてもこの反応だ。全く関係性を知らない人からすれば、話しかけられただけで歓喜であり、恐れ多くも感じただろう。
「本物だったね……」
「うん……めっちゃかっこよかった」
「それね! 綾子が普通に会話してて驚いた」
「えっ? 私も驚いたよ?」
「なんか、凄いよね……」
「うん、オーラがあった」
高校の頃から有名だったmiya先輩に憧れていた人は、クラスメイトにもいたけど……奏には敵わないから……
友人を紹介するhanaに向けられる彼の視線は甘い。間近で感じれば綾子達の方が赤面しそうな勢いだが、奏はいつもと変わらない様子だ。
「綾ちゃんは二人とも分かるよね? 私と同じピアノ専攻の詩織ちゃんと、理花ちゃんです」
「こんにちは、森詩織です」
「はじめまして、大塚理花です」
「こっちは、高校からの先輩で三井先輩と……ミヤ先輩だよ」
「三井一秀だよ。よろしくな」
「宮前和也です。よろしくね」
有名なバンドメンバーの一人が目の前にいる事に、詩織と理花は緊張感が増す中食べ始めたが、目の前にいる自然体な二人に自然と綻んでいった。
「hanaが食べてるのって、ロコモコ?」
「うん、最近ハマってるの。miyaはまたお肉だね」
「ローストビーフ丼、美味しいよ? 食べる?」
箸に綺麗にご飯とローストビーフを乗せて差し出せば、周囲を気にせず口に運ぶ姿が愛らしい。
「ん……美味しい。じゃあ、こっちも食べる?」
「ん、美味いな。今度、頼もうかな」
あまりに自然だが、目の前に座っていた詩織と理花の赤面顔が並ぶ。
「あっ……ごめん、お行儀悪かったよね……」
「そうじゃないから!」
思わずツッコミを入れる三井に揃って気まずそうな顔をして徐に話題を変えた。
「あーー、三井は管楽器専攻でトランペットなんだよな?」
「無理矢理だな。別にいいけどさー」
「あの、ミヤ先輩……」
「ん?」
「彼女いるんですか?」
ストレートに聞いた詩織だが、彼女だと分かっていて態と名前を伏せていた。
「うん、いるよ」
「へぇー、どんな子ですか?」
「うーーん、綺麗な子だよ。かなりモテると思う」
miyaの隣で無言で残りのロコモコを食べ進める彼女はニヤニヤ顔が並び、聞かなかった振りをする事に決めたようだ。
「どこが好きなんですか?」
「それ聞く?」
「気になるじゃないですかー」
「うーーん、声がすきかなー。すぐ戸惑って、赤くなる所も可愛いけどね」
「……っ、詩織ちゃん! miya!」
「本当、可愛いでしょ?」
「奏は、からかい甲斐がありますよね」
頬を染めてmiyaを睨んでみせるが、ほとんど効果はない。愛おしそうに頭を撫でたかと思えば、綾子達に向けてはっきりと告げた。
「こんな子だけど、これからもよろしくね。俺はずっと側にはいられないし」
「はーい」 「お任せ下さい」
「勿論です」
「うっ……綾ちゃんまでー……」
「ごめん、奏。ミヤ先輩の牽制には敵わないから」
周囲の視線を集めていた事に気づいたからこそ、態と詩織の質問にも応えたのだろう。そうとは知らない奏が一人で頬を染めていた為、可愛らしい姿に惹かれた者もいるが、綾子の言った通りmiyaの牽制には敵わないと思った者が大半だったようだ。
相変わらずな二人の関係を羨ましくも思う。同じものを目指して切磋琢磨した結果が、water(s)という形に繋がっているからだ。
学生の頃からプロとして活動できる人が世の中にどのくらいいるだろう。簡単に配信できるようになりつつあるが、本物はほんの一握りだ。それこそ歌が上手いだけの人なら数多くいる。ただ歌手になれるのはほんの一握りだと、そう感じずにはいられない。ピアノを続けたところで、必ずしもピアニストになれるとは限らないのだから。
押し寄せる感情の波に気づかない振りをして会話を続ける。些細な変化にも敏感な親友に気づかれてはいけないと、そう感じながらも思い通りにはいかない。
「……綾ちゃん、なにかあった?」
親友には敵いそうにないと瞬かせ、本音を漏らす。
「……奏…………私……試験が、不安でね……」
「うん……」
「……進級できるか……」
彼女たちの通う大学は浪人生もいれば、留年する率もけして低くはないだろう。現にピアノ専攻の一年生が同学年ばかりと特殊なだけで、淳一の通う指揮科には二十歳を超える一年生も在籍していた。
「……練習室に行かない?」
「いいの?」
「うん!」
連れ立って向かえば、ちょうど彼も利用しようとしていた所だ。
「あっ、佐藤……久しぶり」
「上原、久しぶりだな……二人で練習?」
「うん、これから……佐藤も?」
「まぁーな……綾子、あとから一緒してもいいか?」
「うん……」
呼び名が変わった事も学園祭での二人の仲の良さも親友には筒抜けだ。ただ珍しい提案に顔を見合わせた。
「……佐藤が振るの、初めて見るかも……」
「そう?」
「うん……」
興味津々な様子は誰が見ても一目瞭然だろう。音楽好きな彼女ならではの反応だ。
「綾ちゃん、一緒に頑張ろうね」
「うん!」
同じブースに入り、鍵盤に手を伸ばす。軽やかに動く指先に迷いはない。元よりピアノに触れる生活を行なってきた綾子にも備わっていた。毎日のように触れていると、聴いただけで奏にも伝わっていただろう。日々の積み重ねが結果として現れていると。
集中した結果、時間が経つのは早い。二人がノック音に気づいた時には二時間近くが経っていた。
手を振り去っていく親友を見送り、彼と二人きりだ。同じ専攻でない限り、広いキャンパスで一緒に過ごす機会は少ない。今回のように顔を合わせるタイミングも数える程度だ。
改めてタクトを振る姿に見惚れていたと気づく。寸分の狂いもなく、刻む姿は感嘆に値するだろう。
遠慮した親友に感謝しながら、二人きりの練習は閉門時間まで続いた。
「……上原は相変わらずだったな……」
「うん……やっぱり凄いよねー……」
「そうだな……だけど、俺は綾子のピアノが好きだな」
「ーーーーっ、ありがとう……」
お世辞でもそう言って貰えると自信に繋がると、顔に書いてあったのだろう。徐に手を取られ瞬かせれば、真剣な眼差しが向けられていると気づく。
「……淳一?」
「お世辞じゃなくて、本心だからな?」
「うん……」
「その顔、納得してないな?」
「……だって…………」
嫌でも比べてしまう。比べたところで意味がないと彼女自身も分かっていた。他人と比べて悲観したところで、何一つ変わらないと。
「…………綾子?」
まっすぐな瞳が親友と重なり、卑屈にならず頷いてみせる。
「……ありがとう……頑張るね」
「ああ、俺も負けないからな!」
「うん!」
本来は二人が張り合う事はない。専攻が違えば試験内容も違うからだ。
ただ、響く音色に近づけるように練習を繰り返す。少しでも彼の言ったように、自身の音色を響かせられるようにと。




