第1話 trust
ずっと続いていくって、何の根拠もなく思ってた。
あの頃……なにがいけなかったのかな?
今更、なにを告げても仕方がない事だって、分かってはいるけど…………私も、彼女みたいになりたかった。
強くて綺麗な彼女みたいに…………今も彼らは、私の永遠の憧れ。
「石沢がすきだ……」
「えっ……あ、あの…………佐藤、本当に?」
「冗談で言わないって……本当に……」
「……私も……佐藤が、すきだよ……」
放課後の教室に二人きりだ。
夕暮れ時だからではなく、告白された綾子と同じように彼も染まっていた。
二人の通う帝東藝術大学音楽学部付属音楽高等学校は、その長い名前の通り音楽を志す者なら誰もが知る名門大の附属高校だ。一学年一クラスしかなく定員は四十名と狭き門である。
告白された教室も音楽室ではないにも関わらず、グランドピアノが片隅で存在感を放っていた。音楽学部付属なだけあり、音楽を学ぶ環境が整った高校といえる。
「…………痛い……」
「ったく、何やってんだよ」
頬を軽くつねってみた綾子に対し、佐藤は仕方がないような顔をして手を差し出した。おずおずと手を伸ばせば、ぎゅっと握られて言葉にならない。
普段は男友達とふざけた場面をよく見るが、今はそのどれにも当てはまらないだろう。手を繋いだまま寄り添うように歩いていた。
今思えば、同じ目線だった。
そばにいたからこそ、些細な変化にすぐに気づけていたんだ……………
「綾子、昨日の番組みた?」
「勿論、リアタイしたし、録画もした!」
「だよねーー、めっちゃ良かった!!」
「うん!」
よく話題になるのは高校からの親友、上原奏ことhanaの事だ。彼女は同じ学部の生徒でありながらバンド活動をしている。しかもアマチュアではなく、テレビ出演もするプロだ。
water(s)を知らない生徒は音楽学部にはいないだろう。それは、学園祭で行ったライブが理由ではなく、現役女子大生が放つ多彩な音色はプロも唸らせるほどだ。
「hanaだ……」 「やばっ……」 「マジ?!」
「本当に音楽学部にいたんだ」 「えっ?!」
「本物?!」 「めっちゃ美人じゃん」 「すご……」
「昨日の生歌やばかったよな」 「本人じゃん!」
元々騒々しいカフェテリアが騒然となる理由は、人気バンドのボーカルがごく自然に注文しているからだろう。
あくまで声は抑えられているが防ぎようがないのは、昨夜の番組視聴者が多いからだ。
滅多に見られないメンバーが揃った場に居合わせた生徒達は歓喜だ。学年が違う彼らが揃う場面は少ない。
綾子の親友でもある奏が一年。ギタリストのmiyaが二年で、他のメンバーは四年生だ。
主に交流があるのは奏とmiyaくらいで、高校が一緒だったからというのが一番の理由だ。その為、周囲から羨ましがられてもいたが、奏の友人に対しても親しげなmiyaは人気があった。顔面偏差値も演奏技術も、そのどれもが高水準の面子が揃っている。
誰が見てもイケメンの部類に入る彼らが揃う姿は圧巻であり、そこにいる親友も引けをとる事はない。告白する勇者はいなくとも密かに憧れる者は多く、学業と音楽活動を両立している彼女は、ピアノの腕前も一流であった。ボーカルとして歌唱力に目を向けられているが、基礎がしっかりしているからだろう。音程を外した場面は一度も見たことがない。
「やっぱり、奏ってすごい」
「どうしたの?」 「詩織?」
「ううん、癒やしだね」
「分かるー」 「うん、そうだねーー」
あれだけ有名になりながらも、出逢った頃と変わらずに穏やかな性格のままだ。さらに少し天然気味な部分も相まって試験前の修羅場の癒しである。
「奏は気づいてないけどね……」
「うん」 「それね」
彼女に自覚はないが、その人気は凄まじい。出せばヒット間違いなしのwater(s)の楽曲制作に携わっている事もあり、同級生からも一目置かれるような憧れの存在だ。
同じピアノ専攻で学んでいるからこそ、彼女の凄さを肌で感じていた。絶対音感があるであろう耳の良さや演奏技術だけでなく、ただ単純に心に響く音色。卒業後にプロを目指すような猛者ばかりの中であっても、一際は強い輝きを放っていた。だからこそ今も注目を集めているのだろう。
「それにしても、奏がhanaだって知った時は驚いたよねーー」
「それな!」 「うん、うん」
会話に入ってきたのは同じ専攻仲間だ。彼も綾子と同じく高校からの友人であり、watersのファンの一人でもある。
「酒井も驚いだんだ?」
「まぁーな、プロになる前からファンだったけど……はじめてhanaの歌声を聴いた時の感動は、今も鮮烈に残ってるな」
心にダイレクトに響くような歌声の持ち主は実に多才だ。ピアノの腕前も一流で他の何にも変えられない輝きを放っていた。
「お疲れさまー」
そう言って噂の張本人は微笑み、専攻仲間の輪に加わった。無遠慮な視線や噂話も彼女にとってはどこ吹く風のようだ。それは良くも悪くも注目の的になると、バンドメンバーから聞かされていたからだろう。
ごく自然体な彼女に惹かれる者は多く、羨むことはあっても悪感情はない。それは、入学式で代表挨拶をするほどの実力者だからだろう。
water(s)には実力者しかいないのだと、改めて再認識させられたのは言うまでもない。
「もうすぐ試験かーー」
「先生に見られてる感がやばいよね」
「うん」 「緊張するよなーー」
マンツーマンのレッスンと同じく、実技試験は一人ずつ行う為、講師の視線を感じずにはいられない。ただコンクール出場者やプロを目指す者がほとんどのため、緊張するといっても一般的な緊張度合いとはかけ離れているだろう。この大学にはそういう猛者しかいないからだ。
高校の頃と違って大学は、音楽一色になった気がするけど…………もう、コンクールに出る勇気はない。
奏だけじゃなくて、ピアノ専攻のメンバーはみんな上手いから…………
完全に自信を喪失した訳ではないが、尻込みしてしまうくらいの衝撃はあった。その中でも桁違いだったのが奏だ。初めて聴いた時の衝撃は今も続いていた。彼女を超える奏者はいないと、断言できる程の卓越された技術力を持ちながらまだ発展途上である。
そして、彼氏の佐藤もまた高い参加費を払ってでも指揮講習会に参加するほど、夢に向かって邁進していた。
…………試験の度に焦る。
ピアノの音色はすきで、ずっと触れてきたからこそ分かる。
私には、これ以上の音色は出せないって……
「ーーーー綾子?」
「……淳一……」
「どうした? 疲れた?」
「ううん、ちょっと実技試験がね……」
二人の呼び名はこの三年で変わっていたが、仲の良さは続いていた。指揮科の淳一と器楽科の綾子では同じ大学で学んでいるとはいえ、広いキャンパス内で顔を合わせる事は滅多にない。だからこそ、こうして待ち合わせをして一緒に帰ることが習慣になっていた。
「今年の藝祭は凄かったな……」
「うん、生の音はやっぱりいいよねー」
「ああ……二人で店番も楽しかったけどな」
「そうだねー」
また同じスポーツ同好会に所属して会える時間をつくっていた。学生とはいえ、遊んでいる時間よりも音楽に費やす時間の方が圧倒的に多い。数えるほどしかいない専攻仲間と同じく、淳一もまた狭き門を突破しなければプロになれないからだろう。
最近あった帝藝祭ではスポーツ同好会で出店をしていた為、一緒に店番をした時間が学内で過ごした僅かなひと時だ。
同じ電車に乗り込み、先に降りる淳一に手を振る。高校の頃からやってきたやり取りも、大学入学当初は制服から私服に変わり見慣れなかったが、半年も経てば慣れていった。
「また明日な」
「うん、また明日ね」
明日は日曜日で久しぶりのデートだ。学校がない日も音楽に費やす時間が多い彼に対し、綾子から反論はない。それだけ指揮者になる道が険しいと知っているし、彼女自身もピアノの練習時間にあてる事が多いからだ。
電車を降りれば、携帯電話に届いたスタンプに微笑む。数分前までやり取りしていたにも関わらず、送ってくる生真面目さにらしさを感じながら返していた。
試験直前は追い込みで会うことはない。同じ大学に通っているにも関わらず、週に一度デートができればいい方だ。それでも二人から不満の声はない。帰宅時の僅かなひと時をなるべく一緒に過ごすようにしているからだろう。
帰宅してすぐにアップライトピアノに手を伸ばす。日曜日に会う為の努力は綾子もしていた。
自信の欠ける彼女だが、その演奏技術は確かなものだ。そうでなければ大学進学も、ましてや高校入学も叶わなかっただろう。毎年高い倍率の試験を突破して高校入学を果たした実力は彼女にも備わっていた。
譜面と向き合い、指先を動かす。滑らかに動き、途中で止まる事なく弾ききる。試験に向けての準備は着々と進んでいるが、その表情は冴えないままだ。
高校の頃とは違い、より専門的にピアノについて、音楽について学ぶ事ができるようになったからこそ、自身の技術力では到底ピアニストには届かないと、見えてしまったからだろう。
「ーーーーーーーーもう一回……」
思わず呟き、鍵盤に指を滑らせる。滑らかに動く指先は日頃の努力の賜だろう。ただ本人に納得がいっていないのか何度も繰り返す。それこそ暗譜ができてしまう程に繰り返していた。
集中力が途切れたタイミングで母の呼びかけに応え、夕飯を食べていると耳馴染みの良い声が流れてくる。それは、綾子の親友が歌っていた。
「奏ちゃんは元気?」
「うん、元気だよー」
高校生の頃はお互いの家に遊びに行く機会があったが、water(s)のhanaとして顔出しをしてからはない。学業が優先とはいえ、彼女の多忙さは綾子にも分かっていた。
数秒のメロディーがひどく響き、エールをもらったような気持ちになり微笑む。明日を楽しみにしながら。




