第八話
ゼブルは、サーストンから山小屋までの道を逆に駆けた。まさか、トニアが夜に山を歩き回るとは考えづらい。ゼブルは、安心しきって居眠りをした自分を胸の内で罵った。誰かが側に寄ってきたなら目覚める自信があったというのは、何の言い訳にもならない。無意味な自己嫌悪を感じている場合でもなかった。トニアが暇に耐えかねて、自宅か雑貨屋に雑誌か何かを取りに出かけたというのなら、ゼブルとしては安心できるが、望みは薄い。ゼブルのような、外から来た人間以上の暇つぶしがどこにあるというのか。彼女がサーストンで見るのは悪夢の痕跡だけだ。トニアの無事な姿を見るまでは、最悪の想定が次々に頭に浮かぶのを止められそうもなかった。コンピュータに襲われていたら、遺体が人の形を保っているかかすら怪しい。
西の空に雲の塊が浮かび、後ろから太陽の光を浴びて縁をを神々しくオレンジ色に輝かせていた。夕日に変わるまではまだ時間があるが、そうなったらすぐに日が落ちるだろう。ゼブルは、どうにかして明るいうちにトニアを見つけたかった。
サーストンの街並みに出た。残っている家屋の壁が、夕日の色に染まり始めている。闇雲に探し回っては、ゼブルの方が迷子になる。トニアがサーストンの自宅に戻るとは考えづらかったが、ゼブルは仕方なくトニアの住んでいた家の方へ歩き出した。信じられないほどに運は良かった。崩れかけた塀の上にトニアが座っているのを見つけた。
「トニア、無事か」
ゼブルは、トニアが座っている塀に近寄って声をかけた。トニアは半端に伸びた黒髪を風になぶられるまま、返事をしなかった。ゼブルの方をぼんやりと首を向けたから、生きていることはわかった。
「どうしたんだ?」
ゼブルは息を落ち着けて聞いた。トニアはゼブルから目をそらして、何かを呟いた。ゼブルはもう一度どうしたのかと聞いた。
「何も知らない能力者のくせに」
トニアが憎々しげに吐き捨てた。ゼブルは全身が緊張するのを感じた。身の危険を感じたからではなく、トニアの精神状態が不安だった。下手な言葉をかければ、トニアは塀から転がり落ちるように破滅へ突き進むように見えた。三ヶ月の絶望は人の心を荒廃させるのに十分な量だ。
「俺が何を知らないのか教えてくれないか」
「全部だよ、全部。能力者でも国王になれる? 馬鹿にしないでよ。そんな世界だったら、私はこんなところに隠れてなんかいない。能力者なんて、みんな頭のおかしい犯罪者だ。私はもう、そういうものになっちゃったんだよ。私を、ここから別の場所に連れていく? 嘘だ。どうせ警察に連れて行くんでしょ。それとも、警察相手に銃撃戦でもしてくれるわけ? 能力者だから、何人殺したって平気だよね。私は能力者の人殺しだけど、あんたなんかの仲間じゃない!」
トニアは顔を歪ませて金切り声でわめきたてた。ゼブルは黙っていた。トニアは言葉が通じる状態ではなかった。トニアの言う事は単なるうわごとであり、同時に真実だった。彼女はただ、絶望に敗北しようとしていた。三ヶ月を孤独に耐えて、生き延びてきた後の、小さな敗北にすぎない。ゼブルはそう信じたかった。
「どっか行ってよ! そこにいられると目障りだ。なんでもできるような顔してさ。だったら、今すぐに私の記憶を返してよ。できないんでしょ。殺すよ、あんた。私だって能力者なんだから、その気になったらできる。そこでぼーっと突っ立ってると目障りだって言ったじゃない! 殺してやる。さっさとそこから消えてよ!」
ゼブルはトニアが疲れ果てるのを待っていた。トニアの言葉はゼブルに向けられたものではなかったから、言うとおりにしなくても、トニアを無視したことにはならない。塀の上から、失せろ、死ね、殺してやるなどの叫び声が飛んできて、ゼブルの頭上を何度も通り過ぎた。この年頃の怒りは、いつだって全世界に向いている。ゼブルには、もう理解や共感ができなくなっている。ゼブルは壊れたスピーカーを相手にしているつもりで耐えていた。トニアにしてみれば、壊れたマイクを相手に喋っているようなものだっただろう。
トニアの声が呟きに変わり、すすり泣きになった。ゼブルは顔を背けていた。ゼブルが少年だった頃は、泣き顔を人に見られるのは嫌だったものだ。
「ごめんなさい」
トニアが泣きながら言った。ゼブルは首を横に振った。
「君は疲れている。どんな大人でも泣き言を言うくらいボロボロにされている」
「私が一人で死んでいれば良かった」
「いつか、生きていて良かったと思う日が来る。俺はそう思う」
トニアがもう一度ごめんなさいと謝った。ゼブルはしばらく頭の中で数を数え、トニアが落ち着いたと思える頃に口を開いた。
「今夜はどこで寝ようか。山小屋に荷物を置いてきてしまったから、暗くなる前に戻りたいと思うが、君がかまわなければ、君の元の家に泊まるのもいい」
「あのね、ゼブルさん」
トニアが、泣きつかれてかすれた声で言った。
「どうかしたか」
「私に、おじいちゃんとおばあちゃんがいるんだ」
「ほう」
ゼブルはいかにも関心があるように返事をしたが、トニアが言いたい事はまだよくわかっていなかった。
「お母さんの方の親戚なんだけどね、お母さんとは仲がよくなくて、小さいときに何度か会った事があるだけなんだ。でも、私が思いつくのは、そのおじいちゃんとおばあちゃんだけなんだ」
トニアは自分なりに、自分のこれからを考えていたのだった。どれほど現実的な考えなのかは別にして、ゼブルにとってはありがたい傾向だった。
「すぐにでも連れていきたいところだが、そうもいかないな。君の能力を確かめて、この事件にケリをつけるのが先になるだろう。だが、そのおじいさんとおばあさんに連絡を取ることは約束する。連絡先はわかるかな」
「住所とか、はっきりした事はほとんど覚えてない。お母さんと仲が悪かったから、元から知らなかったんだと思う。でも、だいたいの場所はわかるよ。そこに行けば思い出すと思う」
トニアは、市の名前と地区らしい名前を言った。イノセントからそう遠くはない。サーストンからでも車で半日といったところだろう。
「君さえよければ、ヘヴンズを通して調べる事はできる」
「うん、でも、二人が私を見てなんて言うか、わからない」
トニアが急に自信をなくした。
「そうだな。それでも、一般的に孫は可愛いものだと言うからな。さしあたって、君がこの町を出た後の、第一目標にしていいんじゃないかな」
トニアはまるでうわの空で、うんと言った。トニアの中の嵐は過ぎ去った。しかし、風は吹きやんではいないだろう。
背後に人の気配を感じて、ゼブルは振り向いた。夕闇が降りはじめたサーストンの道を、四つの人影が歩いていた。こちらに近寄ってくる。以前にゼブルとレイガが叩きふせた若者とは別人だったが、サーストンで出くわす集団となると、トリスアギオン以外には考えられなかった。人影が近づき、男四人の着ているものが見てとれた。二人は赤と黒のダウンジャケットを着ている。もう一人は黄土色のミリタリージャケットで、最後の一人が黒い革だった。顔つきは、四人とも幼さが残って見えるほど若い。黒いダウンジャケットを着た男がトニアを見ていた。他の三人はゼブルに目を向けてくる。
「嘘だ、そんなはずない」
ゼブルは背中にトニアの声を聞いた。首だけで振り向いた。トニアは白い顔をしてトリスアギオンの方を見つめていた。
「心配はいらない。あの連中には君に手出しはさせない」
ゼブルはトニアが腰かけている塀に少し近寄った。トニアが声を震わせながら言った。
「そうじゃない、あいつ、事件の前に見た事がある」
ゼブルはさらに塀に寄り、トニアとトリスアギオンの両方が見える位置に立った。
「誰の事だ?」
「あの黒いダウンを着ているやつ」
ゼブルの頭の中で、週刊誌の記事や、サーストンで見た雑貨屋、トニアの家、山小屋の光景が目まぐるしく通り過ぎた。トニアの言っている事が本当だとしたら、この事件の前提条件が覆る。
トリスアギオンの四人が足を止めて、口を開きかけた。ゼブルは全身に灼熱を感じた。青い炎が体に絡みついていた。景色が斜めに傾き、ゼブルの意識は暗黒に落ちた。
手足が悲鳴を上げていた。重いものの下敷きになって潰されているかのようだった。喉がつまり、ゼブルはむせこんだ。口から黒いものが飛んだようだが、胸のあたりは少し楽になった。闇の中で、横向きに建物が建っている。ゼブルは自分が倒れている事に気がついて、手を地面につこうとした。焼けつくような痛みが手首と肘に走り、ゼブルは上体を地面に打ち付けた。喉から気持ちの悪い音を立てながら、少しの間、息をしていた。目だけで体を確かめた。四肢がちぎれてなどいなかった。血も見えない。このまま寝ていれば、安らかな顔で死体になれる気がした。安らかに眠るにはまだ早かった。手も足も意識もある。やらなければならない事もあった。起き上がるのに、いつもより余計に時間がかかるだけだ。内臓の損傷はない事に決めた。
体を少しねじってみると、関節が火で焙られたような気がするだけで動いた。呼吸するたびに、痛みは少しずつ弱くなっていた。ゼブルは必死に這いずり、上体を塀にもたせかけた。
赤いダウンジャケットと黄土色のミリタリージャケットが倒れていた。息をしているようには見えない。ゼブルは、錆びついたような首を動かして周りを見たが、他の人影はなかった。辺りにはまだかろうじて明るさが残っているが、あと十五分もしたら夜が空を覆うだろう。
ゼブルは立ち上がった。二、三回ほど足に力が入らずに地面に寝転がるはめになったが、何の問題もない。後は、トニアともう一人をこの死んだ町から連れ出すだけだ。立ちふさがるものは打ち倒せばいい。サーストンに来た当初と比べれば、状況は信じられないくらい好転していた。ゼブルが立ったり歩いたりする姿は無様になっているが、それは任務の障害ではなかった。
サーストンのメインストリートまで歩くと、車のライトが見えた。人影がライトの周りで動き回っている。トリスアギオンたちだった。まだサーストンを出ていっていないところを見ると、ゼブルが倒れていたのは、思っていたほど長い時間ではなかったらしい。ゼブルは車のライトを目指して歩み寄っていった。
「おや、ゼブルさん」
アンソンがゼブルに気がついた。相変わらず帽子は片手に下げている。驚いた顔をしていたが、それが演技のように見える男だった。
「少し、お前らに用事がある」
ゼブルが言うと、アンソンが顔をしかめた。
「ゼブルさんが生きていてくれて、俺は嬉しいんですがね、そんな言い方をされるのは、ちょっと困りますね」
「好きなだけ困っていてくれ。俺が死んだというのは、誰から聞いた?」
「うちの馬鹿どもが言ってたんですがね、何か気になる事でもありますか」
アンソンはゼブルをさりげなく観察していた。態度には出さないが、ゼブルの体に不調がある事くらいは見通しているだろう。
「俺は青い炎に焼かれた。お前のところの人間も二人、向こうで転がってる。生き残りは誰だ」
「生きてる方といえば、トニーとザックの事ですね」
アンソンは、死んだ手下にはどんな感情も抱いていないようだった。アンソンが二台の車の方を目で示した。一台の車の後部座席に、黒い革を着たトニーがぐったりと座り込んでいる。ザックは黒いダウンジャケットを着た男で、助手席に座っていた。
もう一台の車の後部座席の中央にトニアが座っていた。両側をトリスアギオンの男女に挟まれている。顔をうつむけていて、ゼブルに気づいてはいなかった。
「最近、お前らのところに来たのはどっちだ。トニーか、ザックか」
「新顔はザックの方ですよ。前に話した、俺の上司の甥とかいうやつだ。陰気な野郎でね、何を考えてるのかわかりゃしない。どうせろくな事は考えちゃいないでしょうが、一応は俺たちの身内って事になる。ゼブルさん、そろそろ教えてくれませんかね、何がそんなに気になってるんです?」
「アンソン、女の子が車に乗っているな。彼女は俺が保護している。連れていかせてもらうぞ」
アンソンが、ひっぱたかれたような顔をしてみせた。
「いくらなんでも強引すぎませんかね、ゼブルさん。あの子、トニアは俺たちにとっても大事な客人だ。それに、彼女は自分の意志で俺たちのところに来ると言ってるんですよ。こちらの内情を一方的に聞いておいて、次には俺のところにいる人間を勝手に連れていくというのは、さすがにどうかと思いますね。これは、ヘヴンズがトリスアギオンにケンカを売っている、と思っていいですかね」
アンソンが口元に笑みを浮かべた。器用に顔の下半分だけで表情をつくり、目は冷たくゼブルの出方を見定めている。
「お前の言い方を借りるなら、トニアはヘヴンズの大事な客人だ。勝手にトリスアギオンに行かせるわけにはいかない。お前はあの子がコンピュータと関係があるとか、何か知らないが、ここの事件の原因と関係があると思っているだろう。それは勘違いだ。俺の言う事を聞いた方がいい。トニアはこの事件の元凶じゃないが、お前は爆弾を抱えてこんでいるよ。下手をしたら、俺たち全員がそろってここで死ぬ事になる」
「ゼブルさんの勘違いという可能性もあるんじゃないですかね」
ゼブルは能力を使い、掌の中で小さく紫電を光らせた。アンソンの顔が骨に張りついたようになった。ゼブルはアンソンの肩を抱くようにして、アンソンの耳にささやいた。
「この通り、俺は体の調子がよくないから、能力の制御を誤るかもしれん。そうすると、ヘヴンズとトリスアギオンの抗争にはならない。お前たちがみんなここで死ねば、何があったか知る人間はいなくなる。だが、取引にしよう。俺がトニアと、ザックという男と話す。二人がヘヴンズに来ると言えば、お前は手出しをしない。トリスアギオンについていくと言えば、俺は手出しをしない。どうだろうな」
「こんな事をする理由くらいは教えてほしいですね」
アンソンは顔をこわばらせている。内心がどうかは、ゼブルには知る由もない。
「すぐにわかる。それで、同意するのか、しないのか」
ゼブルはアンソンに微笑んだ。
「わかりましたよ」
アンソンが渋々と言った。ゼブルはアンソンの肩を離した。ゼブルはただの脅しを言ったつもりはなかったし、それくらいはアンソンにもわかったようだった。
アンソンが止まっている車に声をかけると、トリスアギオンたちがぞろぞろと車から降りてきた。トニアも混じっていて、彼女はゼブルに気づくと目を丸くして立ち止まった。
「ゼブルさん、生きていたんですか」
トニアが顔を歪めて言った。疲労と安堵と驚きのせいで、うめき声のようだった。
「ああ、君のおかげだ。トリスアギオンの二人はだめだった」
ゼブルは言った。トニアの顔が泣き顔のようになった。
「私のせいで、たくさんの人が死んだ。もう、この人たちのところしか行くところがないんだ」
「それは違う。君は生き延びただけだ。そして、さっきは俺の命を救ってくれたよ」
「私は、ゼブルさんまで死なせるところだった」
トニアは平板な調子で言った。疲れと混乱で、感情が麻痺しているようだった。
「君の能力は人殺しの力じゃない。どういう能力なのか正確な判断はできないが、治癒の力に近いものだ。おそらく、特定の能力に対して防壁をつくるようなものだろうと思う。君がここでの事件を生き延びたのは偶然ではないし、君が犯人だからでもない。君だけが、サーストンを襲った殺戮の力を、防御することができたからなんだ」
そう考える事で、不審な点が解消する。一番の疑問は、青い炎に襲われながら、レイガとゼブルが生きている事だった。死んだサーストンの住人との違いは、トニアと行動を共にしていた事くらいしかない。トニアが事件の日に感じた能力の発動も、トニアの力が防御のためのものだと考えればつじつまが合う。そして、サーストンの住人は全滅ではなかった。トニアの他にも生き残りがいたのだ。
トニアが息を飲んで立ちつくした。痛みをこらえるような表情と、喜んでいるような表情が交互に顔に浮かんだ。
「それじゃ、私がここに一人でいる意味はない」
トニアが呆然として言った。
「そうだ。君はどこにでも行ける。俺が、君が行きたい場所に連れていく。少しだけ待っていてくれ」
ゼブルは言って、黒いダウンジャケットを着た男、ザックの方に振り向いた。
「君はどうしたい」
「変な事を聞くおっさんだ」
ザックが言った。もうアンソンの手下には見えなかった。茶色の髪の下にある顔は、おおむね逆三角形に見える。大きな目はくぼんでいて、口は小さい。骸骨を連想させる顔だった。もっとも、サーストン事件の真犯人という正体が、ゼブルにそう見せていたのかもしれなかった。
「君は危険な能力を持っている。トニア以外に、その能力を抑えられる人間はいない。だが、だからと言って、君が犯罪者だという事にはならない。サーストン事件の真相を教えてくれないか。俺はヘヴンズのゼブルという。力になれるかもしれない」
ゼブルが言うと、ザックは口元に薄笑いを浮かべた。
「事件の真相だって? 聞くまでもない事じゃねえか。あんたが能力に目覚めたときと同じさ。最初はわけがわからなかったが、こつをつかんじまえば、能力を使うのは気持ちがいいもんだ。使ったさ。糞虫みたいな連中を綺麗に掃除してやった。あんたが何の能力を持ってるか知らないが、俺のは最強の力だ。見るだけで殺せる。こんな風にな」
ザックが目を動かして周りを見回した。トリスアギオンの男女が青い炎に包まれ、悲鳴を上げながら次々と倒れた。
「クソガキが!」
アンソンが振動の能力を発動させ、右手に唸りを上げさせながらザックに突進したが、ザックに目を向けられ、青い炎に取り巻かれて地面に転がった。倒れふして、アンソンは聞きとりづらい悪態をつきながらもがいていたが、立ちあがる事はできていなかった。
「殺しきれねえ。そのガキのせいだ。そいつが近くにいるだけでこっちの力が弱くなるんだよ。で、何だって、おっさん、俺がどうしたいか知りたいんだっけか。知らねえよ、そんな事。せいぜい、殺し屋の仲間になって、このトリスアギオンみたいなクズどもを殺してやるくらいさ。いつかは捕まるか殺されるかするんだろうが、今じゃねえ。そのガキをこっちによこしな」
「ほう、トニアが気になるのか。どうする気だ」
ゼブルが尋ねると、ザックは唾を吐いた。
「そのガキをこっちによこせ。あんたは殺さないでおいてやる」
「トニアを殺してから、その能力で俺を殺すか。お前は、サーストンを出た後で、トリスアギオンを利用してトニアを捕まえようとしたんだな。自分の能力を制限されるのが気に入らない。そんなところか」
ゼブルはザックの方へゆっくりと歩み寄った。トニアがゼブルを呼んで止めようとした。
「君はそこから動かないでいてくれ」
振り向いてトニアに言うと、ゼブルは目をザックに戻した。このまま歩けば、トニアからは離れる事になり、ザックの能力が発動しやすくなる。それでも、ゼブルは自分から先制攻撃をかける気になれなかった。ただ殺すためだけの力というものを、ゼブルは初めて見た。そんな力に目覚める事が、誰にでもある人生の試練だとは思えなかった。ヘヴンズを出るときのウォーレスの言葉が脳裏に浮かびあがった。サーストンの敵はもう何人も殺していて、まともじゃない。それでも、ゼブルは一方的に能力で攻撃をかけたくなかった。ザックの置かれた状況は、トニアと変わらない。
「おっさん、あんたの方から死にたいって言うなら、別に遠慮はしないぜ」
ザックがナイフを手に持った。構えるでもなく、手に握っているだけだ。能力を除けば、ゼブルにはまったく脅威にならない相手だった。それも、ゼブルは喜ぶ気になれなかった。ゼブルとトニアの距離が五メートル程度に開き、ザックとは数歩の間合いに入った。
「聞くのはこれが最後だ。君はどうしたい」
「またそれか。いまさら、未来なんざあるかよ。能力者とか、何のために生きてるかわからないクズをぶっ殺して、それから死にてえんだよ」
ザックがうっとうしそうに言った。ゼブルは自分の体が青い炎に巻き付かれるのを感じた。膝が折れそうになる。全身の痛みに抗って右腕を上げてザックに向けた。ザックがナイフを突き出してゼブルに駆け寄ろうとしていた。ゼブルは能力を発動させ、右手から渾身の電撃を放った。青白い電光の奔流を浴びて、ザックの五体は虚空へと消えた。




