第七話
このあたりで、一度放置しかけて、最近になって続きを書いたので、もしかすると文章的に少し違和感があるかもしれません。
なお、私はカエルを食べたことはありません。
鶏肉みたいな味だとどこかで読んだ気がするのですが。
「知らないからだ。カエルは美味い」
「嫌だ。絶対に食べない」
「下手な獣よりいいんだぜ。バッタ辺りとはまた違って、ちゃんとした肉だ」
「そういう問題じゃない。鳥肌が立ってきた」
レイガがまたしたり顔で言おうとして、トニアがカラスのような悲鳴を上げた。廊下に戻ったゼブルに、二人が素早く振り向いた。
「ここにコンピュータはなかった。カエルもいないようだったな」
「カエルがいたら、どうするの」
トニアが、声を潜めて聞いた。
「見逃してやるさ。塩すら持って来てない」
トニアが肩を丸めて恐怖の叫びを放った。レイガが笑った。ゼブルは肩をすくめた。実際、トニアが発したのは容赦のない高音で、耳に刺さった。二人を促して家の奥に向かった。
部屋を調べている間に、トニアとレイガが友人になっていたわけではなかった。ゼブルが廊下に出たときの二人の反応の鋭さは、相手から目をそらすきっかけをつかんだからだった。それでも、この先しばらくの間を、顔のない監視者や尋問者ではなく、道連れとして付き合う気は、トニアにもあるようだった。
「台所に缶詰があった」
ゼブルは歩きながら蜘蛛の巣を払った。
「たぶん、あると思ってた」
「後で持ち出してもかまわないか」
「いいと思う。でも、どうしてそんな事を聞くの」
トニアの視線が後頭部に当たってきた。
「水と、本当の非常食しか持ってきてなくてな。晩飯は豪勢にいきたい」
「缶詰だよ。それなら、嫌になるくらい食べたな。待って、そこら辺の生き物とか取ってこなくていいよ」
コンピュータが床の下で聞いていたら、自分を探しているとは思わなかったかもしれない。
玄関口から見えていた突き当たりの部屋は物置で、モップやバケツは三人で眺めた。物置と呼ぶしかなかった。家の形を思い出せば、人間二人が暮らせそうな広さがあるはずだったが、埃で灰色がかったダンボールや、金属製の棚が押し固めたように入れてあり、数歩以上は進入できず、広めのロッカー程度の空間に掃除用具や油で汚れたボロ布などが入れてあった。この部屋にコンピュータが潜んでいるとしたら、家ごと爆破した方がいい。
物置から横に折れた先はトニアの同居人の部屋だったが、三人とも当たり前のように無視して、廊下を引き返した。トニアが使っていた部屋に入るとき、ゼブルは、コンピュータの足跡が見つかるような事は、すでにほとんど期待していなかった。ただ、トニアが後ろからついてきたのは意外だった。
「ここには何回か来てる」
トニアがそっけなく言った。
「そうか、着替えを取りにきた事があるんだったな」
頷いて、ゼブルは部屋に注意を戻した。トニアとこの家の主は、食事や入浴を除いて、アパートの隣人のようにして暮らしていたらしい。この家のもう一人の部屋もそうだが、トニアの部屋も一人暮らしの気配があった。床ばかり広い部屋で、元が倉庫だったとしても、中身を抜いてベッドと机を置けば、八割方はできあがりそうだった。
「こんなところに住んでいたのか。これ、去年のじゃないか」
レイガがげっそりと雑誌を手に取って言った。
「夜はここで寝たよ。倉庫とか、山の小屋にいるほうがまだ気分がマシだったから、あんまりここにはいなかったし、けっこう散らかってたよ。退屈で死にそうだったけど、死ななかったな」
生きていて楽しいようには聞こえなかったが、トニアの顔は朝よりも生気があった。
トニアの部屋を最後にして、家の捜索を切り上げた。ゼブルは倉庫に入ってみたが、ダンボールとブルーシートと木箱の山はとうてい調べきれるものではなく、困った事に、ゼブルの目では全てが汚れたガラクタだった。歩き回って手がかりを探すとは言ったが、実際にこの家と倉庫を見た後では、もっと他の方法はなかったのかという思いが頭をよぎった。しかし、なかったのだ。警察の捜査で見つからなかった事は、初めからわかっている。刑事を真似するのもほどほどにする事だ。
ゼブルが倉庫に潜り込んでいる間に、レイガとトニアが駅舎からスポーツバッグを取ってきた。トニアの家の台所で缶詰を詰める間にも、ついにコンピュータの影は見えず、謎の炎を受ける事もなかった。事件の捜査としては全くの空振りと思えたが、ヘヴンズ情報班の班長グレーミアがならば、探偵と記者の魂に、事象抽出の能力を持つ彼女なら何かを見つけただろうか。
トニアの隠れていた山小屋へ出発した。見当がつくのはそこが最後だった。道で区切られていた区画を外れると、意外にもすぐに山が迫ってくる。
「それで、ウォーレスはバルブを開けやがった」
「嘘だ、何でそういう事になるの。あんだけ開けるなって言ったじゃない」
「人が見ているとあいつはそういう事をやるんだよ。当然、右腕を蒸気に突っ込んで、死にかけの恐竜みたいに泣いて床を転がりまわった。本当に壁から壁まで転がったらしいぜ。ゼブルが押さえつけて、リプルが治してやらなかったら、二週間は入院だった。いつもの事だが、運のいい野郎さ」
「俺は笑うどころじゃなかったんだがな、レイガ。ウォーレスの説教まで俺がやったんだ。底の抜けたバケツで水を汲んだ事があるか」
ゼブルは文句を言ったが、レイガは鼻で笑って返した。
「楽なもんだ。いつでも代わってやる。戦闘班が何人いると思ってるんだ。お前のところはたった二人だろう」
トニアがゼブルの方へ軽やかに頭を回した。
「そのリプルという人は特務班なんだ」
「そうだ、君よりは少し年上になる。彼女は仕事が多くてな。今日は連れてきていない」
「看護師なんですか」
トニアが笑いもせずに聞いた。
「いや、医者や看護師とは少し違うな。そちらの道に進むのが希望だとは思うが、まだそれほどの知識はない。ウォーレスの腕を治療した事か。リプルの能力は治癒なんだ」
「能力者の能力ですか」
「そうだ。もちろん万能じゃないが、人の助けになれる力だ」
トニアがまだゼブルに顔を向けているので、ゼブルは聞きたい事があるのかと思ったが、トニアは無言で行く先に目を戻した。
「能力者が嫌いか?」
ゼブルが聞いた。
「好きじゃない」
トニアはゼブルとレイガの前で、砂利から土に変わった道を歩き続けている。
「でも、能力者のくせにケガを治すなんてふざけてるよ。私は能力者だから、誰にも助けてもらえなかった。人殺しの能力者になったら全部終わりだ。仕方なかった。私がしてきた事はどうなるの」
レイガが、両手の掌を空に向けてみせた。
「何を勝手に悲観してるかね。能力者にも友人はいる。たいていは真面目に働いているし、結婚しているやつもいる。人なら、俺とゼブルはずいぶん殺したかもしれないが、能力者にならなくても同じことをしたさ。昔、ゼブルは兵隊だった。人生が終わったようには見えないな」
「それは仕事だったからでしょ。私とは違う」
「若いのに頭が固いな。お前さんは看護師でも歌手でもなんでも、なりたければこれからなれる。俺とゼブルには無理だが、それは年のせいだ。能力者とは関係ないぜ」
「そんなのでたらめだ。能力者の歌手なんて聞いたことがない」
トニアの声が怒りで大きくなった。
「なぜ、能力者の歌手がいないと思う?」
ゼブルは穏やかに言った。
「能力者の歌なんて誰も聞きたくないからだよ」
「そういう面はある。だが、能力者がみんな歌が下手だからじゃない。俺は、能力者の歌手や、経営者や、政治家や、サラリーマンや、国王がいてもいいと思っている。そうなっていないのは、能力者が根本的に欠陥のある人間だという偏見だけが理由だ。俺は、その偏見はなくせると信じている。君が、能力者であるせいで、なりたいものになるのを妨害されていて、自分だけの力ではその障害を排除できないとき、君の力として戦うことが、俺たちヘヴンズの仕事だ」
「凄いことを言ってるけど、私は誰にも邪魔されていないよ」
「君が自分で自分を縛っている。能力者であることを理由に未来を諦めている」
「勝手な事を言わないでよ。私がどう思おうと、私の勝手だ」
トニアの声が尖った。
「俺がどう思おうと、俺の勝手でもある」
「うるさい、何もわからないくせに勝手な事を言わないでよ」
トニアが甲高い声を上げた。レイガは口を挟もうとしないが、その辺にしておけと言いたがっているのがゼブルにはわかっていた。
「おじさんなものでな、つい説教臭くなるようだ」
ゼブルは返事を期待せずに言った。
「言っている事は青臭かったと思うがな」
レイガが口元にべたついた笑みを浮かべながら言った。いかにも面白がっているような素振りだが、内心は呆れているだろう。トニアも苛立っているだろうが、自分からゼブルに突っかかる気はないようだった。
細い小道が山の木々の間に伸びていて、ゼブルたちは山の中へ入っていった。さほど登ったという感触もないまま、トニアが横に伸びる踏み跡へ進んでいき、三人は山小屋に到着した。最初に目に入ったのは空き缶の山だった。山小屋の脇に積み上げてある。虫がたかっていないのは寒い季節だったからだと思えた。山小屋自体は平屋建ての薄汚れたログハウスだった。避難小屋にしては低い場所にある。由来がわからない建物だが、トニアに聞いても知らないだろう。トニアはゴミの山を見られたことを気にする様子もなく、山小屋のドアを開けた。
狭い床の中央にストーブがあり、上に空の鍋が置いてあった。今は火が入っておらず、小屋の中には冷気がこもっていた。一枚だけ窓がある。ストーブの向こう側、入ってきたドアの反対側にもドアが見えた。部屋の三分の一ほどは床が高く、靴を脱いで座れるように板敷きになっていた。板敷きの部分に寝袋が広がり、寝袋の横には崩れた雑誌の山とラジオ、毛布、クッション、衣類の山に、まだ開けていない缶詰の山が置かれていた。壁には色あせた歌手のポスターが貼ってあり、ポスターの男は真夏の日差しのような顔で笑っていた。サーストンの家に劣らず殺風景で薄暗い場所だが、まだ人間の気配はする部屋だった。だからといって、長期休暇を一人で過ごしたくなるような場所ではない。ここにあるのはトニアの生活の残骸だった。全てを奪われた人間が立てこもった最後の砦だった。しかし、彼女は生きている。彼女を憐れむ権利は誰にもない。無神経な人間は、この小屋を見ると、自分がいかに恵まれているかを悟って後ろめたくなり、何か言い訳をしたくなって残酷な憐れみを口にするのだ。
「どう、何かわかった」
トニアが開き直ったようにゼブルを睨んだ。まだふてくされている。
「奥のドアを開けていいか」
ゼブルはトニアの気分は相手にせずに聞いた。
「いいけど、すぐに閉めてよ。臭いから」
ゼブルは小屋の奥にあったドアを開けて中に入った。予想通りトイレだった。ゼブルは、今日はトイレの穴ばかり見て回っているような気がした。それに、コンピュータがトイレを好むという話は聞いたこともない。ゼブルは口で息をしながら、少しの間、トイレの前に立っていた。トニアを救う手がかりがない。隣の部屋が無人だったなら壁のひとつも殴ってみたかった。諦めてトイレを出た。
「何かわかった?」
トニアはうつろな顔つきをして、板敷きに腰かけていた。
「ここにコンピュータはいないようだ」
ゼブルは真面目くさった顔で言った。
「何もわからないなら、そう言ってよ」
「そうだな、今のところ、何の手がかりもない。怪死事件の原因も不明なままだし、君が能力者なのか、そうでないのかもわからない。念のために聞くが、事件のあった日から、この近くで会った人間がいたら教えてほしい」
「トリスアギオンとかいう人たち、あとはゼブルさんとレイガさんだけだよ。この近くに人がいたような気は、何回もしたけど、気のせいだったと思う」
「この場所を知ってる人間はいたんだろうか?」
「わからない。覚えてないだけかもしれない」
「そうか、ありがとう」
ゼブルは頷いて、アームプロテクタを腕から外した。スポーツバッグから携帯コンロと湯沸かし、マグカップ、紅茶の入った缶に茶こしを取り出した。
「ところで、水はあるかな」
「外に水道があるけど、お茶を入れるの。今から?」
トニアが目を丸くしていた。
「ゼブルの趣味だ。文句を言うと機嫌が悪くなる。黙って飲んでおけばいいさ。急ぐ用事もないんだ」
レイガが窓を開けながら言った。ゼブルは、レイガの言いようには文句があったが、茶を淹れるためには、まず湯を沸かさなければならない。
「時間は半端だが、こういうときは茶に限るんだ」
ゼブルは小屋の外に回って水道を見つけると、湯沸かしに水を入れて小屋の中に引き返し、携帯コンロの火をつけて湯沸かしをかけた。トニアが呆気にとられているような気がしたが、ゼブルは湯加減を計っていたので、トニアの表情に自信は持てない。ゼブルは三つのマグに直接、紅茶を淹れた。レイガとトニアは板敷きに腰かけていた。レイガが遠慮もなくマグを手に取って口につけた。ゼブルが待っていると、トニアが気圧されたようにマグを手に持った。ゼブルもレイガの隣に座り、安心して茶を飲んだ。
「これからどうする」
茶を一口飲んだレイガが聞いた。
「現時点でわかっていることを整理しよう。サーストン怪死事件の真犯人は不明だ。トニアが能力者であるともないとも言い切れない。コンピュータは見つからないが、どこかに潜んでいる可能性だけはある。トリスアギオンの連中が、近くをうろついてコンピュータを探している」
「一歩も先に進んでない気がしてきたぜ。明るい材料はないのか?」
「少し経ったら、グレーミアに連絡が取れないか、もう一度ヘヴンズに電話をしてみる。トニア、すまない。これ以上の捜索は、俺たちの手に余る。この事件の真相を突き止めるには時間がかかりそうだ。ただ、他の事なら協力できると思う」
「他の事って?」
トニアが両手でマグを包み込むように持ち、上目遣いで聞いた。
「君がここを出たいなら、どこにでもというわけにはいかないが、君にとっても、周りの人間にとっても安全な場所に連れていく。ここにいたいなら、できるだけの援助をする。警察に自首したいなら、弁護士の手配もしよう。いずれにしても、ここで起きた事件の調査は続けるが、君のことが先決だ。教えてくれ、君はどうしたい」
「私は、どこにも行きたくない」
トニアは、マグの中に落とすように呟いた。
「わかった。ヘヴンズから食料を持ってこよう。ただ、ここにいられるのはあと数日だと思っていてくれ」
「どうして?」
「警察が、また近いうちにここに来る。俺たちは警察とは敵対できない。君が見つかるまではしらを切るが、見つかったときは、俺もレイガも素直に捕まるしかない。君がいいと言うまで、警察に君から聞いたことを話すつもりはないが、警察は俺たちを簡単に放免はしないだろう。そうなったら、君はサーストン事件の容疑者として捕まり、俺たちも事件の真相を探ることができなくなる。あまりいい展開とは言えないな」
ゼブルは思い切って状況をトニアに言った。余計なプレッシャーをトニアにかけたくなかったが、これ以上、隠し事を続けるのは難しかった。いや、隠し事をしたくなかった。ゼブルはトニアを信じたかった。
「じゃあ、あと何日かはここにいるとして、その後はどうするの」
「君をこの町の外に連れていきたい。俺とレイガ、いや、ヘヴンズは全力でこの事件を調査する。真相もわからないまま、君を警察に容疑者として渡したくないし、君はもう、この廃墟にいるべきじゃないと思う。君には未来がある。能力者であるかないかは、この際、おいておこう。暴走したコンピュータとか警官に、君の未来が潰されるのは見たくないんだ」
「変なの。どうしてそこまで私を気にするの」
トニアが生意気な笑みを顔に浮かべた。
「仕事だから、と言えば俺たちには十分なんだが、それでは君にはわからないだろうな。ヘヴンズの仕事は、本来は能力者の未来のためのものだ。だが、俺とレイガの出番となると、守れなかった未来の後始末が多い。本来の意味での仕事ができるのは、俺たちにとっても嬉しいことなんだよ」
「後始末って、どんなこと?」
「能力を暴走させた能力者を取り押さえて警察に引き渡す。能力者狩りの連中から、全てを捨てて逃げてきた能力者を保護する。終わった後に出て行って、二次被害を防ぐようなものだ」
ゼブルは内容を選んで喋っていた。本当は、トニアには言えない仕事もある。能力者にとどめを刺すこともある。ゼブル自身にも意味がわからない任務も、いくつもあった。
トニアは笑みを消してマグの中に視線を注いでいた。少しの間、そうしていて、顔を上げた。
「わかった。言う通りにするよ」
諦めたような口調だった。ゼブルは自分の喋ったことを後悔しかけたが、思い直した。トニアは疲れているし、ゼブルは事件の真相解明に失敗した。反発されないだけましだった。トニアに希望に満ちた言葉を期待する方が間違っている。
「それじゃ、どっちがヘヴンズに戻る?」
レイガが聞いた。
「お前が戻ってくれ」
「仕方ねえか。トリスアギオン程度なら相手にできるが、コンピュータやデヴィルが出てこられるとな」
言って、レイガは立ち上がった。レイガの負傷は目には見えないが、メタ能力の攻撃を受けた可能性を考えると、一刻も早く検査、治療するべきだった。それが事件の解明にもつながる。
「できれば、グレーミアをこっちによこしてくれ」
「出歩いてるんだろ。無理だと思うが、できるだけはやってみる。こっちに戻れるのは明日になると思うぜ。二人はこの小屋にいるのか」
レイガが言い、ゼブルはトニアを見た。
「うん。やることもないし、ここにいる」
トニアが答えた。ゼブルが車のキーを渡すと、レイガは頷いて小屋を出て行った。
「簡単なんだね」
トニアがゼブルの顔を見て言った。
「何が?」
「決めて、すぐに出て行っちゃう」
ゼブルは苦笑した。
「そういう付き合いだからな、いや、おじさんだからかもしれん」
「年を取ったら悩まなくなるものなの?」
「場合によるな。俺やレイガの立場だと、迷っていても顔に出すと周りが迷惑する」
「おじさんがくよくよしていたら変なの?」
「俺も含めて、たぶん、みんなそう思ってるよ」
トニアは鼻声で返事をして寝袋の上に寝転がった。古い雑誌の山から一冊を抜き出してページをめくり、飽きて放り出したりしている。ゼブルは次の茶を淹れるために水を汲みに出た。小屋に戻り、湯沸かしを携帯コンロにかけると、トニアが寝袋の上に座って声をかけてきた。
「私はどうなると思う?」
「君次第だ」
「私に何ができるって言うの」
ゼブルは湯沸かしから顔を上げて答えた。
「この廃墟から出ることも、警察に捕まることも、ヘヴンズに来ることもできる。君が能力者だという前提で言えば、能力は練習して制御することができる。力の使い方を覚えれば、人に危害を加えることはないし、それどころか人の役にも立てる。あえて能力を封じて生きていくこともできるだろう」
「人殺しでも? 誰も許さないよ」
トニアが膝を抱えた。
「あまりいい例えではないが、致命的な伝染病にかかった場合を考えればいい。君が伝染病にかかり、感染を広げたせいで大勢の人間が死んだとしても、君に罪はない。能力そのものは伝染病ではないが、能力の暴走は伝染病と似ている。伝染病にかかったとしても、非難する人間はいるだろう。能力者に対する偏見や憎悪は、伝染病にかかった人間を責めるのと同じで、いわれのないものだ。本当に俺たち能力者が戦うべきなのは、能力者狩りなどというごく一部の凶悪な人間ではなく、その偏見と憎悪だ。そういった偏見や憎悪に打ち勝たなくては、能力者に未来はない。例え、理解してくれる人間が少なくても、能力者が世界に自分一人きりだったとしてもだ」
「ゼブルさんは、私をどう思ってるの。ここの人たちを殺した犯人だと思う? それとも、コンピュータがここの人たちを殺したんだと思う?」
「今はまだわからない。それを調べている途中だからな。しかし、君が犯人であろうとなかろうと、俺やレイガの行動に変わりはない。君をこの廃墟から解放したいんだ。能力者云々は別にして、こんなところで女の子が孤独に餓死するのを見過ごしたくない」
「ゼブルさんは、なんでもできるんだね」
トニアが疲れたように微笑んだ。
「皮肉と受け取っておこう。喋ったからって、全部が全部、俺が自分で考えたことじゃないさ。生き方の教師がたくさんいた。良い例も悪い例もあった。大人はそういう上げ底をしているから、背が高いふりができるんだ。本音を言えば、俺が君の立場だったとして、君ほど強くいられた自信はない」
「私が強い? 意味がわからないよ」
トニアの声が高くなった。
「三ヶ月も一人きりで生き抜いた。絶望に押しつぶされず、孤独にも負けなかった。おまけに、この事件の真相に立ち向かおうとしている。警察ではなく、俺やレイガがこの町に来たのは、君が作り上げた状況だ。気づいていないかもしれないが、俺やレイガじゃなく、君が戦っているんだ、このくそったれな状況とな」
トニアが短く笑った。
「じゃあ、聞くけど、もし私が能力を暴走させて、ゼブルさんやレイガさんを殺そうとしたらどうする?」
「すまないが、そのときは全力で抵抗させてもらう。君を傷つけないように気はつけるが、そのとき次第だ。どこまで君に気を使えるか、約束はできない」
「それなら、そのときは私を能力で殺していいよ」
トニアは無邪気に言ったが、目を見れば真剣なことはわかった。
「そして、俺は死ぬまで後悔する。君の顔を毎朝思い出して涙するような老後は嫌だね」
ゼブルはトニアに微笑み返した。
「どうして、そこまで私に気を使うの」
「君が強いからだ。俺や、たぶん、レイガも見とれるくらいだよ」
「もういいよ」
トニアは照れたように顔をそむけ、古い雑誌漁りに戻った。ゼブルは湯沸かしに注意を戻した。ちょうどいい具合に湯が沸いた頃、トニアが立ち上がって小屋を出ていこうとした。
「どこに?」
ゼブルが聞くとトニアは明るく笑って言った。
「トイレだよ」
ゼブルは湯沸かしと茶に集中した。二人分の茶を淹れても、トニアはまだ戻ってこなかった。ゼブルは板敷きに腰を下ろし、壁に背をもたれて目を閉じた。目の前で、ぼんやりとした光が舞っているように見えた。寝不足の頭が重くなった。眠りこけるわけにはいかないと目を開けたとき、二人分の茶は冷めきっていた。日差しが少し弱くなったようだった。トニアの姿は小屋のどこにもなく、真夏の日差しのように笑うポスターの男がゼブルに目を向けていた。ゼブルは立ち上がり、小屋を出て辺りを見回した。誰も見つからなかった。トニアはどこかへ消えてしまっていた。




