第六話
ウィンドブレーカーを着てジーパンをはき、車道の真ん中を歩くトニアは、不機嫌な少女のように見えた。家か学校で気に入らない事があって、文句を言う相手を探しているかのようだった。歩くのは意外に早く、足だけ見れば颯爽とさえしていた。
実際には、無表情なのは三ヶ月前を見てしまうからだ。ゼブルが現場を回ると提案したときには、期待のない顔で投げやりに頷いていた。
彼女の罪悪感と恐怖を掘り起こす事になるのはわかっていた。それでも、ゼブルは、最初に能力が発動したという現場の雑貨屋や、トニアが隠れていたという山小屋、親戚が運び込んでいた密輸品を調べたかった。それですぐに真相がわかるわけもないが、トニアの話の不自然な点が消えるかもしれないし、見つかるかもしれない。熱心に歩き回れば、捜査の素人も敏腕刑事のように靴底をすり減らす事ができる。
始めに、雑貨屋を回る事にしていた。商品棚が二つにガラスケースが一つ、他に公衆電話があるだけのごく小さな店だ。商品はほとんどない。床が、砂と靴跡で汚れている。ゼブルとレイガもここの電話を使ったし、警察は容赦なくカメラのストロボを浴びせたはずし、トニアも食料品を持ち出すために何度も通っていたらしい。清潔で明るいとは言えなくても、この店は三ヶ月前はまだ息をしていたはずだ。
「ここの店主が死んだとき、君がいた場所を教えてくれ」
ゼブルが聞いた。トニアが雑貨屋の入り口から少し離れた位置に歩いた。
「確か、この辺りだった」
店主が倒れた場所を聞くと、トニアは、ゼブルが立っている辺りだと答えた。雑貨屋の入り口から数歩先だ。トニアと店主は二人とも店の外にいて、十メートルほど離れていた事になる。間に障害物はない。道路側の見通しは良かった。
「誰か、ここの店主以外に人を見ていないか」
「いなかったと思うけど、わからない」
トニアが鈍く首を振った。
「この辺りは人通りが多かったのか」
「この辺は買い物に来る人がいたけど、それでもあんまり見た事はないよ」
「車は止まっていたりしたか。普段の様子を知りたい」
トニアの話では、店主が死んだとき、ここには彼女と店主、店から出てきた男の三人しかいなかった事になっている。
「たまにドリットがトラックを止めて、品物を店に運んでた。店に置いてあるより、人に頼まれて取りに行くほうが多かったかもしれない。私は頼んだ事はないよ。知らない人がよく店番してたけど、次の月には別の人に変わったりしてた。名前も知らない」
サーストンの人口を考えれば、商店などまともに開けはしない。本業は別にあり、ついでに店を持っていたのだろう。店番をしていた人間は、恐らく、サーストンと関係なく、店主と個人的なつながりがあった人間だ。住人が皆、ここの店主のようだとしたら、本当の意味でここに住んでいた人間はいない。
「そのドリットとかいうのは、どんなやつだったんだ?」
「おかしいやつだったよ。いつも、金あんのか、て言ってくる。睨んでるんだ」
「他に店はないのかよ」
「なかった」
レイガが厳しい顔で、アスファルト雑草が生えかけた車道を睨んでいた。サーストンは、メインストリートを除けば舗装の状態は悪かった。サーストンの全体が、なまじ人の名残があるだけに強盗に荒らされた家のようにも見えた。レイガは、こんなところに住みたくないと思ってぞっとしている。ゼブルには見てとれた。トニアには、足跡を探す狩人のように見えたかもしれない。
トニアが店の奥に入った事がない事を確かめてから、ゼブルは二人を外に残して、店の奥へ入り込んだ。缶詰を詰めたダンボールやロッカーの間を潜り抜けて奥のドアを開けると、居住部分に出た。安物のパイプベッドが四つ置いてあり、小さなテーブルと椅子が横倒しになって転がっている。さらに奥には、店主が使っていたらしい部屋があり、さっきの部屋よりいくらか広いベッドと机が置いてあった。ゼブルは念のために机の引き出しを開いてみたが、警察が証拠品として持ち去ったのか、机は見事に空だった。幽霊が住んでいたかように生活感のない建物だった。ダンボールとロッカーで埋まった廊下まで戻り、地下室への狭い階段を見つけて入り込んでみたが、足の折れた椅子や錆びたスコップ、用途不明の金属パイプばかりが転がっていた。
ゼブルが店の外に出ると、トニアと話していたレイガが目を向けてきた。ゼブルは小さく首を振った。
「警察がきっちり持っていったようだ。帳面一冊ないな」
「仕事熱心なおまわりさんなことだ」
レイガがぼやいた。コンピュータの欠片も見つけられなかったが、それが良いか悪いかは見つかってみないとわからないところがある。トニアを連れているし、レイガは足を負傷している。うっかりコンピュータを踏みつけて噛みつかれたりするのは、ゼブルの役割だ。
「レイガさんは、実はあまり考えてないね」
「俺は、賢いやつが手も足も出ない問題を解決する男なんだよ、トニア」
「また本気で言ってる」
トニアは下を向いて呟いたが、面白がっているように聞こえなくもなかった。
雑貨屋を後にして、予定通りトニアが住んでいた家に回る事にした。サーストンに残っている家並みは老人の歯のように隙間が空いていて、トニアは慣れた風に空き地を横切ったりした。少し歩くと、人の姿が見えない不自然さに気づく。ゼブルも、動乱が終わってから数年はこんな町をよく歩いていた。
「私と一緒に暮らしてた人はいい人だった。覚えてないけど、間違いないよ」
「この辺りだと目立ったろうな」
先頭を歩くトニアは、時折振り返りながらレイガに話しかけていた。
「ドリットみたいなやつだったら逃げ出してる。あいつの大事なお金を持って出て行ってやる」
「忘れちまえよ。嫌なやつを数えてたら性格が暗くなるぜ」
「無理です、あのハゲ、目つきがいやらしいんだ。思い出してきた。本当に気持ち悪い」
「案外、ドリットもそう思ってたんじゃねえか。動乱が終わって二十年近くなのに、何が楽しくてこんなところに住んでたのかね」
「ここの人なんか、いなくなっても何も変わらなかった。みんな、いらない人だったんだよ。ゴミ捨て場だね」
「寝不足なら、寝ちまいな。背負ってやる」
「寝てるよ。ずっとやる事がなかった。もう、どうしたらいいのさ」
トニアは滑ったような高い声で笑った。隣人の異常な死に方を喋らされた後としては、錯乱していない。それに、三ヶ月間、誰とも喋っていないのだ。レイガの方は珍しく温厚に相手をしていた。元々、事件の事を喋らせたのはゼブルとレイガだ。せきたてられているようなトニアのお喋りは止まなかったが、サーストンの静けさは耳に痛いほどだった。
静寂の中でトニアの家の前に立った。小さな平屋の家の脇に、家を捕まえるような格好で大型のプレハブが二つ建っていた。プレハブの方が新しく、それでも屋根の青い塗装はだいぶ剥がれている。
「そっちは倉庫だよ」
プレハブの中を覗こうとしたレイガに、トニアが声をかけた。
「冬は寒そうだな」
レイガが平然とガラス張りのドアに顔を近づけた。ゼブルは決めなければならなかった。雑貨屋の捜索で、慣れない建物を探索するには時間がかかる事がわかっている。トニアの案内があれば早いかもしれないが、コンピュータとぶつかった場合は、誰の命も保証できない。ゼブルは建物の配置を見て、走るライン、隠れるポイントを頭に浮かべた。
「家の中は覚えているか」
「何回か、着替えを取りに来たよ」
ゼブルは、もう一度、辺りを確かめた。考えようによっては、コンピュータさえ見つかれば全てが解決する。
「家から回ろう」
「こっちはどうする」
レイガが、倉庫のドアから振り向いてゼブルに聞いた。
「家の方をトニアに見せてもらった後で、見える範囲だけ探そう。それ以上は他を回った後だな」
トニアが家の鍵を開けた。ゼブルが先頭で、次にトニアが続き、最後尾にレイガという順番で家に入った。トニアが、ゼブルの後ろから案内をする形になる。トニアは一瞬、妙な目つきでゼブルを見上げたが、反対はしなかった。
狭い廊下の伸びる脇にいくつかのドアがあり、突き当りにも同じようなドアが見えた。廊下の床が、どこかの窓からの光でぼんやりと光り、乱雑な靴跡を浮き立たせている。警察か、あるいは空き巣が無遠慮に床を踏んで回ったのだろう。
ゼブルが慎重に開けた右手のドアは、トニアが言った通りにトイレだった。便器の奥で殺人コンピュータが基盤を明滅させている事はなく、ゼブルは次のドアに向かった。
「ここは何があるんだ?」
「リビングと台所だよ。あと、お風呂がある。隣の部屋ともつながってる」
トニアの返事と家の外観からすると、それなりに広さがあるようだった。ゼブルはドアを開けて部屋に入った。
「おい、どうした」
レイガの声で振り向いた。トニアが向こう側を向いて、壁に張り付くように立っていた。レイガが困惑した表情でドアから下がっていた。ゼブルが廊下に戻ると、トニアが壁際からぎこちない笑みを見せた。
「ただの台所で、食べるときのテーブルがあるだけなんだ。あとは、二人で一部屋づつ使って、あっちの奥が物置だった。二人で見てください」
「ここは君の家だろう」
ゼブルが言った。
「はい」
トニアは言い返しもしなかった。レイガが苛立ちを押しこめた顔になった。
「手がかりがほしいんだ。コンピュータが出てきたって、俺たちがいる」
「コンピュータなんかなかった。見ればわかると思います」
「泥棒を手伝えと言ってるわけじゃないんだぜ。わけくらい言ってくれ」
「ここは私の家だし、見なくても知ってる。調べるとか、私には関係ないです」
サーストンをむなしく歩き回った中では、今のトニアの態度が一番異常だった。台所の入り口を背にするようにして、トニアは一歩も動こうとしない。ゼブルは、戦闘班の稽古のときの大声を出しそうなレイガを遮って言った。
「二人で住んでいたんだったな」
トニアが頷いた。
「俺が見てくる。レイガ、トニアとここにいてくれ」
「どういう事だ」
レイガが詰め寄ってきた。大声ではないが、ゼブルには不機嫌を隠そうともしていなかった。
「ここに住んでいたのはトニアだけじゃない。その人間の事は、俺たちがわかっていればいい」
レイガが眉を寄せ、そしてうろたえたように目を泳がせた。事情をゆっくりと飲み込んでいるレイガをよそに、ゼブルはトニアに顔を向けた。
「すまなかった。事件の日から、ここに入った事はなかったんだな」
トニアの身を縮めた気がした。
「コンピュータなら、君がいないほうが都合もいい。待っていてくれ」
血の引いた顔をしたトニアを残して、ゼブルは再び部屋に入った。食卓に使っていたらしい小さなテーブルと、テーブルを挟んで椅子が二つ置いてある。流しの中で、汚れた皿とフライパンが乾いていた。トニアが恐れていたものが、まだ部屋全体にうっすらと漂っていた。死者の跡であり、彼女と同居していた人間の名残だった。惨劇を連想させるようなものは何もない。本当に怖いのは、自分の家の中に、未知の他人を見つける事だ。彼、あるいは彼女を認めた瞬間、トニアの足元は崩れ落ちる。
ゼブルには妻と娘がいる。動乱の後遺症を病院で治療している。ゼブルは彼女たちの顔を覚えている。会いに行った事はないが、会ってわからないはずがない。だから、ゼブルは、トニアの恐怖にもっと早く気づくべきだった。彼女は、同居していた人間を思い出せないことを恐れている。
窓からの白い日差しが刺し込み、椅子の足、流しの縁、ぶら下がったタオルなどが冷たく静止していた。ゼブルは台所の扉と引き出しを開き、塩や砂糖の缶の蓋を持ち上げ、物と物の隙間を覗くために頭を突き出した。コンピュータが現れたときに備えて、腕に着けているアームプロテクタが邪魔に感じた。全体の印象としては奇麗な死体を見ているような気がした。死者の家とはそういうものだ。壁の向こうに足音や物音がないのが、かえって奇妙に思えるほどだった。この部屋の主とトニアは、もちろん夕食の前にカーテンを閉めて明かりをつけたのだろう。
脱衣所の入り口から少し奥に、安っぽいドアが閉じていた。開いて壁に固定した跡があり、蝶番の歪みのせいか、開けるのに力を入れなければならなかった。ドアを通ると、トニアが絶対に見たくない部屋があった。警察がいろいろと持ち出したのかもしれないが、一人分の生活の気配が、動かない煙のように残っていた。机とベッドが、窓から遠い角に据えてある。机の側に小型のストーブが置いてあり、ベッド脇の台には雑誌とラジオが雑然と収まっている。小型のクローゼットは中途半端な壁際にある。空中に張った紐に乾ききった靴下や下着がぶら下がり、視線を邪魔していた。部屋の印象からするとそぐわないが、衣類を見る限り、トニアの同居人は女性だったらしい。床には底の深いトレイがいくつも積まれ、ネジや電線が放り込んであった。入ってきたものとは別にドアが二つあり、一つを開けると倉庫の外だった。もう一つは家の廊下に通じている。トニアが来るまでは、この部屋だけで寝起きしていたのだろう。
机の上にラジオが中身をむき出しにして放置されており、その向こうの書類立てに、ゼブルには内容が理解できない電気関係の本が倒れていた。机の中身も似たようなものだった。メモや帳面の類が抜き取られたのだろう。写真の類もない。
ネジやボルト、細い電線はあふれていた。現在の技術でコンピュータを作成する事はできない。クローゼットの中を探ってみても、コンピュータにつながりそうなものは見つからなかった。