第五話
「私は、元々は他の町に住んでいたんだと思う。家出してきたんだ。理由はわからないけど、もう、あのお父さんとお母さんと一緒に家にいるのは無理だった。大人の人に頼んで、ここに連れてきてもらった。たぶん、親戚の人だと思う」
トニアは、床に話しかけるように喋っていた。暗い声だが、どこか機械的な冷静さがあった。
「ここに来てから、そんなに長くは経ってない。半年くらいかな。思い出せないのに、わかる」
これで、警察が彼女を探し当てられなかった理由の一つが判明した。彼女がいなくなったと気づける人間がいなかったのだ。娘がサーストンにいる事を知らなかったのか、知っていても気にしなかったのか。記憶が曖昧なトニアに、過去は乗り越えられない。痛みを忘れているのは、サーストン事件に立ち向かうのに、とりあえず都合はよかった。
「能力者の記憶障害でも、曖昧なイメージは比較的よく覚えている。記憶喪失にはそういうところがあるんだろうな。覚えている範囲で喋ってくれればいい」
ゼブルは続きを促した。
「ここに来てから、仕事の手伝いをしていた。何か、機械のパーツを運んだり、中身のわからない箱にラベルを貼ったりした。一緒に暮らしてた大人の人が、箱を車に積んできて、またどこかに運んでいった。ラベルに書くのも番号とか記号で、仕事の内容は、手伝っていたときからわからなかったと思う」
「きつかったのか?」
レイガが聞いた。
「仕事の手伝いは楽だったよ。それより、暇なのが辛かった。仕事や洗濯をさぼっても、代わりにやる事がない。話す相手もいなかった」
サーストンは小さな集落だ。年の近い相手もいなかったのだろう。だが、理由は他にもありそうだった。サーストンは国境に沿ってはいないが、道路だけは動乱前の状態からあまり荒れていない。その上に、僻地の小集落だ。人に見られたくないものを寝かせておくには穴場かもしれない。トニアの親戚が扱っていたのが密輸品の類で、中に動乱前の機械の破片が混じっていたとしてもおかしくはない。密輸で成り立っていた集落なら、正体不明のトニアに関わろうとする人間もいないはずだ。
「一緒に暮らしていた人とは、たぶん、話していたのかな。男の人か女の人かも、もうわからない。手伝いをさぼっても、ほとんど怒られなかった気がする。誰だったんだろう」
トニアが床の一点で視線を止めた。思い出そうとして、すぐに諦めたようだ。
「その人も、私が殺した」
「誰がそう言ってるんだ。落ち着けよ」
レイガが太い声で、床に沈みこんでいきそうなトニアに言った。
「君は、その人の死体を確認したか」
ゼブルが聞くと、トニアが顔を持ち上げた。
「顔も覚えてないのに、わかるわけがないじゃない」
「そうか、わかった。他に覚えている事があれば話してくれ」
トニアがゼブルを睨みつけるように黙った。落ち着いた声で言った。
「私にできるのは、話す事だけなんだね」
「死んだ人間は蘇らない。生きている人間は、まず自分のために戦うべきだ」
トニアと暮らしていた人物が生きていれば、彼女を探したはずだ。ほぼ間違いなく、その人物は死んでいる。トニアは覚えていないから、生々しい自責の念は感じようがない。忘れられない空白があるだけだ。床を一日二日眺めたところで癒せるものではなく、その時間もやれないが、本来は、それくらいの権利は彼女にあるはずだった。
「ゼブルさんとレイガさんは、人が死ぬのは当たり前だと思っているの」
トニアは気がついたように言った。
「当たり前さ。お前さんがここで見た通りだ。やり方を間違えたやつだけが死ぬのなら、良かったろうな」
レイガが慰めのように言った。
「本気で言ってる。信じられない」
「そうきたかい。信じなくてもいいぜ。坊主に聞けば、もっと気の利いた事も言うだろうさ」
「動乱のときに、人が大勢死んだじゃない。でも、レイガさんみたいに言う人はいない」
トニアは高い声で言い立てていたが、レイガを非難しているようではなかった。
「こんな事で、周りに意見を合わせる必要はないだろう。どこかに正解あるとは思わねえよ。死んだやつは、二度と返事はくれないんだ」
「能力者の常識なんか知らないよ」
「全部、能力者が理由かよ。知らないんだろうが、みんなが生きては帰れないときもある。いちいち下を見て泣いていたら、俺やゼブルは今頃、生きてないんだ。すれちまったんだろうな」
レイガは、トニアから顔をそらしているようだった。
「戦争にでも行ってたの」
「ゼブルは元々、軍人だった。俺はいろいろあって、今はヘヴンズの戦闘班だ。能力者狩りの連中を追い払ったりしている。ここの人たちを殺した化け物を退治するのは向いた仕事だが、お前さんが話をしてくれなきゃ出番もない。俺やゼブルの話なんかは、後でヘヴンズを尋ねてくればいくらでも聞ける」
レイガの影は、忙しそうに明るくなり始めた窓を気にしていた。話が妙な方向に流れたので辟易してきたらしい。ゼブルは、自分がレイガと同じ戦闘班にいた頃を思い出していた。レイガもずいぶん我慢強くなったものだ。トニアは、落ち着かない様子で座っている足を動かしていた。
「あの日の事だね。仕方ないな。最近は、あんまり思い出さなくなってた」
トニアが自分に呟くように言った。
「山に少し入ったところに、山小屋があるんだ。ずっと使われてないみたいで、ここに来たばかりの頃に見つけてから、よく歩いていってた。掃除したり、クッションとか缶詰を持っていって、自分の部屋みたいにしてたんだ。もしかしたら、あの小屋を片付けるのが楽しかったのかもしれない」
ゼブルは、トニアが話すのを黙って聞いていた。
「朝からずっと、倉庫で機械の部品を分けてたんだ。嫌になってきて、さぼった。用事もなかったけど、山小屋の方に歩いてた。行く前にパンを買うつもりでお店に行ったら、ドリットが店から出てくるところだったんだ。ドリットは店をやってた人なんだけど、だから、店を空けるんだと思って話しかけようとしたら、あいつが私に振り向いて、倒れた。体が燃えてた」
ゼブルはいくつか気になる点を見つけた。だが、口には出さなかった。今のトニアは恐怖の淵にいる。レイガも、廃駅の備品と化したように沈黙していた。
「冗談だと思った。目の前で見ていても、いきなり人が燃えたなんて信じられるわけないじゃない。あいつが舌打ちしながら立ち上がるのを待ってた気がする。あのときは、混乱してたな。人の形をした青い火の塊が、地面でもぞもぞ動いてるんだ」
トニアは笑っているような声で喋っていた。
「お店から知らない人が出てきた。そうしたら、その人にも青い火がついた。何か言おうとしたけど、その前に燃えて、まっすぐ座り込んだ。座って、頭を地面にぶつけた。そんなところだけ、覚えてる。後は、ずっと町の中を走っていた気がする。二人を助けようなんて思えなかった」
トニアの声が次第に小さくなり、途切れた。気持ちを収めようとしている。無謀な努力だが、この際、うまいやり方がどこにある。
「足が速くて助かったな」
レイガが言った。トニアが少し頭を上げた。
「もたもたしていたら、その二人を殺した化け物に捕まったかもしれねえ。昨日、俺を見て逃げたときも、いい足してたぜ」
言われて、トニアは弱々しい笑みを浮かべた。
「運動は得意だった。たぶん、昔からね。町を端から端まで走ったと思う。道の上でも、車の中でも、人が燃えてるのを見た。そのくらいから、時間が飛んでる。何日が記憶がないのかもしれない。気がついたら、一人で山小屋にいて、夜だった」
「それから、ずっとその山小屋にいたのか」
ゼブルが聞いた。
「出て行く気になれなかった。食べるものと燃料が尽きてから、何度か町に戻ったけど、缶詰と燃料の缶を持ったら、すぐに山小屋に戻るようにしていた。町の方で光が動いてるのも見た。たぶん、警察が来ていたと思う。元の家の中も荒らされてた。机は空っぽだし、床に足跡がたくさんついてた。持っていかれた物もあると思うけど、わからない。いる物を運んだら、できるだけ山小屋から出ないようにしていた」
存在を知る生存者がいないとはいえ、警察の捜索でも発見されなかったのだから、トニアが隠れていた山小屋まではよほど歩くのだろう。ぼんやりと語っているトニアに、ゼブルは敬意すら覚えた。一日二日なら、座って呆けていても生きていられる。三ヶ月の生存は、強靭と言う他はない。トニアは記憶を失いながら、ついに諦めなかった。だからこそ、聞かなければならない。
「なぜ、君は自分がサーストンの人たちを殺したと思ったんだ」
トニアの肩が震えたように見えた。嫌われ者の役目を果たすときだった。
「君は、最初から俺たちに、能力者の殺人者だと名乗った。実際、君の行動は逃亡者のものだ。サーストンから出ようとせず、山小屋に隠れた。無人のサーストンからも離れ、必要に迫られるまで山から出ようともしなかった。自分の能力で犠牲を出さないために、そして警察の目から逃れるためだ。本物の犯罪者連中には、まっとうなやり方だ。話を聞く限り、君は幸運な生存者にしか見えない。突然に人が焼け死んだのなら、まず自分を守ろうとするのが自然だ。だから、君は自分が殺人者だと確信していた。言ってくれ。他人ではなく、君がした事をだ」
トニアの顔がゼブルに向いた。力が入っているせいで、褐色の目がいくらか歪んでいる。窓から入ってくる朝の光で、ゼブルはようやくトニアの姿がはっきりと見え始めていた。年齢は十六歳くらいだろうか。勝手に肩の後ろまで伸びた黒髪が、朝の光で銅線のように輝いている。耳の下から頬にかけて骨が目立つのは、やつれたせいだろう。口元に幼い膨らみが残っている感じだが、顎から首の線はすっきりとしていた。弱々しさがまるで似合わない顔だった。もっと違った状況で、昼の太陽の下で溌剌と呼吸をしていたら、可愛らしかっただろう。今は、疲れきったコンドルのようだ。青いウインドブレーカーを着たままで、襟元が斜めにずれている。
「私は能力を使った」
トニアの目は、恨んでいるような色だった。
「使ったのがわかったという意味か」
レイガが言った。
「水に潜ったような感じがした。体が下がるんじゃなくて、濡れた毛布をひっぱりあげるような気がした。気がついたらそうしてた。意味不明かな。腕を人に動かされるのと、自分で動かすのは違う。自分がしたのが、すぐにわかった」
能力を使うときの感覚を言葉にするのは難しい。ゼブルにもトニアのもどかしさが伝わってきた。レイガが苦々しい顔になっていた。まだ諦めてはいない。どうやってトニアの無実を証明するか、難問を攻めあぐねている。
「まだ、聞く事があるの」
トニアがうなだれて言った。喋るだけで気力をすり減らしたようだった。
「君は、殺すために力を使ったのか」
自分の声が、ゼブルには思った以上に冷たく聞こえた。
「違う、そんなつもりはなかった。ドリットは好きじゃなかったけど、本当に殺すなんて思わない。ここの人なんか、みんなどうでもよかった」
トニアの頭が前後に少し揺れた。ゼブルは短く頷きの声を発して、スポーツバッグからタオルを取り出した。
「少し休憩しよう。携帯コンロは使えるな。燃料はまだあるはずだ。体を拭きたければ、湯を沸かしてこのタオルを使ってくれ。俺たちは外に出ている」
ふと、トニアが体を洗いたいのではないかと思ったのだ。風呂は無理でも、休む時間は少しは取れるだろう。ヘヴンズを出るときに、着替えにまで気を回す余裕がなかった。
トニアを残して、ゼブルとレイガは駅舎の外に出た。
「一人にしておいてよかったのか」
レイガは、朝日に照らされるサーストンに、眩しそうに目を細めていた。
「自分の世話をするのに、あの子は助けなんかいらないな。三ヶ月も一人でやってきたんだ。気持ちの面は別かもしれんが、そっちは俺とお前ではどうにもならん」
「それで、俺たちはは突っ立ってぼやくだけか。情けねえ。あの子は能力者だと思うか、ゼブル」
「可能性があるとしか言えん。全てはあの子の妄想かもしれない。あの子は鬱屈を溜め込んでいたし、ここが好きじゃなかった。いきなり周りの人間が焼け死んだのを見て、生き残った事に罪悪感を感じる。自分が凶悪な能力者だと決め付けて、その筋書きに合わないものは見なかった事にする。本当はあの子は潔白で、自分の思い込みに閉じこもっているというわけだ」
「本気で言っているのか?」
「あの子は重要な証人だが、関係者の一人にすぎない。ここの人間が死んだのは事実だ。他に気になる事もあった」
「俺があの炎で攻撃されて、生きている事か」
「距離の問題ではないだろう。お前が攻撃を受けたときは、あの子とはほんの数歩だった。並の能力なら、余計に強く作用しそうなものだ」
レイガから聞いた話では、炎に巻かれたときのレイガは、トニアの背中に追いつきかけていた。
「トリスアギオンの連中からも逃げようとしていたからな。まっすぐ俺から逃げていたら、見失ったかもしれねえ」
「近いほど弱くなる能力まで想定すると、考える糸口もなくなりそうだ。お前だけが攻撃されたというのも、理由が見えてこない」
「トニアを疑わなければいいだろう」
「なぜあの子だけが生き残っている。俺たちが納得してもだめだ。ただ一人生存した事に明確な説明ができない限り、あの子はどこまでも疑われる。あの子自身も、この町から外に出ようとしないだろう」
ゼブルとレイガの会話は、サーストンの町並みに吸い込まれていくようだった。建物の壁には、黒や赤茶の筋が染み込んだように垂れている。いくつかの窓では、打ち付けられた板が外れかけている。空は底が抜けたように晴れている。百年前から無人の町と言われても納得できそうだった。
「材料不足だな。今、考えても仕方がねえ。これから、トニアの行動を調べるんだろう」
レイガが両手の掌を空に向けて言った。
「そうだな、ずいぶん難しい話になってしまった」
「敵が見えればいいんだがね。そいつをどうにかしてぶっ倒せばいい」
「トニアのほうだ。俺たちにとって、能力者になるのはもっと単純な事だったと思う。記憶が欠けても、自分が消えたわけじゃない。能力者になる前の方を長く生きてるんだ。思い出せず、確かめられないだけだ。自分を疑うような暇はなかったし、暇があっても悩みやしない。あの動乱を生き延びたんだからな。トニアは、失ったものさえわかっていない。悲しむ事もできない。もし記憶が残っていたら、あの子は、あのトニアとは別人だっただろう。人間をやめて能力者になるようなものだ。そんな大げさな事が起きている」
「お前には、能力者になるのがそんなに簡単な事だったのか」
レイガが車の方を眺めながら、指で首をかいた。ゼブルは眉を寄せた。
「今はトニアの救出に来てるんだ。俺たちが能力者になったのはもう十七年前だぞ」
「いや、ゼブル=コールマンはさっぱりしたもんだと感心したのさ」
レイガが軽く笑った。素直な感想だったのだろうが、ゼブルは、自分が笑われたように感じた。
「過ぎた事だ。能力者狩りやらモンスターばかり相手にしているんだ。八つ当たりの相手はうんざりするくらいいた」
ゼブルは、毎月病院に金を送っている。そこでは、動乱の後遺症のために、妻と娘が治療を受けている。十七年間、一度もそこに行く事はできていない。病院の事を知っているのは、ヘヴンズでも総裁の他に数人だけだ。なくした記憶を語りたがる能力者ばかりではない。レイガがなくした過去も、あえて聞いた事はなかった。
「敵がいればいいな、ゼブル。少しは手ごたえのあるやつがいい。アンソンのやつは、案外やれるかもしれねえ」
ゼブルは顎をコートの襟に埋めて、一度目を閉じた。トリスアギオンのアンソンが相手なら、ただの寝不足がこんなに堪えたりはしない。
レイガが小石を拾って当てもなく放ると、車の方へ歩き出した。
「こっちは俺が見ている。カノンに連絡したらどうだ。誰かは起きているだろう」
「どうやって連絡するんだ」
レイガが立ち止まって振り向いた。
「電話だよ。昨日の事も覚えてないのか」
言われてみれば、レイガはヘヴンズのゼブルに電話してきたのだった。サーストンのどこかに使える電話がある。単純な事が、ゼブルの頭にはまるで浮かんでこなかった。
「どこにある」
今も電話が通じる理由が気になったが、レイガが使っているのなら致命的な問題はないと思いなおした。
「雑貨屋がわかるか。公衆電話がある。グレーミアが戻っていればいいがな」
雑貨屋らしい建物はゼブルも覚えていた。トニアの話によれば、最初の犠牲者が出た場所だ。レイガと別れて入り口が開いたままの雑貨屋を見つけると、入り口の脇に、動乱前にすえつけたような古ぼけた公衆電話があった。現在のカノンのコインは使えるようで、受話器から意外としっかりした呼び出し音が聞こえてきた。パークが出た。グレーミアはまだ一人でほっつき歩いているらしい。何かの調査にかかっているなら、彼女の方に必要が生じない限りまず連絡は取れない。
こんな状況でヘヴンズにいる味方の声を聞くのは妙な気がした。戦闘班から特務班に変わってから、単独任務が多かったせいだろう。ウォーレスやリプルと同行するようなものは別として、戦闘任務といえば、総裁から直に言い渡され、任務中は連絡の義務も手段も与えられず、土やら血やらをかぶったまま再び総裁の前に立ち、端的に結果を報告して完了するものばかりだった。
ゼブルはパークに状況を説明し、数日サーストンに留まると伝えた。受話器から、反論ではなく好奇心剥き出しの質問が飛び込んできたが、相手にせずに電話を切った。ただの戦闘任務だったら、少しはパークに付き合っていたかもしれない。




