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裏アカ彼女は、クラスの地味男子  作者: あしゅ太郎


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23. 偽りの証明、真実の体温

 今村がロッカーから這い出してきたあとも、しばらく誰も動けなかった。

 夕方の光が斜めに差し込む空き教室。俺と琉生は中途半端な距離のまま固まり、今村だけが掃除用具入れの前で、この世の終わりみたいな顔をして立っている。

「……えっと」

 沈黙を破ったのは、やはり今村だった。

「ほんとに、俺もこんな展開になるとは思ってなかったんだ。罰ゲームで『十秒以内に隠れろ』って言われて、たまたまここが空いてただけで。出るタイミング、完全に失ったっていうか……」

 言い訳を並べる今村の声が、必死すぎて逆に何も言えない。俺は顔が燃えるように熱いまま、隣にいる琉生の顔を見ることすらできなかった。

 琉生はまだ少し笑いを引きずっていたが、やがて短く息を整えると、今村の方へ向き直った。その瞳には、いつもの冷ややかな余裕ではない、鋭い光が宿っている。

「……で。どこまで聞いた」

「どこまでっていうか」

 今村は気まずそうに頭をかいた。

「『避けられると傷つく』、あたりからは全部。……遮音性ゼロなんだよ、あのロッカー」

 終わった。

 今度こそ本当に、何もかも。

 そう思って血の気が引くのを感じたが、今村は意外なほど真面目な顔をして続けた。

「でも、別に言いふらすつもりはないよ。前から変だなとは思ってたけど、今のでやっと繋がったっていうか。……ああ、そういうことなんだなって。面白がってバラすほど、俺も趣味悪くないし」

 軽い調子の奥にある、真っ直ぐな眼差し。琉生がわずかに表情を緩める。

「助かるわ」

「いや、助かるのは俺の方。あのままあそこにいたら、酸欠か精神崩壊で詰んでた」

 今村が本気で嫌そうな顔をする。そのやり取りがあまりにもいつも通りで、俺だけが時間の止まった場所に置き去りにされた気分だった。

「……俺、帰る」

 絞り出すように言って、扉へ向かおうとした瞬間、背後から名前を呼ばれた。

「時任」

 足が止まる。

「さっきの続き。後で、ちゃんと聞かせて」

 今村の前で何を言ってるんだ、と思うのに、言葉が出ない。

「……知らない」

 それだけ返して、俺は逃げるように教室を飛び出した。廊下の冷たい空気に触れて、ようやく肺が酸素を取り込んだ気がした。

 ***

 翌日。今村とどう顔を合わせればいいのか分からなかったが、拍子抜けするほど、あいつは普通だった。

「おはよ」

 それだけ。いつもの調子で手を上げ、何事もなかったように自分の席へ行く。

 あまりに普通すぎて、逆に怖いくらいだったが、今村は本当に約束を守った。休み時間に茶化すこともなければ、琉生に変な目配せをすることもない。ただ、俺と琉生が不意に目を合わせた瞬間にだけ、ふっと小さく笑う。その「分かってる」風な笑い方が、最高に癪で、けれど同時に、たまらなく救いでもあった。

 そして放課後。昇降口で靴を履き替えていると、隣に琉生が立った。

「今日、少しだけいい? 昨日の続き、したいんだけど」

 逃げたかった。でも、逃げたくない気持ちの方が、もうずっと勝っていた。

 人気の少ない裏通り。夕方の風が少し強く、街路樹の葉が騒がしく揺れている。少し先を歩いていた琉生が立ち止まり、振り返った。

「昨日は、変なところで邪魔が入ったから」

「……今村の登場シーンは、確かに変だったけど」

「ああ、最悪だった」

 琉生が苦笑する。けれど、すぐにその表情は消えて、彼は俺の目を強く見据えた。

「俺、あの中途半端なまま終わらせたくない。お前に避けられた時、本気で焦った。彰人のことがあっても、お前にだけは距離を置かれたくなかったんだ」

 聞きながら、胸の奥がじわじわと熱くなる。

「俺、お前といる時が一番楽しい。……だから、もう誤魔化したりしない」

 昨日も聞いた言葉。けれど、遮るもののない場所で改めて言われると、心臓への響き方がまるで違った。

「……俺も」

 やっと出た声は、やっぱり小さかった。

「俺も、早見といる時が一番……。どうしたらいいか分からなくて避けたけど、避けてる時の方が、ずっと嫌だった」

 顔が熱い。それでも、言葉を止めることはできなかった。

「今村に見られるのも、噂になるのも嫌だ。でも、早見と離れる方が……もっと、嫌だ」

 言ってしまった。

 戻れない。けれど、不思議と後悔は一欠片もなかった。

 琉生は目を見開いたあと、ものすごく静かに、噛みしめるように笑った。

「……それ、告白って受け取っていいか?」

「勝手に決めるな。……でも、否定はしない……」

 ようやくそれだけ返すと、琉生が一歩だけ近づいた。

「じゃあ、付き合ってるってことでいい?」

「……まあ。いいよ」

 言った瞬間、自分でも信じられなかった。けれど、目の前の琉生の顔を見たら、もうどうでもよくなった。

 いつもの余裕なんてどこにもない、本気で安堵したような、子供みたいな顔。

「やばい。うれしいわ」

「……いちいち言わなくていい」

「言う。お前、放っておくとまたどこか行きそうだし」

「行かないって……たぶん」

「そこは言い切れよ」

 そう言って笑う琉生に、俺も気づけば釣られて笑っていた。

 ***

 数日後。今村は本当に何も言いふらさなかった。

 むしろ、誰かが「最近、琉生と時任って……」と勘繰り始めると、さりげなく別の話題をぶつけて流してくれている。

 そのくせ、すれ違いざまにだけ、にやっと笑う。

「……何だよ」

 廊下で睨むと、今村は肩をすくめた。

「いや。よかったなって思って。……いろいろさ」

 最後まで分かったような顔なのが最高に腹立たしい。けれど、それがあいつなりの祝福なのだと、今は素直に受け取れた。


 放課後の教室。残っているのは俺たちだけだった。

 琉生が窓際でスマホをいじっている。俺は自分の席で、バッグの中から手鏡を取り出した。

 チャームは、ちゃんと付いている。小さく揺れる飾りを見るたび、あの日、間違えて送ってしまった写真から始まったすべてを思い出す。

 ふと、窓硝子に映った俺たちの姿が、同じ画面の中に入った。

 並んでいるわけでもないのに、妙に自然な距離。俺は気づけば、スマホを取り出していた。

「何してんの」

「別に」

「その『別に』、最近信用できない」

 琉生が笑う。俺は構わず、窓に映る二人を一枚だけ撮った。

 少し暗くて、輪郭も曖昧な写真。けれど、その曖昧さこそが、今の俺たちらしく思えた。

 そのまま、琉生のトーク画面を開く。

 始まりは、ただの事故だった。けれど、今は違う。

 俺はその写真を、自分の意思で選んで、送信した。

 すぐにスマホが震える。

 窓際の琉生が、目を見開いて固まった。

「……これ、俺に送ったの?」

「他に誰がいるんだよ」

 琉生がゆっくりと、ものすごく嬉しそうに笑った。

「……やばい。これ保存する」

「勝手にすれば」

「今度は、間違いじゃないんだな」

 その一言に、少しだけ息が詰まる。けれど、もう目は逸らさなかった。

「……お前には、わざと送ってる」

 言った瞬間、教室の空気がしんとした気がした。琉生は言葉を失ったように俺を見つめ、やがて顔を覆った。

「……そういうの、急に言うなよ。無理。普通にニヤける」

「……だから、そういう顔するなって」

 俺の声も、たぶん少しだけ笑っていた。

 最初は、見せたくない写真だった。隠すべき秘密だった。

 でも今は、自分から渡したいと思う。その変化だけで、迷った日々が報われた気がした。

 琉生が画面を見つめたまま、小さく呟く。

「これ、めちゃくちゃ好きだ。ずっと消せないわ」

「……勝手にすれば」

「そうする」

 そこで会話が途切れた。

 窓の外は、もう夕焼けがだいぶ薄くなっている。教室内は静かで、少しだけ気まずくて、けれど心地よい沈黙が流れていた。

 琉生がスマホを置き、ゆっくりと俺を振り返った。

「……時任」

「何」

「今、すげえ嬉しい。……何度も言うけど、まだ足りないわ」

 そう言って、琉生が一歩、俺のパーソナルスペースへ踏み込んできた。

 今までなら、反射的に身構えていたはずの距離。けれど今は、逃げ出したい衝動よりも先に、心臓の鼓動が耳の奥で跳ねた。

「近い」

「うん」

「うん、じゃなくて」

「嫌ならやめる」

 その言い方が、たまらなくずるい。

 触れたいくせに、最後の一線を越えるかどうかをこっちに委ねてくる。

 俺は少しだけ視線を伏せ、それから、消え入りそうな声で答えた。

「……嫌じゃ、ない」

 その返事を聞いた琉生が、微かに息を呑むのが分かった。

 次の瞬間、ためらうように顔が寄る。

 キスをされる。そう悟った時にはもう、逆らう気なんてどこにもなかった。

 そっと触れただけの、短く、静かなキスだった。

 ほんの一瞬。けれど、そこだけ世界の時間が止まったような錯覚に陥る。

 離れたあとも、どこを見ればいいのか分からなくて、俺はしばらく硬直したまま立ち尽くした。

「……っ」

 頬が熱い。耳まで赤くなっているのが自分でも分かる。

 何か、何か言わなきゃ。けれど言葉が形にならない。

 琉生もまた、少しだけ気まずそうに視線を逸らした。けれど、その横顔は隠しきれないほどの喜びに満ちていて。

「……ごめん」

「何で謝るんだよ」

「いや。……止まんなかったわ」

 その真っ直ぐな返答に、また胸の奥が熱くなる。

「……ずるい」

「何が」

「そういうの、先にやるの」

「じゃあ次は時任からしてよ」

「しない」

「今の間、ちょっと考えただろ」

「考えてない!」

 反射的に否定したけれど、今の俺に説得力がないことくらい自分でもわかっていた。琉生が、ふっと柔らかく笑う。

「でも、逃げなかったな」

「……うるさい」

 憎まれ口を叩きながらも、もう前みたいに目を逸らし続けることはできなかった。

 窓硝子に映る二人の姿は、さっきよりも、ほんの少しだけ距離が縮まっていた。

 学校ではまだ、堂々と肩を並べて歩けるわけじゃない。

 秘密も、噂も、冷やかしも、これからもきっと消えはしないだろう。

 でも、もう怖くない。

 自分で選んで、自分で届けて、自分でこの人の隣にいたいと思った。

 その事実だけで、俺には十分だった。

 ふと視線を外に向けると、窓硝子を叩いていた雨はいつの間にか止んでいた。

 半開きになった窓から、6月特有の湿り気を帯びた風が入り込み、放課後の熱をゆっくりと冷やしていく。校庭の隅に咲く紫陽花の、雨に濡れて重くなった匂いが微かに鼻を掠めた。

 雲の切れ間から差し込んだ夕陽が、水たまりだらけのアスファルトを反射して、誰もいない教室の天井に波のような光の紋様を描き出している。

 その淡い光の中に、窓に映る二人の姿を、もう一度だけ見た。

 少し照れていて、少し笑っていて。

 雨上がりの、どこか頼りなくて、けれど透き通った季節の真ん中で。

 俺たちは、確かに並んでいた。

 間違いなく、俺たちはそこにいた。

 降り続いた雨がすべてを洗い流したあとの、この静かな、二人だけの世界で。

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